4話 ゴールデンミルクのシチュー
秋が終わり、寒波が冬の到来を告げる。街路樹は葉を枯らし寂しさをにじませ、以前より着込んだ人々が、震えながら身体を縮こませ室内に閉じこもり春の訪れを待つ。
そんな冷え切った冬の日に、俺が冒険者ギルドで見つけた依頼は、
ジャジ牛の捕獲依頼
牧場から脱走したジャジ牛二十頭を連れ戻して欲しい
報酬 一頭につき大銅貨三枚(約三千円)
又はジャジ牛の乳小が樽一つ
依頼主 牧場主シャール
たまにある報酬が現物支払いの依頼だ。現金が無い場合、その報酬価値が釣り合えば冒険者ギルドが精査した後、受けることがある珍しい依頼。
小樽一樽の容量は、約五リットルぐらいだろうか。牛乳は高級品だ。しかも牛の品種により、その乳の価値は上下する。
ジャジ牛は牛型の魔物だが、攻撃性が低く温厚で、そのため捕獲し牧場経営が出来るそうだ。毛色は淡褐色~濃褐色までの単色で糊口を持ち。その乳は脂肪分が高く味は濃厚で、バターやチーズ、デザートの原材料としての人気が高く、しかも搾乳量は少なく市場に出る量には限りがあるという。その希少性もあって市場価格は瓶一本(約一リットル)で大銅貨一枚(約千円)はするだろう。
しかし、俺も全て聞いた話の受け売りで、知っているだけ。そんな高級品、未だ味わったことがなく、一度は飲んでみたいと願っていた。勿論それを使った料理もだ。
依頼主には悪いが、そのチャンスが巡ってきたと内心喜んでいる。ぜひ、この依頼を受けたい。
「これを」
「バン様、助かります。こう寒いと冒険者の皆さんは、あまり依頼を受けたがらないので」
「だろうな……」
俺が受付に依頼表を持っていくと、随分と有難がられた。この地域の冒険者は、基本秋までに仕事をこなし蓄え、冬は街中でのんびりと春が来るのを待つ。ルーキーや金のない冒険者ぐらいしか依頼は受けない。それだけフランシス王国の冬が厳しいということだが。
「では、あちらの皆さんと一緒に牧場へと向かって下さい。依頼主のシャール様から詳しい話を聞いて頂ければ」
「わかった」
どうやら、この依頼を受けた冒険者は俺だけではないらしい。あちらと言われた方を向くと、一回りは歳下であろう若者達が三名立っていた。
「君達もこの依頼を?」
「はい、よろしくお願いします」
「「「よろしくお願いします」」」
「こちらこそよろしく頼む。早速牧場へ向かうか」
「「「はい」」」
随分と礼儀正しい若者達で好印象だ。それに若さ故の覇気がある。おっさんの俺には、それがとても眩しく、自分が年老いたことを道中一人痛感していた。
彼らは、ここから少し離れた農村の幼なじみで結成したパーティーだそうだ。
「俺はバンだ。基本こいつと初級魔法を使う」
自分と担いでいる大剣を指しながら、まずはこちらから自己紹介をした。他の冒険者との合同依頼は初めてだそうで、緊張しているのが目に見えてわかったからだ。
「このパーティー「サトルヌス」のリーダーをしてます魔法使いのノアです」
「剣士のレオだぜ」
「僧侶を授かりしルイと申します」
農家出身ということもあって、牛の世話なら慣れているためこの依頼を受けたと言う。報酬は村へ仕送りに充てるそうだ。
できた若者達だと思う。自分が彼らくらいの頃は、まだまだその日暮らしも厳しかった。俺みたいなソロと彼らみたいに仲間がいる違いなのかも。
お互いの近況を話しながら向かっていると、外壁の門にたどり着く。冒険者登録のタグを兵士に見せ門を抜け、冷たい風が頬を刺す中しばらく歩くと、目的の牧場が見えてきた。広大な敷地に、いくつかの大きな建物が点在している。遠目にも手入れが行き届いているのが分かり、牧場主の牛たちへの愛情が感じられた。一際大きな小屋に近づくと、人の気配があった。小柄で白髪交じりの男性が、こちらに気づき小走りでやってくる。顔には疲労の色が濃く、牛がいなくなったことへの心労がうかがえた。
