呪われた古城(前編)
「……ん、あと五ふーん」
「その五分っていうの、何回目だと思ってんのよーーーっ! もうお昼よ!」
「知らーん……。時間の厳密な管理は、壁のぽっぽちゃんに任せてる」
「時計はあんたの代わりに起きて仕事をしてくれないのよ!」
掛け布団の端が、ぐいっと乱暴に引っ張られた。
俺は抵抗するように、両手で布地を抱え込む。洗い立てのシーツが頬にひんやりと触れて心地よいが、背中には異物感があった。昨日の夜、ガウがボロボロと食べこぼした乾燥芋の欠片が、パジャマの下で背骨に当たっているのだ。
さらに、目の前の操作盤には、いつ落としたかも分からない茶色のコーヒーの染みがこびりついている。
……地味に痛いし、居心地という観点から阻害要因であるのは事実だ。
だが、この程度の不快感で至高の布団から出る理由にはならない。
「おい、スネブ。俺の神聖なる安眠領域に対する不当侵入だぞ。慰謝料を請求して訴えてやる」
「どこの国の誰に訴える気よ!
その布団裁判所の裁判官も、原告も、被告も、全部あんた一人じゃない!」
「なら、俺の完全勝訴だな。判決、速やかなる二度寝を命ずる」
「裁判を始める前に自分に都合のいい判決を出さないで!」
エプロン姿のスネブは、呆れたようにため息をつくと、俺の目の前に大きなグラスをドンと突き出した。
中には、濃い緑色の液体がぬたりと揺れている。
「はい、朝の特製スムージー。
今日はケールとスピルリナに、厳選したオーガニックの発酵ベリーをたっぷり加えました!」
「……おい。昨日より明らかに色が悪化してないか?」
「抗酸化成分を最大限に意識した究極の配合よ!」
息を止めて、ひと口飲む。
ドロリとした液体が喉を通る。最初に発酵ベリーの強烈な酸味が舌を刺し、その直後、隠しきれないケールの青臭い苦みが、後頭部をぶん殴るような勢いで広がった。
「……スネブ、お前は天才的な毒物調合師になれる。
発酵ベリーの酸味が、ケールの底知れぬえぐみを、見事に最前線まで押し上げてきている。
味覚のテロ行為だ」
「何よ、その憎たらしい食レポは!
健康に良い証拠でしょ! いいから四の五の言わずに、一滴残さず飲み干しなさい!」
俺は無の境地に至り、グラスを空にして突き返した。
スネブが満足そうに頷き、空のグラスを受け取った、そのとき。
壁面の主制御盤が、ピィッ、と短く鋭い警告音を鳴らした。
『警告。
最外殻第七地区で確認された不当な契約紋と同系統の術式波長を、第八地区の渓谷周辺で新たに検出しました』
「……おい。食後くらい、休ませてくれよ」
「食後って、あんた今飲んだの緑色のスムージーだけでしょ!」
『対象地点は、第八地区を流れる渓谷沿いの旧交易路で、過疎化した古城地区です。
周辺住民の連続失踪、物資の不正流通、および怪しい治療薬の密売に関する複数の報告が治安維持軍に上がっています』
スネブが操作盤へ身を乗り出し、画面をタップした。
「また悪質な契約紋?
