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死の運命の弾き方  作者: タカツキビヨン


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第9話 杖でないもの

翌日。


Sクラスの30人は、ザルティに連れられて第3講義棟の地下へ向かっていた。


触媒庫。

杖に選ばれるか、自分に合う触媒を見つける。


魔法使いにとって、それは単なる道具選びではない。

自分の魔力を、どのような形で世界へ放つのかを決める行為でもあるらしい。


俺には魔力がない。


本来なら、関係のない話のはずだった。

それでも触媒庫へ近づくにつれて、胸の奥には小さな期待が生まれていた。


昨日、ザルティは、学院には杖以外の触媒や武器型触媒も揃っていると言った。


その言葉が、俺の中に残っている。


俺は魔法使いになるために、ここへ来たわけではない。

けれど、今のままでは足りない。


赤い光を逸らした時の重さが、まだ左腕の奥に残っている。

あれが、もう一度来たら。


次も同じように間に合う保証はない。


「触媒って、やっぱり杖が多いのかな?」


前方で、ミリアスが楽しそうに声を弾ませていた。


「短杖もいいよね。動きやすそうだし。でも長杖もかっこいいし。うーん、悩む」


「君の場合、どれでも反応しそうだが」


ダルタスが軽く笑って言う。


「え、そうかな」


「4属性持ちだろう。触媒の方が、どの属性へ合わせるべきか迷うんじゃないか?」


「触媒が迷うって何それ。面白いね」


ミリアスは、本気で面白がっていた。


その横では、ディムローが誰に聞かせるでもなく、小さく呟いている。


「触媒の反応って、素材の導魔率だけじゃなく、内部術式の組み方にも左右されるはずなんだよな。学院の触媒庫なら旧式から新式まで揃ってるだろうし……構造を見せてもらえるかな。いや、選定なんだから、見るくらいは――」


