大乘蓮華寶達問答報應沙門經第十六 ~火丸仰口地獄
地獄めぐりもこのへんから後半戦に入ります。筆者もちょっとつらくなってますけど、一緒にかんばってください!
宝達は火丸仰口地獄へやってきた。
広さは約560km。鉄の城壁と鋼の網があり、火が巻き起こって罪人を焼いている。城は四角く、猛風が鉄の城壁にふきつける。すると、そこらじゅうにある丸い鉄球がふき飛ばされ、鋭い刃物のような火を噴く。空中で鉄球がぶつかって、雷のような轟音を立て続けている。
南門に10万人ほど罪人がいて、その沙門たちの悲痛な声が歌のように響いていた。
「我々は何の罪でこんなことになってるんだ!」
彼らは体が裂けるほどの大声でそう絶叫している。
その口の中に、燃える火球が叩きつけられる。口から飛び込んだ火球は、体内を破壊して下から突き破って飛び出す。
毛穴まですべて、体中が燃え尽くされる。1日1夜で受ける苦痛は量り知れない。
宝達は馬頭羅刹の一人に問う。
「この沙門たち、なんでこんな目に遭ってるんスか?」
馬頭羅刹が答えるには、
「この坊づどもは前世で、出家し戒律を受けておきながら因縁を畏れなかった。美味い食い物を自分だけが食ってひとには与えず、それを反省しなかったんだ。その因縁でこの地獄に落ちたのさ」
宝達はこれを聞き、悲しみに泣きながら立ち去った。
そりゃ、美味いもんの独り占めはいけませんよね。
食い物の話題が出たところで、ひとつ蛇足話を。
本編とはあんまし関係ない雑談なので、興味ない読み手さんはここで「つづく!」と飛ばしちゃってください。
以前、四諦のお話をしましたね、「苦・集・滅・道」の四つの悟りのことを。
その四諦の修行を食事療法に例えてみましょう。僕がためしたのはアレルギー対策の食事療法ですが、わかりやすく一般的な痩身ダイエットに置き換えてみます。すると、
苦諦(問題):食わなきゃ死ぬが食えば太る、と悟る
集諦(原因):食うのは食欲に操られてるからだ、と悟る
滅諦(対策):食欲を適切に調節すれば死なずに太らない、と悟る
道諦(実践):食欲を適切に調節する方法を訓練する
まず、「食わなきゃ死ぬが食えば太る」ということは誰でも知ってると思います。つまり「生きることは太ることであると明らめてる」……おお、苦諦(問題の明確化)はすでにクリア♪
で、どうするかですが……
「太ってもかまわないから食欲優先」?
「食っても必ずみんな太るとは限らない、自分だけは太らないと信じる」?
「まったく食わなけりゃいい、死んででも痩せる」?
それらに似た考え方はそれぞれ「六師外道」の中にあったようです、、、でも仏教の場合は違うので……次に行きましょう。
「食えば太る」と苦諦を悟ったところで、次は集諦(原因の究明)です。
食えば太るとわかっちゃあいるが、やめられない、とします。意志の力だけでスッパリ食事制限できる人はそれで解決ですけども、それは苦しくてどうしてもやめられない人もいるし、あるいは無意識に食ってしまうという人のほうが多いことでしょう。
食欲を意志の力で抑えられないのは、食ってしまう因縁があるからです。主観的には「飢えた悪霊=餓鬼に取憑かれている」みたいな感覚でしょうか。
だからここは「私は業が深いんだなぁ」と自覚してみましょう。
前世で食うものも食えずに痩せ衰えていたのかもしれません。あるいは、先祖が家畜か何かに過剰に食わせて太らせた報いかもしれません。飢えてる人や太ってる人を馬鹿にした悪行の報いかもしれません。そのへんは「宿命通」の力でもなきゃわからないけど、そういう原因があっての因縁、と考えてみます。
でも、こうやって自分を省みる機会を得たのもまた何かの因縁……他の宗教風に言えば神様のくれたチャンス。そう思って、このまま食欲の暴走を放置はせず、なんとかしたいと決心した……としましょう。
それは、「あきらめて現状維持する」のではなく「現状打破の向上心を抱いた」、仏教でいう「発菩提心」という現象です。
