制御
実技の授業が終わり、来たる昼休み。
「くあー……」
大きなあくびを一つして、アイルはうたた寝をする。
机上で猫のように丸くなる愛らしい姿は、見る者を魅了するもので。
「ねぇ、今の見た? 可愛い!」
「かわいいー」
アイルは今日一日で、クラスの女子の人気を独り占めしていた。
お陰で、常に数人ほどの女子生徒に取り囲まれている。
「すげー、食べづらいんだけど」
暗に離れてくれと言ってみても効果は薄く。
「大丈夫、大丈夫。私たちのことは気にしないで」
「そーそー」
なにが大丈夫なのか不明だし、アイルの観察を止めてくれそうになかった。
まぁ、一応、アイルが驚くようなことは控えてもらっている。
写真を撮ったり、触れようとしたりはしていない。
だから、強く言えないのだけれど。
こうも近くに集団でいられると、気が削がれて食欲が失せる。
腹は鳴るほど減っているが、満足に昼飯も喉を通らない。
「……」
アイルを呼び出すのを止めようかとも考えた。
けれど、それではいつまでもアイルが人に慣れない。
元々、すこしずつ人に慣らすために呼び出しているんだ。
出来れば、休み時間くらいは呼び出し続けていたいものだが。
「ほーら、翼が困ってるでしょ」
その時、乃々から助け船がくる。
「べつに今日だけって訳じゃないんだからさ。昼休みくらい、アイルをそっとしておいてあげたら?」
これはとても心強い。
大船に乗ったつもりになるくらいだ。
とても助かる。ありがたい。
「というか、みんな昼ご飯もう食べたの? 早くない?」
「まだだけど、アイルちゃん見てたいもーん」
「お昼食べてもアイルは逃げないよ。ほら、一緒に食べよ。私、お腹空いちゃった」
「んー。まぁ、乃々が言うなら、行こっか」
「そーだねー」
乃々はうまく女子たちを誘導してくれた。
「助かる」
「いいよ」
これでようやく落ち着ける。
あとでなにかお礼をしないとな。
「さーて、ようやく――」
「桐生ー。いるかー?」
箸を持ち上げたところで、また下げることになった。
廊下のほうから、夜咲先生の声がしたからだ。
「あー、もう。はいはい」
正直、勘弁願いたいけれど、無視する訳にもいかない。
それに夜咲先生はなにも悪くない。
悪いのは間だ。
「なんですか? 先生。なにか用でも?」
「あぁ。近いうちに演習があるのを知ってるな? 桐生」
「演習……はい。生徒だけで魔物を狩にいくんですよね?」
「その通り」
卒業に備えて、戦場に備えて、経験を積むための演習。
人間の生活圏の中にあえて残された魔物たちの住処。
そこへと赴いて、課せられた指令をこなすというもの。
それが近々、行われることになっていた。
俺には縁遠い話だと思っていたけれど今は違う。
俺も、この演習に参加することになる。
「だが、今の桐生は魔法使いとして経験が浅い。演習に参加するのは危険すぎると私は考えている」
「――そう……ですか」
けれど、それは淡い期待と言うもので。
身近に感じたつもりになっていても、まだまだ縁遠い。
手繰り寄せても手繰り寄せても、まだ遠い。
悔しいけれど。今回は諦めるしかないか。
「――だから、今日の放課後から桐生には特別授業を受けてもらう」
「え?」
特別授業?
