14話 兆候
人一人いない町の中、紗智は一人で片側二車線の道路の真ん中に立っている。都季達は紗智のいる場所から横にずれた歩道にいた。
周りは大きなビルが多いが、どこも電気は点いていない。少し離れた位置にある交差点では信号が黄色で点滅している。
まるでゴーストタウンだ、と人の気配がしない奇妙なビルを見渡していた紗智の耳に、聞き慣れた仲間の声が届いた。手首に着けているブレスレットから。
《隔離完了。紗智ちゃん、どうか無事で》
「うん。ありがとう、花音ちゃん。それじゃ、またあとで」
支証の通信を使って花音から告げられた内容に手短に返事をし、通信を切る。
作戦は深夜の恵月町の東区にて行われた。オフィスビルや商業ビルの多い東区は民家が少ないため、人を遠ざけることが一番簡単だった。
一角を道路工事と称して通行を塞ぎ、破綻組や幻妖を追いやったところで花音が結界を張る。これで、破綻組や幻妖が外に逃げ出す心配はなくなった。
近づく無数の気配に足が震えた。
「しっかりしなきゃね」
両頬を軽く叩いて自身を奮い立たせれば、紗智を勇気づけるように宝月から炎がちらついた。
宝月に宿る神使も支えてくれている。また、局で待機になった一夜も帰りを待っている。
それだけで、今の紗智には十分だった。
「よし、来い!」
見据えた先に蠢く無数の影……破綻組と幻妖が現れた。破綻組や幻妖がまとまっているのは、花音が結界を狭めているために動ける範囲が少ないからだ。
紗智は距離を縮める集団に片手を翳す。脳裏に描いたのは、調律師達の待つ局のグラウンドだ。
「――目標確認……っ!」
能力を発動させるための言霊を呟くも、さすがに数が多すぎた。移動する対象を捕捉した途端、ぐらりと眩暈に襲われる。だが、ここで止めるわけにはいかない。集団の足もとには光る陣が出来上がっているのだ。
紗智は歯を食いしばって耐えたあと、翳した手を振り上げながらありったけの霊力を込めて唱える。
「――っ、転送!」
地面に描かれた陣から光が溢れ、集団を包み込んだ。
眩いそれは都季も見たことがある。陣の中にいるものを別の場所へと転送させる、“午”の能力だ。
紗智を見たままの都季に、月神は再度確認する。
「都季。本当にいいのか?」
「……うん」
「無理だと思ったら、すぐに起こすぞ」
本当は恐ろしくてたまらないが、どんなに辛いものだとしても、見ておかなければならないと思った。それは、一夜へ証明するものに繋がるだけでなく、今後のためにもなるはずだ。
その時、眩い光を放っていた陣が突如としてその光を消し去った。包まれていた集団が再び紗智に向けて動き出す。
「なんで……!?」
能力を使った紗智自身、なぜ能力が消えてしまったのか理解できなかった。
焦っている間にも破綻組や幻妖は距離を詰めてきている。
再び能力を使おうと手を翳すも、今度は唱えても捕捉の光すら現れなかった。
「っ、あはは……。失敗、かなぁ……」
体の芯がすっと冷え、思わず零れた自嘲の笑み。
翳していた手を下げ、支証の通信を繋いだ。
《おい、紗智! どうした!》
すぐに出た茜は、先ほど一瞬だけ繋げた転送の陣から対象が出てこなかったせいか酷く焦っている。
それに対し、紗智は自身の頭がやたらと冷静なことに気づいた。
「茜ちゃん。相手にね、能力を無効化する依人がいるみたい」
《なんだと!? 十二生肖の力を上回る階級はいないはずだぞ!?》
依人を直接見たわけではないが、同じ能力を親しい人が持っている。何度試しても失敗する感覚は、その人に能力を使われた時と同じ感覚だ。
愕然とした茜だったが、すぐに頭を切り替えて行動に移した。
《ちっ。すぐに向かう! 駿炎で逃げられるか!?》
「んー、逃げてる暇はないかも」
《とにかく保たせろ!》
茜は苛立ったように言うと、強制的に通信を切った。
既に一人一人の顔すら認識できるまでに迫った破綻組から逃げる方法はない。また、下手に逃げれば周りへ被害を拡大させてしまう。
紗智は大きく息を吐くと、「宝月、制限解除。形態、神器」と呟いて薙刀を顕現させた。
「せめて、一夜に連絡すれば良かったかな……ああでも、それだとあの人、絶対に茜ちゃん達に言わないで来るよね」
紗智の脳裏を過ぎったのは、局で待機を命じられた一夜だ。茜達と共にいるはずの彼は、恐らく誰よりも早くこちらに向かって動いていることだろう。もし、最初に連絡をしていたら、茜達に状況を説明せずに向かったはずだ。
その光景が簡単に浮かび、思わず笑みが零れた。
「まったく……裏支は、十二生肖が自分勝手なことをしないようにするためにいなきゃいけないんだから、下手に動かないでほしいなぁ」
薙刀の柄を握り締める。
集団から、体の肉が爛れた犬が口を開いて飛び出した。
眼前に迫った瞬間に振るった薙刀から炎を飛散させれば、その炎は犬の全身に広がり、あっという間に悲鳴ごと包み込んだ。また、飛散した炎が後方の集団にも燃え広がり、動きを一瞬ではあるが止める。
だが、その後ろから火の影響を受けなかった者達が集団から躍り出た。
「ギャアアァァァ!!」
「っ――業炎!」
「十二、生肖……!」
「力を……力を寄越せぇぇぇ!!」
肘や額から角が突き出た熊が紗智の薙刀に食らいつき、強い力で引っ張る。薙刀に炎を纏わせて離すも、隙を与えず別の幻妖や破綻組が一斉に飛び掛ってきた。
牙が腕や肩に食い込み、爪が肉を裂く。
悲鳴すらかき消される光景に、都季は咄嗟に口を手で押さえて視線を外してしまった。
その先に、炎に包まれた塊が飛んできた。地で数回跳ねてからごろりと転がったそれは、バスケットボールくらいのサイズの何か――ほとんどが炭化しており、元の形状すら分からなくなった幻妖の頭だった。
夢のはずが、相手には都季達の姿は見えていないはずが、なぜかその幻妖とは目が合った。
――ツ、ツツッ、キガッ……ミィィィィ!
