20話 妖狐の目論見
依月を出てから、月神が暴れるような感覚がなくなっている。呼び掛けても反応はなく、出るのを諦めてしまったのか。自由自在に出入りできるような口振りだったが、実は何か制限があるのかもしれない。
そうこう考えている内に辿り着いたのは、事故があった交差点から程近い所にある公園だ。
昼間は賑わっているであろうそこは、日が落ちた今は誰もいない。
「刻裏! いるんだろ!?」
公園に入ってすぐの場所から声を張り上げる。誰かに見られでもしたら恥ずかしいことこの上ないが。
刻裏がここにいると思ったのは、先ほど彼から話を聞いた場所からそう遠くないこと、そして、気配をここから感じたからだ。
今まで気配というものを感じたことがない都季だが、刻裏を探そうと思った瞬間から不思議と足はここに向かっていた。
しかし、当の刻裏どころか、誰の応えもない。
「訊きたいことがあるんだ! いるなら返事を――」
「そう大声で呼ばずとも聞こえているよ」
「うわっ!?」
「呼んだのはお前だろう。驚くな」
突然、真後ろから声が聞こえ、驚いて振り向く。思いの外すぐそばに顔があったため、数歩引いてしまった。
そんな都季の反応を見て呆れたように溜め息を吐く刻裏だが、誰でも同様の反応になるだろう。
刻裏はすぐにいつもの笑みを浮かべると、穴が複数空いたドーム状の遊具に飛び乗った。まるで、何かをすぐに見つけられるように。
オレンジから濃紺へと変わった空を背景にした刻裏は、時間帯のせいもあって妖しく見えた。
「早くもすっきりした顔をしているが、私に訊きたいこととは何かな?」
「お前、母さん達が事故に遭った時、俺に知らせてくれたんじゃないか?」
「ほう。なぜ私が?」
「間嶋おばさんは、俺に父さんと母さんのことを言うときは『名前』を言わない。それに、母さんから俺のことを頼まれてたんだろ? お前なら、術で人に化けることもできるんじゃないかって思って」
「私の他にも人に化けられる幻妖は多くいるが?」
人の姿を取れる幻妖は限られているが、既に存在している「人に化ける」幻妖はそれより多くいる。狐や狸が人に化ける、というのは幻妖を知らない人間でも知っている話だ。
だが、都季の考えは単なる憶測ではなく、いくつかの違和感を可能性で解いていった結果だった。
「巫女に反発した幻妖や依人が引き起こした事故なら、わざわざ俺に教えに来て、襲わずに現場に向かわせるか?」
「両親の死を目の当たりにして、絶望を味わわせたかったのでは?」
「それなら、その後になんで襲わないんだよ? 『襲わなかった』んじゃなくて、『襲えない』理由があったんじゃないのか?」
意表を突かれたように目を見開いた刻裏に、確信を得た気がした。そこまで考えが至らないと思っていたのだろうか。
ヒントは刻裏自身が言っていた。「『私の子供に何かあれば力になってほしい』と言い遺した」と。
それは、今まで都季の危機を救っただけでなく、事故を知らせた時から続いていたのではないかと思ったのだ。
刻裏は俯くと、肩を震わせた。
「えっ。だ、大丈夫か?」
「くっくっ……ははははっ!」
いきなり豪快に笑い出した刻裏に都季は唖然とする。
今まで声を上げて笑うことはなかった気がするが、彼もこんな笑い方をするのかと新しい一面を見つけた気がした。
刻裏は心から楽しそうな笑顔だったが、一瞬だけ、その笑顔に寂しさが過ぎった。
「本当に、人間とは飽きないねぇ。『沙羅』」
「沙羅?」
「私を救った巫女であり、お前の母の前世だ。私に名を与えたのも彼女だ」
その巫女と約束をした。生まれ変わったら、今までの話をすると。
約束をした後、刻裏は巫女の家系をずっと見守っていた。
千里眼で再び巫女の血筋に生まれ変わると知って、彼女が誕生するまでずっと。
「じゃあ、やっぱり……」
「ああ、そうだ。私がお前に両親の事故を知らせた。だが、知ったところでどうする? 助けなかった私を責めるか? 私なら、幻妖どもを追い払うのは容易いことだ。見殺しにしたのだぞ?」
「違う。ただ、お礼を言いたいだけだ」
「…………」
予想外の返答に、刻裏は目を瞬かせて首を傾げる。礼を言われるようなことをした覚えはないと言わんばかりに。
都季はそんな彼を気にせず続けて言う。
「確かに、母さん達を救ってくれたほうが嬉しかったかもしれない。でも、管狐の件を含めて、刻裏がそうしたのはきっと理由があるんだろ?」
依月で八つ当たりに近いことを言って、悠に厳しい言葉を返されて、半ば逃げるように出てきて。一人で走っていて頭が冷えた。
刻裏が言ったように、守ることや抑えることに疲れたから巫女を消して、月神が不安定になったから巫女の末裔である都季を利用したという線も合点はいく。しかし、戸惑う魁達を見て、悠に言われて、果たして彼らが裏で画策していたかと問われれば違うだろう。
