7 気に入ったから 途中レイド視点あり
「し、死ぬかと思った!」
その後、チェリシアは無事に公爵邸へ帰っていた。
レイドはあの後、満足そうに彼女を見つめて目の前から立ち去って行った。
一人彼の部屋に取り残されたチェリシアは、大きな声で叫んだ。
『ちょ、ちょっと待って……私、皇宮から自力で公爵邸に帰らないといけないわけ!?』
レイドは帰りまでは送ってくれなかったのだ。
そのおかげでチェリシアは首都に向かう馬車を自分で探さなければならなかった。
(次会ったら馬車代、きっちり請求させてもらうからね……)
元々彼女が自由に使える資金はそれほどないのだ。
馬車を探すときの苦労も加味して、いくらか上乗せしてもいいだろう。
数十分かけて公爵邸へ戻ったチェリシアは、自室のソファでくつろいでいた。
この時間帯は父親は家におらず、義母とマリーナもちょうど出かけていた。
どうせまた新しいドレスでも買いに行くんだろう。
こっちは古いドレスばかり着ているというのに、良いご身分だ。
「それにしても……」
彼女は自分を落ち着かせるために、お茶を一口飲んだ。
彼と二人きりで向き合ったときの名残か、チェリシアは謎にソワソワしていた。
(レイドの考えが全くつかめないわ……どうして私にあんな質問をしたのかしら……)
今日のレイドは、漫画の中で見た彼とはだいぶ印象が違って見えた。
あのような強引な行動を取るのも、彼らしからぬことだった。
どのみち、いつかは離れることとなる関係だ。
わざわざ親しくする必要もないだろうと、チェリシアはそう結論付けた。
***
その頃、第二皇子宮では。
「――レイド殿下、失礼します」
「ああ、よく来たな」
レイドの書斎を、一人の男が訪れていた。
黒いローブをかぶり、顔を隠している。
彼は書斎の机の前に立つレイドに跪いた。
「この間の……路地裏の掃除は全て終わらせておきました」
「ご苦労だったな」
レイドが血を流すたびに、後処理を行っていたのがまさに彼だった。
そうでもしなければ町は大騒ぎになってしまう。
平和だった町に連続殺人鬼が現れたと噂にでもなれば、洒落にならない。
もっとも、動きづらくなるのだけは御免だった。
「ところで……さっきロクサーヌ公爵令嬢が殿下の部屋から出て行くのを目撃しました」
「ああ、それがどうかしたか?」
淡々と言い放ったレイドに、彼は驚いたように尋ねた。
「まさか……殿下自ら令嬢を部屋に入れたのですか?」
「そうだ」
レイドは書斎にある窓から外を眺めて頷いた。
ちょうど皇都が見えた。
人々はあの場所をベレニウム帝国で最も煌びやかな街だというが、レイドにとっては何の価値も感じられなかった。
彼にとってはいつも頂点で輝くあの椅子の方がよっぽど魅力的だった。
「……あのご令嬢が、殿下の役に立つとはとても思えません」
「だろうな、俺もそう思う」
「なら何故、ロクサーヌ令嬢と関わるのですか?」
レイドは彼の方を振り向くことなく、呟いた。
「何故だろうな……」
背を向けているため、どのような表情をしているかはわからない。
彼はついさっきまで話していたチェリシアとの会話を思い浮かべた。
『……とんでもないことを言うんだな。皇帝に聞かれたらどんな目に遭うかわかっているのか?』
『私は本気でそう思っています、殿下』
『頭がおかしくなったのか?』
ベレニウム帝国の次期皇帝は皇后から生まれた正当な嫡子である第一皇子ステイン。
まだ皇太子の座にこそ就いていなかったものの、ほとんど確定しているようなことだった。
実際、レイドのことを次期皇帝だと言った人物はチェリシアが初めてだった。
『……未来が見える人間なんていませんよ、殿下。私も少し前までは、こうすればこういう未来が訪れるだろうって、勝手に思ってたんです。まるで神にでもなった気分でした』
『……何を言っているんだ』
チェリシアは切なげに視線を下げて笑った。
『だけどやっぱり、決められた未来なんてそんなもの存在しないことに気が付いたんです。行動次第ではいくらでも未来は変えられるんだって、何だか素敵だと思いませんか?』
『……なら、お前は俺が皇帝になる未来を信じていると?』
随分と馬鹿げた発想だと思った。
もちろん、彼は皇帝になりたくないわけではなかったが、第一皇子のステインを押し退けてその座に就くのはかなり難しいだろう。
『はい、私は信じています』
顔を上げたチェリシアとレイドの視線がぶつかった。
『――レイド殿下が、ベレニウム帝国の皇帝陛下として、日の目を見る日が来るということを』
そのときに彼女が見せた朗らかな笑みを思い浮かべたレイドはボソッと呟いた。
「……愚かな女だな」
今まで彼に媚びを売ってきた人間は多くいたが、あそこまで危険なことを口にする者は一人もいなかった。
皇帝や皇后、ステインに聞かれたらレイドでも命の保証はできなかった。
それでも口にしたのは、本気で彼が皇帝になる日が来ると思っているということだろうか。
「殿下、ロクサーヌ令嬢を傍に置こうとする理由をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「……気に入ったから」
「……はい?」
彼は思わず聞き返した。
十年近くもの間レイドに仕えているが、彼がそのようなことを口にしたのは初めてだった。
レイドは何よりも自分の利益を最優先に考える人だ。
少なくとも、くだらない情で無利益な女を手元に置くような人間ではなかった。
冗談だろうと思って彼を見つめるが、その目は至って真剣だった。
「――ロクサーヌ公爵令嬢を気に入ったんだ、だから傍に置く」
「……私たちを裏切る可能性も十分にあります」
もちろん、レイドもその可能性を考えていないわけではなかった。
チェリシアはまだ出会って間もないし、信頼に足る人物というわけでもない。
ステインと関わりがないというあの発言も、彼を貶めるための嘘かもしれない。
しかし、それでもレイドは彼女を突き放さなかった。
「……まぁ、一旦は様子を見るとしよう」
「殿下」
レイドは書斎の中を歩き、棚に立てかけられていた剣を鞘から抜いた。
彼が長年肌身離さず持ち歩いている、彼の相棒のようなものだった。
その剣を持つと、彼の目は一気に底知れぬ狂気を宿した。
「――アイツが裏切れば、この剣で一思いにやってしまえばいい。女一人切り捨てることなど、俺にとってはどうだってことないからな」




