演習
魔物に反旗を翻してから数十年。
奪われた生活圏を奪い返す過程において、意図的に残された魔物の住処がある。
分厚い壁に隔離されたそこには、魔物独特の生態系が今もなお成立していた。
「ここが演習場所……」
第三十九特別自然保護区。
そこは鬱蒼とした木々が生い茂る、深い森だった。
仄暗い深緑がぽっかりと口を開けているように見える。
「びびってんの?」
「びびってない」
聞こえてきた質問に、反射で応える。
乃々は、いたずらっ子のような表情をしていた。
「もっとリラックスしなよ。せっかく先生から許可が下りたんだからさ」
「わかってるよ」
必死にもぎ取った機会だ。
必ず成功させて見せる。
「でも、よかったのか?」
「なにが?」
「俺と組んだことだよ」
この演習は生徒同士で手を組み、班を造ることが許されている。
単独行動で機動性を活かすか、集団行動で安全を確保するか。
思考は人それぞれだ。
俺も参加許可が下りたのが三日前だったこともあり、初めは一人のつもりだった。
けれど、それを知った乃々が協力すると名乗り出たのだ。
「仲のいい女子たちと一緒に、だったんだろ? 本当は」
「なんだ、そんなことか。いいの、いいの。あの子たちには、予め言っておいたから。翼が演習に参加できるなら、私はそっちに行くって」
そんなことを言っていたのか。
「知らないぞ。友情に亀裂が走っても」
「大丈夫だって、そんなに柔じゃないからさ。女の友情も」
俺は女じゃないから、その辺の事情を知らないけれど。
そういうものか。
「それに翼一人じゃ心配だもん。気が気じゃなくて、近くで見てないと演習に集中できなくなっちゃうよ」
「あっ、言ったな? じゃあ、俺がここ数日でどれだけ成長したか見せてやるよ」
「へー。じゃあ、楽しみにしてるね」
そんなことを言い合いつつ、俺たちは所定の位置につく。
この場にほかの生徒はいない。
スタート地点は班ごと、個人ごとに違うからだ。
俺たちのほかにいるのは、夜咲先生くらいだ。
「時間だ。これより演習を開始する。必ず、生きて戻ってこい」
「はい!」
俺たちは声を揃え、深い森へと足を踏み入れた。
「――演習内容を今のうちに再確認しておこう」
森に入ってすぐ、そう提案した。
何度も頭に叩き込んだことだが、現場で言葉にして口に出すことに意味がある。
そうすればより明確に、目的を意識し思考を巡らせることが出来る。
「うん。じゃあ、まずは指令からかな」
「あぁ。先生からの指令は二つ」
「一つ。狒々、猫又、水虎のいずれかの討伐」
「二つ。この保護区に生息する魔物、青鷺火の卵の回収」
この二つを満たせなければ、演習は失敗に終わる。
「二つをこなして中央にある監視塔に到達すれば成功だ」
「監視塔は……ここからじゃ見えづらいけど、あれだね」
乃々が指さす先に、背の高い監視塔を見る。
木々の枝葉に大半が隠れているが、目印としては十分だ。
「期限は今日を含めた三日間」
「今はもう昼過ぎだから、二日と半日だね」
期限を過ぎれば当然、失敗だ。
「装備は携帯食料と少量の水が腰のポーチに」
「救難用の信号弾と信号拳銃がホルスターにあるね」
「あとは縄とナイフ、手拭いか」
本当に必要最低限と言ったところ。
魔法がなければ、絶対に森で数日過ごせるような装備じゃない。
食料が明らかに足りない分、現地で調達しないと。
異世界の影響で地球上の植物も変異している。
近づいたら襲い掛かってきた、なんてことも珍しくない。
食料調達の際は、細心の注意を払わないとな。
「こんなところだな。それを踏まえて俺たちがするべきことは――」
「拠点造り、だね」
「だな」
魔物が蔓延る森で、夜に行動するのは無謀だ。
基本的に夜は動かずに、じっと日が昇るのを待つことになる。
そのためにも拠点は必要不可欠だ。
「幸い、枝と葉っぱの調達には困らない。縄をうまく使えば簡易的なテントが造れるな」
「問題はどこに造るか、だよね」
「うっかり魔物の縄張りに拠点を造れば、目も当てられなくなるからな」
そう言って、ふと気がつく。
周囲に魔物の気配がすることに。
「――乃々」
「うん。入っちゃったみたいだね、縄張りに」
舗装された道なんてない森を歩いているんだ。
魔物の縄張りに入ってしまうことは半ば必然。
俺たちが立ち止まると、気配もぴたりと止まる。
標的は、完全に俺たちだ。