「ああ、冒険者の方々ですね!お待ちしていました!私が牧場主のシャールです」
シャールと名乗る男性は、駆け寄るなり深々と頭を下げた。
「依頼を受けたバンです」
「ノアです!こいつがレオでそっちがルイといいます。お役に立てるよう頑張ります」
「「頑張ります」」
俺が先に挨拶をし、若者たちも礼儀正しく挨拶を返す。シャールは彼らの覇気ある挨拶に少し顔を和らげた。まるで孫を見る祖父のようだ。
「ありがとうございます、本当に助かります。こんなに寒い中、来ていただけるとは思わなくて……どうぞ、こちらへ」
シャールは私たちを屋内の暖炉のある部屋へ案内してくれた。温かい飲み物まで用意してくれ、冷えた身体がじんわりと解けていく。
「全く困ったものでね。一昨夜の吹雪で柵の一部が壊れてしまい、そこから二十頭が逃げ出してしまったんですよ。ジャジ牛は温厚な性質ですが、臆病なところもありまして。遠くまで行ってなければ良いのですが……」
シャールは眉をひそめ、心配そうに語った。
「市場にはあまり出回らない高級な乳を出す牛ですよね?」
「ええ。特にこの二十頭は、私が長年大切に育ててきた系統でして……乳の質も量も、他のより少しばかり優れているんです。それに、皆名前を付けて愛情をかけていますから、単なる家畜というだけでなく、家族のようなものです」
シャールの言葉に、彼の牛たちへの深い愛情が伝わってきた。報酬目当てで来たとはいえ、その話を聞くと何としてでも見つけてあげたいという気持ちになる。
「逃げ出した方向など、何か心当たりは?」
「それが、壊れた柵の場所から裏手の森の方に向かったのは確認できたのですが、雪で足跡もすぐに消えてしまって……」
裏手の森か。冬の森は餌も少なく厳しい場所だ。
「ジャジ牛は臆病とのことですが、危険な魔物に襲われる可能性は?」
「森には多少魔物も出ますが、ジャジ牛は体が大きいですし、温厚とはいえ角もあります。おそらく群れで動いてるはずですから小型の魔物なら追い払えるかと。ただ、何より心配なのは寒さと、空腹による餓死が心配です……」
シャールはさらに、ジャジ牛は特定の草を好む傾向があることや、水場を定期的に探すことなど、彼らの習性について詳しく説明してくれた。農家出身のノアたちが、熱心にメモを取っている。彼らは牛の扱いには慣れていると言っていたし、きっと役に立つだろう。
「報酬の件ですが、一頭につき大銅貨三枚か、その代わりにジャジ牛の乳を小樽一つとのことでしたが、出来れば現物でもお願いします。ジャジ牛の乳、一度味わってみたかったので」
俺がそう言うと、シャールは少し驚いた顔をした後、嬉しそうに頷いた。
「助かります。あいにくと現金の、持ち合わせが少なく……その代わり無事に見つけていただければ、最高と呼ばれるゴールデンミルクを召し上がって頂きます」
「ゴールデンミルク、ですか?」
ノアが興味深そうに尋ねる。俺もその名前に心がざわついた。
「ええ。特に質の良いジャジ牛の乳は、黄金色に近い濃厚な色をしていることから、そう呼ばれています」
ゴールデンミルク。想像しただけで、寒さも忘れてしまいそうな魅力的な響きだ。
「シャールさん、詳しいお話ありがとうございます。では、早速ですが、教えていただいた森の情報を元に、捜索を開始したいと思います。バンさん、いいですか?」
「ああ、異論はないぞ」
ノアがリーダーらしく、今後の予定を伝えた。
「お願いします。もし何か手がかりがあれば、すぐに連絡をください。私も今一度調べ手がかりを探してみます」
俺たちは捜索に向けて、シャールさんから森の簡単な地図や、ジャジ牛が好みそうな場所の情報をさらに教えてもらうことにした。冬の森での捜索は骨が折れるだろうが、美味しいミルクと、何よりシャールさんの牛たちへの思いを考えると、やりがいのある依頼になりそうだ。
