13話 ラグナロクの長
路肩に停まった一台の黒い乗用車。
そこから降りた斎は、辺りを見て落胆の色を滲ませた。
「うわ、もうほとんど終わっとるやん」
「遅かったのぅ」
「一般人側の後始末は頼んだぞ。局は依人側の対応をしといてやる」
依月は中央区寄りの北区の端にあるとはいえ、瞬間移動と車では時間差がある。斎達が到着した頃にはほぼ片付いていた。
副長でもある斎が来たことをこれ幸いと、茜は収束後のことを手短に伝えた。今回は両組織が一緒の現場にいたため、双方がやるべき事を早々に決めたほうがいい。
斎は梓や疾風、伊吹を残る幻妖の討伐に向かわせ、溜め息混じりに返事をする。
「はいはい。しっかし、ラグナロクがおるっちゅう話やったのに、破綻組がまったくおらんってどういうことや? 早々に始末してしもた?」
「始末してもないし、いないことに関してはこっちも聞きてぇよ」
ラグナロクの規模がどれ程かは未だ把握できていない。その点を鑑みて、十二生肖の力を増幅できる都季を連れてきたのだ。結果、現場にいたのが幻妖だけだったため、収束が普段よりかなり早くなるだけだった。
新たに幻妖が現れる気配もなく、茜は神器を宝月へと仕舞う。
「蒼姫達は先にいたみたいだし、あとでアイツらから聞くよ」
「え。蒼姫ちゃんおるん?」
「事情は局で聞く。お前らには規定どおり、そのまま書面にして送ってやる」
「いや、ここで聞いたらええやん。どうせ俺もおるんやし、変な疑いかけられんで済むで?」
茜は自身が出した名前に反応した斎に嫌そうな顔をした。
対する斎は、先ほどまでの気怠そうな様子はなく、どこか楽しげな笑みを浮かべている。
「アッシュに喰われちまえ」
「そんなことをしてみろ。お前達の組織など一瞬で凍りつかせてやる」
茜に食いついたのはやはり梓だ。彼女はわざわざ討伐の手を止めて戻ってきた。
距離はあったのによく聞こえたな、と都季は感心してしまった。
文字どおり睨み上げてくる梓を、茜はやや目を細めて見下ろす。どこであろうと二人の仲は険悪だ。
「じゃあ、その氷を砕いてかき氷でも作るか」
「ちょ、茜! ストップストップ!」
「お主ら、いい加減にせぬか」
慌てて間に入った紫苑が茜を梓から引き離し、見かねた月神も二人の間に浮いて宥めた。
斎は、これは事情を聞くのは紙面になりそうだと溜め息を吐く。
「もー……。今は喧嘩しとる場合じゃあらへんやろ?」
「そうそう。じゃないと、大事なカミサマの依代がどっかに行っちゃうぜェ?」
「っ!?」
茜と梓を見ていた都季は、肩に回された腕と耳元で聞こえた陽気な男の声に体を強張らせた。ぞわり、と悪寒が足元から這い上がり全身を襲う。すぐ隣にある姿を見れないほど、体が固まって動かない。
「なっ!? お前、どっから……!」
声を上げたのは紫苑だ。茜達も愕然としながら、突如現れた男を見る。
都季の隣にいるのは、十代後半くらいの青年だ。
墨を撒いたような黒い髪は全体的に短めだが、黒い眼帯を着けた右目を隠す前髪だけは長い。左目は暮れていく空を連想させる濃紺だ。
「最初っからいたさ。まぁ、正確には、ちょっと“戻ってきた”んだけど」
「戻ってきた?」
「よもや再び貴様に会うことになろうとはな。あの時、我が直接手を下したはずだが?」
青年の言葉に引っ掛かりを覚えた都季とは反対に、月神は距離を保ったまま青年に言った。
誰もがすぐに引き剥がそうとしないのは、青年が破綻組であると分かったからだ。しかも、彼の放つ霊力はただの破綻組とは異なる。
下手に動けば、都季の身が危ない。だからこそ、誰も動けなかった。
青年は都季の肩に腕を回したまま不敵に笑んだ。
「よォ。あン時は世話になったなァ?」
「姿は変わっても、性格は変わらぬな。その右目も」
「はっ! テメェはどうした? 随分と小さくなったじゃねェの」
「こちらにも事情があるからだ」
口振りからも推測はできたが、月神と青年は顔見知りだった。ただ、月神の記憶にある姿とは異なるようだが。
