8 ヒーローとヒロインに遭遇しました
それから数日後。
チェリシアは家族や使用人に内緒である場所を訪れていた。
白いフードを深くかぶった彼女は、目の前に広がる大きな建物を前に、歓声を上げた。
「ここが聖女候補たちが集まってるっていう神殿ね!さすがは異世界ファンタジー系漫画の世界。とっても煌びやかだわ」
そう、チェリシアが来ていたのはヒロインのアンリーシェが暮らす神殿だった。
神殿は皇宮から馬車で二十分ほどのところにあり、神官と聖女候補たちが住んでいる。
(ここにヒロインのアンリーシェがいるのよね……既に物語は始まっているから……もうステインとも出会っている頃のはず)
チェリシアは神殿の外を歩いた。
中に入りたいところだが、神殿は関係者と皇族以外は立ち入り禁止の神聖な場所だ。
次に一般人が入れるのは来月のチャリティーパーティーが行われるときくらいだろう。
しばらくじっと歩いていると、チェリシアは神殿の裏で誰かが立っているのが見えた。
(誰かしら?)
彼女はサッと物陰に隠れて遠くから様子を窺った。
どうやら一人で神殿の周囲の掃除をしているようだ。
ウェーブのかかったストロベリーブロンドに、青色の大きな瞳。
陶磁器のように綺麗で白い肌に、ぷっくらとした桃色の唇。
他の女性たちと比べても小柄で華奢な身体は男たちの庇護欲をそそる。
漫画内で多くの男を虜にした最高峰の美貌。
――間違いない、彼女はヒロインのアンリーシェだ。
チェリシアはそのことに気が付くまで、かなりの時間を要した。
(アンリーシェ……漫画でしか見たことがなかったけれど、生で見るとすっごく美人だわ……)
聖女候補の象徴である白いローブを身にまとった彼女は、長い袖の部分で額の汗を拭いながら地面の落ち葉を掃除していた。
汗の滴る、少し辛そうなその表情までもが美しくて絵になる。
チェリシアも悪役令嬢としてかなり美人な部類ではあるが、アンリーシェには到底かなわない。
(聖女候補は他に何人もいるはずなのに……一人でやっているのを見るとどうやら仕事を押し付けられているようね)
先代の聖女が昨年亡くなり、神殿は躍起になって次の聖女を探していた。
聖女候補となる資格は、詳しくは明かされていない。
国中の十代少女を対象に神殿長が決めるのだというが、条件は秘匿されている。
そこら辺の神殿事情は漫画内でも明らかにされていなかった。
しかし、神殿が闇深いところであるということに変わりはない。
聖女候補だと言って少女たちを連れてきては掃除だの何だの雑用ばかりをやらせるのだ。
(皇家からたくさんの黒いお金を受け取っているって噂もあるし……)
表では煌びやかに見えるが、実情はわからない。
物陰からじっと息を潜めてアンリーシェを見つめていたそのとき、突然男の声がした。
「――アンリーシェ、こんなところにいたのか」
「……!」
チェリシアは驚いてビクリと肩を上げた。
そっと覗き込むと、遠くから誰かが歩いてくるのが見えた。
(あれって……ステイン!?)