発菩提心したところで、「そういう業があるなら潔く罰を受け入れよう。自分だけ抜け駆けするのは行為として美しくない、みんなと一緒に太ろう。今回、太って苦しんでもその分だけ来世には痩せるだろう」と考えるのが来世成仏です。
それもひとつの生き方で、現代の日本の仏教のメインストリームではあります。ある意味、人間として道徳的で、正しくないとも思わない。
けれどもそっちへ行くと四諦の話からは外れてしまうので、今回は反対方向、「悟りを開き阿羅漢になる」すなわち「業を減らして痩せる」という自力救済へとダイエット話を進めましょう。
自分だけ成功してあとはシカトしてしまうならそれは「小乗の辟支佛(自分だけ解脱して他人を救わない仏)」ってことになっちゃいますけれど、体験からつかんだコツを他の人にも教えてあげられるようになれば「大乗の菩薩」ですから。
え、おせっかい? まあどっちでもいいですけど。
気を取り直して、滅諦(対策の立案)へ行きましょう。ここでは、「よくない食べ物とは何か。何が含まれてるからいけないのか。そして、逆に必要な栄養素を含む食べ物は何か。必要な栄養素はどんな食べ物に含まれているのか。どんな調理法をすれば美味しくイイ感じに摂取できるのか。どんな組み合わせはよくないのか。自分のような生活パターンの場合、健康に生活するためにはどのくらいの量が必要なのか(カロリー量や塩分量だけ考えても、生活パターンによって倍くらいの個人差がありますから)。」と、そういった知識を集めます。
仏教でいえば、経典/論典などを読んで諸概念、諸哲学を学ぶ段階でしょうか。
四諦とか十二因縁とか、般若波羅蜜とか唯識とか、華厳とか法華とか、大楽金剛とか身心脱落とか……宗派によって内容は違いますけど、そういう参考知識を学ぶわけで。
これらの教説を全部紹介しようとすると書籍2~3冊分のテキストくらいではすまなくなるし、筆者も膨大な資料を再チェックしなきゃならなくなるので、ここではすでに解説した「四諦」説だけを参考にして、話を進めたいと思います。
なーに、表現方法や道順が違うだけで、どの教説も言いたいことと目的は似たり寄ったりです。まあ近道とか遠回りとか、安全な道とか熊や暴走族が出没する道とか、そういった違いはありますけども。
ともあれ、ここまでくれば、シェイプアップダイエットももはや修行と言っていい……でも多くの場合、まだ効果は現れてないことでしょう。頭の知識と体の感覚とが一致していませんから。
さて、集諦で必要な知識を仕入れつつ、道諦にも進んでみましょう。つまり実践!
が、人には個人差があるもの。仏道修行にしても食事療法にしても、みんなが同じ方法でうまくいくとは限らないわけでして。しかも、「実はあまり意味の無い、ブラシーボ効果や一時的な見せかけの効果でしかない方法」の方が多いらしいところも、成仏と減量ダイエットの共通点です。
どれがそうなのかということは、実際に悟りを開いた人にしか確実なことは言えないのたけども。
とりあえず成仏法だと聞いたことのあるものを、本当かどうかの判断はせずに並べてみると……
出家斎戒。八正道。六波羅蜜。黙秘禅。関話禅。題目詠唱。山岳修行。苦行。真言加持。祈祷。食事療法。ヨガ。読経。哲学推論。善行。音楽鑑賞。舞踏。武道修行。etc,etc...日本でもっともメジャーな称名念仏は基本的に来世成仏の方法と思われるので、いちおうリストから外しときましょうか。
そしてシェイプアップダイエットの方は……すまん、筆者はそれはあんまり詳しくない。仕事が無くて金が尽きれば自然に痩せてしまうので研究もしてなくて。
体力増量ダイエットなら、ちょっとだけプロレスに出していただいたときとか、長期療養で寝込んだ後とかにいくつかやったけど、体重の増やし方をここに並べてもしかたないでしょうし。
しかしシェイプアップダイエットにも、「単に体の水分を抜いて一時的に体重を減らすだけ」だの、「内臓の機能を低下させたり栄養の吸収効率を落としたり」なんてのがけっこうあることくらいは知ってまして。