シャールさんから詳しい話を聞き終え、捜索について話し合う。広間の暖炉は、炎がパチパチと音を立てて燃えている。冷えた体が温まり皆が元気を取り戻す。
「森は広いですし、雪で足跡も分かりにくいでしょうから、闇雲に探しても効率が悪そうです。シャールさんの話だと、ジャジ牛は特定の草を好むって言ってましたよね?」
ノアが地図を広げながら尋ねた。
「ああ、そうだ。森の北東側には、ジャジ牛が好む『フユノカ』という白い草が群生している場所があるらしい。水場も近いから、そこを中心に探すのが良いだろうな」
俺が地図の特定の一点を指差す。
「なるほど。それなら、僕の索敵魔法と、レオの感知スキルで効率よく探せるかもしれません。もしジャジ牛が怪我をしていたらルイの回復魔法の出番です」
(((コクリ)))
「感知スキルは俺も使える。身体もデカいから俺が前衛でレオが殿で行かないか?」
「そうですね。森の中ですから背後も警戒しておかないと。バンさん、僕、ルイ、レオの隊列で進みましょう」
「わかった、後は俺に任せろ」
「怪我をしたら直ぐに行って下さい」
ノアが俺の意見も聞き入れながらリーダーらしく、てきぱきと計画を立てていく。レオとルイも真剣な表情で話を聞いている。若いながらも、しっかり考えて動けるパーティーだ。
「ジャジ牛は臆病らしいから、見つけても驚かせないように慎重にいく必要がありそうだな」
俺は自分の経験から注意点を伝える。大剣は担いでいるが、今回の依頼で振るう場面はおそらく無いだろう。必要なのは力ではなく、根気と細やかな観察力だ。
身支度を再度整え、シャールさんに見送られながら牧場を出発した。凍てつく空気が肺に刺さるように冷たい。昨夜降った雪で真っ白になった世界は美しかったが、同時にその厳しさも感じさせる。
いよいよ裏手の森へと足を踏み入れる。一歩踏み出すたびに、雪がキュッキュッと音を立てる。木々は白い雪を纏い、太陽の光を遮り、さらに気温が低いように感じられた。
「うう、さっむ!顔が凍りそうだぜ!」
レオが顔を覆いながら呟く。
「大丈夫か?ルイ、みんなに補助魔法をかけてくれないか?」
ノアがルイに頼むと手を組み祈り始める。すると優しい光が俺を含め皆を包んだ。レオの表情が少し和らぎ、俺も身体の熱が先程より逃げない感じがして驚く。
「さすがルイ!これで心置きなく探せるぜ!」
「ありがとう、ルイ」
「うん」
「まさか俺にも!?助かるが良かったのか?」
「勿論です。そんな慈悲無き行い神は悲しみます。皆で気を付けていきましょう」
ルイの聖職者らしい言動に頭が下がる思いだ。
俺たちはフユノカの群生地を目指して、慎重に進んでいく。雪深い場所では、足を取られないように気を付けなければならない。
「ノア、今反応があった。一度、索敵魔法で探ってくれるか?」
「わかりました『サーチ』」
俺の感知スキルに反応があったので、ノアに頼むと、目を閉じ杖を地面に挿し魔法を唱えた。すると微弱な魔力の波動が波紋のように広がっていく。
「この先の窪地に、何か大型の魔物が通ったような痕跡がありますね」
ノアが方向を指差し、俺たちはその方向へ向かった。近づいてよく見ると、確かに雪が不自然に踏み固められたような跡がある。しかし、吹雪のせいで具体的な蹄の形などは全く判別できない。
「これだけじゃ、他の動物かもしれないな……でも、可能性はある。周辺をもう少し詳しく探してみよう」
俺は慎重に周囲を観察する。レオは鋭い視線で木々の間を探し、ルイは地面のわずかな乱れも見逃さないようにしている。ノアは再び探知魔法を発動した。
冬の森は静寂に包まれており、自分たちの足音だけが響く。この静けさが、逆に緊張感を高める。二十頭もの牛が、この広大な森のどこかに隠れている。果たして、見つけられるのだろうか。
俺たちは、シャールさんから聞いた情報と、自分たちのスキルを頼りに、雪深い森の奥へと進んでいった。
