2話 ロイヤルサーモンのサンドイッチ
領都フランシアはすっかり秋の装いに変わり、街路樹の葉は燃えるような赤や鮮やかな黄金色に輝き、秋風が心地よく肌を撫でる。
俺も厚手の服に衣替えし、使い慣れたマントを羽織って季節の変化に対応していた。
冒険者の活動範囲が広がるこの時期は、実りの秋ということもあって、珍しい依頼も増える。そんな季節の到来と共に、多くの店先に並ぶ馴染みの食材があった。
ソルジャーサーモン。
もちろんただの魚ではない。魚系の魔物だ。だが、皆特に気にせず魚と認識し、親しみを込めてサーモンと呼んでいる。秋になると、領都フランシアの近くを流れるロワル川へ、海から産卵のために遡上してくる。その漁獲量は豊富で、美味く安価な魚として領都全域に卸される。
そんな庶民の味方ともいえる食材が、腕利きの料理人の手にかかると素晴らしい料理へと変わる。ソテーにムニエル、マリネにカルパッチョ。色々とあるが、俺が今一番気に入っている料理、それはサーモンサンドだ。
バゲットの横に切れ目を入れ、葉野菜とタマネギの千切り、そして肉厚なソルジャーサーモンのソテーをこれでもかと詰め込んだサンドイッチ。
冒険者ギルドで報酬を貰い、今日もいつもの屋台へと足が向く。
「うっす、バンの旦那」
「ジャン、いつもの二つくれ」
鉄板で大量のソルジャーサーモンの切り身を焼きながら、収納袋からバゲットを取り出して切れ目を入れている屋台の店主、猫人族の獣人ジャン。彼に大銅貨一枚を支払い注文すると、顔を上げて問いかけてきた。
「まいど。俺っちが言うのもなんだけど、最近、毎日ウチのサンドイッチを買ってくれるけど、飽きないっすか?」
「まったく飽きないぞ。この時期にしか食べられないソルジャーサーモンだ。それにこのボリュームでこの安さ。何より美味い!」
愚問だな。美味いんだから仕方がない。それにこのボリュームでこの値段だ。お陰で俺も目標金額が溜まりそうだ。
「そんなに気に入ってくれるとうれしいっす。ほい、出来たっす。いつも通りソース有りとソース無しっす」
「ありがとな。早速頂くぞ」
商売の邪魔にならないよう屋台横の広場へ移動し、先ずはソース無しのサーモンサンドを齧り付く。
(あ〜、いつ食べても美味い。うんうん、この味だ)
食べながら自然と口角が上がってしまう。シンプルな塩味で味付けされた肉厚なサーモンを噛めば、そこから滲み出る素材本来の旨味のエキス。脂も乗っているが、魚だからかサラリとしている。タマネギのシャキシャキした食感が心地よいアクセントとなり、その辛味で口の中がリセットされ、もう一口と欲しくなる。そしてあっという間になくなってしまった。
「ふう〜。それじゃあもう一つ」
「旦那は美味そうに食うっすね」
「美味いんだからしょうがない」
「ありがたいっす」
そして特製ソースが掛かった二つ目に齧り付く。柑橘の爽やかな香りとバターの香りが鼻から抜け、濃厚な味が直ぐに舌へと伝わる。それが口の中で香ばしく焼かれたソルジャーサーモンと混ざり合い、複雑で奥深い味わいを醸し出す。最後に口に残るのはサッパリとした酸味で、また濃厚な味わいを求め齧り付くという無限ループだ。
客の中では、シンプル派とソース派と別れているらしいが、俺には選べない。それぞれの良さがあり、悩んだ末に「どちらも頼んでしまえばいい」という結論に至った。
「ごちそうさん。いや〜食った食った」
「あっ、バンの旦那。今週末の護衛、くれぐれもよろしくっす」
「ああ、任せてくれ。俺も楽しみだ」
若い男性でも一つで腹一杯になるほど大きなサーモンサンドを、いつも通り二つ平らげ宿に帰ろうとすると、ジャンから受けた護衛依頼の件に念を押された。
