2 やっぱりコイツは生粋のサイコパスでした
チェリシアは逃げようとしたが、あまりの恐怖に動くことができなかった。
その間にもレイドは彼女に近付いてくる。
獲物を狙った猛獣のように鋭い目だった。
彼の持つ剣が、血をポタポタと地面に垂らしながら引きずられた。
その剣であの人を斬ったのだろう。
もしかすると、次に犠牲になるのは私……?
チェリシアは確認もせずに路地裏へ来たことを酷く後悔した。
(あぁ、もう!私のバカバカ!どうして近付いたりしたのよ!)
そんなことを考えていてもどうしようもない。
レイドは彼女の目の前まで来ると、剣を持ち上げ、首にあてた。
「あ……」
首筋に感じる刃の感触。
あまりにも生々しくて、息をするのも難しかった。
彼がほんの少し手を動かしただけで、自分の首は簡単に刎ね飛ばされてしまうだろう。
レイドは冷たい目で彼女を見下ろすと、淡々と尋ねた。
「――いつから見ていた?」
「……」
チェリシアはすぐには答えることができなかった。
恐怖で唇が上手く動かせなかったのだ。
しかし、だんまりを続けていると彼の顔は険しくなっていく。
「い、今さっき……ここへ来たばかりです……」
彼女は必死の思いで言葉を紡いだ。
こんなところで死ぬわけにはいかない、何が何でも生きたい。
そのような思いが彼女を突き動かした。
その答えに、レイドは眉をひそめた。
「最初から見ていたわけではないのか?」
「は、はい……音がしたので……気になってここへ来てみただけです……!それ以外は何も見てません……!」
チェリシアは躍起になって殺すところは見ていないということを強調した。
彼の返事を待ちながら、生き残る方法を必死で模索していた。
「そうか、なら死ね」
「え、ええ!?ちょ、ちょっと待ってください!」
レイドは狼狽えるチェリシアに対し、残酷なまでに言い放った。
今の会話でどうして殺すという結論に至るのか。
やっぱりコイツは生粋のサイコパスだ。
この男を前に、助かることなんて無理なのかも。
絶望で目の前が真っ暗になりそうだったが、諦めるわけにはいかない。
「ど、どうしてですか!私、誰にも言ったりしません!」
「その言葉を俺が信用するとでも?」
レイドはつまらなさそうに剣先を喉元に当てた。
ギリギリのところで肌に触れてはいないが、ちょっとでも彼が手を動かせば終わりな距離だった。
(い、いくら何でもあんまりよ!こんなのって……)
殺人現場を見られたから殺すだなんて、理不尽にもほどがある。
チェリシアはみっともなく喚いた。
「そんなの、納得できるわけがありません!」
「どうしても理由が必要か?なら、そうだな……」
レイドはしばらく考え込む素振りを見せたあと、空いた方の手でチェリシアを指さした。
「――お前のふてぶてしい顔がムカつく。それでどうだ?」
「な、な……」
そんなのってあるか――!
チェリシアは心の中で叫んだ。
漫画をプロローグから完結まで全て読んでいた私にはわかる。
この状況から助かった者はいない。
レイドは自分の計画に害をなす可能性のある人物を絶対に生かしてはおかないからだ。
(私……やっぱりここで終わりなのかしら……)
前世でも二十代で生涯を終え、今世も十七歳で死んじゃうだなんて。
しかも将来暴君になる悪役皇子の手によって。
いや、彼の協力者になって民衆からの罵声の中で処刑されるよりかはマシなのかも。
どうせ死ぬのなら、辛くない方がいい。
チェリシアはせめてもの願いだと、レイドに懇願した。
「殿下……お願いします……やるならせめて一思いに……」
「…………お前、ちょっと待て」
その言葉を聞いた途端、レイドは何故か唐突に剣を下ろした。
そしてチェリシアと視線を合わせるようにしゃがみこむと、彼女の後頭部をグイッと引き寄せた。
「キャッ!」
長いブラウンの髪に、彼の手が触れる。
彼はそのまま顔を近付け、チェリシアと至近距離で目を合わせた。
鼻先がぶつかりそうなほどの距離に、彼女は困惑した。
一体何をするつもりなのか。右手には未だに長剣が握られたままだ。
レイドはかなり容姿端麗で、見た目だけならヒーローの第一皇子にも引けを取らないだろう。
彼はしばらく探るような目でチェリシアを見つめたあと、厳しい口調で彼女を問い詰めた。
「――何故俺が、皇族だと知っている?」
「え……」
予期せぬ問いに、チェリシアは呆然とした。
貴族令嬢である自分が、第二皇子であるレイドを知っているのは当然のこと。
それの何が変なのだろうか。
「当然、存じ上げています……殿下は第二皇子ではありませんか……以前、舞踏会でお見掛けしたことがありますし……」
「違う、俺が聞いているのはそんなことではない」
チェリシアは不思議そうに彼を見つめた。
間近で見て、彼女はあることに気が付いた。
(何か、前より赤い瞳が濁って見えるような……?)