縄張りに踏み込んできた外敵を、排除する気でいる。
「すぐに出て行きますって言ったら、見逃してくれるかな」
「どうだろうな。そんなに物分かりのいい連中じゃなさそうだけど」
「だよねー」
そんな下らないことを言いつつ、それぞれの使い魔を呼ぶ。
「アイル」
「ギン」
アイルは空から現れて俺の頭に着地する。
「くあー!」
銀狼のギンは寡黙に、乃々の足下に寄り添った。
「どれくらいいると思う? 乃々」
「そうだね。十五……十六くらいかな?」
その数を、基準にしておこう。
乃々は俺よりも現場に慣れていて敏感だ。
俺が下す判断より、はるかに精度が高い。
「ってことは、一人あたり八体か。なら、余裕だね」
「言ってくれるな、初陣だってのに」
実戦はこれが始めてだ。
それでいきなり、八体一。
もうすこし手心を加えてもらいたいものだ。
「じゃあ、私が翼の分まで引き受けてあげよっか?」
「結構だ。これくらい捌けなきゃ、演習なんて成功できない」
「そう来なくっちゃ」
俺はアイルを刃化させ、乃々はギンを憑依させる。
手元に白銀の刀を携え、乃々は獣耳と尻尾を生やす。
互いに戦闘の準備は整った。
「――ウォオオオオオオオっ!」
俺たちの臨戦態勢を受けて、魔物の一体が雄叫びをあげる。
轟いた声は号令となり、群れを成す魔物たちを突き動かした。
茂みから、木の陰から、飛びだしてくるのは四足獣の魔物だ。
見た目は狼や野犬を彷彿とさせ、雄々しい牙と爪が生えている。
「来るぞ」
「わかってるっ」
先手を打つのは、乃々。
憑依によって上昇した身体能力が、常軌を逸した初速を生む。
それは野生である彼らの目を持ってしても見切れるものではなく。
乃々が描いた直線は、軌道上にいた魔物を穿つ。
殴打と同時に骨格が壊れ、魔物は気の幹に叩き付けられた。
単純な暴力の嵐。
あれがギンを憑依させた乃々の強み。
「乃々とは喧嘩しないようにしよう」
密かにそう決意し、こちらも魔物の対処に移る。
牙を剥いて迫る魔物に対し、こちらが振るうのは灼熱の一刀。
出力を最低に抑え、森に引火しないように注意を払う。
そうして描いた一閃は火の粉を散らし、魔物の命を断ち切った。
「――まず一匹!」
次々と、魔物は押し寄せてくる。
この喉を食い千切らんと駆けてくる。
けれど、それを目の当たりにしても、俺に焦りはなかった。
幾度となく受けた黒刃に比べれば、魔物の動きなど止まって見える。
焦ることなく正確に。
思い通りの軌道を描く鋒に狂いはなく。
魔物の数をみるみる減らしていく。
「――これでっ」
直線を通って落ちた鋒が、魔物を切り伏せる。
「最後っ!」
直後、すぐに斬り上げて、跳びかかって来ていた魔物を下顎から斬り裂いた。
この魔物で八体目。
当初の読みが正しければ、これで俺の担当は終わり。
周囲への警戒は怠ることなく、視線を乃々へと向ける。
「そりゃっ」
すると、ちょうど乃々も終わったようだった。
殴りつけられた魔物が、血反吐を吐いて吹っ飛んでいく。
骨折に内臓破裂。考えただけでも恐ろしい。
そんな緊張感のない掛け声で繰り出していい打撃じゃないだろ。
「終わった?」
「みたいだな」
周囲に魔物の気配はしない。
憑依形態で感覚が鋭くなっている乃々も、同じ意見みたいだ。
「へぇー、私とほとんど同じタイミングか。やるじゃん、翼」
「まぁな。これも修業の成果って奴だ」
これで乃々と肩を並べられたと思うほど、俺も自惚れてはいないけど。
特別授業の成果は、確実に現れている。
いまはその実感だけで満足だ。
「ところで、翼は何体くらい倒したの?」
「八体だ。そっちは?」
「こっちは九体だった。だから、合計して十七体……」
十七。
「……縄張りを維持するには十分な数だな」
「じゃあ、それをみんな倒しちゃったから――」
「ここは今、誰の縄張りでもなくなったな」
期せずして、俺たちは安全な土地を手に入れた。
「監視塔があの位置で、私たちが歩いてきた方角と距離を計算すると……」
俺たちは事前準備として、この森の地形を大雑把に把握している。
主に森の広さと監視塔の位置、そして川の流れ。
「この近くにちょうど川があるな」
おあつらえ向きに。
「じゃあ、ここにしちゃおっか。拠点」
「だな」
決定になった。
「よし、そうとなればテント造りだ!」
「幸先いいじゃん! このまま突っ走ろう!」
こうして俺たちは幸先よく、拠点造りに手を付けた。