寒さは容赦なく体力を奪っていくが、俺はゴールデンミルクの味を想像し自分を奮い立たせながら、一歩ずつ前へと足を進め続けた。
何度かノアの索敵魔法と俺やレオの感知スキルで痕跡を見つけるも、昨夜の雪が全てを曖昧にしていた。他の動物の通り道だったり、風で雪が崩れた跡だったり。一喜一憂しながら、それでも俺たちは歩を進めた。
「バンさん、そろそろお昼にしませんか?」
ノアが声をかけてくれた。言われてみれば、腹が減っていた。時間も経っている。冬の森での活動は、想像以上に体力を消耗するな。
「そうだな、休憩しよう。ルイ、ありがとう。補助魔法、すごく助かってる」
「いえ、お気になさらず。皆さんの役に立てて嬉しいです」
ルイの補助魔法のおかげで、凍えるような寒さの中でも体温を保てている。若い彼らも、慣れない冬の森での依頼に戸惑っているだろうに、弱音を吐かずに頑張っている。
切り株に腰を下ろし、それぞれ持ってきた保存食を口にする。俺は干し肉と硬いパンを齧った。ノアたちは、定番の素朴な携帯食を食べていた。
「それにしても、本当に広い森だな。このままだと、今日中に二十頭全てを見つけるのは難しそうだぜ」
レオがパンを千切りながら呟く。彼の言う通りだ。闇雲に探すだけでは、日が暮れてしまう。
「シャールさんの話だと、『フユノカ』の群生地はそんなに広くない。まずはそこを目指そう。それと探知魔法は控えてみないか?魔物は魔力に敏感だ。もしかしたら探知魔法を発動するたび、ジャジ牛達は逃げているかもしれない」
「わかりました。その可能性は高いかも」
ノアは俺の意見に素直に同意してくれた。俺は地図を改めて広げ、フユノカの群生地としてマークされている場所を確認する。現在地からまだ少し距離があった。
「そうですね。群れでいれば一度に見つけられますし、効率が良いです。休憩が終わったら、一気に群生地まで向かいましょう」
ノアが頷き休憩を終えると、俺たちは再び立ち上がった。ルイの補助魔法を再度かけてもらい、腹も膨れ足取りも少し軽くなった気がした。
フユノカの群生地へ向かう道すがら、森の様子が少しずつ変わってきた。木々の種類が変わり、地面を覆う雪の下から、かすかに緑が見え隠れする場所も出てきた。そして、あたりに漂う空気も、どこか穏やかなものに感じられる。
「この辺りですかね……」
ノアが立ち止まり、周囲を見回した。俺も感知スキルを最大限に集中させる。
――いた!
微弱ながら、確かに大型の魔物の気配を感じる。それも複数だ。この大きさと数、間違いない。
「ノア、この先の沢の近くに反応がある。かなりの数だ」
「本当ですか!?」
三人の顔に期待の色が浮かぶ。俺たちは慎重に、音を立てないように気配を消して沢の方へ近づいていった。
木々の隙間から見えた光景に、思わず息を呑む。
そこにいたのは、紛れもないジャジ牛の群れだった。淡褐色から濃褐色の毛色をした牛たちが、沢のほとりで身を寄せ合うように座り込んでいる。痩せている様子はなく、無事だったことに安堵する。彼女たちの足元には、うっすらと白い草が生えているのが見えた。フユノカだろう。
「いた!全頭無事みたいだな」
レオが感極まったように小さな声で言った。レオとルイも安堵の表情を浮かべている。
「見つけられて良かった」
俺も肩の力が抜ける。しかし、まだ捕獲という仕事が残っている。臆病なジャジ牛を刺激しないように、どう近づくかが問題だ。
「臆病らしいから、驚かせないように、ゆっくり近づこう。ルイ、回復魔法はいつでも使えるように準備しておいてくれ」
(((コクリ)))
俺は彼らに小声でそう伝えると、黙って頷いてくれた。俺がそっと前に出て、ノアとレオが左右に広がり、ルイが少し後ろからついてくる。
俺たちがゆっくりと近づくのを察知したのか、数頭のジャジ牛が警戒したようにこちらを見た。しかし、すぐに視線を逸らし、また身を寄せ合った。餓えや寒さで、そこまで警戒心が強くなっていないのかもしれない。
