Side:和葉 2025年3月15日(土)①
土曜の昼過ぎ、私は駅前で歩ちゃんたちと待ち合わせた。
昨日の夜、寝る前に二人へメッセージを送った。
少し相談したいことがある、とだけ。
それ以上は書かなかったけれど、歩ちゃんはすぐに「いいよ」、朱鷺子も短く「わかった」と返してくれた。
改札前の柱にもたれていた歩ちゃんが、私を見つけるなり手を振る。
その横には、もう朱鷺子もいた。
「和葉、こっち」
「ごめん、待った?」
「全然」
「むしろ、今来たところ」
そう答えてから、歩ちゃんがすぐに口を開く。
「で、相談って何?」
「歩」
朱鷺子が小さく息をついた。
「せめて店に入ってからにしなさい」
「だって気になるじゃん」
「それでも」
二人のやり取りに、少しだけ肩の力が抜ける。
三人でそのまま駅前のファミレスに入った。
土曜の昼を少し過ぎた店内は、家族連れや買い物帰りの人でそこそこ埋まっている。静かすぎず、話し声や食器の触れ合う音が適度に混じっていて、こういう話をするにはちょうどよかった。
窓際の席に案内されて、ドリンクバーだけ頼む。
歩ちゃんはアイスコーヒー、朱鷺子はホット、私はオレンジジュースにした。
飲み物が揃ったところで、歩ちゃんがストローの袋をくしゃっと丸める。
「で?」
「早いよ」
「相談あるって呼び出したのは和葉でしょ」
「それはそうだけど」
グラスに口をつける。
冷たさが喉を通っても、胸の奥の落ち着かなさはあまり変わらなかった。
朱鷺子が淡々と言う。
「昨日のご飯の話を今さら聞く気はないわよ。あれは私たちもいたんだから」
「そうそう。そこじゃなくて、そのあと」
歩ちゃんが身を乗り出す。
そこまで言われると、ごまかす方が不自然だった。
私はグラスを両手で持ったまま、小さく息をつく。
「……帰ってから、シャープペンもらったの」
「は?」
歩ちゃんの声が一段上がる。
「和葉だけ?」
「うん」
「ずるくない?」
「最初の感想それ?」
「いや、大事でしょ、そこは」
歩ちゃんは真顔だった。
朱鷺子はそこには乗らず、短く続きを促す。
「どんなの」
「木軸のシャープペン。少し重みがあって、落ち着いた感じのやつ」
言いながら、昨日のことを思い出す。
箱を開けたときの静かな驚き。
木の手触り。軽すぎない重さ。
それから、机の上にあるものと同じ形だと気づいた瞬間。
「いつきさんが使ってるのと、同じだった」
歩ちゃんが「うわ」と声を漏らす。
「同じって、あの机の上の?」
「うん。色も形も同じで、向こうの方が少しだけ使い込まれてた」
「それは反則でしょ」
「反則って」
「だって、三人でのご飯とは別でしょ? 帰ってから、和葉にだけでしょ? しかも本人が使ってるのと同じって」
その言い方が妙にしっくり来て、私は返事ができなかった。
朱鷺子が尋ねる。
「弓削さんは、何て」
「使いやすいって。変に軽すぎないし、長く使うなら悪くないって」
「うん」
「あと、学生のときはずっとそれを使ってたから、一応これで通ったし、縁起くらいにはなるだろって」
歩ちゃんがグラスをテーブルに置く。
「ずるいなあ、それ」
「歩ちゃん」
「いや、そうでしょ。本人はたぶん軽く言ってるんだろうけど、もらう側には普通に効くやつじゃん」
たぶん、その通りだった。
いつきさんは、多分、本当にそのくらいのつもりだったのだと思う。使いやすいから。いいものだから。縁起も悪くないから。その延長で渡してくれただけ。
でも、私はそうは受け取れなかった。
「……嬉しかったの」
口に出すと、昨日の気持ちがそのまま戻ってくる。
「すごく」
歩ちゃんがそこで少しだけ表情を変えた。
今度は茶化さない顔だった。
「ちゃんと考えてくれてるのも分かったし、大事にしてくれてるのも分かった。私だけ別にしてくれたのも、嬉しかった」
「でも」
続けたのは朱鷺子だった。
「それで終わりじゃなかったのね」
私は頷く。
「うん」
グラスの表面についた水滴を指でなぞる。
「嬉しかった。すごく嬉しかった。でも、それで余計にはっきりしたの」
二人とも黙って聞いてくれる。
「いつきさん、自分からは来ないんだって」
声にしてしまうと、昨日より少しだけ落ち着いて聞こえた。
「特別にしてくれてるのは分かる。大事にしてくれてるのも分かる。でも、あれって多分……家族としてなんだよね」
そこに不満があるわけじゃない。
むしろ、十分なくらい優しい。ありがたいし、幸せだと思う。
でも、それだけじゃ足りなかった。
「待ってるだけじゃ、何も変わらない」
言い切ると、喉の奥が少し熱くなる。
「だから、自分から動かないとだめなんだって、昨日改めて思ったの」
そこまで言ってから、私は二人の顔を見た。
「……で、どうしたらいいと思う?」
歩ちゃんが先に息をつく。
「そこまで分かってるなら、ほぼ答え出てるじゃん」
