エピローグ 再会
――それから七年の歳月が流れた。
皇后チェリシアはあの後第一子となる元気な男児を出産した。次期皇帝の誕生に、国中が歓喜に包まれ、レイドもとても喜んだ。
フレデリックと名付け、皇太子として大切に育てているそうだ。まだ六歳ではあるものの、レイドによく似た赤い瞳を受け継ぎ、聡明な皇子だと話題だ。生まれた子はレイドとチェリシアの愛の下、すくすくと育っていた。
ベレニウム帝国皇帝夫妻の仲の良さは有名で、レイドは他に妃を娶ることもなくたった一人の妻だけを愛し続けていた。まさに真実の愛で結ばれた二人だと、国民たちはそのラブロマンスに沸き上がった。
首都からだいぶ離れた小さな村にて、ある女性は今日発売された新聞をじっくりと眺めていた。大きな見出しには、つい昨日起きたニュースが書かれている。
『チェリシア皇后陛下が第二子を妊娠』
それはおよそ七年ぶりとなる、皇后の妊娠に関するニュースだった。金色の髪に青い瞳を持つ美しい女性は、僅かに口元を緩ませながら呟いた。
「チェリシア……二人目を妊娠したのね……」
皇后の妊娠に、彼女は何故か泣きそうになってしまった。帝国の小さな村で暮らす平民の少女が、赤の他人である皇后の妊娠に泣いてしまうなど、普通はあり得ない。
――そう、その人物はかつて聖女と呼ばれたアンリーシェだった。
アンリーシェは新聞を机に置き、外へ出た。彼女の暮らしている小さな村は、かつて大好きだった両親と共に住んでいた場所だった。
皇都と違って事件が起きることなんて滅多に無いこの土地で、アンリーシェは平穏な日々を送っていた。家の周辺を散歩していた彼女に、小さな子供が駆け寄った。
「リーシェ姉さん!」
「あらアンジェリカ、どうかしたの?」
アンジェリカと呼ばれた幼い少女は、目に涙を浮かべてアンリーシェを見上げた。
よく見ると、右膝が擦りむいて血が出ている。
「さっき転んじゃって……」
「相変わらずあなたはお転婆なのね」
アンリーシェは視線を合わせるようにしゃがみこむと、彼女の傷付いた膝に手をかざした。
ピカッと白く小さな光が放たれ、そのまま少女の傷を癒していった。
光が消えた頃には、怪我は跡形もなく消えていた。
「はい、これでもう大丈夫よ」
「姉さん、ありがとう!」
少女は満面の笑みでお礼を言い、その場から立ち去って行った。
アンリーシェはそんな後ろ姿を、温かい目で見守っていた。
彼女は現在、教会で治療士として仕事をしている。
聖女だった頃に使っていた光魔法はほとんど使えなくなってしまったが、それでも多少は力を使用することができた。
それを生かして、彼女は傷付いた人たちの治療をするという仕事を選んだのだ。
この小さな村では全員が顔見知り。彼女はリーシェと名を変え、多くの人から慕われていた。
「こんなにも晴れた日は、チェリシーが空から見守ってくれているような気がするわ……」
彼女は空を見上げた。眩しいほどに降り注ぐ太陽光が、彼女を照らしていた。
アンリーシェの最愛のチェリシーはもういないが、チェリシアがいる。彼女が同じ空の下で暮らしているのだと思うと、何だか胸が温かくなった。
「そうだ、どうせならちょっと遠くにでも行ってみようかな?」
アンリーシェはそのまま、村の外へ出て行った。
このときの彼女は、何も知らなかった。
彼女が村を出た直後、母親が外で遊んでいた幼い子供の手を引いて家の中へ入れていた。
「お母さん、どうして外で遊んではいけないの?」
「今日は家にいましょう、大神官様が台風が来ると予測しているのよ」
――アンリーシェはそんなこと知る由もなく、たった一人で村の外へ出てしまったのだ。
***
「良い天気ね!ここ最近は仕事ばかりだったから、気持ちがいいわ!」
村からだいぶ離れた森の中で、アンリーシェは大自然に囲まれていた。
大きな岩を椅子として座り、心地の良い風を浴びながら一休みしていた。普段は人目を気にしてか、あまり村の外へ出ることはない。
しかし、聖女アンリーシェが死んでから七年が経過し、人々の記憶からも彼女の存在は薄れかけていた。
(たまにくらいなら、こういうのもいいわね……)
そう思いながら天を仰いだ彼女の頬に、一滴の雫が落ちた。
「雨……?」
いつの間にか青空は暗く淀み、灰色の雲から雨が降り始めていた。
