16話 制限
「げほっ……あ、かね」
「ん?」
飛びかかってきた幻妖を殴り倒していた茜を、水を飲んで噎せた月神が言葉を途切れさせながらも呼んだ。
微かな声ではあったものの、辛うじて聞き取った茜が反応したのを見て、月神は弾けそうな霊力の中心を指した。
「こと、ねを、止めろ……!」
どういうことだ、と怪訝に眉を顰めた茜だったが、苦しげな琴音の表情を見ればその理由もすぐに察した。
月神の指示どおり、琴音に駆け寄って右手首をブレスレットごと掴めば、彼女から驚いたような視線を向けられる。
「琴音。『使いすぎ』だ」
「っ……!」
額に汗を滲ませていた琴音は自身の力に翻弄されていた。
神使は戦闘の際、十二生肖から力を受け取って術の威力を高めることもできる。今の琴音は、都季や月神を救いたいという一心で、水の塊を破るように神使に頼んだ。そして、神使は水の塊を破るだけの力を琴音に要求した。
力の送り方を知らない……初めて神使を出した琴音にとって、どこまでが適切な量なのかまだ判断は難しい。際限なく送り続ければ霊力が枯渇し、最悪の場合は命にかかわる。
都季達を助け出した後でも、どの程度の霊力を送るのが最適なのか分からないままだった。
「もう大丈夫だ。お前のおかげで、都季も月神も無事だ。ゆっくりでいい。力を落ち着かせろ。神使に……桜花に『やめろ』と命じればいい」
「……うん」
茜の手の下で、緑色に放っていた光が少しずつ弱まっていく。
やがて、琴音の前で根を出現させていた桜花がその力を鎮めていった。ルーインを締め上げていた根の力が緩くなり、どさりと地面に落ちた。
まるで巣に入る蛇のように、根は出てきた穴に吸い込まれていく。
「確保!」
「っ、寄るんじゃねぇっつーのォ!」
茜の一声ですぐさま取り押さえに入ったのは紫苑、悠、魁の三人だ。
しかし、ルーインは右手をついて上体を起こすと、左腕を大きく横に振った。その軌跡から放たれたのは雷を纏った水の刃だ。
紫苑達はその刃を避けた後、次の動きを窺うためにそれぞれが立ち止まる。弱ったかに見えたルーインだが、まだまだ余力はあるようだ。
ルーインはそんな三人を見据え、他の十二生肖や特務にも警戒心を剥き出したまま、ゆらりと立ち上がった。同時に、ルーインと紫苑達の間に、彼を庇うように破綻組や幻妖が立ち塞がる。
「相変わらず、何処から沸いて出てるのか謎な人達ですね」
「前例がある以上、全員が破綻組ってわけでもないのかもしれないな」
嫌そうに吐き捨てた悠だったが、紫苑は珍しく冷静に分析して返した。
今までは全て破綻組だったものの、今回の件では破綻組以外の依人がルーインによって操られ、破綻組のような行動を取っている。ならば、目の前に立ち塞がる者達の中にも、破綻組以外の依人がいる可能性はある。乱戦になったとき、霊力の違いを即座に見抜いて対処しなければ、不要な犠牲者を出してしまうだろう。
「けほっ……くそっ。覚えてろ……!」
「お決まりの台詞で逃がすかよ。七夏」
「キッ!」
次の攻撃ではなく戦線離脱を謀ったルーインだったが、それを遮ったのは紫苑達の後ろで様子を見ていた煉だ。
肩にいた七夏を呼べば、七夏は煉の肩をしっかりと掴んで短く鳴いた。
「炎鎖」
破綻組や幻妖、ルーインの足下で炎が噴き上がり、中から炎を纏った鎖が飛び出す。
ある破綻組は鎖に触れた途端に燃え上がり、そのまま形を失った。ある幻妖は鎖に絡め取られて地に伏せる。
「生意気な!」
「はっ。ちゃんと避けきってから言えよ」
今のルーインには、至近距離からのそれを避けるほどの力は残っていなかった。右足に巻き付いた鎖によって地面に引き倒される。
煉は七夏の姿を神器である棍へと変えると、深紅のそれをルーインの左肩に押し当てて笑んだ。
「はい、完了ー」
「す、すごい……。あっとういう間に捕まえた……」
紫苑達でさえルーインの動向に慎重になっていたのに、煉はそんなことなど微塵も気にせずに手早く捕らえた。