黒板を引っ掻いたような不快な甲高い声がぶれる。
ここは夢のはずだが、この幻妖は都季を認識しているのか。それとも、執念を燃やす月神への憎悪を吐き出しているだけか。
幻妖の頭がひとりでに起き上がった。
「っ……!」
「都季!」
都季の襟首を月神が掴んで引っ張った瞬間、景色が一気に遠のく。
急速に現実へと浮上する感覚に任せて、都季は勢いよく起き上がった。
「――っ、はっ、はぁっ、はぁっ……」
「大丈夫か? 都季」
「つっきー……」
ベッドから上体を起こした都季の肩を月神が優しく叩いた。
いくら夢とはいえ、あのまま見ていればどうなっていたのか。もし、何もないとしても、考えたくはなかった。
「ありがとう、つっきー」
「……いや、礼には及ばんさ」
月神は考え事をしていたのか、都季に礼を言われると力なく返した。
だが、都季はそのことには気づかず、嫌な汗をかいたので顔だけでも洗おうとベッドから足を下ろす。
すると、隣のベッドで寝ていた魁が異変に気づいて目を覚ました。
「んんー……なんだぁ……?」
「あ、ごめん」
声量を落としていたつもりだったが、魁が起きるには十分だったようだ。
目を擦りながら起きた魁に謝れば、彼は寝ぼけているのか「んー?」とぼんやりとした声で返事をした。
「ちょっと、変な夢を見てさ。顔洗ってくる」
「おー……」
「疲れてるのに起こしてごめんな」
「んー……」
枕元のスマホを確認すれば、今は夜中の三時だと分かった。
大事ではなかったためか、意識が覚醒していない魁は体を反転させて枕に顔を押しつけており、再び夢の中へ戻ろうとしている。
曖昧な返事に笑みを零しつつ、都季は一旦部屋を出た。
扉が閉まった途端、残された月神はベッドの上でぐっと膝を曲げる。そして、膝を伸ばす反動でベッドから飛び上がると、枕に顔を埋めていた魁の頭を蹴飛ばした。
「おい」
「いでっ!」
後頭部を襲った衝撃に、魁からくぐもった声が上がった。
月神は枕の隣に着地すると、腰に両手を当てて半眼で魁を見て言う。
「もう起きておろう。ちと話し相手になれ」
「お、起きたっす……。でも、俺でいいんすか?」
「ああ、構わん。他におらんしな」
蹴られた頭を摩りながら上体を起こし、月神を見下ろす。
月神の言い方ではかなりの妥協の色が見受けられたが、都季が返ってくる前に済ませたい様子なので言及はしないでおいた。
「都季の霊力が増しておる」
「……みたいっすね」
「なぜだ」
起きたばかりのすっきりしない頭でも、都季の霊力が増えていることには気づけた。だが、都季の様子からそれを指摘することは憚られ、また、睡魔が勝ったこともあって追究しなかった。
真顔で扉を見たまま訊ねてきた月神だが、思考がうまく働かない魁はどう返したらいいものかと頭を捻る。
「いや、それは俺にも……あ! 月神がいるからとか? ほら、強い霊力を持つ人が傍にいると移るって――」
「そんなことは分かっておる。我が言うておるのは、なぜ結奈の水晶玉の抑制があるにも関わらず、『都季の霊力』が出てきているのかということだ」
「ぎゃああぁぁぁ! 折れる折れる!」
閃いたと立てられた魁の人差し指を月神が掴んで横に倒した。淡々と述べる月神だが、声音には僅かながら苛立ちが含まれている。
悲鳴を上げたことですぐに解放されたが、月神は気にした様子もなく再び話題を戻した。
「確かに、器にも我が宿れるように我の力は宿っているゆえ、その面からも霊力が増して枷が壊れてきたのかもしれん。だが、抑制に使っている水晶玉には我の力に加えて結奈の霊力もある。そんなに柔ではないはずだ」
「いってー……じゃあ、抑えられてる『都季の霊力』がずっと強いってことなんじゃないっすか?」
魁は掴まれた人差し指を摩りながら半ば適当に答えた。月神がぽかんとしているとは気づかず、言葉を続ける。