そういうのは、格闘技の試合の体重判定のために一時的に減量するときなどは有効だろうけど、健康になるわけでも外見が魅力的になるわけでもなく……確実にリバウンドするか、長く続けすぎれば体を壊すでしょう。
「道諦」にあたる仏道修行にもそういうものがいろいろあって、たとえば……危ない話になるからこのへんまでで。(震)
さて、それでは……斎戒修行と共通点があり、筆者がアレルギー対策で試してみて「こ、これはッ!!」と思った、多くの人に適用できそうな食事療法をひとつ、例として挙げてみましょう。痩身や増強の目的でこれをやる人もいます。そういや、腫瘍が治ったとかハゲてた頭に髪が生えてきたと言ってた人もいましたけど……理屈としてはあり得なくないにしても、そこまでは保証できません。
その方法とは……ご存知の人はご存知でしょうが「水ダイエット」です。
これは自分の体質を変えるための食事療法で、直接にアレルギーを治療したり体重を劇的に減らしたりというものではありません。が、後の本格治療や本格減量がより楽になる土台を作るための、準備段階的な食事療法と言えます。
スポーツ競技をするとき、素人がいきなり試合に出てもなかなか勝てませんよね。が、一定内容の基礎トレーニングを経験して体作りをしておくと、それだけでは勝てないけれどその後は少ない練習量で高等な技を身に付けられるようになって、やがては試合で勝てるようになる。そんな感じの「基礎トレ」だと思ってください。
しかも、大学の体育会系クラブの強化トレーニングよりは、水ダイエットの方がずっと楽です。これは書物やメディアからの受け売りじゃなく両方体験してみての断言。
しかも、後で説明するようにこれは「成仏のシミュレーション」たりえると、筆者の考えているものです。
さて、水ダイエットの、期間は一ヶ月間(30日)です。
食べ物は……特別に「健康に悪い食生活」をしてなければだいたい常識通りでOK。ただしこの間、飲み物はひとつに限定し、他のものは極力、飲まないようにします。
そのひとつとは、「常温のミネラルウォーター」。それも、特定のミネラルウォーター1種に決めてしまいます。
ミネラルウォーターマニア(笑)なら、「自分に合う、質のいい水」を選んでください。
よく知らない人は……もしも生活地から近い場所で採れて「質がよく安全」という評判のある飲み水があれば、とりあえずそれを選びましょう。適当なものがない場合は、評判がよくて確実に入荷されている輸入物とかでもOKです。
平行して菜食主義なども行う人はカルシウム/マグネシウム/ナトリウムなどミネラル分を多く含む硬水のほうがいいかもしれません。が、お腹の弱い人は慣れてないと下痢して脱水症状になりかねないから、成分表のph値を確認して弱アルカリ性の軟水などを選ぶといいでしょう。
よくわからなければ、いくつかを飲み比べて「なんとなく飲みやすくて美味しいような気がする」と思ったものを選ぶしかありません。ただし味比べは常温で行いましょう。水は冷やすと味の違いがわかりにくくなりますから。(基本的に、毒に近い不味い水もキンキンに冷やせばけっこう飲めてしまいます……低温によって味覚が麻痺するから)
どれにするか決めたら、スーパーか専門店などでまとめ買いし(自販機に比べ予算が2/3~1/2で済みます)、外出時にもペットボトルか水筒で常に持ち歩くようにします。
めやすは1日あたり最低1リットル。夏場に屋外で肉体労働やトレーニングをしてる男性なら4~5リットルが必要になるかもしれません。
とりあえず上限はありません、むしろ多く飲むほどいい。最低量以上を、飲みたいと感じただけ、ただし無理はしない量で飲んでください。
この30日間は、自販機でジュースを買ったりカフェでコーヒーを啜ったり「ちょっと1杯(……気がつきゃ1升)」なんてのは厳禁です。外食するときもよその家でも、出された「おひや」やお茶を飲むことはできるだけ控えましょう。氷なども舐めないように。宴会に参加したとしても飲食は「フリ」だけで我慢して何も飲まないってくらいに……どうしても我慢できそうにないなら仮病でも使うか欠席しましょう。