今週末、ロワル川で祭りが開催される。今年の大漁を祝い、来年の豊漁を願うサーモン祭りだ。その祭りでは、普段漁業権を持ち管理している河川ギルドへ参加料を払えば、ソルジャーサーモンが一般人でも直接捕れるらしい。仕入れを安く済ませたいジャンは毎年参加しているらしいが、ロワル川までの道中、祭りに向かう客を狙う盗賊や、取ったサーモンを狙う魔物が現れるため、ジャンに頼まれ護衛を受けた。もちろん、俺もジャンと一緒に祭りに参加し、ソルジャーサーモンを獲る予定だ。
◆
祭りの日。領都フランシアは早朝から活気に満ちていた。ロワル川へ向かう人々で街道は賑わい、誰もが豊漁への期待に胸を膨らませている。俺もジャンと冒険者ギルド前で待ち合わせ、他の商人たちと乗り合い馬車に乗り込む。
「旦那、昨日はぐっすり眠れたっすか?」
隣に座ったジャンが、いつもの明るい声で話しかけてくる。
「祭りに参加できると思うと楽しみで、少し寝付けなかったな」
「楽しみなのはいいことっすけど、護衛の最中っすから油断は禁物っすよ」
「分かってるさ。きっちり役目を果たさせてもらうよ」
馬車に揺られながら街道を進む。領都を出るとすぐに、色づいた森が両側を覆い始めた。木々の間から差し込む陽光が、絨毯のように広がる落ち葉をきらめかせる。
道中、大きなトラブルは無かったが、小型のゴブリンや低級の魔物が姿を見せるたび、俺と他に乗り合わせてる冒険者とで素早く対応すた。
昼過ぎには視界が開け、ロワル川の雄大な流れが見えてきた。川幅は広く、ゆったりと蛇行している。そして、その広大な河川敷には、既に無数の人々が集まり、臨時の街が出現したかのようだった。色とりどりのテントや露店が立ち並び、祭りの活気で溢れている。これがサーモン祭か。初めて来たわけではないが、何度体験してもその賑わいには圧倒される。
「着いたっすよ、旦那! さあ、早く受付を済ませて、最高の漁場を確保するっす!」
ジャンは待ちきれないといった様子で、馬車を降りるなり受付へと駆け出した。俺も後に続く。河川ギルドの受付で参加料として大銅貨二枚を支払い、漁業許可証と簡単な漁具を借り受ける。ソルジャーサーモンの漁に使われるのは、一般的な釣竿ではなく、先端に複数の鉤がついたモリや、小型の網が主流だ。奴らは力が強く、動きも素早い上に、ジャンプしての体当たりや水属性の魔法を放ってくることもあるらしい。
許可証を受け取った俺たちは、人でごった返す河川敷を通り抜け、少し下流の比較的空いている場所を目指した。
「今年は例年より豊漁だって噂っすから、期待できるっすよ!」
ジャンの言葉通り、川面をよく見ると、黒っぽい魚影が無数に遡上しているのが分かる。あれがソルジャーサーモンか。その量に改めて圧倒される。
良さげな場所を見つけ、早速、受け取ったモリを構える。川底は浅く、ソルジャーサーモンは比較的上層を泳いでいるため、狙いを定めやすい。
「いくっすよ旦那!」
「おう」
狙いを定め、モリを振り下ろす。ソルジャーサーモンはモリが近づくと素早く逃げるが、なにせ数が多いため、一振りで数匹に鉤が掛かることも珍しくない。掛かったソルジャーサーモンは想像以上に力が強く、暴れまわる。川の中に引き込まれないよう、しっかりとモリについたロープを握り、岸へと引き寄せる。
体長は五十センチから一メートルほど。筋肉質で、見た目は確かに魚だが、その引きの強さと時折放たれる魔法で魔物だと改めて認識する。ジャンも慣れた手つきで次々とモリや網でソルジャーサーモンを獲っていく。獲った魚は、鮮度を保つためにジャンが持ってる収納袋に素早く仕舞われる。俺も負けじと、黙々とソルジャーサーモンを仕留めていった。
「いやー、獲れる獲れる! これでしばらく仕入れはバッチリっす!」