相変わらずだった。


メルディは、その少し後ろを静かに歩いている。

おっとりとした足取りだが、周囲への目配りは細かい。


階段を降りていた生徒が足を滑らせかけた瞬間、

彼女の右手が反射的に持ち上がった。

すぐに体勢を立て直したのを確認すると、その手を何事もなかったように下ろす。


誰かが転びそうになった時、どう動くべきかを身体が覚えている。

そんなふうに見えた。


ルビアは、列の少し前を歩いていた。


昨日と同じように、余計な会話はしない。背筋はまっすぐで、歩幅にも乱れがない。

長い銀髪が、地下へ続く通路の青白い魔導灯を受け、冷たく揺れている。


昨日、彼女は俺の前まで来て、何かを言いかけた。


『あなたに、試験場のことで言っておくことが――』


その続きは、まだ聞けていない。


聞けるなら聞きたい。


だが、昨日の続きを求めてこちらから追えば、

彼女をさらに警戒させるかもしれない。

今は、向こうからもう一度口を開くのを待つしかなかった。


それに、数日前の王女との短い対面で交わした言葉も、まだ引っかかっている。


俺がそんなことを考えているうちに、階段は終わった。


目の前に、巨大な扉が現れる。

白銀の金属で作られた扉だった。


表面には幾重もの円環術式が刻まれ、

その中心にはシルン魔導学院の学院紋が浮かんでいる。


銀白の円環。

中央は空白。


ザルティが扉の前で足を止めた。


「ここが触媒庫だ」


短い説明だった。


それだけで、何人かが息を呑む。


ザルティが左手を扉へかざすと、

刻まれた円環術式が外側から順に青白い光を帯び始めた。


1つ。


2つ。


3つ。


幾重もの光が噛み合い、最後に中央の空白へ収束する。


重い音を立てて、扉が開いた。


中から流れてきたのは、古い木と金属、それから魔力を帯びた石の匂いだった。


触媒庫は、倉庫という言葉から想像する場所とはまるで違っていた。

地下とは思えないほど広く、天井も講堂に近い高さまで伸びている。


壁一面には、短杖から長杖まで、形も素材も異なる無数の杖が並んでいた。

棚には指輪や首飾りが納められ、鎖で固定された魔導書もある。


さらに奥には、術式を刻んだ剣や槍、弓、鎚など、

武器型触媒の区画まで続いていた。


音はほとんどない。

それなのに、空気は妙に騒がしかった。


それぞれの道具が、触れる者を静かに待っているようにも感じられる。


「触媒は、魔法使いの魔力を、より効率よく術式へ変えるための外部導路だ」


ザルティの声が、触媒庫へ響いた。


「触媒そのものが魔力量を増やすわけでも、身体の魔力回路を太くするわけでもない。触媒を替えたところで、クラスそのものが上がることはない」


ザルティは近くの標準杖を手に取った。


「だが、流れの損失を減らし、術式を安定させ、放つ魔力を圧縮できれば、同じ量の魔力でも結果は変わる」


杖を軽く振ると先端の魔石に、青白い光が灯った。


「極端な話、クラス3の魔法使いでも、本人との相性が極めてよい希少触媒を正しく扱えば、一撃の出力だけならクラス4相当へ届くこともある」


数人の目が、棚の奥に並ぶ触媒へ向いた。


「ただし、勘違いするな。触媒が器そのものを広げるわけじゃない。身体がクラス3なら、耐えられる負荷も、流せる魔力の限界もクラス3のままだ」


ザルティは杖を元の場所へ戻す。


「強い触媒に出力を引き上げられ、術者の身体が耐えきれずに壊れることもある。触媒に振り回される奴は、何も持たない奴より危険だ」


何人かが、真剣な表情で頷いた。


「今日は、触媒側の反応を見る。気取る必要はない。触れて、呼吸して、反応を確かめろ。触媒に選ばれる者もいれば、自分で相性を見極める者もいる。どちらでもいい」


そこで、ザルティの視線が一瞬だけ俺へ向いた。


「何にも反応しない者もいる」


触媒庫にいた何人かの視線が、遅れてこちらへ集まった。


俺は何も言わない。

否定する理由もなかった。


ザルティが短く手を叩く。


「まずは、セレネ」


最初に呼ばれたのは、ミリアスだった。


「はい!」


彼女は元気よく返事をして前へ出る。


初めての触媒選定だというのに、緊張している様子は薄い。

むしろ、これから何が起こるのか楽しみで仕方がないらしい。


ザルティが、複数の触媒区画を示した。


「セレネ。お前は複数の反応を見る。水、風、雷、土だ」


「え、全部ですか?」


「全部だ」


「わあ、豪華」


ミリアスは楽しそうに笑った。


彼女が区画の前へ立つと、

水と風の両方へ適性を持つ白木の標準杖が、青と薄緑の光を重ねて返した。


続いて雷属性の短杖が、ぱちりと細い光を弾けさせる。

土属性の指輪も、低く落ち着いた光を灯した。


どの反応にも無理がなく、拒絶の気配もない。


