61「先鋒戦・麻婆豆腐勝負!」
「双方、どうやら料理は完成したようだな。ではまずヒムロ=ケイジ側の料理から試食に移らせてもらおう」
二人の調理が終わり、ほぼ同時に終了を宣言し、それを見たグルメマスターがまず親父の料理から運ぶよう指示を出す。
今回の料理バトルでは審査員達だけでなく、オレ達も一緒に料理を試食できるようグルメマスターからの計らいが行われていた。
「こちら特製麻婆豆腐です。どうぞあがりください」
そう言って審査員含むオレ達のテーブルに運ばれたのはただの麻婆豆腐であった。特にこれといった特徴はなく悪く言えばありきたりな見た目であった。
「ふむ。一見するとただの麻婆豆腐と変わらぬな」
「匂いも以前食べたものと変わらぬようですな」
「まあ、見た目や匂いは大して変わっていませんが、その評価は一口食べれば変わりますよ。まずは口に入れてみてください」
グルメマスター達の初見の感想に対して親父は食べてからの審査を求め、それに応じる様に審査員達の口に親父の作った麻婆豆腐が運ばれていく。
オレ達も同じくそれをスプーンで取り、口の中へと運んでいくが、次の瞬間、審査員含むオレ達まで一斉に立ち上がり目の前の麻婆豆腐を信じられないものでも見るように瞠目する。
「こ、これは! なんと甘くまろやかな味か!」
「以前食べたときはその辛さに舌が参った部分もあったが、今回のこれはそれが全くない! これが同じ麻婆豆腐だとは信じられない!」
そこにあったのは麻婆豆腐の辛さとは真逆の滑らかな甘さへの絶賛であった。
どういうことだ? 麻婆豆腐と言えばその辛さが旨さの一つでもある。あえて甘口で作ったということだろうか。
だが、甘口の麻婆豆腐では表現できない上品なまろやかさがこの料理には潜んでいた。
決してそのような底の浅い調理ではないとも確信できる。
「秘密は、これです」
そう言って親父が取り出したものはあの時、親父の畑で取った果実。
「いちご、じゃと?」
そう、この世界でも苺はフルーツとして存在し、植物型の魔物などが実らせている。
だが、親父が作った苺は地球産のそれであり、甘さもしっかりとして加工がしやすい、それによって作られたあるものが親父のもう片方の手に握られていた。
「そう、このイチゴを用いて作ったジャム。こいつが隠し味の正体です。このイチゴジャムを麻婆豆腐に混ぜることでより深みのある味わいとなり、なによりも辛さが苦手な方でも安心して食べられるまろやかな料理へと変貌するのです」
その親父の種明かしにはオレ含む審査員全員が驚愕していた。
まさか料理にジャムを、しかも麻婆豆腐という辛さが売りの料理にその真逆の食材を使うなんて全くの予想外だった。
だが結果として味は濃厚となり、辛さが苦手な人物でも安心して食べられる甘い麻婆豆腐が出来上がっていた。
そこには味への追求だけでなく、苦手な人物でも食べられるよう配慮が行われていた。
まさに麻婆豆腐という料理を知り尽くした親父にしかできない意外性の勝利だった。
オレ達含む審査員全員からの賞賛を受け取り、親父は静かに頭を下げる。
「では次に魔王ファーヴニルの料理の試食へと移る」
グルメマスターの宣言を受け、待機していた魔王が料理を運んでいく。
「こちら特製四川風麻婆豆腐となっております。どうぞご賞味ください」
そう言って開かれた蓋の中から現れたのは先ほどの親父の料理よりも色濃い麻婆豆腐であった。
先ほどの親父の麻婆豆腐が優しい色合いのオレンジだとするなら、こちらはまさに灼熱のマグマのようなレッド。
すでに見た目から大きな違いが出ており、そこには麻婆豆腐が持つ辛さが感じられるようであった。
「これは、見るからに辛そうな麻婆豆腐だな」
「ううむ……見た目や匂いからは確かに旨そうな気配が漂っておるのだが、実は儂は辛いのが少々苦手でな」
四川風と言えば麻婆豆腐の中でも特に辛さが売りの料理。審査員の一人がそれを見てためらっていたが、それに対し魔王は子をあやす母のような笑みを浮かべる。
「ご安心ください。私の作った麻婆豆腐は確かに辛さが売りですが、これは辛いものが苦手な方でも食べられるよう配慮しております。まずは騙されたと思って一口お運びください」
そう優しく諭される母に促されるように審査員含むオレ達全員がその麻婆豆腐を口に入れる。
その瞬間、口の中に広がったのは予想していた辛さであったが、それを包み込む甘さとの調和。そして直後に襲い来る旨さの奔流であった。
「こ、これは! 一体どういうことだ!」