肌寒い気候ながらも汗を流しながら、ジャンは実に楽しそうだ。俺も負けずと獲るたびに、ズシッと来る感触が心地よく、ついつい夢中になる。
しばらくソルジャーサーモンの漁を続けていた時だった。ジャンの隣でモリを構えていた俺は、川面を遡上する一つの影に目を奪われた。
他のソルジャーサーモンとは一線を画す、圧倒的な大きさ。そして、その魚体は通常の黒っぽい色ではなく、太陽の光を反射して、光沢のある銀色に神々しく輝いていた。まるで王族が纏う絹織物のように滑らかで美しい鱗だ。体長は優に一メートルを超える。
「……ジャン、あれ、見ろ」
思わず息を呑んで指さす。ジャンも俺の視線の先を追い、その光景に目を見開いた。彼の猫の耳が、ピンと逆立つ。
「なっ……! あれは……! ま、マジっすか……!」
ジャンの声が震えている。彼の目が、その銀色の巨体に釘付けになっていた。
「もしかして……幻のロイヤルサーモンっすか?」
ロイヤルサーモン。
その存在は、ベテランの冒険者や古老の漁師たちの間で囁かれる言い伝えのようなものだ。
ソルジャーサーモンの上位種であり、数十年、あるいは数百年に一度しか目撃されないと言われているらしい。その肉は比類なき美味であり、食べれば力を授かり、不老長寿にも効果があるという途方もない尾ひれの付いた噂まである。だが、その姿を見た者はほとんどおらず、捕獲できた者など歴史上にも数度しか記録がない、まさに「幻」の存在だとジャンが口早に熱く語ってきた。
銀色に輝く巨大な魚影に、周囲のソルジャーサーモン達は道を譲る。優雅に、力強く、流れを遡上してくる。その威容は、ただの魚のそれを遥かに超えていた。周囲で漁をしていた人々も、その異様な姿に気づき始め、どよめきとざわめきが波紋のように広がっていく。モリや網を構える者もいるが、その神々しさや、あるいは未知の存在への畏れからか、誰もが動きを止め、ただその「主」の姿を見守っている。まるで時間が止まったかのようだった。
「旦那……あれ、本物っすよ……! あのロイヤルサーモンが、こんな間近に……! 信じらんないっす……!」
ジャンの興奮と動揺が入り混じった声が、俺の耳に届く。彼の全身から、期待と緊張がないまぜになった気配が放たれていた。
「……獲るか、ジャン」
俺はモリを握り直し、静かに言った。獲れる可能性は低い。伝説と呼ばれるほどの存在だ、簡単に捕まるとは思えない。だが、目の前に現れた「幻」を見過ごすほど、俺は大人しくできていない。冒険者としての血が、止めどなく騒ぎ立てる。そして、どれほど美味いのか、この舌で確かめたいという、純粋で抗いがたい食欲もあった。いや、正直その気持ちが強かった。
「……! もちろんっす! 俺っち、あれを仕入れて、最高のサーモンサンドにするっす! この幸運を逃す手はないっすよ! 」
商売人としての、そして一人の料理人としてのジャンの矜持だろう。彼の顔つきが、真剣なものへと変わった。高揚感で頬がわずかに紅潮している。彼はモリを構え、ギラギラとした目でロイヤルサーモンを見据えた。
周囲の人々が固唾を呑んで見守る中、俺とジャンは、幻のロイヤルサーモンに狙いを定めた。それは壮絶な戦いの幕開けだった。
俺とジャンがロイヤルサーモンに狙いを定めたその瞬間、異変が起きた。それまでただ流れを遡上していた無数のソルジャーサーモン達が、一斉に川上では無く俺たちに向かって向きを変えたのだ。それはまるで王に仇なす不届き者を見つけたかのような、敵意に満ちたものだった。
「なっ……なんっすか、急に!? こいつら、俺たちを狙ってるっす!」
ジャンが驚きに声を上げる。彼の猫の耳が、警戒心いっぱいに後方に寝た。周囲からも、ソルジャーサーモンたちの異様な行動に気づいた人々が、悲鳴や動揺の声を上げながら距離を取り始める。
