14話 結界をすり抜けて
自宅に戻った都季は、ネジが切れた人形のようにベッドに横になったまま動かなかった。しかし、その頭の中では様々な思考や感情が渦を巻いていた。局と特務のこと、百澄のこと、そして、自身のことについて。
最初は何かを言いかけた月神だったが、都季の考えを読んで口を噤み、依月から拝借してきた新聞を開いている。
状況が変わったのは、粗方の片付けが終わったと魁から連絡が入ってからだ。
時計を見れば、長針は帰って来てから二周目を少し過ぎていた。
「――大丈夫。今日はもう家から出ることはないよ。……うん、ありがとう。それじゃ、また明日」
会話を終え、スマホをテーブルに置いた都季は小さく息を吐く。
新聞を熱心に読んでいたはずの月神が、溜め息を耳聡く聞きつけて顔を上げた。
「魁はなんと?」
「記憶に関しては、悠が書き換えてくれてるって。事が大きすぎたから、今回のことは大型トラックの事故扱いにするらしい」
「それがよかろう。違和感を残さずに済む」
建物の損傷など、騒動の爪痕が大きく残っている以上、記憶を消した際にそこから違和感が広がり、記憶を取り戻しかねない。
都季は自然と処理が進んでいることに驚きながら、テレビをつける。チャンネルを変えれば、先ほどの騒動がもうニュースになっていた。
当然の事ながら局や特務といった名称は出ず、犯人として出された名前も騒動の中では聞いていないものだ。現在、警察で取り調べをしているところだと報じられている。
「この犯人扱いされてる名前って大丈夫なのか?」
「無論、表向きの適当な名だ。だからこそ、姿は出ておらんだろう? まぁ、こういった場合、警察が動いているとニュースは伝えても、実際に動いているのは特務だがな」
「あれって警察の機関だったんだ?」
「いや、違うな。警察が特務に委嘱しているのだ」
特務自警機関は、主に『一般人』からの幻妖や依人に関する依頼を受け付ける。警察も局から見れば『一般』に入るため、組織名が出なくても不思議ではない。
しかし、組織名を出さないのには他にも理由があった。
「意味の分からん機関に委嘱しているなど、世間に知られればいろいろと不味いこともある。そのため、依頼主に警察がいたとしても口外はせぬ」
勿論、幻妖世界については極秘事項のため、警察内でも特務と繋がりを持っているのはほんの僅かだけのようだ。
「特務内には警察相手専用の課がある上、犯人が捕まっても警察の手柄として報道されておるな」
「そうなんだ。なんか……やり甲斐が半減しそうだな」
「いや、意外とそうでもないぞ。手柄は取られても、その分、『コレ』は……おっと。ここからは大人の話だ」
「なんだよそれ……」
ニヤリと笑って右手の人差し指と親指で輪を作った月神だが、あまり口にすることではないと気づいてすぐにはぐらかした。
報酬が良いのだと理解はできたが、子供扱いには溜め息が漏れる。
その時、カーテンを引いた窓からコツン、と音がした。
「ん?」
「都季。客だ」
「窓から入ってくる客って、絶対碌な奴いないだろ。テレビと電気つけてれば人がいるって分かるし、放っておけばいいだろ」
何者かの気配はするが、カーテンを開ける気にならない。
すると、月神はテーブルの端に立って窓を向いたまま、なぜか肩を回し始めた。
「我がおるではないか。泥棒なら突き落としてやるわ」
「やめて。俺が捕まるから」
足場となるベランダはないが、落下防止用の柵はあるため、そこに足を掛ければ侵入は不可能ではない。ただし、壊れて落ちる可能性のほうが高いが。
しかし、月神の姿は一般人には見えない上、明かすわけにもいかないとなれば、過剰防衛もしくは殺人で捕まるのは都季だ。
そもそも、人がいると分かった部屋に、わざわざ音を立てて侵入しようとする泥棒など存在しないだろう。
「いいから開けぬか」
「無視してればいいだろ。俺、疲れたし」
