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2.撤退

 血と泥にまみれた少女兵が駆け寄ってきた。


 額には裂傷、軍服は黒ずんだ血で重く張りついている。それでも足取りは乱れていない。訓練で叩き込まれた動きが、身体だけは冷静に前へ運ぶ。


 彼女はキャサリン・トマホーク。この部隊のエース部隊、クロウ隊の一員だ。


「……リーナとミカエラが……戦死しました……」


 短い報告。だが、その一言で空気が変わる。


 胸の奥が、すっと冷えた。


 つい数時間前まで、焚き火の横でレーションをつついていた顔が浮かぶ。


 ミカエラは相変わらず子爵令嬢にあらざる下品話で、周囲から笑いをとっていた。単なる趣味か。はたまた隊長として、キャサリンを含めた、残った数少ない部下達の緊張を解きほぐすつもりだったのか……。


 リーナは決戦前だからか、霊魂の有無について大真面目に議論していた。


 もう、その声は聞けない。


 この感覚だけは、何度経験しても慣れない。


 否、慣れたら、心のどこかが壊れる気がする。


 キャサリンは視線を落としたまま、続ける。


「クロウ隊では私だけ生き残って……私は、味方の命を吸う死神なのかもしれません」


 震えているのは声ではない。言葉の奥だ。


 彼女はクロウ隊の唯一の生き残りだ。仲間を全て失い、なお戦場に立ち続けている。


 俺は一歩近づき、彼女の肩にそっと手を置いた。


「キャサリン。お前のせいじゃない」


 顔を上げない。だが、そっと嗚咽が漏れた。


「お前はよく戦った。二人もそれを知ってる。次は……お前が誰かを守れ。二人の分もだ」


 しばし沈黙が落ちる。


 遠くで砲撃音が響いた。地面がかすかに震える。


「……はい。頑張ります」


 絞り出すような返事。それでも、その声には今にも折れそうながら、芯が戻っていた。


 その瞬間、背後から駆け込む足音。


 血飛沫を浴び、銃剣を握った幼馴染のレベッカが飛び込んでくる。


「スカイッ! 敵が来てる! もう目の前!」


 息が荒い。髪にまで血が飛び散っている。


「どうした、その返り血は?!」


「イーグル第3小隊の援護の途中で鉢合わせたんだよ! 銃剣で咄嗟に二人ぶった刺したけど数が多い!」


 銃声が。今度は近い。


 レベッカの目は燃えている。怒りと、焦りと、悔しさが混ざった光。


「……ナイア達がやられた。良い奴らだった」


 その一言が、さらに胸を重くする。


 ……もう勘弁してくれ。


 今日だけで何人だ……。


 何人の仲間が土に帰った?


 だが、立ち止まる時間はない。


「……時間切れか」


 小さく呟き、無線を握る。


「全員撤退準備! イーグル歩兵隊は進路確保! キャサリンは前に出て散開誘導! ヴァルチャー狙撃隊は後方から援護射撃! コーモラント工兵第2小隊、爆破準備ッ!」


 少女たちが即座に動く。


 エリザベスが地図を広げ、指を走らせた。本来戦闘要員ではない彼女ですら小銃を手に取っていた。


「右側の廃工場を抜けましょう。煙で敵の視認が薄いです! 射線も通る!」


「採用だ!」


「最近はデスクワークばかりで、射撃なんて軍学校の訓練以来ですからね……。急所外しなんて器用な真似は出来ませんよぉ!」


 吹っ切れたせいか、エリザベスはAK47を構えて射撃体勢になっていた。


 後方では工兵隊の声が弾ける。


「とっておきの爆薬あるよ! 敵を道連れにしてやる!」


「地雷撒いといた! ヒィィィハァァァ!」


 狂気じみた笑い声すら、今は頼もしい。


 キャサリンが前に出る。傷だらけの体で、それでも先頭に立つ。


「……私も前に出ます。必ず守ります」


「頼む」


 レベッカが隣に並ぶ。


「俺の直掩はお前だ」


「もちろん! こうなったら最期まで付き合うよ!」


 銃声が迫る。廃墟の影から敵影が現れる。


「行くぞ! 反乱軍のへなちょこ兵に我々の軍靴の音を刻みつけてやれ!」


 少女たちが次々に立ち上がる。


 血まみれでも。


 震えていても。


 目は、まだ戦う者の目だ。


 爆薬が炸裂し、炎が道を塞ぐ。


 狙撃の閃光が走り、敵が崩れる。


 敵弾に当たり、誰かが倒れたのが見えた。だが足を止めず、工場の残骸へと一団は流れ込む。


 俺達は振り返らない。


 赤い空を背に、王都から走り去る。


 燃える城が視界の端で崩れ落ちる。


 終わった国から、それでも生きて逃げる。


 王子の誇りも、名誉も、全部置いていく。


 それでも。


 ――まだ死ねない理由が、俺たちにはあった。


 煙の向こうへ、第666特別大隊は一気に突破していった。

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