次の瞬間、ソルジャーサーモンの群れが猛一斉に俺達に水魔法を連続で放ってきた。こちらにモリや網を構える隙を与えない。次に奴らはその強靭な体で岸辺にいる俺達に向かって飛び上がり高速で突っ込んでくる。まるで生きた魚雷だ。その攻撃は、単なる威嚇ではなく、明確な殺意を含んでいた。
「くそっ、ロイヤルサーモンを守ってるのか! 」
俺は反射的に魔法を避けモリを振り上げ、突っ込んでくるソルジャーサーモンを叩き落とす。だが、次々と別の奴が魔法を放ち襲い掛かってくる。体長一メートルの筋肉の塊が飛び掛かってくるのだ。生半可な力では受け止めきれない。まともに食らえば無事では済まない。
ジャンも網やモリを使って応戦しているが数が多すぎる。網を構えても、数匹が同時に突っ込んできて網ごと吹き飛ばされそうになる。「うわっ!」と短い悲鳴を上げながら、必死で網にしがみついていた。
「旦那、こいつら、いつもと違うっす! まるで訓練された兵隊みたいっす!」
「分かってる! 全く厄介極まりないな!」
俺たちはソルジャーサーモンの猛攻を捌くのに手一杯で、ロイヤルサーモンを狙うことさえままならない。まさに死闘だ。
その間にも、銀色に輝くロイヤルサーモンは、悠然と、しかし確実に距離を詰めてくる。その巨体から放たれる威圧感は、ソルジャーサーモンの群れとは比較にならない。そして、俺たちから十メートルほどにまで近づいた時、奴が動いた。その意識が俺たちに向けられたように感じた。
ロイヤルサーモンの周囲の水が、不自然に膨れ上がる。まるで巨大なドームを形成するかのように水が隆起し、その中に奴の姿が浮かび上がった。ただの水ではない。強い魔力を帯びて、淡く銀色に光っている。次の瞬間、隆起した水が一気に収束し、俺たち目掛けて強力な水の奔流となって放たれた! それはまるで前世で見た消防車の放水のようだった。
「危ないっす、旦那!」
ジャンの切羽詰まった叫び声と同時に、俺は咄嗟にマントを翻し、腕で顔を庇う。その威力は、まるで岩石のような質量と勢いを持っていた。全身砕かれるような衝撃だ。
ドォォン!
衝撃と水飛沫が周囲に降り注ぐ。俺とジャンは水の勢いに弾き飛ばされ、地面に背中を強く打ち付けた。「ぐっ!」と呻き、息が詰まる。全身が痺れたような感覚。
「かはっ……ちくしょう、なんて威力だ……! 」
肋骨が軋むような痛みに顔を歪める。ソルジャーサーモンの放つ魔法とは桁違いの攻撃だ。一撃でこれほどのダメージを受けるとは、想像以上だった。
ジャンのモリも、強力な水流を受けて柄が折れ曲がっている。俺のモリも使い物にならない。網もどこかに飛ばされてしまった。借り受けた漁具は全て破壊され焦りが募る。
「くっ……モリが……旦那、大丈夫っすか!? 「ああ、なんとか……ロイヤルサーモンの奴、 化け物だな……!」
ロイヤルサーモンは、最初の強烈な一撃の後も、間髪入れずに魔法を放ってきた。今度は水面が波立ち、鋭利な水の刃となって連続で襲い掛かってくる。水の刃は辺りの木々を容易く抉り取るほどの切れ味だ。ヒュン、ヒュンと耳元をかすめる音に、思わず体が竦む。俺はジャンから注意をそらすよう前に出て身を屈め、飛び交う水の刃を必死で避ける。少しでも動きが遅れれば、肉を斬り裂かれるだろう。
さらに悪いことに、ロイヤルサーモンの魔法は、俺たちを攻撃するだけではなかった。奴が尾鰭を力強く一閃すると、ロワル川全体の流れが乱れた。本来は穏やかなはずの川の流れが逆流し出した。その威力に足元の地面までも揺れ動いている。
「な、なんっすか! 立っていられないっす!」
ジャンがバランスを崩しそうになる。「踏ん張れ、ジャン!」と俺は叫ぶ。地面まで揺れ足元が定まらない状況。