チェリシアに転生したのはつい最近だが、転生してすぐ、それより前のチェリシアの記憶が彼女の頭に流れ込んできていた。
そのため、貴族令嬢の作法や淑女教育などには何の影響も無かった。
前に見たチェリシアの記憶では、もうちょっと目がキラキラしていたような……?
ボーっと彼の目を見つめていた彼女に、レイドは尋ねた。
「――お前、何故俺の本当の姿が見える?」
「本当の姿……?」
レイドは左手の中指に嵌めていた指輪を外した。
その瞬間、彼の赤い瞳が宝石のように輝いた。
「あ……」
そこでようやく、チェリシアは彼の発言の意味を理解した。
「魔道具で姿を変えていたというのに、何故俺だとわかった?」
彼女が転生したこの世界には、前世にはない魔道具というものが存在する。
レイドは秘密裏に外出するときはいつも姿を変える魔道具を使っていた。
そのおかげで、彼が皇子だということに気付く者はいなかった。
何故、彼女にだけは彼の本当の姿が見えたのか。
もしかすると、原作のチェリシアもそうだったのだろうか。
しかし、いくら聞かれたところで彼女には何もわからない。
チェリシアは正直に答えた。
「わ、わかりません……」
「何だと?」
彼は訝し気に眉間にしわを寄せた。
レイドは額を合わせ、彼女の目をじっと見つめた。
「……どうやら嘘はついていないようだな」
「こ、この状況で嘘なんてつくはずがありません」
それだけ言うと、彼は彼女からパッと手を離した。
剣に付着した血をハンカチで軽く拭くと、そのまま鞘にしまった。
(た、助かったのかな……?)
チェリシアは戸惑いながらも、黙ったままレイドを見上げていた。
彼が背を向けた隙を狙い、彼女は震える足を無理やり動かした。
(今のうちに帰ろう……剣をしまったってことは殺すつもりはないってことだよね……?)
ドレスはかなり血に染まってしまったが、生きているだけで幸運だ。
このまま家に帰ることができれば……
「――どこへ行く」
「キャアッ!」
その声に驚いて、チェリシアは転んでしまった。
「いてて……」
レイドは床に倒れ込んだチェリシアを、腕を組んで見下ろしていた。
さっきのような殺意は感じられなかったが、何とも言えない妙な視線だった。
殺しはしない、だけどお前を逃がさないとでもいうかのような目。
「助けてくれたんじゃなかったんですか?」
「誰が助けるって言った?俺はただお前を生かしておくことを決めただけだ」
レイドは再び彼女の前でしゃがみこむと、顎を持ち上げた。
「――お前は今日から俺の共犯だ」
「……………へ?」
チェリシアは目を丸くしたまま固まった。
レイドはそんな彼女の反応を面白がるように笑っていた。
「ちょ、ちょっと待ってください……私、殿下について行くことなんてできません……大体私は一介の貴族令嬢で……」
「――あれ、お前がやったろ」
レイドは血だまりの中の死体を指さしてそう言った。
「なッ……それは私ではなく……ッ」
言い返そうとするチェリシアの口を、レイドは手で塞いだ。
「俺は皇族だぞ?そんな俺がお前がやったと言えばお前がやったってことになる」
「い、いくら何でも暴論すぎます!」
そうは返したものの、この男にそのようなことを言ったところで何の意味もない。
レイドはサイコパスであり、話が通じる相手ではなかったからだ。
「死ぬのは嫌です……私まだ生きていたいから……」
消え入りそうな声でそう口にすると、レイドは拒否権を与えないというような口調で言い放った。
「なら、俺の協力者になれ」
「……」
チェリシアに、断るという選択肢は最初から用意されていなかった。
顔を引きつらせながら頷くと、彼はニヤリと笑った。
(ちょ、ちょっと待ってよ……せっかく助かったと思ったのに……)
公爵令嬢チェリシア・ロクサーヌ、十七歳。
死の危機を乗り越えてすぐ、死亡フラグに一歩近付く。
永遠に死の恐怖から逃れられないなんてそんなことあってたまるかー!