「なにせ、あまり日がないからな」
「あ、あの。参加できるんですか? 俺。演習に」
「出来るようにしようって話だよ、桐生。突貫工事にはなるが、教えられることは教えてやる。あとは桐生の頑張り次第だが、どうする?」
答えは、決まり切っていた。
「やります! やらせてください!」
願ってもない話だ。
諦めろと言わず、頑張れと言ってくれた。
そのことが、何よりも嬉しい。
「そうか、それはよかった。なら、放課後になったら体育館に来るように」
「はい!」
希望を胸に、放課後を待つ。
あれだけ失せていた食欲も、今では増している。
弁当箱を持って掻き込むほどだ。
「アイル」
一息に弁当を完食してから、名前を呼ぶ。
アイルは寝そべりながら、ちらりとこちらを見た。
「頑張ろうな」
頭や下顎を撫でてやると、気持ちよさそうにアイルは一鳴きした。
「くあー!」
そうして来たる放課後。
閑散とした体育館にて。
「それじゃ、始めるとするか」
「よろしくお願いします」
夜咲先生と向かい合った。
「まず最初に聞いておくことがある」
そう前置きをして、夜咲先生は次ぎを言う。
「桐生は憑依と刃化、どちらに重点を置くつもりだ?」
憑依と刃化。
使い魔との付き合い方をどうするか。
憑依は魔法の威力を高められるが、制御が難しい。
逆に、刃化は制御が簡単な代わりに、火力不足に陥りやすい。
どちらも一長一短だが、俺は。
「刃化で、お願いします」
「賢明な判断だな。桐生」
夜咲先生は褒めるように、そう言った。
「演習まで日がない。時間が限られている中で、制御が難しい憑依を選ぶのは下策だ」
俺は魔法使いとしては、ずぶの素人に等しい。
だからこそ、制御が簡単な刃化を選ぶのが無難な選択だ。
「だが、桐生。簡単と言っても、その頭の上にいる使い魔はドラゴンだ」
「くあー!」
「普通の使い魔とは出力の桁が違う。実技の授業で桐生が見せた魔法は、あくまでも力の一端に過ぎないだろう。刃化とはいえ制御には最後まで手こずるはずだ。決して、楽観視はするなよ」
「……肝に銘じておきます」
どうにかなるだろう。
きっとうまく行く。
そう楽観視してしまえば、そこで思考が停止する。
そこから先にはいけず、足踏みをしてしまう。
俺はこれまで足踏みばかりだった。
やっとアイルのお陰で前を見て進めるようになったんだ。
止まることなく、俺は突き進みたい。
前へ前へ。
「よし。なら、次ぎの段階だ」
そう言って、夜咲先生は使い魔を呼び出す。
「クロ」
現れるのは、一羽の黒い鳥。
鴉。
それは夜咲先生の手元に降り立ち、刃化する。
黒々とした刀身を持つ、一振りの剣と化した。
「まずは魔法の制御からだ」
夜咲先生が得物を掴むと、刃から黒い靄のようなものが噴き出した。
禍々しく、どこか神秘的。
そんな不可思議な黒が、刀身に纏わり付いている。
「私はこれから一定の出力で魔法を放つ。こんな風にだ」
そう言って、夜咲先生は虚空を斬る。
瞬間、刀身を離れた黒靄が刃となって馳せた。
飛ぶ斬撃となったそれは、俺の側を過ぎていく。
「桐生には、これを斬ってもらう」
「斬る、ですか?」
それだけ?
「いま、それだけかと思っただろ?」
見透かされていた。
「これが案外、難しいんだな。きちんと斬るには」
「きちんと?」
どういう意味だ?
「魔法を斬れるのは魔法だけだ。だが、桐生側の出力が強すぎれば、私の魔法は砕けてしまう。逆に弱ければ斬れずに終わる。そのまま押し切られるだろう」
「……つまり、斬るためには同じ出力に調整した魔法でなくてはいけない?」
「そうだ。出力の調整――魔法の制御には打って付けの方法だろ?」
たしかに魔法の制御を身体で覚えるには、良い方法かも知れない。
少々、乱暴な方法ではあるけれど。
「本当はもっと穏便な方法があるんだが、今回は時間がないからな。手荒な方法でいく。異論はあるか?」
「もちろん、ありません」
「その意気だ。さぁ、始めるぞ。得物を握れ」
「はい!」
頭の上にいるアイルを掴み上げて、目と目を合わせる。
「行くぞ、アイル」
「くあー!」
アイルも気合い十分だ。
「――よし」
白銀の刀を握り、気合いを入れ直す。
そうして特別授業が本格的に始まった。
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