ソルジャーサーモン達も、このタイミングで、飛び掛かってくる頻度が増えた。物理的な猛攻に視界を遮られ、足場を奪われる。まともにロイヤルサーモンを狙うどころか、奴の強力な魔法とソルジャーサーモンの群れから身を守るだけで精一杯だ。幻の魚は、想像以上に手ごわい相手だ。このままでは、漁どころか、無事に切り抜けることすら危ういかもしれない。逃げるべきか? 一瞬、そんな考えが頭をよぎる。だが、このチャンスを逃すわけにはいかない。
「ジャン、身を隠せ! 」
俺は背に担いでいた大剣の柄に手をかけた。大剣を抜くのはやりすぎかとも思ったが、もはや漁のレベルではない。これは魔物との、いや、文字通りの「王」との戦闘だ。覚悟を決める。
「分かったっす、旦那! 無理しないでくださいっすよ!」
ジャンが後退し大岩の陰に身体を隠した。そして俺はロイヤルサーモンに向かって真っ直ぐゆっくりと歩きに始める。ソルジャーサーモン達が突っ込んでくるのを大剣の腹で撃ち落とし、放ってくる水魔法は大剣に魔力を注ぎ叩き切る。
「邪魔だぁっ!」
砕けた水飛沫が嵐のように降り注ぎ、視界を奪う。冷たい飛沫が顔にかかり、思わず目を細める。
その隙を狙ってか、先ほど俺たちを吹き飛ばした強力な魔法を放つ前の予備動作に似ている!
(次の攻撃が来る! しかも、さっきより規模が大きい!)
ドォォン!
そしてまともに食らってしまった。しかし来ると分かれば耐えられた。
「くそっ、一撃が重すぎる!しまっ……まずい!」
俺が体制を崩すと、再び水魔法が放たれた。
「がはっ! ああぁっ!」
まさかの連続攻撃。激痛が全身を駆け巡り、肺から空気が押し出される。あまりの痛みに、意識が遠のきそうになる。
「旦那ァァッ!」
ジャンが俺の名前を叫ぶ声が聞こえる。駆け寄ろうとする気配を感じるが、ソルジャーサーモンの群れがそれを許さない。
朦朧とする意識の中、銀色に輝くロイヤルサーモンが、ゆっくりとこちらに近づいてくるのが見えた。まるで俺を値踏みするかのように。同時に、どこか冷たい、生物としての格の違いを見せつけられているような感覚。
しかし、その余裕、傲慢さが、奴の唯一の隙だ。この一瞬しかない!
「ハァアッ!」
俺は残った力を振り絞り、大剣に魔力を込めてロイヤルサーモン目掛けて放った。狙いはロイヤルサーモンの最も魔力が集中しているであろう、銀色に輝く額目。
キンッ! と甲高い音が響き渡り、ロイヤルサーモンの額から銀色の光が弾け飛ぶ。巨体が大きく震え、魔法で操られた川の流れも、緩やかになっていくのが感じられた。
ロイヤルサーモンはすでに戦意を失っていた。力なく水面に漂い、やがてその銀色の鱗の輝きを失っていく。その眼から、知性の輝きも消え失せていた。
主が倒れれば、兵も散る。ロイヤルサーモンの力が完全に失われると、ソルジャーサーモンの群れも、潮が引くように攻撃を止め、再び上流へと遡上を始めた。まるで、何もなかったかのように。彼らもまた、その主に仕えていただけなのかもしれない。
ロワル川の河川敷には、激しい戦いの爪痕だけが残された。抉られた地面、砕け散った石、そして呆然と立ち尽くす俺とジャン、そして遠巻きに見守っていた人々。そして、水面に横たわる、巨大な銀色の魚体。
「はぁ……はぁ……や、やったっすね……旦那……! 死ぬかと思ったっす……!」
ジャンが駆け寄ってきて労いの言葉をかけてくれた。俺も、緊張の糸が切れたように、その場にへたり込んだ。
「ああ……やったぞ、ジャン……。仕留めた……幻の、ロイヤルサーモンを……! クソ、痛ぇ……」
全身が痛む。漁具は全て壊れた。だが、最高の獲物がここにある。仕入れを当てにしていたジャンには、これ以上ない獲物だ。それどころか、幻の魚だ。
