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コンプライアンスを遵守したい年の差恋愛  作者: 金雀枝
第2章:彼女が求めた日常
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2023年4月26日(水)②

 家を出た瞬間、和葉はまぶしそうに空を見上げた。

 春らしい陽気に包まれた風が、頬を撫でていく。


 隣を歩く少女の足取りは軽く、時折キョロキョロと周囲を見回している。道端の花に立ち止まったり、小さな店の看板に目を留めたり。目に映るものすべてが新鮮に見えているようだった。


 「こっちに来て、まだ地理はわからないだろ。スーパーとコンビニ、駅と病院、そのあたりは一通り案内しとく」


 和葉は小さく頷いて、「お願いします」とだけ答えた。


 コンビニの前を通りかかると、和葉が小さく声をもらした。


 「……こういうところで、買い食いとか……ちょっと憧れてました」


 その呟きがどこか切なく聞こえて、言葉を返す代わりに俺は小さく笑う。憧れのひとつくらい、これから叶えていけばいい。


 ひととおり生活に必要な施設を見てまわったあと、電気屋へと足を向ける。


 スマートフォン売り場の前に立つと、和葉の表情がわずかに強張った。


 「機種とか、あまり詳しくなくて……」


 「使ってたやつ、どんなのだった?」


 「えっと、あんまり高いやつじゃなかったです。SNSとか、写真撮ったり、ちょっと調べ物するくらいで」


 「ゲームとかは?」


 「……やったこと、ないです」


 その返事に、予想通りだなと思う。

 ならば、高性能な機種は必要ない。最低限で、操作がシンプルなモデルを選んでいく。


 契約手続きのあいだ、和葉は不安そうに何度も俺の顔を見たが、俺がうなずくと安心したように小さく息を吐いた。


***


 スマホの受け取りが終わったあたりで、ちょうど昼時だった。


「――そろそろに昼飯にしようか」


 不意に声をかけると、和葉はぴくりと肩を震わせてから、すぐに頷いた。


「はい、あの……お昼って、外で食べるんですか?」


「ああ。せっかくだし、ゆっくりできそうなとこ探そうか。何か食べたいものあるか?」


 和葉はしばらく考えるように視線を泳がせ、それから控えめに言葉を選ぶ。


「……あんまり、外食しないので。いつきさんがいつも行ってるお店とか……そういうの、教えてもらえたら嬉しいです」


「そっか。じゃあ、落ち着いて話せるとこにしよう」


 ちょうど近くにある、静かな雰囲気の喫茶店が目に留まる。チェーンのカフェほど騒がしくなく、窓際には小さな観葉植物が並んでいて、看板には「ランチセットあります」の文字が出ていた。