飲み物は、冷たくなくても持参のミネラルウォーターだけで我慢してください。コーヒーやお茶を沸かすときも、同じミネラルウオーターを使って。
これは仏教でいう「戒律」にあたりますから、「不飲料戒」とでも名付けけましょうか。
出家修行者の戒律は一生ですけど、なに、「不飲料」は30日で終わる期間限定のガマンです。3日め4日めあたりはかなりツラいけれど、1週間を過ぎちゃえばどうってこともなくなる……と経験者は語るのです。
目標……減量痩身でも筋肉増強でも性力増進でもアレルギー治療でもなんでもかまいませんけれど、それを達成できたときの自分のイメージを頭に思い描けば、1ヶ月間がんばれるでしょう。
「ジュースの一本くらいなら別にいいだろ、がんばってる自分へのご褒美」? いけません! 宝達菩薩が地獄で会った沙門たちのように、通常ならさほど問題ないことでも持戒修行中にやると、堕地獄の苦しみを長期にわたって受けることになるんです。つまり、「3日め4日め」のつらさが何日分にも増える上に、それまでの努力の効果も無になってしまいます。
逆にこの1ヶ月間に、スポーツのトレーニングや武道の稽古(試合ではなく反復練習などが主体)、または温泉療法などでいつも以上に多くの汗をかけばさらに効果大。そして菜食療法や適度な断食などを併用すれば確実度が上がります。けれども……無理をすればするだけストレスが大きくなり挫折の確率が高くなりますから、自分にできそうな範囲でにしときましょう。
この「水ダイエット」の理屈をご説明します。
人間の体の約70%は水分でできています。そして、口から入った水分は、人体の中をめぐり、平均して4週間くらいで発汗や排泄などによって体の外へ出ます。つまり、1ヵ月後には体の中の70%が一ヶ月前とは入れ替わってしまってるわけ。(厳密には正確でないけどイメージとしてこう考えてください)
スポーツや入浴などは発汗/排泄を促進し水分の出入りを早めますから、上手く併用すると効果が早く出るというわけです。
また水を冷やさずに常温で飲むのは、神経の感覚を鋭敏にするためのトレーニングという意味があります。夏場などだと少々つらいかもしれませんが、この期間だけは飲み水を、地下水程度の温度以下には冷やさないようにしてください。なに、30日間だけです。一生からみりゃ2/1000くらいの期間です。
それに、似た効果をもたらす断食修行よりはずっと楽なはず。
さて、このように飲み水の質を変えますと、一ヵ月後には体の70%の質が変わっています。こういう理屈で人間は割と簡単に体質を変えられるのでした。
なにしろ体の70%が変わるのですから、もう「変身」と言ってもいい。やり方や水の選び方によっては、体質だけでなく五感の感覚、そして脳の働き方やものの考え方まで変わってしまいます。体臭なども変化するかもしれません。
しかしそれらを望ましい方向に変えるには、「質がよくて自分の体に合う水」を選ばなければなりません。水の選択を間違えればかえって健康を損ね、望ましくない方向に体質が変わる可能性もありますし。
仏教の修行法は俗に八万四千法門といわれますが、統計的には約3000本の経典・論典・律蔵などに記されているさまざまな方法の中から、自分に合いそうなものを選びます……でも選び方を間違うと廃人になったり悪霊に取り憑かれたりもする、と聞いてます。この辺もダイエットと似てるような。
しかし慣れないうちは成仏法、つまり水を正しく選ぶことも難しいわけで……実際、発売当初は質のよかった水も、ラベルの品質表示は当初のままでも、実際には工場設備の老朽化とか採水地の環境変化などで質が悪くなっている、なんてことがときどきあります。
そこで、相談する相手や詳しい知識のある人がいない場合は、定評のある評判の良い水を選ぶことでハズレをつかむ確率が減り、長く住んでる場所の近くで採れた飲料水なら気候風土と体質に適合する可能性が大きい、と考えましょう。判断に自信がない場合は、失敗の確率を減らすためにとりあえずそれらから選んでみるしかありません。