「……旦那、これ、マジっすか……! マジで仕留めたんすか……!?まるで夢みたいっす……!」
ジャンがロイヤルサーモンを見つめる。その目は歓喜と興奮、そして信じられないといった驚きに輝いていた。
周囲の人々から、遅れて大きな歓声と拍手が巻き起こった。戦いの間は恐怖で見守ることしかできなかった人々が、一斉に安堵と興奮の声を上げたのだ。幻のロイヤルサーモンを、目の前で、この目で見たのだ。そして、それが仕留められた瞬間に立ち会えたのだ。その場にいた誰もが、歴史的な瞬間の目撃者となった。人々が少しずつ近づいてくる。
ジャンの手際の良い捌きによって、巨大なロイヤルサーモンはあっという間に解体されていく。その身は、まさに宝石のような輝きを放つ、濃いオレンジ色だった。一切臭みがなく、川の清涼な香りを帯びているかのようだ。その肉片一つ一つから、微かな魔力のようなもの、あるいは何かしらの「力」を感じるような気がした。言い伝えの「力を授かる」という噂は、単なる噂ではないのかもしれない。
祭りの賑わいは続いているが、ロイヤルサーモンの解体と調理、俺は手伝いに没頭し、サーモンサンドの準備を進めた。
そして、ついにその時が来た。こんがりと焼かれたバゲットに、新鮮なロイヤルサーモンの切り身が生と半生とソテーの三種が惜しげもなく挟まれている。見た目にも美しい、まさに芸術品のようなサーモンサンドが完成した。その放つ香りは、これまでのソルジャーサーモンとは比較にならないほど芳醇で、食欲を極限まで刺激する。
「先ずは旦那、どうぞっす! 戦いの後の腹ペコには、これが一番っす!」
ジャンが差し出すサーモンサンドを受け取る。ずしりとした重みがある。ふわっと香る、今まで嗅いだことのない芳醇な香り。一口噛み締めると、とろけるようなロイヤルサーモンの様々な食感と、濃厚な旨味が口いっぱいに広がる。舌の上でとろけながらも、確かな肉の存在感がある。濃厚なのに全くしつこくなく、清涼感さえある。そして、噛み締めるたびに、体の奥底からじんわりと温かいものが湧き上がってくるような感覚があった。疲労が和らぎ、力が漲ってくるような不思議な感覚。これが、ロイヤルサーモンの力なのか?
「……うまいっ! ジャン、これは……これはヤバいぞ! 本当にヤバい!」
俺は感動のあまり、思わず叫んだ。今まで食べたどんなサーモンサンドも、これには遠く及ばない。この味が、あの壮絶な戦いを経て手に入れたものだと思うと、さらに味わい深く感じられた。痛みさえも、この美味さの前には霞んでしまうかのようだ。
ジャンも自分の作ったサーモンサンドを頬張り、感無量といった表情を浮かべている。彼の猫の目が、満足げに細められている。
「本当っね……比べ物にならないっす……」
ロワル川の河川敷に響く賑やかな祭り囃子を聞きながら、俺とジャンは最高のサーモンサンドを味わった。そして体の芯から力が湧き上がるような不思議な感覚。あれほど苦労して、満身創痍になって、命の危険すら感じた戦いの末に掴み取った成果が、今、この最高の味として俺の中にある。
伝説のロイヤルサーモン。本当にヤバい美味さだった。そして、この体に残る、あの得体の知れない力。これが、幻の魚の真髄なのか。単なる栄養補給とは違う、もっと根源的なものに触れたような感覚だ。今日の経験は、ただ腹を満たしただけのものじゃない。
最高の獲物を仕留めた、最悪の戦いだった。これからの冒険で、きっと何かの糧になるだろう。この味も、この力も。
いや、難しいことは考えなくていいか。今はただ、ジャンと最高のサンドイッチを食えた。最高の秋の味覚を堪能できた。それで十分だ。
次はどんなものが食えるだろうか、そんなことを考えながら、俺はサンドイッチをもう一口、噛み締めた。