アンリーシェは来た道を引き返そうと戻ったが、雨は瞬く間に勢いを増し、彼女の足元はあっという間に浸水してしまった。
「マズいわね……このままじゃ帰れない……」
そう呟いた瞬間、遠くから雷の鳴る音がした。早く帰らなければと、彼女は何とか水でグチャグチャになった泥の中を進んでいく。
しばらく歩き続けていると、ようやく村近くの川にまで辿り着いた。この川を通り過ぎれば、村に帰れる――
希望の光が見えたのも束の間、強風の影響で荒れ狂った川の波が、勢いよく彼女に向かって降りかかった。
巨大な波は彼女を呑み込み、バランスを崩したアンリーシェは川の中へ落ちてしまった。
濁流に吞み込まれた彼女は、自力で這い上がることができず、そのまま流されていった。
あぁ、私死ぬのかな……と全てを察したときには既に遅かった。
「……」
――そこで、彼女の意識は途絶えた。
***
目が覚めると、知らない空間にいた。
辺りを見渡してみるも、真っ暗で何も見えない。
(ここはどこ?私はきっと、死んだのよね……)
アンリーシェは頭に残る最後の記憶からして、自分が生きているとは思っていなかった。
だとしたら、この場所は死後の世界か。生への未練が無いわけではなかったが、元より死んでいるも同然の命だった。
そのせいか、彼女は素直に死を受け入れることができた。
「私がこんな風に死ぬなんて……チェリシアがきっと悲しむわね」
アンリーシェはそんなことを呟きながら、暗闇の中を歩き続けた。
いつまで経っても光は見えず、ただ闇の中を彷徨っているだけ。終わりのないこの世界に、彼女はうんざりし始めていた。
そのとき、背後から聞き覚えのある柔らかい声が耳に入った。
「――リーシェ」
「……?」
その声を聞いたアンリーシェは、思わず足を止めた。
彼女はすぐに振り返ることができなかった。
聞き間違いではないか。それとも、あまりにも会いたいと願ったせいで幻聴を聞いているのではないか。その可能性が頭によぎったからだ。
しかし、声は再び彼女の耳に届いた。
「リーシェ」
やっぱり、聞き間違いなんかじゃない。
二度目にして、ようやくアンリーシェはゆっくりと振り返った。そこにいたのは――
「チェリ、シー……?」
「久しぶりね、リーシェ。元気にしてた?」
優しい笑みでこちらを見つめるチェリシーが、そこに立っていた。
アンリーシェの目から、大粒の涙が零れ落ちた。ずっとずっと会いたいと願っていた人。この世の誰よりも大切で、彼女の世界に光を与えてくれた人。
「チェリシー!」
彼女は駆け出し、チェリシーに抱き着いた。
アンリーシェを抱きしめ返した彼女もまた、泣いていた。
「会いたかった……チェリシー……」
「ええ、私もよ、リーシェ」
アンリーシェが今いるのは、時空間の中だった。
彼女は神の力を使い、亡くなったアンリーシェの魂を呼び寄せたのだ。
――もう一度、彼女に会うために。
しばらく抱擁していた二人は、そっと体を離した。お互いに話したいことが山ほどある。しかし、久しぶりに再会したせいか、どちらも緊張していて上手く話せそうになかった。
チェリシーは、アンリーシェに手を差し伸べた。
「詳しい話は別の場所で……私のお気に入りの空間があるのよ」
「チェリシー……」
今、自身の目の前にあのチェリシーがいる。
アンリーシェはそのことが信じられなくて、すぐには受け入れることができなかった。
再び涙を流した彼女を、チェリシーは慰めるように肩を叩いた。
アンリーシェは泣きながらも、そっと彼女の手に自身の手を重ねた。
「そこにレイド殿下もいるのよ」
「レイド殿下まで?」
「えぇ、リーシェならきっと彼とも仲良くなれるはずよ」
チェリシーは彼女に向かって微笑んだ。
恋人同士のように熱烈な愛ではないが、水が流れるような穏やかな愛情が、たしかに二人の間には存在していた。アンリーシェはレイドに僅かな悔しさを抱きながらも、言葉を返した。
「……そうね、チェリシーの愛する人なら、私も大切にしたい」
アンリーシェはチェリシーの手をギュッと握り、二人で光の道へと歩き出した――
完結となります!ここまでついて来てくださった皆様、ありがとうございました!
番外編でステインのその後とかアルセリアとのこととかやろうかなと思ってます!