「抑えてることで空いてる霊力の穴は、月神の器だって入るくらいなんですし。それで、さらに月神の霊力だって微量だろうと移っているんなら、都季が持てる霊力ってのは限界っすよね? で、抑えられてるっていう、元々の霊力が誘発されて出てこようとしてるなら――」
「そうか! それだ!」
「へ?」
適当に言っていた魁は、合点がいった様子の月神に目を瞬かせる。
対する月神はすっきりしたのか、自身の頬を両手で軽く叩きながら呟いた。
「いかんな。我も寝ぼけておるようだ」
「……あの」
「魁ー、大丈夫か? なんか、すごい悲鳴が聞こえたんだけど……」
洗面所から帰ってきた都季に先ほどの悲鳴は届いていたようだ。となると、隣の部屋で寝ている琴音には当然ながら聞こえているだろうが、すべて聞こえているからこそこちらに来ないのだろう。
かといって、本当のことを言えば都季に余計な不安を与えてしまう。
どうするべきかと迷いながらも、悲鳴を上げた理由だけは話すことにした。
「あ、ああ。大丈夫。ちょっと月神に指折られ、ったぁ!?」
「え! 折られたの!?」
「折られそうになった」と都季に状況を説明しようとすれば、わざわざ都季の死角に回り込んだ月神が脇腹を蹴ってきた。
そのタイミングが悪かったこともあり、都季は血相を変えて魁のもとに駆け寄った。
指を確認しようとする都季に片手を挙げて大丈夫だと示しつつ、口でも問題ないことを告げる。
「い、いや、大丈夫。折れてはないから」
「そうなのか? おい、つっきー。魁はただでさえ怪我してるんだから、これ以上、怪我を増やさせるなよ」
「我は悪くない」
「反省しろよ神様」
ふい、と顔を都季から背けた月神を叱るも、彼は「もう寝る!」と拗ねて器に戻ってしまった。
都季は溜め息を吐くと、脇腹を摩る魁に首を傾げつつも謝っておくことにした。
「なんか、つっきーが迷惑をかけたみたいでごめん。……お腹痛いの?」
「ああ、本当に大丈夫。腹もな」
「そう? なら良かった」
「明日ってか、もう今日か。また学校だし、もう寝ようぜ」
「そうだな」
大きな欠伸をした魁に小さく笑んで、都季はベッドに戻った。
先ほどの夢はもう見ないだろうが、少しだけ怖くなる。なぜ、夢だというのに、幻妖の頭部と目が合ったのかも気になる点だ。
都季の不安に気づいたのか、器にいる月神が「もう見ることはない」と都季の脳内に直接言ってきた。夢見というものが起こらないよう、月神が何らかの術を施してくれたようだ。
都季は内心で「ありがとう」と礼を言ってから目を閉じた。
その一方で、ベッドに横になった魁は月神に言いかけた言葉を考える。
(元あった霊力が出てこようとしてるなら、都季の体は耐えられるのか? 俺らみたいに幻妖の血が混じっているわけじゃなくて、人間と変わらない体なのに……)
隣のベッドで再び眠りについた都季は、魁が起きる直前に感じた妙な気配を纏っていない。
特体者の肉体自体は一般の人と変わりないため、身に余る霊力は時に自滅を招く。最も、都季の場合は月神もいるため、普通の特体者とは異なってくるのだが。
(……んー、よく分かんなくなってきた。まぁ、月神もいるから大丈夫、か……? いや、月神がいるから大丈夫じゃないのか? でも、月神は離せないし……あー。わっかんねー)
思考がうまく働かなくなってきた。元々、考え事は得意ではないのだ。
都季の様子におかしなところは見受けられない辺り、今日明日で異変が起こることではないだろうと踏んで、魁は重くなってきた瞼を閉じた。
二人が寝静まった頃、月神が器から出てきて部屋を見渡す。
そして、テーブルの影に目を凝らすと、二人に気づかれないように霊力の波を放った。
「去ね」
波を受けた瞬間、影に隠れていた何かが掻き消えた。
都季の夢見で最後に現れた幻妖の頭。
あれは、偶然、都季を見ていたのではない。
「何処の手のものかは知らぬが、我がおるというのに、よう夢見に入って来られたのぅ」
第三者が都季を葬り去らんと送り込んできた刺客だった。




