授業
アイルが卵から孵ってから一夜が明ける。
早朝、俺はいつもより早い時間に家を出て、魔法学園へと登校した。
人気のない静かな通学路を歩き、校門を抜けると職員室へと向かう。
「失礼します」
扉を開くと、濃厚な珈琲の匂いがした。
「ん? 来たか」
職員室に入ると、すぐに担任の夜咲先生が気がついてくれた。
そちらまで歩み寄ると、丸イスを用意してくれる。
「使い魔が孵ったんだって? よかったじゃないか」
「はい。ほっとしてます」
このまま卵が孵らないんじゃないか。
そんな不安が、いつも心の片隅にあった。
それが解消されて、今では心が軽い。
「それもドラゴンなんてな。聞いたときは寝ぼけでもしたのかと思ったよ」
「まぁ、そうでしょうね」
ドラゴンの使い魔なんて滅多にいない。
誰だって驚くし、耳を疑う。
「じゃ、早いところ済ませちまおう。使い魔登録」
そう言って、夜咲先生は一枚の用紙を取り出した。
多数ある項目をすべて埋めれば、登録は完了だ。
しかし、これがまたくせ者なのである。
とにかく、項目の数が多い。
アイルを全長や体重を測定しないと行けないし、今から骨が折れそうだ。
乃々もそれを面倒臭がっていたのを、よく憶えている。
「よし、移動するぞー」
職員室から別室へ移動し、アイルのあらゆることを調べて項目を埋めていく。
案の定と言うべきか、時間が掛かった。
すべてが終わる頃には、一時限目が終わったあとだった。
「ふいー、お疲れさん」
「はい、お疲れ様でした」
今なら乃々の気持ちがわかる。
これは非常に面倒臭い。
「アイルもお疲れ様」
「くあー!」
元気よく返事をしたアイルは、また俺の頭の上に乗った。
「しかし、まさかドラゴンとはね。うりうり」
夜咲先生は、そんなアイルを撫でて遊んでいる。
俺のほうが身長が高いのに、背伸びまでしていた。
それほどアイルが気になるみたいだ。
「私もドラゴンの実物を見るのは初めてだ。こんな風なんだな」
興味深げにぐるぐると俺たちの周囲を巡る。
それ自体は別に、いくらしてもらっても構わないけれど。
「あの、先生」
「どうした?」
「もうすぐ二時限目が始まるんですけど」
「んん、もうそんな時間か」
腕時計を確認した夜咲先生は、すこし残念そうな顔をしていた。
「二時限目は私の授業だ。教師が遅刻する訳にもいかないな」
これで俺も遅刻せずに済みそうだ。
「じゃあ、行くとするか。あ、そのドラ――アイルだったか? ちゃんと仕舞っとけよ。騒ぎになるからな」
「わかってます」
そう返事をしつつ、頭の上のアイルを掴み取る。
「アイル。行ってよし」
「くあー!」
使い魔は、その姿を消すことができる。
アイルはすぐに透明化し、掌から感触が失せていく。
最後には重みもすべてなくなった。
用事があるときは、名前を呼べば現れてくれる。
だからこそ、名付けるということが契約の証となる。
「よーし、体育館へ行くぞ」
「体育館? あぁ、そうか。次ぎは実技の授業でしたね」
実技の授業は、俺はいつも不参加だった。
魔法が使えず、いても意味がなかったからだ。
だから、実技の授業が行われる際は別行動。
一人、ほかのクラスに混ざって座学の授業を受けるのが常だった。
けれど、今日は違う。
「あぁ。魔法使いとしての初授業だぜ、桐生」
「そう……ですね」
魔法使いとして、授業を受けられる。
気合いを入れて望まないと。
「頑張ります」
気合いを改めて、夜咲先生とともに廊下へと出る。
体育館の扉に手を掛けると丁度良く、授業開始の鐘の音が鳴った。
「――みんな、揃ってるか?」
まず夜咲先生が顔を見せ、その後に俺が続く。
「ん? あれって」
「なんで桐生くんが?」
「いつもいないのに」
普段、実技の授業に参加しない俺の姿がある。
そのことでクラスメイトたちは、にわかにざわついた。
ざわつきは合同で授業を行う別クラスの生徒にまで伝播する。
この騒がれようにすこし緊張していると、視界の端に見知った顔を見る。
火山とその取り巻きの二人だ。
昨日のこともあって、こちらを睨み付けている。
「ほら、ざわざわしてないで並べ。授業が始められないだろうが」
夜咲先生の一声で、ざわつきは鳴りを潜める。
みんな、黙って列を成した。
「よし。授業を始めるが、その前にみんなに良い知らせだ」
ふと、整列した生徒の中にいる乃々と目が合う。
表面では平静を装っているが、口元が緩んでいるのが見て取れる。
そのことがすこし可笑しくて、緊張がほぐれた。
「今日から桐生も実技の授業に参加することになった」
そう告げると、生徒たちから驚きの声があがる。
授業に参加するということは、魔法が使えるということで。
魔法が使えるということは、使い魔が孵ったということだからだ。
落ちこぼれが自分たちと同じ土俵に上がってきた。
そのことがとても意外だったらしい。
「先生」
その喧噪の中から、はっきりとした言葉が投げられる。
「どうした、火山」
その言葉を投げたのは、火山だった。