都季は現在の小さな月神の姿しか知らないが、青年は別の姿を知っている様子だ。ただ、月神が初めて具現化した際、魁や琴音、悠もかなり驚いていたため、今の小さな姿が本来のものではないことは分かっている。
「お主のソレは誰の体だ? そのような芸ができるとはな」
「さァな。たまたま見つけたいい奴選んだからワカンネ」
小さく肩を竦める青年は、まだ都季を離す気配はない。
それを離れた位置から見た蒼姫が何かに気づくと、命じるようにアッシュの名を叫んだ。
「アッシュ!」
アッシュの体が眩い光を纏い、シルエットが瞬く間に巨大化していく。やがて、光を弾き飛ばすように、姿を変えたアッシュが背に生えた純白の翼を広げた。
「――光刃波!」
「ちょっ!」
蒼姫は躊躇わず攻撃指示を出した。対象は青年だが、都季は彼に掴まれたままだ。
アッシュは素直に従い、前足を高く上げ、叩き落とすと同時に両翼を左右に広げて大きく吠えた。
咆哮が空気を揺らし、両翼から生み出された光の刃が都季と青年に飛来する。
逃げられない都季は慌てるも、青年は動じることなくその場に佇んでいた。
「っ!」
飛来する無数の光の刃に、都季は強く目を瞑った。
その時、背後から聞き慣れた声がした。
「都季は返してもらうぜ」
「グルルルル……」
堂々と宣言する言葉に犬の低い唸り声が混じる。
意表を突かれた青年が息を呑んだのが気配で都季に伝わった直後、犬が雄叫びを上げながら青年に食らいついた。
腕が弛んだ僅かな隙に、都季の体は別の強い力で引っ張られる。
「ちっ」
青年は舌打ちをしながら犬を振り払い、向かってくる光の刃に向けて片手を突き出す。
真っ直ぐに飛んでいた刃が、青年を切り刻む寸前でピタリと止められる。青年が手のひらを握りしめれば、ガラスのように割れて飛散した。
その一方で、都季は腹に手を回す形で自身を抱える人物をそろそろと見上げる。
「大丈夫か?」
「魁!?」
「遅れてワリィ」
都季を助け出したのは魁だった。
魁と都季は背丈がほとんど変わらないため、持ち上げるには相応の力がいるはずだ。だが、魁は重さなど感じていないのか軽々と抱えており、彼の力の強さを実感する。
苦笑いしつつ片手を小さく挙げて謝った魁は、都季をゆっくりと地面に降ろした。そして、すぐに戦闘へと意識を戻し、青年と対峙する土佐犬――暮葉に指示を出す。
「暮葉! 一旦、下がれ!」
「やはり、『ラグナロクの長』ともなれば、一筋縄ではいきませんね」
「あれが長か。漸くお目通りが叶って嬉しいわぁ」
さすがの蒼姫もアッシュの攻撃を塞がれた上に能力が分からないため、次の手を出すことはしなかった。
今までラグナロクの長の姿は不明とされてきたが、駆け寄ってきた蒼姫は組織を調査していたため、どこかで見たのだろう。
斎は、青年から目を逸らさずに口元に笑みを浮かべた。ただし、緊張からぎこちなくなってしまったが。
「ハッ! おいおい。俺のこと安く見積もってたなんてナンセンスだぜ」
対峙する人が増えた今でも、青年は余裕の態度を崩さない。不敵に笑んだまま、都季を一瞥して言う。
「ま、今日は挨拶だ。この体にも馴染んできたところだしなァ?」
「器を変えたところで、お主の破綻が治るわけではないぞ?」
「ンなことが目的なんじゃねェよ」
淡々とした月神に、彼はやや苛立ちを含んだ声音でぶっきらぼうに返す。
そして、月神を真っ直ぐに見据えた彼の目には、強い憎しみが込められていた。
「俺は人間界を壊す。俺達破綻組の大半は、前はあの人間どもに蔑まれ、虐げられてきてンだ! そんくらいの仕返し、可愛いもんだろ!?」
「そんなことをして何になる。あるのは両世界の破滅のみだ」
「分かってるさ。俺達だけが死んでいくなんざ、まっぴらごめんだっつってんだよ」
自分達だけが滅びるくらいなら、いっそ道連れにしてやると青年は考えた。不平等だと嘆くくらいなら、自分達で平等に変えてやると。
破綻組の利己的な考えだと誰もが頭の片隅で理解はしている。しかし、一般人は勿論、人の影に生きながらも幸せを得ようとする破綻組以外の依人を見ると、不平等を感じずにはいられないのだ。