そっと手を差し出し、「大丈夫だよ」と語りかけるように近づいていく。ノアも杖を構えているが、攻撃魔法ではなく、何か別の魔法を使うつもりだろうか。レオは剣を鞘に収めたままだ。
一番近くにいた一頭が、恐る恐るという様子で立ち上がった。その眼差しは怯えているが、敵意は感じられない。
「大丈夫、シャールさんのところに帰ろう」
俺が優しく声をかけると、ジャジ牛は少しだけ首を傾げた。
ルイが後から、そっと魔法を唱え始めた。柔らかな緑色の光が牛たちを包み込む。それは鎮静効果のある魔法だろうか。牛たちの緊張が少し解けるように見えた。
シャールさんへ報告するためレオが戻った。俺たちはジャジ牛たちの護衛として見守っている。レオにおぶさったシャールさんが到着すると、彼は駆け寄ってジャジ牛たち一頭一頭の無事を確認し、涙ぐんでいた。
「おお、皆無事だったか!よかった……」
その姿を見て、この依頼を受けて本当に良かったと思った。
牧場に帰り着くと、シャールさんの声に従いジャジ牛たちは素直に柵の中へ入っていった。
「本当に、本当にありがとう、冒険者の皆さん!」
小屋の広間に入ると、シャールさんが俺達一人一人に感謝の言葉を繰り返す。彼が落ち着くと、ようやく報酬の話となったわけだが、
「三人共、良かったらゴールデンミルクの売り先に当てがあるんだがどうだ?おそらくかなり高く買ってくれると思うぞ」
「「「本当ですか?」」」
「あ、ああ……」
俺の提案に食いつく三人の勢いに思わず仰け反る。少し前に知り合った料理長の言葉を思い出した。彼なら信頼出来る。
「現物支給ということは、シャールさんもそこまで現金がないという事だろう。半数を現金で、もう半数分は現物で貰い売りに行かないか?もし王都まで持っていくのが面倒なら…」
「「「そうします!」」」
「そ、そうか……」
俺が話し終わる前に、食い気味に同意された。彼らには一人二樽、俺が四樽運べばいいだろう。現金化したら総額を四人で割ると決まった。今後の話が終わると、いつの間にかシャールさんが鍋とコップを四つ持ってきて、暖炉で温め始めた。すると、濃厚なミルクの香りが漂い始め広間に充満する。思わず目をつぶり鼻をひくひくさせ香りに集中すると、涎が口の中に溢れ腹が鳴った。
「お恥ずかしい……」
「はっはっはっ、先ずは皆さん、一息ついて下さい。搾りたてのゴールデンホットミルクです。召し上がって下さい」
「こ、これが、ゴールデンミルク……」
「「「ありがとうございます!」」」
確かに普通の牛乳よりかなり黄色味が強い。まるで前世で飲んだミルクセーキのような色だ。温められたことにより香りも強い。
脂肪分が高いため少しトロミがあるようにみえる。
俺が感動し、コップの中をじっくりと見ている最中、三人は直ぐに手に取り飲み始めていた。
「甘〜い!」
「濃厚だ〜!」
「美味しい〜!」
一口飲んだ彼らは満面の笑みで、感想を述べた。それをシャールさんは満足そうに微笑んでいる。さて俺も冷める前に、
「こ、これは……」
鼻から抜ける強いミルクの香り、濃厚で甘みのある味わい、ねっとりと舌を包んだかと思えば、サッと喉へと消えていく。ああ、口の中が幸せだ。そして温められたミルクが順番に身体の中を伝っていくのがわかる。喉を伝い胃に溜まると、全身にその熱がじんわりと広がっていく。そして驚くことに、魔力がみなぎってきた。
「あれ!?」
「うん!?」
「二人も感じたか」
「どうしたんだよ?」
魔法がまだ使えないレオだけが、俺達の反応を不思議そうに見ていた。
「シャールさん、ゴールデンミルクは魔力を回復する効果があるんですか?」
思わず俺はシャールさんに尋ねた。その答えを息を呑んで待つノアとルイ。
「私も毎日飲んでますが、そんな効果はないと思いますよ。あ!もしかして森の中で食べた物の影響かもしれません。それがなにかはわかりませんが……」