「実技に参加するってことは、使い魔が孵ったってことですよね? いったいどんな使い魔なのか、是非とも披露してほしいですね。みんなの前で」
火山がなぜ、そう言ったのかはわからない。
単なる興味本位か、あるいは何か企みでもあるのか。
どちらにせよ、それはこの場にいる生徒のほとんどが同意するもの。
「だ、そうだ。ほかのみんなも見たがっているようだし、紹介してくれるか?」
「そういうことなら、わかりました」
火山はどうあれ、こうなってしまうと見せるほかない。
もったいぶる理由も特にないことだし、良い機会だと思って紹介しよう。
「アイル」
名前を呼ぶ。
すると、すぐに頭の上に重みが生じる。
またいつもの定位置に、アイルは現れた。
「くあー!」
頭の上で一鳴きするアイル。
その姿を見て、生徒たちは静まり返った。
一瞬の静寂。
それを経て、堰を切ったかのように反応が押し寄せる。
「ドラゴン――ドラゴンだ!」
もはや整列など意味を成さず。
雪崩かなにかの如く、生徒の波が迫りくる。
あっと言う間に周囲を囲まれ、無数の手がこちらに伸びた。
それだけではない。
口々に色んな質問を全方位から投げかけられる。
「くあー!?」
そんな生徒たちの様子に驚いてしまったのか。
アイルはすぐに俺の頭から飛翔して空中に飛び立った。
そして、すこし離れた位置で様子を見ていた乃々の元に逃げていく。
「よしよし、怖かったねー」
「くあっ、くあー! くあー!」
乃々に抱き抱えられたアイルは、生徒たちを威嚇するように声を荒げる。
どうやら余程、驚いていたらしい。
「あー、悪いけど。おさわり厳禁ってことで」
そう言いながら、生徒たちの包囲を抜ける。
「えー」
「そんなー」
方々から不満の声があがるが、こればかりは譲れない。
「アイル」
「くあー」
呼びかけると、アイルは乃々の元から離れて俺の頭に着地する。
「本当にそこが好きだな」
「くあっ」
頭上のアイルを掴み取って抱き抱える。
「という訳で、使い魔のドラゴン。アイルだ」
「くふー」
アイルの鼻息が荒い。
まだ威嚇しているみたいだ。
「ほら、紹介はあれで終わりだ。みんな整列し直せ、はやく」
ぱんぱんと手を叩き、夜咲先生はそう促す。
生徒たちは先生の指示に従い、ゆっくり整列し直している。
だが、その目は最後までアイルに釘付けになっていた。
「それじゃあ、実技の授業を始めるぞー」
仕切り直し、改めて実技の授業が始まる。
「前にも言ったが、今日は対人戦の訓練をしてもらう。最近は人型の魔物も増えてきたからだ。戦場に出て人型に対応できないなんて間抜けにならないようにな」
魔法使いとして、初めて受ける実技授業。
今までは獣の姿に近い魔物のみを想定していたけれど。
最近になって人型の魔物も想定するようになったらしい。
来たる初陣の日までに、憶えることは数多くある。
ただでさえ、俺は人より遅れている。
授業は真面目にしっかり受けて、すこしでも遅れを取り戻さないと。
「火山、水島、二人からだ。中央に行って向かい合え」
夜咲先生は二人にそう指示を出した。
けれど。
「先生、一つお願いがあります」
火山はそれに従わず、なにかを願い出る。
「なんだ? 珍しいな」
「そこの桐生くんと、戦わせてください」
その発言で、また生徒たちがざわついた。
「俺と?」
本当に、なにを考えているんだ?
「……理由は?」
「単純に、ドラゴンがどれほどのものか確かめてみたいんです。他ならぬ、俺自身の手で」
火山が俺を見る目は、敵意が剥き出しになっている。
いま述べたのは建前であることに、疑いの余地はない。
今頃になって、火山の企みに気がついた。
きっと、恐らく、昨日の仕返しをする大義名分がほしいんだ。
だから、適当な理由をつけようと必死になっている。
つまるところ。
「水島にも話を通してあります。何の問題もありません。桐生くんが受けてくれればの話ですけど」
喧嘩を売られているわけだ。
「と、言っているが、どうする? 桐生」
夜咲先生の視線がこちらに向かう。
「卵が孵ってから、まだ数時間だ。魔法の扱いだって不慣れだろう。無理はしないほうがいいぞ」
たしかにそうだ。
アイルは生後数時間。
魔法に至っては、夜中にすこし試しただけだ。
けれど。
「いいですよ、戦っても」
俺はその喧嘩を買った。
「ちょうど腕試しがしたかったところです」
いまの俺が魔法使いを相手にどこまでやれるのか。
それを確かめるには絶好の機会だ。
勝つにしろ負けるにしろ、それで得られるものは大きい。
「そう来ないと」
火山は不適な笑みを浮かべ、体育館の中央へと向かう。
そのあとを追うように、俺もそちらへと向かった。
「血気盛んだねぇ。まぁ、本人が同意したなら別にいいか」
やれやれと言った風に、夜咲先生は俺たちの付近に立つ。
「じゃ、私の合図で始めてくれ」
夜咲先生は片手を振り上げる。
そして。
「――はじめ」
開戦の火蓋は落とされた。