すると、茜は煉の行動を予想していたのか、さして驚いた様子もなく言う。
「煉は十二生肖の中でも『冷静な武闘派』だ。後ろでチャンスを狙うのがあいつのやり方だからな」
「茜さん。それって俺が横取りしてるみてぇじゃん」
「事実だろ! 俺が怯ませてやってるの有り難く思えよ!」
いくら全体を警戒しているとはいえ、正面に立つ三人に意識が集中するのは最も視界に入るからだ。そして、煉はその三人の背後にいた。気配を極限まで殺し、ルーインの気が一瞬でも緩む瞬間を……逃げに転じる瞬間を狙っていたのだ。
ただでさえ、紫苑の能力でルーインの動きは鈍くなっている。さらには琴音による攻撃で体力は削られているという状況。こんな好機を逃すわけにはいかなかった。
「さて、と。まずは局であんたの能力について調べてから――」
「かはっ。おっもしれェ」
「あ?」
もう逃げ場はないという、ルーインからすれば危機的状況下だが、彼はなぜか不敵に笑んだ。
何故、余裕でいられるのか、と煉がルーインを見下ろした瞬間だった。
「お前さぁ、頭良いかと思ったけど、そうでもねぇのなァ」
「っ!?」
「煉先輩、後ろ!」
目の前で地面に倒れていたはずのルーインが、煉の背後に立っていた。その手には千切れた鎖がある。炎は纏っていないが、鎖を引き千切るのは余程の力がなければできない。しかも、瞬き程度の僅かな時間ともなれば尚更だ。
そこで、煉はルーインの能力の一つを思い出した。
(そうか。こいつ、時間を操れるんだっけ)
在ってはならないはずの能力。それを、よりにもよってルーインは手にしている。
現実世界では一瞬の間でも、ルーインにしてみれば鎖を千切るには十分な時間なのだろう。
(でも、それならさっさと時間を止めて俺らを殺ればいいだけじゃ……いや、それはできないのか?)
様々な憶測が脳内で飛び交う。一秒にも満たないその思考と同時に、煉は体を捻った。
振り向きざまに棍を振るおうとした煉より早く、ルーインが手にした鎖が空を切る。棍が鎖を止めるより早く、鎖が煉の頭を襲った。
「猿楽先輩!」
「くそっ! 邪魔だお前ら!」
「ははっ! 『二人目』はコイツだ!」
助けようと前に進もうとするも、間に新たな破綻組や幻妖が入り込んで先に行けない。狙撃を得意とする伊吹も、その弾道を遮られている。
嘲笑うルーインが高く掲げた手の上に巨大な氷柱が形成される。それが振り落とされる直前、茜の後ろで両膝をついていた琴音が動いた。
「私が行く」
「琴音?」
それだけを言うなり、彼女は片膝を立て、足を伸ばす勢いで地を蹴って跳躍した。
“卯”の跳躍力は十二生肖の中でもずば抜けて高い。それこそ、三階や四階程度なら跳び上がれるほどに。
一瞬で破綻組や幻妖の集団を跳び越えると、形を変えて神器となった短刀を振るい、煉からルーインを遠ざけた。煉に向かって放たれるはずだった氷柱が琴音を襲うも、横に跳んで避け、地を蹴って再びルーインに切りかかる。
一撃一撃を避けては反撃を繰り返すルーインだったが、月神にも言われたように体がついてこない。
「ちっ。……これ以上、やってられるかよ!」
「っ!?」
迫った琴音との間で眩い光が発する。
思わず両腕を顔の前に翳した琴音は、しまった、とルーインからの攻撃を少しでも避けるために地を蹴って後ろに跳ぶ。
だが、衝撃が体を襲うことはなく、光が収まる頃、そこにルーインの姿はなかった。
「逃げ、た……?」
辺りを見回しても、気配を探っても、ルーインはどこにもいなかった。
すると、破綻組や幻妖の壁の向こうで桃色の光が発した。かと思えば、一人、また一人と破綻組や幻妖が宙を舞う。
元凶が何であるかは光から察しはついたものの、集団の中でも際立っていた。
(い、イノ姐……)
軽々と弾き飛ばしているのは、巨大化した牡丹とその背に乗った茜だ。
茜は琴音の前に降り立つと、牡丹に「引き続き敵を蹴散らせ」と言うかのように横腹を軽く叩く。
