第1話 俺は織田信長?
「ぐふっ!?」
背中を強く打ちつけられた。
胸の奥の空気が、一気に押し出される。
間髪入れず、今度は後頭部に衝撃が走った。
「あがっ!?」
火花が一瞬、視界を切り裂いたかと思うと、次の瞬間にはどこまでも澄んだ青空が広がった。
体中が、猛烈に痛む。
ずきずきと痛む頭を振り、上半身を起こす。
「三郎様、ご無事ですか!」
「お逃げください! 三郎様!」
必死の叫び声が聞こえた。
「……映画のロケとか?」
思わず振り向くと、髷を結った武士の姿に扮装した大人が二人、立っていた。
かなり遠くにいても、必死そのものの表情が伝わり、演技力の高さがうかがえた。
「前! 前を見てください!」
「ええい、駄目だ! こうなったら我らも加勢するぞ!」
もしかすると、何かの撮影にお邪魔してしまったのかもしれない。
心当たりはないが、とにかくまずは謝ろうと、俺は立ち上がった。
「ブフッ! ブフッ!」
「……えっ!?」
十歩ほど先で、黒い牡牛が鼻息を荒くさせ、頭を低く下げていた。
右前足で土を力強く掻く様子は、どう見ても、こちらへ突進してくる前兆にしか思えなかった。
「ブフフゥゥゥッ!」
次の瞬間。
予想どおり、牡牛が突進してきた。
「ま、マジかっ!?」
牛って、こんなにも速く走れるのか。
驚愕とともにそう思った頃には、すでに距離は半分まで詰まっていた。
「……や、やるしかねえ!」
もう逃げるどころか、避けることさえできない。
左右どちらに避けても、牡牛の角が確実に俺を襲うだろう。
俺は右足を引き、左肩を前に出しつつ、腹に力を込めた。
「ブフウッ!」
「どっせいいいいいっ!」
俺は全力で衝撃を受け止め、牡牛の角と重みが全身にずしんと響く。
それでも踏ん張り、倒れまいと必死で耐えた。
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「いやーー! 凄かったですね!」
「しばらく、この話で持ちきりになりそうですよ!」
てくてく歩く俺の後ろで、武士二人が大盛り上がりだった。
「村を悩ませていた暴れ牛を受け止めて、ドーーン!」
「しかも、それを手懐けるなんて!」
俺の隣には、さっき死闘を繰り広げた牡牛が、悠然と歩いている。
周囲を見渡せば、田んぼと畑。
その先には野原と森が広がり、地球の丸みを実感させるように、山裾まで続く大自然が目に入った。
道は土がむき出しで、近代建築も電柱も見当たらなかった。
通り過ぎた村には、茅葺き屋根の粗末な家々が並んでいた。
自分の頭に手をやれば、つるりと剃った感触があり、髷を結っている。
ここまで揃えば、どれだけ荒唐無稽であろうと、理解はできた。
俺は、過去の日本にタイムスリップしたのだと。
「なあ、俺の名前って……。三郎だよね?」
「はい、そうですが?」
しかも、先ほど小便したときに知ったことがある。
三十九年間、相棒であり続けていた俺の息子とは違った。
若いというより、幼い。
遠く懐かしい中学校の頃に戻ったかのような、初々しさがあった。
こうなってくると、次の問題は、今がいつで、俺は一体誰なのか、ということだ。
「……で、家名が織田?」
「その通りです……。もしや、頭を打って?」
だが、ここまでの武士二人の会話には、重要な手がかりがあった。
戦国時代の風雲児、織田信長。
俺は、ちょっとだけ戦国時代に詳しい。
信長は、元服後に織田三郎信長を名乗っていたのだ。
「俺……。『うつけ』って呼ばれている?」
自分の服装を顧みる。
後ろの武士のように袴は穿いておらず、浴衣から右肩を出し、腰を縄で二重巻きしている。
腰には派手な朱色の鞘の刀、反対側には水が入ったひょうたん。
誰がどう見ても、若い頃の信長のイメージと一致していた。
「えっ!? ……あっ!? い、いや……!」
「い、言いたいやつには、言わせておけば良いのです!」
「わ、私たちは、若の良さがちゃんと分かっています!」
「つ、次の戦も、期待していますよ!」
もはや、確定だった。
若い頃の信長の評判について問いかけると、武士二人はあからさまに慌てた。
「くっくっくっ……。」
たまらず、笑みがこぼれた。
入社以来、昇給は雀の涙ほどのライン工の俺が、まさか織田信長になったのだ。
これはもう、一発逆転の満塁ホームランだ。
あとは『本能寺の変』に警戒し、『明智光秀』を大事にすれば、俺は天下を取れる。
ただ引っかかる点があった。
太陽の位置から考え、東に大きな湖がある。
「ガハハっ! 勝ったな! 風呂、入ってくる!」
「おおっ! 良いですな!」
「殿も、今日はお許しになるでしょう!」
しかし、織田信長が治めた尾張、現代でいう愛知県には、そんな大きな湖は存在しなかったはずだ。