そして、都季が巫女の子供なら、今までどうして無事に生きてこられたのか。正体が判明していなかっただけということもあるだろうが、裏で巫女の子供だと知る者が動いていたはずだ。
最初は十二生肖かと思ったが、魁達は何も知らないという顔をしていたため、その可能性は低い。
それなら誰だと思った矢先、刻裏の話ですべての謎が解けた。
「刻裏がずっと見てくれていたから、俺は今まで無事に過ごせた」
「…………」
「ありがとう、刻裏」
「……お前はよく分からないな」
だが、嫌な気分ではない。
そう言って微笑んだ刻裏は、素直に喜んでいるように見えた。
「ただ、まだ分からないこともあるんだ」
「ほう?」
「管狐を送ってきたこととか、魁達を疑うように言ったこととか……」
「ああ、それか。……何、私の我が儘だな。大事な巫女の生まれ変わりの、その子供。それをみすみす人間の手に返したくはないのでね」
結奈に都季を任されて見守っていた矢先、都季が月神の器を体内に取り込む未来を視た。
このままでは月神の霊力に幻妖や依人が引き寄せられ、彼は忽ち命の危険に晒される。それでは結奈達が命を犠牲にして彼を守った意味がなくなってしまう。
そこで、まずは月神の霊力が溢れてしまわないよう、月神の器が入った時に発動する薄い結界を張った。龍司が見た「何かを守っている」というのはこの結界だ。
だが、都季は月神を取り込んだことで幻妖世界に関わり、十二生肖の一部によって守られる身となった。
すると、刻裏の出番もなくなってしまう。
――その役目は、私が彼女から請け負ったものなのだが……。
“面白くない”
そう感じた途端、わざと反感を抱く管狐を送って攻撃をさせ、都季の体内にある月神の覚醒を促した。管狐の殺気が強かったのは誤算だったが。
月神が顕現すれば、都季の霊力は瞬く間に周囲に溢れ出す。つまり、幻妖や依人にも見つかりやすくなるのだ。
そうなれば十二生肖の、それも三人だけでは事は収まらなくなる。現に、町に破綻組が増えたのは月神が局の外に顕現したからだ。
十二生肖で手が回らなければ必然と刻裏も動くようになるため、再び役目を全うできる。
「それに、局は面倒事が多い。先を視ても良いことはなかった。だから、このまま引き離してしまおうと、十二生肖を疑わせることを言った。ただ、それでは体内にある月神の力が悪影響を及ぼしかねないので、少し細工をしている。月神が出ないのはそのせいだね」
「細工?」
「結界だ。最初に張っていたものを編み直している」
月神の顕現後に結界は力が薄れたものの、消滅はしていなかった。
都季が月神に拒絶反応を起こして肉体が壊れないよう、器を安定させるために結界の力を強めて再形成した。月神が姿を現さないのはその副作用だ。
真相を聞いた都季は、刻裏の一存でかき回されたのだと分かり、やや不満そうに顔を歪めた。
「なんだそれ。俺、魁達にどんな顔して会えばいいんだよ」
「すまないね。まぁ、元に戻れないならばその程度の繋がりだ。私のもとにくればいい」
「俺は人間だから、そっちにはいけないよ」
「だろうな」
「じゃあ言うな」と言う言葉は飲み込んだ。刻裏に遊ばれている気がしたから。
彼としては巫女の子供を手放したくない一心だったのだろうが、都季からすればいい迷惑だ。見守ってくれていたのは感謝するが。
深い溜め息を吐いた都季だったが、刻裏の纏う雰囲気が鋭いものへと変わったことに気づいた。
「刻裏?」
「今度から私の名を叫ぶでないよ。でなければ……」
「……うわ!?」
刻裏の視線が都季の背後に向けられている。
何かと思いつつ振り返れば、公園の入口に複数の人が集まっていた。
足取りはおぼつかなく、青白い顔で歩く姿は、事情を知らない一般人でも恐怖を感じるだろう。
「見つけた……。狐、やっと……!」
「月神もいる」
「あいつも霊力が高そうだ」
「巫女の子供か?」
「力をくれ……!」
「痛い、苦しい……早く、助けて……」
「やれやれ。公園に結界を張っておくべきだったか」
都季はぞろぞろと入ってくる人達に圧され、思わず後退さってしまう。
呆れと疲労が混じった溜め息を吐く刻裏だが、都季は初めて目にする破綻組の集団に気が焦るばかりだった。
何せ、唯一の対抗手段である月神は刻裏の結界で出てこられないのだ。
「どうするんだよ、これ。元はといえば刻裏がやったことなんだろ? どうにかできないのか?」
「私は求めに応じ、『鍵』を手渡したまで。『錠』に挿せなかった本人らに問題がある」
「鍵?」
