第20話 黒い装置
服の内側に忍ばせた銀の翼は、歩みを進めるたびに微かな硬い感触となって胸元を叩いていた。
ミリアから託された、大切な銀翼の髪飾り。無事に外へ脱出できたなら、しかるべき騎士にこれを見せ、必ず助けを呼ぶ――僕たちの果たすべき目的は、すでにはっきりと定まっていた。
僕たちは再び前を向き、湿った薄暗い地下通路を奥へ奥へと進んでいた。
◇
「ここから先は……たぶん、搬送路だと思う」
通路の途中でレンさんが足を止め、壁に刻まれた印を指差した。
四角い枠の中に、二本の斜め線。僕たちがここまで追ってきた、古い規格の搬送記号だ。
「……たぶん、ですか?」
「そこ強調する!? 昔の図面なんて残ってないんだから仕方ないでしょ!」
レンさんが口を尖らせて反論するが、その横からダグさんが静かに壁へ歩み寄った。
「今回は、俺も一緒に確認する」
「ひどいなぁ、信用ないなぁ……」
「お前を信用していないわけじゃない。判断を一人の責任にしないだけだ」
ダグさんの静かだが重みのある言葉に、レンさんはぐっと言葉を詰まらせた。
「そういうことだ」
カザンさんも低く同意の意を示す。
「お前一人が間違えたら全員終わり、なんて土壇場の状況にはさせん」
「……分かったよ」
レンさんは少し照れくさそうに不満を漏らしつつも、しっかりと頷いた。
少し前までの僕たちなら、こんな会話は生まれていなかったはずだ。ただ誰かが得意な作業を一人で黙々とこなし、他人はそれに従うだけ。
けれど今の僕たちは、任せることはあっても、決して一人きりに孤立させることはない。四人で助け合い、責任を分かち合う『共犯者』としてのチームが、少しずつ形作られていた。
「行きましょう」
僕の声を合図に、僕たちは再び歩き出した。
地下通路はどこまでも長く、深い暗闇の中へと続いていた。
やがて、遠くでゴウン、ゴウンと重く響いていた鋳造所の魔導炉の重低音が、一歩進むごとに遠ざかり、いつしかほとんど聞こえなくなっていく。
「静か……ですね」
「嫌か?」
「少しだけ。静かすぎると、余計な音まで耳について落ち着きません」
足音が石床を叩く不快な響き。壁を伝って落ちる水滴の音。そして、自分自身の浅い呼吸音。
無音の静寂は、かえって緊張感を煽り立てる。
「――止まれ」
不意に、先頭を行くレンさんが手をかざした。僕たちは一斉に足を止める。
「風だ。あっちから吹いてきてる」
レンさんが指先を少し濡らして立て、通路の先をじっと見つめた。
「外が……近いんですか?」
「かもしれない」
僕の胸が、小さく跳ね上がった。
まだ見ぬ第七鋳造所の『外の世界』。
「行くぞ」
カザンさんを先頭に、僕たちの足取りは自然と早くなっていった。
◇
やがて、一本道だった通路が二手に分かれていた。
「どっちだ……? 記号も風の気配も、両方の通路から感じられるぞ」
レンさんが唸るように腕を組んだ。
右側の通路からは、かすかな水の流れる音と、上へと向かう緩やかな傾斜が感じられる。
一方、左側の通路からは、耳の奥を震わせるような微かな低い振動が伝わってきていた。
「上に向かっている分、右の通路の方が外に近いと思います」
「俺もそう思う。右へ行こう」
僕とダグさんの意見にカザンさんも深く頷き、全員で右の通路へ足を踏み入れようとした。
けれど――後ろからついてくるはずのレンさんの足音が聞こえない。
振り返ると、レンさんは分岐の左側、暗い壁際で一人屈み込んでいた。
「レン、何をしている」
カザンさんの声が低く警戒を帯びる。
「いや……これ、見たことがない」
暗闇の中で、レンさんの瞳が爛々と輝いていた。嫌な予感が胸を掠める。
「……見たい」
「却下だ。戻れ」
「断るの早っ!? でもさ――」
「レンさん、絶対に触らないでくださいね」
「触ってないって! ……まだ」
「早く戻ってください」
僕たちが呆れ混じりのため息をつく横で、『それ』は壁の石組みの中に不気味に埋め込まれていた。
大人の頭ほどもある、黒い丸型の金属構造体。
中央には浅い鉢状の窪みがあり、その周りを精密な細い刻線が幾重にも同心円を描いて走っている。古いものには違いないが、ただの建築資材や装飾などではない。古い搬送記号とも、今使われている鋳造所の魔導紋具とも異なる、明らかに異質な存在だった。
「これ……何かの装置か?」
ダグさんも眉をひそめ、思わず一歩近づく。
「だろ? だから言ったじゃん!」
「動くのか、それは」
「分からない」
「なら触るな。時間の無駄だ」
カザンさんが一蹴し、僕たちもレンさんを促して右の通路へ引き返そうとした。
◇
右の通路へ足を踏み入れ、十数歩ほど進んだ時だった。
カチ。
背後から、ごく小さな金属の作動音が響いた。
「……レンさん?」
「えっ!? 何!?」
振り返ったレンさんは、心底心当たりがないといった風に目を丸くしている。
「何か触りましたか!?」
「触ってない! 本当に触ってないってば!」
カチリ。
またしても硬質な音が響いた。左の通路にある、あの黒い装置の方向からだ。
僕たち四人は顔を見合わせ、すぐさま引き返して左の通路を覗き込んだ。
真っ黒だった装置の中央――その浅い窪みの底に、微かな銀色の小さな光がぽつりと灯っていた。
「光ってる……」
「触るなよ」
「分かってんってば!」
光は弱いながらも、まるで呼吸するようにゆっくりと、けれど着実にその輝きを増していく。
さらに、装置の周囲の床に薄く積もっていた銀砂が、風もないのに波打ち始めた。さらさらと音を立て、装置を中心に綺麗な円を描いて広がっていく。
「離れろ!」
カザンさんの制止と同時に、装置の中央で銀の光が激しく爆ぜた。
キィン――ッ!
脳の奥を直接刺すような、甲高い不協和音が通路に撒き散らされる。恐怖で硬直しそうになる身体を、必死で抑え込む。
「見ろ、壁を!」
ダグさんが叫んだ。
装置から解き放たれた銀色の光の筋が、壁の刻線や石の隙間を走り、通路の奥へと急速に伝播していく。
まるで精密な回路のように。生き物の血管のように。
光の奔流が暗闇を駆け抜けていく。
「なんなんだこれは……紋章術か!?」
「違う、今使われているようなものじゃない……これは『信号』だ!」
この装置の仕組みも目的も僕たちには分からない。けれど、何か極めて重大な情報が、この光を通じてどこか遠くへ送信されていることだけは直感的に理解できた。
「止められるか、レン!?」
「下手に衝撃を与えて爆発でもしたら終わりだぞ!」
その時だった。
「……あ」
レンさんが、ぽつりと間抜けた声を漏らした。
その顔からは、血の気が一瞬で引き去っていた。
「……俺だ」
「何がだ!?」
レンさんは、銀色の光を激しく放ち続ける黒い装置を、絶望的な目で見つめていた。
「これ……俺が起動させちゃったんだ」