泥棒がいるかもしれないという状況で言う台詞ではないが、これも『月神』という自分以外の存在がいる余裕からくるものか。
だが、月神がそう簡単に引き下がるはずもなかった。
「なら蹴破るぞ」
「やめて。俺が怒られるから」
開けてほしい様子の月神だが、彼はカーテンと窓の開け方を知っている。
それをしないということは、彼も彼で動くほどの元気はないのか、それとも焦らしていれば相手が去ると考えたのだろう。
窓が再び、今度はコツン、コツンと二回鳴った。
「「…………」」
都季と月神は互いの顔を見合わせて難しい顔をした。月神も開けろと言いながら、本当に開けてほしいわけではなかった。
「いっそ、本気で蹴破ろうかのぅ。窓の向こうの阿呆ごと」
「やめろって」
「はぁ……仕方ない。我が直々に見てやろう」
深い溜め息を吐いた月神が窓辺に近寄る。
まず、カーテンの端を捲って頭だけを出して何者かを確認。一般人であれば月神の姿は見えないため、カーテンが揺れたと思われる程度で済む。また、幻妖であれば、月神の姿に驚いて逃げるはずだ。
そして、カーテンから頭を戻した月神は、窓を背にしてしばし考え込む。
「都季よ」
「なに?」
「まだ夕飯を食べておらんぞ」
「まず、外に何がいたか教えてもらえる?」
何事もなかったかのように都季を見て言う月神に冷静に返した。
月神は心底嫌そうな顔で小さく唸った。触れたくない何かを見たようだ。
また窓が小さく音を立てた。ただ、今回は軽く叩く音ではなく、硬質な物を窓に宛がった音だ。
「まさか、割る気じゃないだろうな!?」
「あ、よせ」
慌てた都季がカーテンに手をかける。
月神の制止も虚しく、カーテンが勢いよく開けられた。
『あ』
「「…………」」
『…………』
窓の向こうにいたのは、中型犬ほどの大きさの狐だった。しかも、ただの狐ではなく、美しい金色の毛並みに九本の尾を持った狐だ。
小さく声を上げた狐は前足を窓にかけた態勢で止まっており、都季もカーテンを掴んだまま狐を凝視して固まる。
すると、何を思ったか、狐は都季を見たまま、爪を出した前足をゆっくりと滑らせた。
「「うわああぁぁぁ!!」」
窓ガラスから奏でられた不協和音に鳥肌が立つ。
慌てて窓を開けてやれば、狐は涼しい顔で室内へと滑り込んだ。
「阿呆。入れるでない」
『いやぁ、開けられなければどうしようかと思ったよ』
「やった後で言うなよ……。というか、その声……刻裏か?」
『ああ』
都季は脳内で木霊する気味の悪い音に顔を歪めつつ、自身のベッドに座った狐を見る。
問いにあっさりと頷いた狐――今まで人の姿をしていた刻裏は、正体を明かしてもなお、狐の姿のままだった。
月神が渋ったのは、外にいるのが刻裏だと気づいたからだ。
「なんで狐の姿なんだ?」
『こちらが本性だ。それに、外に「人の狗」がいる。見つかっては面倒だと思ってね。本性なら霊力も抑えきれるから、完全に気配を殺すこともできる』
「いつもの姿は、やっぱり化けてるんだ」
都季はそう言いつつ、『妖狐』について興味本位で調べたときに出てきた画像を思い出す。人の姿をしたものもあったが、狐の姿で描かれていることがほとんどだった。
すると、刻裏は前足で毛づくろいをしながら曖昧に言う。
『あれも、ものによれば本性だが、化けていると言っても正解だ』
「ええ? よく分からないな……」
『幻妖を理解するには、数百年早い』
「もはや死後じゃないか」
それだけ人間が幻妖を理解するには難しいようだ。
月神はテーブルに座り直し、腕を組んで刻裏を見る。
「それで、何用だ?」
『愛しい者の末裔の様子を見に来た』
「都季は『狐憑き』の血筋ではない。帰れ」
ストレートに言う刻裏に月神もストレートに返す。
狐憑きとは、守護霊として妖狐を持つ者のことだ。多くはその家の血筋で代々妖狐を受け継いで従えるのだが、当然、都季はそういった話を聞いたことはない。