なるほど、確かにシャールさんは搾りたてと言っていた。そして普段はこんな効果も無い。なら、その考えが一番可能性が高そうだ。頭の悪い俺は、あまり深く考えないことにする。今はこの味を堪能したい。
「皆さん、今日はもう日が暮れます。帰られるのは明日になさっては?」
「依頼も達成しましたし、連泊など迷惑では?」
「正直こんなに人と話すのは久しぶりで楽しいのです。ご用事がなければぜひ泊まっていってください。夕食ではゴールデンミルクを使った色々な料理も召し上がって頂ければと」
「「「お世話になります」」」
「ははは……それじゃ、俺も遠慮なく」
即答する三人に苦笑いだ。しかし俺も色々な料理と聞いて直ぐにシャールさんの厚意に甘えることを決めていたのは内緒だ。
広間で休んでいると待望の夕食の時間となり、シャールさんに呼ばれ食卓へ四人で向かい、テーブルに並べられた料理を見た。焼きたての大麦パンからは香ばしい匂いが立ち上り、バターとハチミツの小瓶が食欲をそそる。中央の大鍋からは、湯気と共に濃厚な香りが漂う。色とりどりの野菜が煮込まれたシチューだ。そして、切り出されたばかりらしいチーズの塊。全てがシンプルながらも、心が温まるような光景だ。
ノア、レオ、ルイの三人は、遠慮がちにしながらも目を輝かせている。彼らも、こういう温かい手料理は久しぶりなのかもしれない。
「いただきます」
「「「いただきます」」」
俺の挨拶と共に、皆がそれぞれの皿に手を伸ばす。俺も大麦パンを千切り、盛られたシチューを掬った。
シチューは、見た目通りに具沢山だった。柔らかく煮込まれた根菜やキノコ、そして鶏肉。一口含むと、豊かな野菜の甘みと肉の旨みが口いっぱいに広がる。そして、その全てを優しく包み込んでいるのが、あのゴールデンミルクの濃厚なコクだ。
「う、美味い……!」
思わず声が漏れた。これは、単なるシチューではない。ミルクの自然な甘みと、素材の味を最大限に引き出すような、上品な味わいだった。一口、また一口とスプーンを進める手が止まらない。
「ほんとだ、バンさん!こんな美味しいシチュー、初めて食べました!」
ノアも感動した様子で言った。
「ああ、体の芯から温まるな!ゴールデンミルクって、こんなに料理にも合うんだな!」
レオはパンをシチューに浸して頬張っている。
「優しい味です。疲れた体に染み渡るようです」
ルイも静かに、しかし確実に料理を堪能している様子だった。
シャールさんは、俺たちの反応を見て嬉しそうに微笑んでいた。
「それは良かった。このシチューには、ゴールデンミルクをたっぷり使っているんです。バターもこのゴールデンミルクで作ったものですよ」
そう言って、シャールさんはバターを勧めてくれた。大麦パンにたっぷり塗って齧ると、鼻腔を抜ける芳醇な香りと、クリーミーな舌触りがたまらない。先程ホットミルクで感じた魔力回復の効果はなかったが、純粋にその美味しさに心が満たされた。
テーブル中央のチーズも試してみる。少し硬めのタイプだが、口に入れるとねっとりとした舌触りで、噛みしめるごとにミルクの旨みが凝縮されたような深い味わいが広がる。これは酒の肴にも、そのまま食べても最高だろう。
俺たちは夢中で料理を平らげた。シチューはおかわりを繰り返し、大きな鍋はあっという間に空になった。パンもチーズも全て食べ尽くした。腹がいっぱいになり、心も満たされる。こんなにも温かく、美味しい食事は、冒険者になってからそう多くは経験していない。
食後、シャールさんは暖炉の火を囲んで、ジャジ牛たちの話や、若い頃の冒険譚を語ってくれた。俺たちも、今回の捜索や、自分たちの故郷の村の話などをした。若い三人は、シャールさんの話に興味津々で、目をキラキラさせて聞いていた。彼らの素直さや、未来への希望に満ちた様子を見ていると、自分の若い頃を思い出し、どこか懐かしく、少し気恥ずかしくもなった。
