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十二生肖異聞録  作者: 空川香
二章 月夜を舞う者
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1話 最初の犠牲者


 夕方に降り始めた豪雨は、数時間でその強さを弱め、静かに降る雨へと変わった。

 恵月町の東区にあるオフィス街。まだビルに電気は点いているものの、ビルとビルの間を通る道路に車は走っていなかった。

 数時間前――雨足が弱まる前に、とある組織が東区の一角を通行止めにしたからだ。

 人通りさえなく、雨音だけが響く路上の片隅で、一人の十代後半の少女が同い年くらいの青年に上体を支えられてぐったりと倒れていた。傘を差していないせいで、二人は全身が雨に濡れている。

 少女を中心に周りは赤く染まっており、今なおその広がりは止まらない。


「ねぇ……私、ちゃんと、役目を果たせたかな……?」


 少女は掠れる声で青年に問いかけた。体が冷えるのは雨のせいか、それとも流れ続ける血のせいか。血を流す腹や手足の傷は深く、止まるところを知らない。普通ならば傷の痛みにもがき苦しんでもおかしくはないのだが、少女はもはや痛覚すら麻痺してきていた。

 少女の言葉に、青年ははっとしたように目を見開いた後、顔を歪めて悲痛な声を漏らす。


「当たり前だろ……っ。なに、最期みたいなこと言ってんだよ! これからも、一緒に頑張っていこうって言ったの、お前だろうが……!」

「なんで、アンタが泣いてんのよ……げほっ。……私が、傷の痛みで泣くなら、分かるけど」


 青年の頬に流れた涙に、苦しそうな笑顔が浮かべられた。拭おうと持ち上げた手は震え、今にも落ちてしまいそうだ。

 青年は縋るようにその手を握り、彼女の体を強く抱きしめた。

 どうしようもないことは分かっている。それでも、彼女を失いたくない一心で腕に力を込める。これから訪れるであろう現実を必死に否定し続ける。

 雨は容赦なく体を濡らしてさらに体温を奪っていく。だが、腕の中の少女は、雨だけで体温が下がっているのではない。


「俺が……俺が、変わってやれたら……!」

「……バカねぇ。そこは、『お前の分まで生きてやる』、でしょ?」

「なんで、お前が……」

「そ、んな、もんよ……。私達、十二生肖は……。……でも、後悔は、ないの。だって――」


 ――最期に、貴方の傍にいられたから。


 そう言った彼女は青年の胸板を軽く押して少しだけ離れると、彼の襟を掴んで引っ張り、軽く触れるだけの口づけをした。

 それが離れると、固まる青年に悪戯が成功した子供のように笑った。


「ふふっ。……驚き、すぎ」

「っ、お前な……!」

「ねぇ」

「……なんだよ?」


 彼女は一度笑みを消すと、青年ではなく彼の後ろに見える灰色の空を見た。

 できれば、青空が良かったと思いながら。

 ぶっきらぼうに答えた青年に、彼女はまた目尻に涙を滲ませながら笑みを浮かべると、「ありがとう」とか細い声で呟いて目を閉じた。

 あまりにも突然の事にしばらく呆然としてしまったが、それきり動かなくなった彼女に、次第に体の芯が冷えていくのを感じた。

 力が抜けそうになった腕に再び力を込める。

 目の前の事実を受け入れたくない青年は、懇願するように声を絞り出す。


「おい……。『ありがとう』って、なんだよ……なぁ!?」


 肩を揺すっても、彼女は瞼一つ動かさなかった。

 背後に複数の人が、服に泥水が跳ねるのも気にせずに走ってきた。その全員が二人を見て足を止める。

 動かない少女に一人の女性が膝から崩れ落ち、最年長であろう女性が顔を歪めながらその隣に片膝をついて肩を抱く。泣きじゃくる少女を、同年代の少年が宥める。

 沈痛な空気が流れる中で、唯一、最年少に見える少年だけが怒りを交えて強く手を握りしめた。


「これが、『十二生肖』なのかよ……」


 その呟きは雨音に掻き消され、誰にも届くことはなかった。




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