甲高く鳴いた牡丹は、再び敵の中に突撃していった。これは店を壊された腹いせもある。
「大丈夫か?」
「う、うん。でも、煉さんは……」
「どれどれ? ……おい、起きろ馬鹿猿」
「えっ」
倒れたまま動かない煉の隣に片膝をついた茜だったが、彼の容態を確認するなり、怪訝に眉を顰めてその頭を平手で叩いた。
まさかの行動に驚けば、茜は「よく見ろ」と鎖で殴られたはずの煉の頭を指す。
「……血が出てない?」
煉の頭からは出血した様子がない。勢いよくぶつけられたため、小さな傷では済まないはずだ。
困惑する琴音に、茜は呆れたように言う。
「コイツが倒れて動かないからつい忘れてたけど、あの鎖は、元はコイツが作り出したもんだろ?」
「うん」
「いくらルーインに握られたとはいえ、自分で作ったモンには変わりない。つまり――」
「『強度』も俺が自在に操れるってことだ」
説明を完了させようとした茜の言葉に、さっと上体を起こした煉が続けた。
得意げに言った煉を茜がジト目で睨む。琴音はおろおろとして煉の体を心配しており、説明を受けてもまだ頭が理解していなかった。
「大丈夫だ。あの鎖がぶつかる直前、強度的にはプラスチックくらいにしといたから、すげぇ音したけど実際にはペットボトルが当たったくらいなんだ」
「の、くせに倒れたまま動かないのはなんでだよ」
動けるならば、琴音と共に動いてルーインを捕らえられたかもしれない。
しかし、煉には動かなかった理由があった。
「痛いには痛かったし、あの氷柱打ち返してやんのもいいかと思ったんだよ。そしたら、琴音が跳び出してくるもんだから、『あ。これ、ルーイン弱るまで任せといたらいっか』って、いてててて!」
「お前、一回ダンベルで頭殴られるか? あ?」
「や。そ、それは勘弁」
顔を正面から掴まれ、そのまま力を籠められる。
煉としては、ルーインが時間を操ることに制限を設けているところから、もう少し様子を見たかった。琴音との戦いの中で、その理由が見つかるかもしれないと。
だが、結局はルーインの逃亡によってそれも分からず仕舞いだ。
「あいつ、時間を操れるならとっくにこの世界を壊してそうだけど、そういやそんなこと起こってねぇよなって思って」
「壊れてたら、あたしらもいねーよ」
「あ、そうか。いや、そうなんだけど」
茜の手から解放された煉は、痛むこめかみを押さえながら、ルーインから感じた違和感について話した。
煉の指摘から真っ先に推察したのは紫苑だ。
「ひょっとして、時間操作は結構な負担がかかるのかもな。悠みたく」
「そりゃあそうだろ。何せ、破綻組の進行を止めて、自分の破綻も止めてんだから。それだけでも結構な力を使う。その上であそこまで動けてんだ。これだから破綻組は厄介なんだよ」
時には血統組をも凌駕する破綻組。中でもルーインは群を抜いている。
「イヤになるな」と言葉を続けてぼやく煉だが、だからといって避けられるわけでもない。
「まぁ、今はここを片づけるか」
「えー。調律師に任せようぜ」
「もう一回やるか?」
「働いてきまーす」
またもやサボる気配を見せた煉に、茜は手を鳴らしながらドスの利いた声で言った。
痛みがまた蘇るのを感じつつ、二発目を食らう前に煉は戦闘に戻っていく。
その姿を見て、琴音も行かなければ、と立ち上がった。
「ったく。あいつもやる気出せばあたしらの中では一番戦えるんだけど……って、琴音? 大丈夫か?」
琴音の顔色は良いとは言えない青白さだ。初めて神使を扱った上に、ルーインとの交戦で精神力や体力が限界に達しているのだろう。
しかし、琴音はまだ動ける、と一歩、また一歩と足を進める。
(大丈夫。まだ……)
戦える、と心の中で言った直後、何故か地面が近づいてくる。
その理由に気づいたのと、茜の焦った声が聞こえたのは同時だった。
「琴音!」
体に痛みが走ったが、今は苦痛の声すら上げられなかった。
そのまま、視界はブラックアウトした。