さて、今までの習慣を変え、味の強い嗜好品的飲み物を断つのは、精神的にはなかなかの苦痛です。麻薬患者の自力治療みたいなもので、それには強い決心が必要になる。
そこで、「これは、自分の体質を変える目的があっての一ヶ月だけの『飲み物断ち』。一種の願掛けで、あと××日したら終了だ。」と自分に言い聞かせ、期間を区切ってがんばる方法をとりましょう。ゴールさえ見えていれば人間、けっこう耐えられる精神力はあるものです。
そうやって耐えに耐えて31日目。「終わった~ッ!」とキンキンに冷えたジュースやビールをがぶ飲み……する前に、食事前・食事中の自分をよ~く観察してみてください。特にそれ以前まで不摂生していた人なら、一ヶ月前とは味覚が違ってる可能性大です。
たとえば……お茶やお米の銘柄による微妙な味の違い、精製方法の違いなどを舌で感じられるようになっていた、とか。
あるいは……魚や野菜の新鮮さ/古さ、切り方の違いを、舌に載せたときの感覚ではっきりわかるようになっていた、とか。
だしや塩などの種類の違いがひと舐めでわかるようになっていた、とか。
体にいい水と混ざりものの多い水を、味と臭いで区別できるようになってた、とか。
さらには、一口食べれば産地と摂れた時期、素材、調理方法をすべて的確に当ててみせて料理人をニヤリッとさせ「旦那、タダ者じゃないようですね」……いやそこまて漫画に出てくるグルメキャラみたいにならなくてもいいですけども(なってもいいけども)、たぶんなんらかの形で味覚が鋭くなっているでしょう。
もしも「おや、味に敏感になった」と自覚できたら、それは仏教でいう「悟りを開いた」という状態に当たります。
その味覚は、「もともとそういう神経を持っていたはずなのに、一ヶ月前には自分で認識できてなかった」感覚です。禅門で悟りのことを「すでに持ってるのに自分ではなかなか気がつかない、目の下のまつげみたいなもの」などと言いますけれど、これと同じようなことが起きたわけで。
ともあれ、そういったたぐいの敏感さを以前よりも強く感じられたなら成功です。おそらくは味覚だけでなく、気をつけて自分を観察すれば他の感覚も一ヶ月前とは変わっていることに気づくでしょう。
変化を自覚してから久しぶり嗜好品的飲み物を摂ると、「あれ、こんな味だったっけ? なんか濃ゆ~くてしつこいような? 美味いことは美味いけどちょっと気持ち悪いかも……?」と感じるのではないでしょうか。
そしてなにげなく食欲の湧くものは……「集諦」で得た知識を参考にチェックしてみれば……その時点で体が必要としてる栄養素を多く含むものばかりだった、なんてことになってたら大成功。
それはもしかするとできあいのジュースドリンク類とか菓子類とかかもしれませんけど、味覚的快楽を求めているのではなく、体がその成分(たとえば炭水化物、塩分、ビタミンなど)を「いま不足中の栄養」として求めていたのなら、OKなのです。
つまり「快楽のための飲食」という「業」が少なくなり、「生命維持のための飲食」を求める「本能」が食欲の主役となったということ。
違う表現をしますと、「生存能力のパラメータが上がった」ということになります。
あとはそういった自分の体の感覚と相談しながら飲食していけば、以前のような大きなストレスはなく健康な節制生活を送れるように……つまり、食欲をあるていど無理なく制御できるようになってるでしょう。
その後はちょっとくらいなら、甘いものを貪ったり酒をたしなんだりしてもかまいません。
それらにより悪影響が出てくる量は、体質が変わって敏感になってさえいれば、体のどこかが「なんとなく不快」というサインを出して教えてくれます。たとえば急に不味く感じだしたり、体がだるくなってきたり、気分悪くなったり。そういう変化に気をつけておいて、サインが出たところでやめればいいのです。