『様子を見に来たのは本当だ。何せ、あの百澄が出てきたのだから』
「!」
「お主、相変わらず耳が早いの……」
『どこにいようとも視えるからね』
呆れ気味の月神の視線を受けた刻裏は、ふふんと得意気に笑った。
そして、何かを確認するかのようにぐるりと部屋を見回してから言葉を続ける。
『それにしても、こうして通れてしまうとは、お前の結界はよほど気が抜けているようだ』
「結界?」
『ああ。この部屋には結界が張られている。幻妖が、一人でいるお前を狙えないのはそれもあるからだ』
都季は結界の存在を知らなかった。驚いて月神を見れば、彼は気まずそうに視線を逸らして「寝込みを襲われては元も子もないからの」と呟いた。
刻裏へと視線を移した月神は、むすっとしたままの表情で、刻裏が入れたのは致命的なミスではないと説明する。
「お主の場合は気配を完全に消していた上に、都季が許しているからだ」
『へぇ? 随分と気を許されているね。万が一、私に害意があったらどうする?』
「都季は勿論、我にも向けられていれば問答無用で弾き出す。外の特務も、許しがなければ入っては来れぬ」
先ほど、刻裏が言っていた「人の狗」とは特務のことだった。
気候は平年並みに戻ってきたが、今までが寒かった分暑く感じる。突然の気温の変化に、体調を崩す者もいるほどだ。
彼らが見張りなどに慣れているとしても、されている側、しかも守ることを前提とされている身では心配になった。
「俺、ちょっと行ってくる」
「そうそう。こうやって出て……なんだと!?」
腰を上げた都季に頷いていた月神だったが、すぐに彼の行動の意味に気づいて声を上げた。
冷蔵庫からジュースの缶を二つ取り出した都季は、振り返ることなく玄関に向かいながら言葉を返す。
「だから、特務の人に差し入れ行こうかなって。慣れてるだろうけど、気候も突然変化してるわけだし」
『ほう』
「馬鹿か! あやつらのことは気にせんでよいわ! 下手につけ入れられるぞ?」
刻裏は感心していたが、月神は納得がいかなかった。
玄関で靴を履いた都季は、短い廊下の先にある部屋のテーブルの上から、こちらを見る月神に向き直って言う。
「つっきー、おいで」
「我は犬でない!」
『なぁ、都季。このような聞き分けのない“小人”など捨てて、私に変えないか?』
「え」
都季は刻裏の唐突すぎる申し出に固まった。
真剣な声音から、刻裏が冗談を言っているわけではないと分かる。
そのせいか、慌てた月神が都季のもとに飛ぶと、彼の前に浮いて刻裏に向かって強く言った。
「でしゃばるでない、狐。お主が都季につくくらいならば我が行く! あと、小人言うな」
『では、都季。気にせず行っておいで。迷いがあるならば、答えを知る者に聞くのが一番だ』
「ん!?」
刻裏があっさり引き下がったことにも驚いたが、何よりも流れがおかしい。
一人困惑していると、都季に襟首をひょいと掴まれた。
「うん。ありがとう、刻裏」
「おい待て! お主ら、我を嵌め――」
やっと刻裏の意図に気づいた月神の非難の声は、閉じられた扉の向こうに消えた。
残された刻裏は、口元に笑みを浮かべつつ小さく息を吐くと、ふと、テレビボードの片隅に飾られた写真に気づく。
ベッドから降りて写真に近づけば、仲睦まじい一組の家族が写っていた。
男性は幼い少年を抱え、女性も嬉しそうに笑っている。
『家族、か。私には程遠いものだ』
先ほど、都季に言った「私に変えないか?」という提案は本気だった。
長年待ち焦がれていた、刻裏を救った巫女の生まれ変わりの、その子供。守りたいと、そばに置きたいと思うのは自然なことだ。
ただ、人と幻妖の過ごす時間はどう足掻いても同じにはならない。大抵は幻妖が置いていかれる。
『お前が羨ましいよ。和樹』
――死ぬ時まで共にいられた、お前がね。
悲しげに笑んだ刻裏は、しばらく写真を見つめてから姿を消した。