しかも、今度は人が消えてるなんて穏やかじゃないわね。昨日、第七地区の闇市で見た黒い筋と構造がよく似てるわ」
「……同じ根っこかもしれないな」
「ちょっと、スエド。あんた今、一瞬だけ真面目な顔をしたわね?」
「気のせいだ。俺は真面目な顔をすると、急激に脳の糖分が消費されて眠くなる体質なんだ。
だから、もう寝る」
「その都合の良すぎる理屈、初めて聞いたわ!」
操作盤の表示が自動的に切り替わった。
『現地への急行および確認を推奨します。
対象区域には旧時代の崩落しやすい構造物が存在するため、可動式神殿形態での進入は非推奨。
|万年床型自走・居住絶対領域による小規模な隠密出撃を提案します』
「よし。提案は却下だ。人が消えたなら、熱意のある誰かが探せばいい。
俺はここで、世界の平和を祈りながら二度寝する」
「あなたが行きなさいよーーーっ!!」
スネブの鼓膜を破るような怒声が響き渡った瞬間。
壁のアンティーク時計の秒針が、物理的な衝撃波を受けたかのようにピタリと止まった。
俺の袖の中で丸まっていたピヨちゃんも、足元のガウも、石像みたいに固まっている。
……いや、待て。俺の目は動く。意識もある。
数秒後。カチッ。秒針が再び動き始めた。
「……ほら見ろ。お前の大声のせいで空間が震えて、世界の時間が三秒無駄になっただろ。
責任を持って、俺の失われた三秒を返してくれ」
「返せるわけないでしょ! いいから早く行きなさい!」
「……はいはい。わかったよ」
俺は深くため息をつき、布団から右手だけを出して操作盤を叩いた。
キュイィィン……という駆動音とともに、部屋の隅で機体の外装が音もなく折り畳まれ始める。
「パレスはここで安全に待機。コアだけで出る。
これなら、帰ってきても布団の絶対座標が変わらないからな」
「そこが作戦の最優先事項なの!?」
「当然だ。ムダな移動の排除こそが、高度な文明の基礎だからな」
* * *
万年床を乗せた極小の機体が第八地区の渓谷へ向かうあいだ、俺は布団に寝転がったまま、魔導モニターをぼんやり眺めていた。
本体を動かす必要はないし、通信も完璧に安定している。一歩も歩かなくていい。
実に素晴らしい、科学技術の正しい無駄遣いだ。
「スネブ、現地の映像を出してくれ」
『はいはい。今、映像を送るわ』
コアの魔導映写板に映し出された光景が切り替わった。
映し出されたのは、切り立った険しい岩壁に挟まれた、薄暗く細い道だった。
谷底を流れる水は泥のように黒ずみ、見上げるような崖の上には枯れ果てた木がへばりついている。谷風が吹き抜けるたびに、乾いた枝同士がカタカタと骨のような音を鳴らした。
「うわ。絵に描いたような陰気な場所だな」
『第八地区の旧交易路だからね。昔は人と荷馬車が頻繁に行き交う活気のある道だったそうよ。
今は教団によって厳重に封鎖されてるけど。公式の発表では、危険な魔素汚染が原因とされているわ』
「公式には、か」
俺は映像を拡大した。細い道の両側に並ぶ石柱の根元に、黒ずんだ細い金属片が何本も突き刺さっている。
「……おい。あの杭、何だ?」
『うーん……魔導式の固定具に見えるわ。でも、あんな無意味な場所に設置する理由が分からないわね』
「なら、もう少し近づいてみて、直接確認するしかないな。
いや、待て。前方の古城を見てみろ。城の周囲だけ、風の動きが狂ってる」
『ええ、魔素の流れが完全に乱れているわ。あの古城を中心に、周囲のエネルギーが強引に吸い寄せられているみたい』
「吸い上げる経路は見えるのに、出力先が見当たらない。ずいぶん燃費の悪い三流の仕組みだな」
『普通、そこを気にする!?』
「無駄なエネルギー消費は大嫌いなんだよ。
俺の貴重な二度寝の時間だって、永遠じゃない有限の資源だからな」
右目の偏光グラスをカチリとずらす。
青と金の幾何学模様が広がり、分厚い城壁の向こう側にいくつもの赤い線の束が見えた。
その線は城の地下深くへ潜り込み、線上の中継地点には、心臓のように脈打つ『黒い塊』があった。
「スネブ。城の地下に、とんでもなく巨大な何かがあるぞ。
周囲の魔素を強引に吸い上げている経路が、間違いなくあの地下の一点に集中している」
『昨日、第七地区で見た不正な契約紋の呪力網と繋がっている可能性は?』
「高いな。だが、全体像が掴めていない段階で、仕組みの分からない部分まで適当に触ると、余計にこじれて俺の後始末が増える。
根っこの部分に何があるのか、まだ見えていない。根本原因を特定できない以上、手を出す範囲は狭いほうがいい」
『その面倒くさがりな根っこの考え方だけは、相変わらずブレないのよね……』
崩れかけた城門の隙間へ、機体を音もなく滑り込ませた。
内部はひどく薄暗い。崩れた天井から落ちる水滴が、冷たい石床にポツ……ポツ……と等間隔の音を立てていた。
淀んだ空気とともに、古くなって発酵したような甘ったるい匂いが流れてくる。
ふと、暗がりの奥の方に、人影があるのに気づいた。
「……スネブ。誰かいるぞ」
(後編へつづく)