量が過ぎると自然に不快になるのですから、以前ほどのストレスは感じずにやめることができます。
極端な場合には、一定量を超えたところで急に吐き気がしてきて、それ以上飲み食いできたもんじゃなくなったりもします。他のものならまだ飲み食いできるのだから不思議です。
晩年の一休さんや中国の犀仏さんのように、悟りを開いて即身成仏してしまった禅僧が戒律をやぶっていても欲望の暴走とはならず、結果として欲望が苦痛の原因とならないのは、これと似た感覚があったからなのかもしれません。
それでもまぁ、体がかすかな警告を出してるのを「関係ねーよ!」と無視して暴飲暴食し続ければ、やがては一ヶ月の努力が無になって体からのサインなど出なくなり、元の体質に戻っちゃうんですけども……いや、前よりもっと酷くなる(つまり「リハウンド」)。まさに、この物語に書かれている僧侶地獄みたいな状態ですな。
シェイプアップにしてもアレルギー対策にしても、水ダイエット一ヵ月の時点で「劇的に体重が減った」とか「アトピーがまったく出なくなった」とか「筋肉モリモリになった」なんてなってることはあまり期待できません。単に食欲のコントロールが楽にできるようになったというだけですから。
が、この一ヶ月で体質が70%も変わっちゃってますから、変化を自覚して新しい感覚を参考にしさえすれば、その後はだんだんと望ましい自然な体になっていくことが期待できます。意図的な不摂生をしたりしないかぎりはリバウンドの危険も小さいし。
ちなみに筆者も、「毎日のように苦しみ、学校を休んで通院しても治らず、TVの医学番組で症例サンプルとして放映された、重度のアトピー」が、これに近い生活状況だった(いわゆる体験修行?)ときからだんだん緩和してきまして。食生活や衣服の好みも変わってきて、2年後くらいには「疲労とストレスがたまったときにたまに汗疹みたいのが出るだけ」という程度に緩和したのでした。
そして、アレルギーを悪化させてたらしい食べ物や飲み物……かつては大好物だったものなどに対して、不思議なほど食欲が湧かなくなりまして。
そりゃ、接待で出されりゃ食うし、年に2~3回くらいは買ってきたりもするけど。でも「食わないと我慢できず際限もなかった」ころがウソのようで、「欲求とアレルギーの葛藤による苦しみ」がほとんどなくなったのでした。むしろ、しつこくいくつも奨められると気持ち悪くなったりもするほど。
体質改善に成功したと考えられます♪
結論として、「水ダイエット」を一ヶ月やり、成功すると、自分の体に不必要、あるいは有害な食べ物・飲み物を体が求めなくなり、そういう快楽物質に対する欲望が少なくなるんじゃなかろうか、と考えられます。
もしも失敗した場合は、水が体に合わなかった可能性があり……他の水でもう一ヶ月試してみてくださいとしかいえませんが、もしかするとこの方法自体、体に合わない人もいるかもしれません。
もともと健康な食生活をしていて味覚などに敏感な人は、やってみてもあんまり変わらないということもあり得ます。そのあたり、過度の期待はなさらないようにお願いします。
もしもやってみるなら、つきっきりで直接コーチでもしないかぎり筆者には責任のとりようがありませんから、自己責任でとうぞ。
まぁ、宗教や武道の修行も同じですけど、ダイエットもいい指導者に就ける幸運にめぐりあわない限りは自己責任で試行錯誤するしかないから~。
「成仏」をめざす修行ってのも、こうしてみると、体質を変える水ダイエットみたいなもんなんではないかと思えます。もちろん「経過が似てる」というたけで内容はせんぜん違いますけども。ただ「以前と同一人物の自分なのに以前とぜんぜん違う自分となる」、すなわちプラスの意味での「諸行無常」を体現してしまうところが、似てると思えます。
水ダイエットはある意味で、斎戒修行による成仏と似た達成感をお手軽に疑似体験できる方法と思えますので、この機会にご紹介してみました~。
ついノリノリになり長くなってしまった、ごめんなさい。
-つづく-