銀色の髪に、皇家の象徴である赤い瞳。
心優しく、誠実で品行方正な第一皇子殿下。
アンリーシェは彼を視界に入れると、僅かに顔を綻ばせた。
「ステイン殿下……いらしていたのですね」
「ああ、君が心配でな……今日も掃除を押し付けられていたのか?」
「……」
アンリーシェは言いづらそうに視線を逸らした。
その反応がまさに肯定を意味していた。
「――リーシェ、次にそういうことをされたら俺に言えと言わなかったか?」
「殿下……」
ステインはアンリーシェを抱きしめた。
彼女の大きな瞳から、涙がポロポロと零れ落ちた。
(わぁ、やっぱり絵になるわね)
ヒロインとヒーローの逢瀬をこんなに近くで見れるだなんて、何て運が良いのだろう。
チェリシアは主役二人のラブシーンを目を輝かせながら眺めていた。
まるで映画でも見ているかのような気分だ。
しばらくして、ステインがアンリーシェの額に自身の額を合わせた。
「だが、君がそのような思いをしなければならないのも今日で終わりだ」
「……どういうことですか?」
アンリーシェは不思議そうに彼を見上げた。
「――昨日、君が正式に聖女であることが決まった」
アンリーシェは目を丸く見開き、チェリシアも驚いて声を上げそうになった。
「わ、私が聖女ですか!?何かの間違いでは……」
「いいや、間違いではないよリーシェ。君が聖女だ」
ステインが愛しそうに彼女を見つめた。
至近距離で見つめ合う二人は、とてもお似合いの美男美女だった。
(わぁ、いいなぁ、アンリーシェ。ヒーローにあんな顔をさせるなんて)
最後まで誰からも愛されなかったチェリシアとは違い、アンリーシェは万人から愛されるヒロインだった。
「リーシェ、君にずっと言おうと思っていたことがあるんだ」
「……殿下?」
そう言うと、ステインはアンリーシェの前に跪いた。
その姿を見た彼女は焦った。
皇族が平民である自分に跪くことなどあってはならないからだ。
「で、殿下!?こんなところ誰かに見られたら……!」
「気にしないでくれ。今俺は帝国の皇子としてではなく、一人の男として君に愛を乞うているんだから」
「あ、愛を乞う……?」
ステインはどこから取り出したのか、真っ赤な薔薇の花束をアンリーシェに差し出した。
(ま、まさかプロポーズ!?)
私の記憶だとステインがリーシェにプロポーズするのはもっと後だったような気がするが。
「リーシェ、俺と結婚してほしい」
「で、殿下……!」
その言葉を聞いたアンリーシェの目から、大粒の涙が溢れた。
彼女は頬を赤く染め、満面の笑みを浮かべた。
「もちろんです、殿下……!こんなにも嬉しいことは他にありません」
「リーシェ……!」
アンリーシェの返事を聞いたステインは、再び彼女を強く抱きしめた。
「俺も、こんなに嬉しいのは初めてだ……まるで世界を手に入れた気分だよ」
「殿下ったら、大げさですよ……」
アンリーシェはステインの腕の中でフフッと小さく笑った。
至近距離で見つめ合った二人は、そのまま顔を近付け――
「……」
チェリシアは動くこともできず、呆然とその光景を眺めていた。
(恋愛漫画はあんなにいっぱい読んだってのに、どうして生で見るとこんなに恥ずかしくなるのかしら……)
ずいぶんと長い口づけのあと、二人はようやく顔を離した。
「君は聖女になったんだから、明日から俺の婚約者として皇宮で暮らすんだ。きっと両親も君を歓迎してくれるよ」
「皇宮でですか……?」
平民のアンリーシェにとって、皇宮なんて夢のまた夢のような場所だった。
当然、行ったことも無いだろう。
「殿下、嬉しいです。ありがとうございます。殿下となら、この先どんな困難も乗り越えられるような気がします」
「ああ、俺もだ。君が傍にいてくれるのなら他には何もいらない。ずっと二人で生きて行こう」
二人はもう一度、お互いを強く抱きしめ合った。
(わぁ~とっても素敵!平民と皇太子が結ばれるとか超シンデレラストーリー!)
ステインはアンリーシェの手をギュッと握った。
「リーシェ、明日正式に君が聖女であるということが発表される。そしたら迎えに来るから」
「ええ、待っています、殿下」
「あと少しの辛抱だ、皇宮では絶対に君を守り抜いてみせるから」
それだけ言うとステインはアンリーシェの額にキスを落とし、その場を立ち去って行った。
(ステインが帰ったし、私も帰ろう。今日は何だかいいもの見れちゃった)
チェリシアが来た道を戻ろうとしたそのとき、近くにあった小石につまずいて転んでしまった。
「キャッ!」
「……え?」
その音に、アンリーシェが振り返った。彼女を見下ろす水色の瞳が丸く見開かれた。
「あ……」
「あ、あなたは一体……?」
――マズい、アンリーシェにバレた。