「か、辛い、確かに辛いのだが、辛さの中にそれを中和する甘さが存在する! しかもこの味……辛いものが苦手が儂が箸を止めることができぬ!」
さきほど審査員の中で一番食べるのを躊躇っていた人物が迷うことなく食を進めていた。
無論オレ達も次から次へと母さんが用意した麻婆豆腐に貪るように食らいつく。
それはまるで不思議な魔力に誘われるよう辛さによる刺激が食欲を増進させていた。
「これは……どういうことだ」
母が用意した麻婆豆腐を同じく一口食べた親父もその疑問を口にしていた。
それに対して母は待っていたとばかりに種明かしを行う。
「今回、私が用意した麻婆豆腐に対する仕掛けは肉やスープでも調味料でもありませんわ。麻婆豆腐における主役とはなにか、それは他でもありません――豆腐です」
そう言って母さんは麻婆豆腐に使ったと思われる豆腐を取り出した。
だが、その豆腐を見て驚愕の表情を浮かべるオレ達。
なぜなら通常、豆腐の色は白いはずなのに母さんが取り出したそれは胡麻豆腐のようにやや茶色がかった色をしていたからだ。
「胡麻豆腐を使ったのか?! いやだが、胡麻豆腐でこれほどの味は……」
「いいえ、違いますわ。これは胡麻豆腐ではありません。私が豆腐作りに使った魔物、それは――落花星ですわ」
落花星。その魔物の名はオレも聞いたことがある。
というよりも実は育てたことすらある魔物だ。
彼らは豆科の魔物の一種であり、育つことで自立行動を取りその前後に収穫する。
だが落花星という魔物に関しては成熟した際、実が弾け中にあった実を流れ星のようにあたりに散らせる。
このことから一般人には収穫の難しい魔物とされているが、弾け出された実はまさに絶品。そのまま生でも食べられる。
味の方はいわゆるピーナッツである。つまりはこれは――
「ピーナッツ豆腐。私が麻婆豆腐に使った豆腐はこれです」
その母さんの種明かしによりこの麻婆豆腐の旨さの秘密が明らかとなった。
「麻婆豆腐の旨さの秘訣とはなにか、それはすなわちやはり辛さに直結いたします。旨い辛さとは食を進める原動力となります。ですが、辛さが苦手な方がいるのも事実。そこで私はピーナッツ豆腐を使いました。この豆腐は通常よりも上品な甘さがあり、それによって辛さと甘さの両立を行ったのです」
確かにこの麻婆豆腐、食べた直後に辛さが口の周り全体に広がるが、それこそが旨さを刺激し次から次へと食が進む。
麻婆豆腐の中核とも言える豆腐そのものの甘さが全体の辛さと調和し、相互の味わいを高めていた。
たとえは違うがスイカに塩を振ることで甘さを強調するように、異なる味わいが旨さの調和をもたらしていた。
「あなたは辛いものが苦手な方でも大丈夫なよう麻婆豆腐を調理したけれど、麻婆豆腐の魅力とはすなわち辛さ。それを抑えるということは本来の持ち味を損なうこと。辛さを抑えず甘さと両立させてこそ真の麻婆豆腐というものでしょう。隠し味の技巧に走りその料理が持つ本来の旨みをあなたは疎かにしてしまった」
その母からの宣言はまさに父の料理の弱点を付いた一言であった。
「確かに」
そして、それに頷くようにグルメマスターが今回の料理勝負における本質を語る。
「今回の料理勝負。いや、前回の大料理大会でもそうであったが、この世界における料理勝負は単純な旨さや腕で比較するものではない。そもそも料理の味など人によって千差万別。この料理があの料理よりも旨いかなど人によって評価は変わる」
それはそうだ。
オレはグルメマスターのその発言に頷く。
そもそも世界一旨い料理があったとして、それをどうやって審査する。
審査員によってはそれは異なるであろうし、全ての人の好みに合致するなどそれこそありえない。
「ならばこそ、我らが審査するのはその料理における本質。つまり味や調理法のみならず、いかにその料理を“魅せる”か。そして、その者にしか作れぬであろう料理。それこそが審査の基準となる」
それは言うなれば単純な旨さでは評価できない部分。
おそらくそこを表現した者こそが勝者となる。
そして、それは今後の料理バトルにおいて同様であるとグルメマスターは暗に語っていた。
ゆえにこの場における勝者は決まっていた。
麻婆豆腐として旨さをどちらがより追求していたのか。
味や旨さだけではない、その者のこだわりが満ちた料理はどちらであったか。
「一回戦の勝負は――魔王側、魔王ファーブニルの勝利とする!」
グルメマスターのその宣言により、オレ達の初戦は一敗を食うこととなった。