「例え話だ。『力の継承』とは、本来、その者に秘められていた霊力を解放してやるもの。一般人にも多少なりとも霊力はある。人間は知らず知らずそれに錠をしているだけ」
ただ、その錠は堅く、ちょっとやそっとの意志では開けない。
そこで、刻裏のような力を解放できるものが鍵となる異界の力を僅かに渡す。体内に入り込んだ力が錠を開く鍵となり、表へと出てくる。そして、本人が秘めていた霊力と渡された異界の力が混ざり合い、ひとつの力となるのだ。
「都季は、見たこともない『見えない鍵穴』に、“一度”で鍵を挿すことができるか?」
「見たこともないし、見えないんだろ? 無理」
「つまりはそういうこと。破綻組は『鍵穴に鍵を挿せなかった者達』だ。解放されかかった中途半端な力は外に出られず、与えられた機会を再び欲して暴れる」
「なるほど……って! 今、こんな暢気に話してる場合じゃないよな!?」
破綻の仕組みはよく分かった。しかし、だからといって状況が変わるわけでもない。
慌てて刻裏を見やるも、彼は余裕な態度を崩さなかった。
「月神もいないのに、どうやって対処したら……」
「私が月神を結界で閉じ込めたのは、ただお前を守るためだけではない。月神の気配を破綻組に悟らせないためだ。十二生肖のもとへ何事もなく行けたのも、ここに来られたのも相手に知られていなかったからだ」
「なんでそんな悠長に――わっ!?」
「私はお前を人間の手に返したくないが、破綻組にやるのはもっと嫌なのでね。だから、今は逃げ道は作ってやろう」
地に降り立った刻裏は左手を都季の右肩に置くと、力を込めて後ろへ引く。
顔だけを僅かに向けてくる彼に、都季は困惑を露わにして声を上げた。
「いやいやいやいや! ちょっ、刻裏は俺にどうしろって言うんだよ!? あと、月神を閉じ込めたのは解放してあげて!」
「ああ、月神に関してはあやつを受け入れた都季ならば容易いことだ」
「人の話聞いてる?」
「都季」
「…………」
刻裏の軽い口調が真剣なものへと変わった。
口を閉ざした都季に、彼は正面を見据えて言葉を続けた。鋭い眼差しが破綻組の動きを牽制している。
「これから、お前は逃げも隠れもできない。何せ、存在が大きいからな」
「うっ」
「案ずるな。私がついている。もちろん、十二生肖もな」
出された呼称に肩が跳ねた。
魁達は許してくれるだろうか。依月でのことを思い返せば、魁達になんと言えばいいのか分からない。まして、彼らに浴びせた罵声はすべて刻裏の言葉を鵜呑みにしたからだ。
ただ、顔を合わせ辛いことは本当だが、刻裏の言葉にはなぜか安心できる。
都季の前に出た刻裏は、右手側にある公園の別の出入り口を指差した。
「さぁ、行け。“戌”がお前を探しているそうだ。事の発端が言うのもおかしな話だが、犬も食わぬ喧嘩はさっさと終わらせてこい」
「……ありがとう」
「なに、私は約束の範囲のことをしたまで」
「意外と義理堅いんだな。……刻裏、気をつけて」
小さくそう付け足して、都季はもう躊躇わずに走り出した。
破綻組を前に一人残った刻裏は、ふ、と口元を緩める。殺気も混じる威圧感は消さず、目の前を見据えたまま。
「まったく、あやつは意表を突くのがうまいな」
「力を……」
「私、次ならちゃんとでき――……?」
刻裏に一歩近づいた一人の女性は、何かを引き裂いた音に足を止めて視線を落とす。
点灯した外灯に照らされた腹部から赤い血が吹き出し、足の力が抜けて膝から崩れ落ちる。
体が地面に横たわった瞬間、女性は土で造られた人形だったかのように砕けた。土の塊はすぐに風化し、あっという間に消えてしまった。
破綻組の誰もが息を飲んでそれを見ていたが、突然、近い場所から聞こえた声に体を強ばらせた。
「『狐』が欲しいならば、喚び出そう」
先ほどまで目の前にいた刻裏が、いつの間にか破綻組の中央に移動していた。その手に握られていた血濡れの刀が、外灯を反射して煌めく。
刻裏の足元に白く小さな旋風が複数発生し、小型犬から中型犬ほどまでの大きさの狐が現れた。狐達は前傾姿勢で周りの破綻組に牙を剥いて唸っている。
空にはいつの間にか、満月を過ぎてやや欠けた月が出ていた。
「力が欲しいならば、与えよう」
「狐……」
「欲しい……力が」
「ただし――」
口元だけで笑んだまま、左手の人差し指だけを立てて唇に当てた。
「機会は一度だけ。壊れてしまえば……消え去れ」
血を払うように刀を振った瞬間、刻裏を取り巻いていた妖狐が一斉に破綻組に襲い掛かった。
「私は、ただ求めるだけの者は嫌いだよ」
悲鳴すら響かせることなく、破綻組は次々と倒れては崩れ、風化する。
刻裏が手にしていた刀は無数の桜の花びらへと変わって飛んでいった。
灰色の砂塵が辺りに舞う中、刻裏は新たな破綻組が来る前に姿を消した。




