3.風吹けど 君はゆかむか ナツノソラ
チリンチリン、という音で目が覚める。上半身を起こすとまだ制服のままで、スカートがよれよれになっていることに気づく。そして部屋の明かりもつけっぱなしであった。
体のあちこちが痛い。そしてところどころ草や土がついている。ベッドから降りた途端、突然目眩に襲われて絨毯の上に臥した。
「…………」
ぼんやりと、視界が、定まらない。
チリンチリン。
風鈴も止まない。
まるで僕はそこにいるとでも言いたげである。
『風吹けど 君はゆかむか あの空に 我も後らじ 背に具したくば』
そう呟くように風鈴に向かって言う。
返事はなかった。
***
ふらふらする頭を抑えながらも階段を一段一段降りる。今日は土曜日だ。本当ならば、部活があったはずなのに、もう行く気が起こらない。
とてつもない喪失感。
心に空いた、大きな穴。
当たり前のように隣にいた日常がもう手に入らないものになってしまったのかと思うと、やはりどうしようもない遣る瀬無い気持ちばかりが浮かんでくる。
「あの……和葉? 大丈夫……?」
母親がリビングの方から顔を出す。随分と心配してくれているようだ。
私は軽く頷いて彼女に背を向けた。
「ちょっと……出かけてくる」
私は運動靴に履き替える。かかとがうまく入らない。イライラしてそのまま外に出た。
外は文月の暑さに覆われて、村全体が燃えているように思える。
門を出ると、目の前にある大きな山からぐわんぐわんと蝉の声が私を圧迫する。
舗装されていない道を歩く。かかとは脱げたまま。ざっざっと砂と靴が擦れる音が辺りに舞う。
もう何も気にならない。
暑さも乱れた髪も服も靴も。
そうして歩いているうちについ先程までいたような感覚に陥る。
あの田圃だ。
「黄昏に 光る黄金よ 赤とんぼ」
つぶやくと、今にも隣から下の句が返ってきそうなのに。
「はぁ……」
深く、深くため息をつく。
少し向こうに見える川。猪瀬川。もしかするとまだ彼はあそこにいるかもしれない。私の助けを待っているかもしれない。そう思って歩を進めるうちに、声が聞こえてきた。
川を見渡す限り、十数人の大人が川に入っていた。
私の方をちらと見ると、どの人も視線を逸らした。
「おーい! 良樹ィー!」
男の声が蝉に対抗するように川を占領する。
「おーい! どこだァー!」
ただ、それに対して返事はない。来るはずがない。
昨夜の出来事が突然脳裏に弾ける。
彼の手が離れ、刹那、川の闇に飲まれる姿を。
「あの……」
声のする方に振り返る。
「本当にすまなかった」
昨日のおじいさんが草原に両手両膝をついて謝っていた。
「わしが……わしが……あの時……」
「…………」
私はなんと言葉をかけていいのかわからなかった。彼だって自分の孫の命の危機だったのだ。必死だっただろう。
「……いいんです」
私はそれだけ言い残すと、その場を去った。
彼の家に着く。
彼には両親がいない。昔、事故で亡くしたらしい。
向こうの世界では会えているだろうか。そうだといいな。
……私も、会いたいな……。
そう思うと、切なくて、胸が苦しさに締め付けられて息ができなくなって声の出し方も忘れてしまって涙が止めどなく溢れ出てくる。
「嘘でしょ! ねえ! 良樹! 一緒に花火見に行くって約束したよね! 守ってよ!」
「なんで急にいなくなるの。なんで急に私のそばからいなくなるの。私の中にはまだちゃんといるよ。戻ってきてよ。お願い……だから……お願いしま……す……」
ぼろぼろと零れる涙が砂に模様を描く。
風は素知らぬ顔して、私の髪を揺らした。