「出てるけど、怖いのは怖いよ」
「断られるのが?」
「それもあるけど」
私は首を振る。
「今のままでいられなくなる方が、怖い」
その言葉は、自分で思っていたより重かった。
「困らせたらどうしようとか、変に気を遣わせたらどうしようとか。家で今までみたいに話せなくなったら嫌だし」
歩ちゃんが珍しくすぐには何も言わなかった。
代わりに、朱鷺子が静かに言う。
「でも、このままでも変わらないわよ」
「うん」
「それが嫌なんでしょう」
私は頷いた。
嫌だ。
今のままでも優しいのは分かっている。何も言わなくても、いつきさんは私を急に追い出したりしないと思う。
でも。
「一緒にいたいだけなら、このままでもよくない?」
歩ちゃんがぽつっと言った。
「弓削さん、和葉を追い出したりしないでしょ」
その言葉に、すぐには返せなかった。
そんなことは分かっている。
分かっているからこそ、答えるまで少し時間がかかった。
「……それじゃ嫌なの」
出た声は、自分でも思っていたより小さかった。
二人とも、今度も黙って待ってくれる。
「守ってもらって、このまま置いてもらうみたいなのは嫌」
膝の上で指を握る。
「ちゃんと、隣にいたいの」
言い切ったあとで、やっと息ができた気がした。
歩ちゃんが先に息を吐く。
「うわー」
「何その反応」
「思ったより、ちゃんと本気のやつだったから」
「最初からそうでしょ」
朱鷺子が即座に返す。
それから、私の方をまっすぐ見た。
「なら、やっぱり言わないとだめね」
その言い方は冷たくなかった。
ただ、妙にまっすぐだった。
「ただ」
そこで朱鷺子は少しだけ言葉を切る。
「告白する前提なら、立場の話は整理した方がいいと思う」
「立場?」
「年齢とか、保護者とか、そういうの」
私はそこで、ようやく小さく息をついた。
そうだ。
気持ちの問題だけじゃない。
あの人が止まるとしたら、そういうところだ。
「そのへん、ちゃんと確認しないと動きにくいでしょ」
「……うん」
「相談できる人、いないの?」
歩ちゃんに聞かれて、ひとりの顔が浮かんだ。
「小鳥遊さんなら、そういうの詳しいかも」
「誰?」
「弁護士の人。いつきさんの後輩で、前に家のことで少しトラブルがあったときに手伝ってもらったことがあるの」
「弁護士」
歩ちゃんが目を丸くする。
「急にガチだ」
「立場の話を聞くにはちょうどいいんじゃない」
朱鷺子は納得したように言う。
「今日、その人に会えたりしないの?」
「連絡したら……もしかしたら」
「じゃあ聞こう」
歩ちゃんが即決した。
「早いね」
「こういうのは勢いが大事なんでしょ」
「便利に使わないで」
私は苦笑する。
でも、その軽さに少し救われてもいた。
私はスマホを取り出して、画面を開いた。
小鳥遊さんの連絡先を見つけたところで、指先が少しだけ止まる。
なんて送ればいいんだろう。
急に連絡して迷惑じゃないかな、とか。
どう切り出せば自然だろう、とか。
考え始めると、文面がまとまらない。
「何て送るの?」
歩ちゃんの声に、私は画面から目を離さないまま答える。
「まだ考えてる……」
「和葉、そういうとこあるよね」
「急かさないで」
「一人で行くの?」
朱鷺子が今度はまじめな声で聞いた。
「え」
「相談するのは和葉でしょ。でも、ついていくくらいはするわよ」
私は瞬きをする。
「私も行く」
歩ちゃんも迷いなく言った。
「一人で行って変に緊張するより、その方がいいでしょ」
「……でも、悪いよ」
「そういう遠慮はいらない」
朱鷺子がきっぱり言う。
「最初から最後まで横にいるとは言ってないし」
「必要なら途中で外すしね」
歩ちゃんが続ける。
「でも、行くまでは一緒の方がいいでしょ」
そこまで言われると、断る理由が見つからなかった。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
歩ちゃんが満足そうに笑う。
「それに、弁護士のコネは欲しいわ」
朱鷺子がさらっと言った。
「何に使うの?」
「将来、何があるか分からないでしょ」
「なんか物騒なこと言ってる!」
思わず吹き出す。
さっきまで胸の奥で固まっていたものが、少しだけほどけた気がした。
考えすぎると送れなくなる気がして、文面は簡潔にした。
『お久しぶりです。少しご相談したいことがあるのですが、今日このあとお時間いただけますか』
送信してから、ようやく息をつく。
「送った」
「えらい」
「そこまでではないよ」
「いや、今日の和葉にしてはかなり」
「どういう意味」
歩ちゃんは笑って、朱鷺子は小さく肩をすくめる。
返信はまだ来ない。
でも、送っただけで少しだけ景色が変わった気がした。
怖いのは変わらない。
それでも、昨日の私よりは前にいる。
窓の外では、駅前の光が少しずつ濃くなっていた。
今日の続きは、まだ終わっていなかった。