「なんで俺達は破綻した? 覚悟や意志が足りなかったか? 器が小さかったか? そのすべてが一因だろうな。だが、俺達は元は『同じ人間』だ」
「体を構成するものは同じであろうと、『内』は異なる。覚悟や意志、器が足りぬと理解していても、まだ理不尽だと嘆くか」
「俺達だって、半端な覚悟で力を得たわけじゃない。それが破綻してみろ! 自分を否定されたも同然だろうが!」
「それが運命というものだ」
「何が運命だ! そんなもんに振り回されてたまるか!」
悲痛な叫びに、思わず同情の念が生まれそうになった。だが、同情して破壊を良しとしてしまえば結末は滅びだ。
いてもたってもいられなくなった都季は声を上げる。
「だからって、関係のない人達まで巻き込むのか!?」
「都季?」
隣にいる魁が驚いて都季を見た。
誰もが動きを止め、喧騒がやや遠退く。
「皆、それぞれが一生懸命に生きているのに、ただ、自分が思い通りにいかなかったからって全部壊すのかよ!?」
都季が声を荒げれば、逆に青年からは激情の色が引いていく。
「自分の運命が嫌なら変えようと足掻けばいい! でも、それに無関係な人まで巻き込むな!」
都季が言い切れば、青年は返す言葉もないのか俯いた。
敵意も殺意も感じられないが、魁達は臨戦態勢を解くことはせずに動きを見る。
ほぼ静まり返った空気を破ったのは青年だった。
「……クハッ! アハハハッ!」
「な……」
「いやぁ……今時、そんなキレイ事言う奴がいるんだァ?」
「っ!」
「ホント、親子揃って……ええっと、日本語だとなんだっけ? ……ああ、そうそう!」
右目を隠す前髪をかき上げながら記憶を探る。前髪の下から覗いていた黒い眼帯が、初めて全貌を露にした。眼帯の縁からは、隠しきれていない傷跡も覗いている。
やがて、青年は都季を蔑むように見ると、探り当てた言葉を吐き出す。
「『反吐が出る』」
「逃がすな」
僅かに放たれた殺気に反応し、斎の号令と共に特務が一斉に青年を囲んだ。
向けられた銃口や刀身に青年は怯みもせず、ただ都季をまっすぐに見て言う。
「なァに、今すぐチェックメイトとはいかねェよ。言ったろ? 『挨拶だ』って」
「今はこっちがチェックメイトを宣言するときだがね」
「それはどうかなァ?」
斎の方言がなくなった。
それだけ特務側も緊迫していたのだが、対する青年は余裕な態度を崩さない。
ニヤリと笑みを濃くした青年の姿が一瞬で消えた。
「どこに……っ!?」
「俺の名前は『ルーイン』。その嬢ちゃんが言ってくれたように、ラグナロクの長だ」
辺りを見回していた斎の喉元に、キラリと光った刃が突きつけられた。僅かに掠めた刃で皮膚が切れ、小さな痛みがじわじわと広がる。
青年、ルーインは斎との距離を一瞬で詰めていた。この場にいた誰もが、その姿を捉えられなかった。
ルーインは斎にサバイバルナイフを突きつけたまま名乗ると、牽制するように周囲を見る。
「俺はその辺の破綻組とはワケが違う。一緒にすんじゃねェよ」
下手に動けば斎の首が飛ぶと案じた特務は、歯噛みをしながらルーインの一挙一動を慎重に見守る。局側もそれは同じだった。
「次は必ずお前を仕留める。あの時、お前とあの女にやられたこと、忘れちゃいねェぜ」
ルーインは忌々しげに言葉を吐き捨てると、影を纏って姿をかき消した。
その場に張り詰めていた空気がなくなり、一足先に我に返った梓が地を蹴った。
「さく――副長!」
「大丈夫か!? ナイフに毒とか……!」
「問題ない。今回はな」
梓に続いて疾風も斎のもとに駆け寄り、他の構成員達はルーインの追跡を試みるために数人に分かれて散った。
焦る疾風に言われて首に触れた斎は、確かに、殺す気であればナイフに毒を塗っているか、と深い息を吐いた。今のところ、体に異常は感じられない。後から出る可能性もあるが。
指先についた血を見て怪訝な顔をする斎に、梓は躊躇いつつも言う。
「さっきのラグナロクの長……。あの姿は――」
「ああ、せや。言うことあったんや」