その夜は、美味しい料理と温かい場所、そして人との交流で、心身ともに深く癒された。
◆
翌朝、清々しい目覚めだった。シャールさんが朝食にと用意してくれたのは、またもゴールデンミルクを使ったシンプルなオムレツと、残りの大麦パンだった。オムレツは中がトロトロで、ミルクの優しい甘みが卵と絶妙に合わさり、これまた絶品だった。
朝食を終え、シャールさんにお礼を言って牧場を出発する準備をする。シャールさんは、見送りの際に改めて深々と頭を下げた。
「本当に、本当にありがとうございました。皆さんのおかげで、大切な家族が無事戻ってきました。感謝してもしたりません」
「いえ、当然のことをしたまでです。シャールさんの牛への愛情に触れて、私たちも頑張れました」
ノアが代表して答える。
報酬として、現金とゴールデンミルクの小樽を受け取った。俺は約束通り四樽、ノアたちは一人二樽ずつ受け取った。小樽はずっしりと重く、昨日の味を思い出すと中身が貴重なものであること改めて感じる。
「では、お世話になりました」
「「「お世話になりました」」」
俺達そう言うと、シャールさんは、
「お気をつけて。気軽に遊びに来て下さい」
と優しい笑顔で見送ってくれた。
冷たい冬の空気を吸い込み、俺たちは王都を目指して歩き始めた。雪に覆われた道は昨日よりも少し歩きやすく感じられた。
王都に着くと、俺はノアたちを連れて、以前依頼を受けたジロール男爵邸へと向かった。門番も俺を覚えていてくれたのでスムーズに引き合わせてもらえた。
料理長は俺たちが持ってきた小樽を見るなり、直ぐに中身を確かめる。
「これは素晴らしい!最高のゴールデンミルクじゃないか!よく手に入ったな!」
「シャール牧場の品です」
「なんだと!?あの堅物じいさんのところか!」
「知り合いなら、少量融通すると言ってましたよ」
「わかった、直ぐに使いを出す」
料理長は、すぐにその場で相場より高く買い取ってくれた。予想以上の額に、俺達は驚き、そして満面の笑みを浮かべる。
「バンさん、ありがとうございます!こんなにたくさん…!」
ノアが深々と頭を下げた。
「俺たちだけじゃ、こんなに高く売れなかったと思います!」
レオも興奮気味に言う。
「仕送りが、随分と楽になります…」
ルイも安堵の表情を浮かべていた。
「いや、皆で頑張ってジャジ牛を見つけからだ。それに、俺一人じゃ二十頭も連れ戻すのは大変だっただろうからな。今回の依頼は、本当に助かったよ」
俺は素直な気持ちを伝えた。若い彼らの素直さと、依頼への真剣な姿勢は、俺にも良い刺激になった。
料理長に改めて感謝を述べ、屋敷を出ると、いよいよ別れの時だ。
「バンさん、今回は本当にありがとうございました。短い間でしたが、色々勉強になりました」
ノアが丁寧に挨拶をした。
「おう!またどこかで会えたら、今度は一緒に美味しいもん食いに行こうぜ!」
レオは少し寂しそうにしながらも、明るく言った。
「お元気で。また、ご一緒できれば嬉しいです」
ルイも穏やかな声で見送ってくれた。
「ああ、君たちもな。いつかまた、こうして一緒に依頼を受けることがあるかもしれない。その時はよろしくな」
俺は彼らにそう伝え、手を振った。三人も笑顔で手を振り返し、王都の賑わいの中へと消えていった。
一人になった俺は、手に残った現金の重みを感じながら、今回の依頼を振り返った。厳しい冬の寒さの中での捜索、シャールさんの牛への愛情、そして何より、あのゴールデンミルクの忘れられない味。そして、若い彼らとの共同作業。一人でこなす依頼とは違う久しぶり経験だった。
今回の報酬で、しばらくは宿と食料に困ることはないだろう。
次はどんな依頼を受けようか。そしてどんな素晴らしい料理に出会えるだろうか。そんなことを考えながら、俺は冬の街並みをいつもの宿に向かって歩き出した。兄貴は元気にやってるだろうか……