「ここ、入ってみようか」


 和葉はこくんと頷いて、そのまま自然に扉の前で立ち止まった。俺がドアを開けると、和葉は小さく「ありがとうございます」と言って店内に入っていく。


 その控えめな仕草から、わずかに安心した気配が背中に伝わってきた。


 席につき、注文を終えると、少し静かな空気が流れた。店内にはまだ空席も多く、窓際の席には柔らかな陽が差し込んでいた。


 和葉は視線を落とし、メニュー表の裏面を無意識に指先でなぞっていた。その仕草に、どこかまだ緊張が残っていることがわかる。


 「今後の生活のこと、少し話しておくか」


 言葉を選びながら切り出すと、和葉はすっと背筋を伸ばし、こちらに向き直った。


 「はい。お願いします」


 「まずは家のことだな。家事は基本的に俺がやるけど、もしやれることがあれば、無理のない範囲で頼むかもしれない。もちろん、できる範囲でいい」


 これはただの気遣いというより、和葉に“役割”を持たせることで、少しでも安心できる場所にしたいという思いからだった。

 “頼られる”ことが、自信や居場所に繋がるなら、できるだけそうしてやりたい。


 和葉は少し間を置いてから、ぽつりと口を開いた。


 「……あの、私、家事はわりと慣れてます。だから……できること、たくさんあると思います」


 その声音には、遠慮と一緒に、どこか“居させてもらう理由”を探しているような気配があった。


 「いつきさん、お仕事あるんですよね。だから……できるだけ、役に立ちたいです」


 俺はふっと笑って、コップの水を一口飲んでから頷く。


 「助かるよ。無理のない範囲で、な」


***


 料理がテーブルに並べられ、軽く「いただきます」と声を合わせると、しばらくのあいだは黙々と食べる時間になった。


 和葉は落ち着いた所作でナイフとフォークを使い、けれど時おり小さく目を輝かせたり、口元に笑みを浮かべたりしていて、見ていて飽きなかった。

 この手の料理は食べ慣れてないのかもしれない。けれど、遠慮せずに楽しんでくれているのが嬉しかった。


「猫……あ、御子神さんって、普段からあんな感じなんですか?」


 ふと、ナイフを置いたタイミングで和葉が尋ねてくる。


「あいつは……まあ、気まぐれかな。抱っこは嫌がるくせに、すり寄ってくるタイプ。機嫌いい日は膝で寝るし、悪いときは目も合わさない」


 言いながら、自然と口元が緩む。

 和葉も釣られるように笑った。


「かわいいですね……そういうとこ、なんか猫って感じで」


「そうそう。あいつが家に来てから、ひとりじゃないって感じるし、ありがたい存在だよ」


 それを聞いて、和葉は少しだけ表情を和らげた。

 口には出さないけれど、「今の自分にも当てはまる」と思ったのかもしれない。


 少しのあいだ食事を続けて、飲み物に手を伸ばしながら切り出す。


「そういえば……今日、合鍵も作っておこうと思ってるんだけど」


「え?」


 和葉の手がピタリと止まった。


「一応、在宅仕事が中心だけど、たまに出社命令が出ることもあってな。留守にする日もある」


「……そっか。それなら、必要ですね」


「ああ。留守番してもらうことになるし、御子神さんの世話もお願いしたい」


「……ちゃんと、お世話します。ブラッシングします、トイレ掃除も……します」


 真剣に言ってくるものだから、思わず笑いそうになった。

 けれど、彼女なりの覚悟の表れなのだろう。俺は頷いた。


 和葉も嬉しそうに頷いたあと、ちょっとだけ目を伏せた。


「合鍵かぁ……。なんか、家族っぽいですね……」


「……まあ、そうかもな」


 不思議と、否定する気にはならなかった。


***


 「ごちそうさまでした」


 和葉が丁寧に手を合わせる。

 店を出ると、春の日差しがさらにまぶしくなっていて、通りを行き交う人々の足取りもどこか軽やかだった。


 「このあと、ホームセンター寄ってこうか。合鍵も作れるし、御子神さんのおやつも買える」


 「ホームセンター……行ったことないです。楽しそう」


 すっと横に並んで歩きながら、和葉は時折立ち止まりそうなほどキョロキョロと周囲を見回している。何気ない街の風景にも目をとめて、「あ、あれ猫グッズのお店ですか?」「あの看板、かわいいですね」なんてぽつりぽつり呟く声が耳に届く。


 少し前まで、不安に押し潰されそうだった子が、こうして興味を持って、言葉をこぼしてくれるようになったことが、何よりうれしい。


 並んで歩いていくと、大きなホームセンターの入口が視界に入ってくる。


 「中、けっこう広いから迷子になるなよ」


 「ふふ……小学生じゃないですよ」


 そう言いつつも、入口をくぐった途端、目を丸くしている。


 「わ……本当に、いろんなもの売ってるんですね」


 「だろ? つい余計なもんまで買いそうになるけどな」


 まずは合鍵のカウンターへ。鍵の現物を出すと、店員が手際よく複製に取りかかってくれる。


 「しばらく時間かかるってさ。先に他の買い物すませよう」


 「はい!」


 ペット用品のコーナーに向かうと、和葉は真剣な表情でキャットフードを見比べ始めた。

 少しして、猫用おやつの棚で立ち止まる。


 「これ……あげたら太っちゃいますかね?」


 「たまに一個くらいなら平気だろ。機嫌取り用にちょうどいい」


 「じゃあ……これにします。パッケージが可愛いので」


 手に取ったのは、ちょっとお高めの猫用スティックおやつだった。


 「ついでにキーホルダーも見とくか。鍵につけるやつ」


 「えっ、いいんですか?」


 「ああ。好きなの選んでいいぞ」


 しばらくして、和葉が選んだのは、猫をモチーフにした金属プレートのキーホルダーだった。

 色は、御子神さんとおそろいの三毛柄。


 「……それ、いいな」


 「ふふ。……御子神さんとおそろい、です」


 笑う横顔が、春の光に柔らかく溶けていった。


***


 ペット用品の買い物を終えても、合鍵の受け取りまではまだ少しかかるらしい。

 そのまま併設のスーパーの食料品売り場まで足を延ばすことにした。


 「せっかくだし、夕飯の材料も買っとこうか。今日の分と、あとは朝食用とかも」


 俺がそう言うと、和葉がちょっと考えるような表情になり、それからそっと口を開いた。


 「……あの、もしよかったら、夕飯……わたしが作ってもいいですか?」


 意外だった。けれど、すぐに頷く。


 「もちろん。無理はしなくていいけど」


 「大丈夫です。いつも、やってましたから……むしろ、なにもしてない方が落ち着かなくて」


 その言葉には、少しだけ過去の影がにじんでいたけれど、それでも前を向いていた。


 「じゃあ、材料は任せる。何がいるか教えてくれ」


 「……ありがとうございます。簡単なものでいいなら、煮物とか、あと副菜を少し」


 慣れた様子で野菜を選びながら、調味料の棚をチェックする姿には無駄がない。

 口数は少ないが、どこか楽しそうに見えた。


 「これと……あ、こんにゃくも欲しいです」


 「了解」


 買い物を終えて、合鍵のカウンターに立ち寄ると、複製された鍵とレシートが手渡された。

 さっき選んだキーホルダーに鍵を通し、そっと和葉に差し出す。


 「これで、お前の鍵だ」


 「……ありがとうございます。大事にしますね」


 その声は、少し緊張を含んでいたけれど、嬉しさの方が勝っている様子だった。


***


 荷物を分担して、アパートの前まで戻ると、玄関の前で立ち止まる。

 和葉が不思議そうに顔を上げた。


 「せっかくだし、開けてみるか? 自分の鍵で」


 「あ……はいっ」


 和葉はポケットからもらったばかりの鍵を取り出し、少し慎重に鍵穴へ差し込む。

 カチリ、と音がして、ドアが開いた。


 「……開きました」


 その顔は、どこか誇らしげだった。


 「よし、おかえり」


 「ただいま……です」


 御子神さんは、相変わらずキャットタワーの上からこちらを見下ろしていて、「どこ行ってたんだ」とでも言いたげな目だった。


 「ただいま、御子神さん。……おやつ、買ってきましたよ」


 そんな和葉の声に、猫のしっぽがゆっくり揺れた。

前編後編で1日は書ききれませんでした。

限界なので寝ます....


今回もご覧いただきありがとうございました。



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