和葉の日記 ②
◆4月4日(火)
毎日じゃなくていいと思った。
無理して書くより、“ちゃんと気持ちが動いた日”だけ、残しておくほうが、私には合ってる気がする。
少しずつだけど、いろんなことが変わってきたから――
書きたいって思えた日を、大事にしたい。
今日は、そんな日だった。
午後、職員さんに呼ばれて、別室で話をした。
そこには弓削さんと、児相の人もいた。
最初は少し緊張したけど、「今日はこれからのことを話し合う場だから」と言われて、少しだけ安心した。
弓削さんは、少し不器用に、でもまっすぐ私の目を見て、「君がどうしたいかが一番大事だから」って言ってくれた。
そう言ってもらえるの、はじめてかもしれない。
それだけで、胸の奥が少し温かくなった。
***
◆4月8日(土)
今日は施設の許可が出て、弓削さんと外に出た。
小さなカフェ。ごく普通の場所なのに、すごく特別な時間だった。
私服で外に出るのも久しぶりで、最初は緊張したけど、
「……似合ってる」ってぼそっと言われて、顔が熱くなった。
お店では、あたたかい紅茶とケーキを食べた。
あの人が勧めてくれたもので、「こういうの、好きそうだったから」って。
どうしてわかったのか聞いたら、「なんとなく」って、少しだけ笑った。
食べ終わったあと、「ちょっと寄りたいところがあるんだけど、いいか?」って聞かれて、うなずいた。
連れて行かれたのは、あの銭湯だった。
あの晩、私を見つけて、最初に連れてきてくれた場所。
番台のおばあちゃんは、すぐに私たちに気づいて、笑って迎えてくれた。
「元気そうだね」「顔色もいい」と、優しく言葉をかけてくれた。
私はうまく声が出なかったけど、少しだけうなずいて、笑い返せた気がする。
小さな声で、「この前はありがとうございました」と伝えると、
「礼なんていいんだよ。ちゃんと笑ってくれたら、それで十分さ」って、
頭を軽くなでてくれた。
弓削さんが「また来ます」って言ってくれて、私もうなずいた。
あの日、助けてもらった場所に、自分の足で戻ってこられたことが、
なんだかすごく不思議で――でも、嬉しかった。
***
◆4月12日(水)
今日、弓削さんが勉強道具を持ってきてくれた。
ノートと、シャープペンと、かわいい柄のクリップ付きの下敷き。
「これ使えば、やる気出るかと思って」って。
……ちょっとずれてるけど、でもその気遣いがすごく嬉しかった。
図書室で借りてきた問題集で、どうしても気になってた部分があったことを思い出した。
思い切って「……これ、ちょっとだけ教えてもらってもいいですか?」って弓削さんに聞いた。
少し驚いた顔をして、それから黙って椅子を引いて隣に座ってくれた。
それだけなんだけど、不思議と勉強が楽しいって感じられた。
***
◆4月14日(金)
今日は、施設で小さい子が泣いているのを見かけて、ハンカチを差し出しただけだったけど、
その子がちゃんと目を見て、「ありがとう」って言ってくれた。
……なんだか、すごく不思議な気持ちだった。
人に感謝されるのって、こんなに嬉しかったっけ?
お母さんがいなくなってから、誰かに「ありがとう」って言われたの、もしかしたら初めてかもしれない。
***
◆4月17日(月)
児相の人から、「調査の結果、義父に親権はなかったことが分かりました」と伝えられた。
養子縁組はされてなかったって。
それだけなのに、妙に静かな気持ちだった。
怒りも、悲しさも湧かなくて――ただ、やっぱりそうだったんだなって。
あの人にとって、家族はお母さんだけだったんだ。
私は、最初から“他人”だった。
そう思ったら、少しだけ納得できた。
無理に自分を責めなくてもいいって、ようやく思えた気がした。
***
◆4月25日(火)
今日、児相の人に呼ばれて言われた。
「すべての手続きが整いました」って。
この言葉を聞いたとき、ほっとしたような、ちょっとだけ怖いような……そんな気持ちだった。
弓削さんと一緒に過ごせる。
それは嬉しい。でも、施設を出ることは、新しい生活が本当に始まるってこと。
夜、部屋に戻って一人で考えた。
“おかえり”とか、“ただいま”とか、
もしかして、また言えるようになるのかな――って。
わからないけど、今はただ、その未来がちょっとだけ楽しみだと思えた。
ちゃんと、「嬉しい」って、思えた。
今回で和葉の日記は一旦の終了です。
本稿でも触れてはいますが、次回大きく物語は進む予定です。
それでは、今回も貴重なお時間をいただきありがとうございました。