「は?」
突然の方言口調に呆気に取られた梓だったが、彼は気にせずに茜達に向き直った。指先に付着した血が、握り締めた手の中で擦れた。
都季は無傷だが、見逃せない状態には変わりない。
「なぁ、さっきの『失態』はなんや?」
「…………」
「失態って……」
茜達、十二生肖は理解して視線を落としたが、都季はなぜそう言われるのか分からなかった。
斎は口調こそ普段と同じ方言だが、表情は険しく言葉を続ける。
「都季ちゃんが易々と捕まっとったんやで? そんなんでホンマに守れるん? 俺らも動けんかったけん、あんまり強くは言えん。けど、そっちが動けんのは意味がちごうてくるで」
「で、でも、今回は相手も『挨拶だ』って言ってたし、都季は無事だったんだぜ? 別にそこまで――いてっ!」
「悪いな、副長さん。確かに、今回のはあたしらの失態だ。あたしに至っては後見人としての責任もある」
不服さを抑えきれずに言い返した魁を、茜が後ろから平手で頭を叩いた。
頭を押さえる魁の肩を掴んで、茜は素直に非を認める。
対処できた者は一人もいないが、そもそも都季を連れてこなければこんな事にはならなかった。判断を誤った茜の責任だ。
「本来なら、このまま特務に連れて行きたいとこやけど、今回は大目に見とくわ。でも、記録には残すからな?」
「ああ、それはこっちもな」
「…………」
「都季。お主が背負うな」
「つっきー……」
斎と茜のやり取りを見ていた都季は、自身の無力さに拳を握りしめた。
それに気づいた月神が軽く窘めたことで自責の念からは少し救われたが、自分が力をうまく使えない限りはまた繰り返すかもしれない、と気分は晴れなかった。
(迷惑をかけるくらいなら、やっぱり……)
魁達をちらりと見れば、既に事態の収拾に取りかかったところだった。
都季は小さく溜め息を吐く。戻りたくはないが、このままではいけないと。
考え込んでいると、都季の肩に背後から手が置かれた。
「都季」
「うわぁっ!?」
「家まで送る。掴まれ」
驚いて振り向けば、そこには無表情の千早がいた。
そういえば、と彼が最初にここまで連れてきてくれたことを思い出す。
「ありがとうございます。千早先輩」
「……いや、大丈夫だ」
力ない笑みを浮かべる都季に、何か言うべきかと口を開きかけた千早だが、かといって上手い言葉が見つからず、差し当たりのない言葉で返した。
都季が千早と共に移動したのを見た斎は、現場の指揮を梓に任せ、自分達が移動に使った車に乗った。
エンジンは掛けず、スマホを取り出して電話帳からある人物の名前を選択して通話ボタンを押す。
呼び出し音が鳴る中、自嘲が漏れた。
「人生っちゅーのは、うまいこといかんもんやなぁ。――ああ、慶ちゃん? 今、大丈夫かいな?」
『はい。大丈夫です』
電話に出た慶太はいつもと変わらぬ口調だ。
「あんな、一応、慶ちゃんには先に報せとこう思て電話したんやけど……」
『あはは。珍しく勿体ぶりますね。どうかしたんですか?』
「良い報せと悪い報せ、どっちから聞きたい?」
『……じゃあ、悪い報せから』
慶太の無邪気な声音が引き締まった。
斎は「さすが、『オルトロス』君は勘も鋭いなぁ」と茶化してから本題に入る。
「ラグナロクのリーダーさんが出たんや。それも、以前とは肉体が変わっとるらしいわ。能力はよう分からんかったけど、ちょっと引っ掛かるもんがあった。あとで誠ちゃんにも報告するけど、先に軽く言うといて」
『はい。分かりました』
「で、良い報せはな――」
話した後、なぜ、自分に先に報せたのかを理解した慶太が愕然としているのが、手に取るように伝わってきた。
返事のない彼に誠司への伝言を追加で頼み、斎は通話を終了する。そして、ハンドルの上部に腕を重ねて額を乗せた。
慶太のそばに七海はいるだろうか。せめて確認すれば良かったかもしれない、と僅かに後悔する。
「頼むけん、これ以上、俺の周りの大事な人を傷つけんといてや……」
懇願する声は、斎自身も驚くほどに弱々しいものだった。