まるで、別々の楽器が同じ曲へ加わっていくように、

4つの属性が彼女の前で順番に光っていった。


「うわ、どうしよう。全部かわいい」


「かわいいで選ぶな」


ザルティが即座に言った。


「えー、でも大事じゃないですか?」


「大事ではある。優先順位を間違えるな」


「はーい」


ミリアスは素直に返事をする。


それから少し悩んだ末、水と風の反応が最も強かった白木の標準杖を選んだ。

柄には青と薄緑の細い線が絡み、

先端には透明に近い小さな魔石が嵌め込まれている。


雷と土については、補助触媒を後から調整するらしい。


「まずは、それでいいだろう」


ザルティが言う。


「はーい。よろしくね」


ミリアスは標準杖へ笑いかけた。


触媒庫の空気が、少しだけ軽くなる。


次に呼ばれたのは、ダルタス・エルヴェイグだった。

彼が前へ出ると、周囲の空気もわずかに変わる。


帝国代表。

それだけで、見る側の緊張が違った。


ダルタス本人は、いつも通り爽やかに笑っている。


「さて、何が反応するかな」


軽い口調だった。


だが、その視線は自分に用意された区画だけでなく、

触媒庫全体へ静かに向けられている。


ザルティが土属性の触媒区画を示す。


ダルタスがそこへ近づいた。


最初に反応したのは、深い褐色の指輪だった。


派手な光も、目立つ音もない。

指輪の内側に灯った光が周囲へ散らず、石の奥へ沈んでいくように見えた。


続いて、土属性の杖がいくつか低く光る。


ミリアスの時のように弾けることはなく、

静かに、深く、彼の魔力へ馴染んでいった。


「ずいぶん静かだな」


誰かが呟いた。


ダルタスは肩をすくめる。


「嫌われてはいないようで安心したよ」


冗談のように言うと、周囲から小さな笑いが起きた。


静かな反応だった。

それなのに俺には、触媒が彼へ馴染んだというより、従ったように見えた。


ただの先入観かもしれない。

それでも、妙な引っかかりが残る。


ダルタスは、最初に反応した褐色の指輪を選んだ。

指へ通した瞬間、光はさらに深い褐色へ落ち着き、指輪の奥へ静かに沈んでいく。


「扱いやすそうだ」


ダルタスは軽く言った。

まるで、最初からその指輪を選ぶことを知っていたような口ぶりだった。


次は、メルディ・トリステア。


彼女が前へ出ると、触媒庫の空気がわずかに変わった。

静かになったというより、澄んだ。


ザルティが光属性と水属性の区画を示す。


メルディは小さく頷き、その前へ立った。

最初に反応したのは、先端に透明な魔石を抱く白い長杖だった。


淡い白光が、静かに灯る。

次に、首飾りが光を返し、水属性の小さな指輪も青白い光を帯びた。


その反応は、押し寄せるものではなかった。

すがるようでもない。


選ばれた者を迎えるように、静かに道が開いていく。


白い光が、メルディの周囲へ薄く広がる。


柔らかい。

けれど、ただ優しいだけではない。


触媒庫の中で、その光だけが妙に高く、

遠い場所から降りてきたもののように見えた。


「聖女……」


誰かが、そう呟いた。


メルディは、その声に困ったように微笑む。


誇るでもなく、否定するでもない。

きっと、何度も同じ呼び方をされてきたのだろう。


少なくとも、俺にはそう見えた。


彼女が選んだのは、白い長杖ではなかった。


淡く光る首飾り。

細い鎖の先に、透明な石が嵌め込まれている。


メルディがそれを手に取ると、鎖の長さがゆっくりと変わった。

まるで最初から彼女のために作られていたかのように首元へ回り、

胸元で自然に止まる。


白い光は、透明な石の奥へ静かに収まった。


「杖ではないのか」


ザルティが問う。


「はい。こちらの方が、馴染みます」


メルディは静かに答えた。


その声に、迷いはなかった。


次に呼ばれたディムローは、少し様子が違った。


「ディムロー」


「は、はい」


彼は前へ出る。


火属性と風属性の触媒が、いくつか反応した。


赤い短杖。

風属性の指輪。

小型の魔導工具に近い触媒。


だが、本人は触媒の反応よりも、それらが並ぶ棚の構造を見ていた。


「……この固定術式、古い型だ。でも保存状態が異常にいい。そもそも湿度管理はどうなってるんだ? 地下なのに劣化がほとんどない。あ、あの杖、導線が二重になってる。何でだ? 出力安定用? いや、それだと魔力損失が――」


「ディムロー」


ザルティの声が飛んだ。


「選定を受けろ。棚を解剖するな」


「す、すみません」


ディムローは慌てて頭を下げた。


何人かが小さく笑う。


本人は真剣なのだろう。


ただ、触媒に選ばれることよりも、

触媒がどう作られているのかの方が気になって仕方がないらしい。


分かりやすすぎる。


最終的に、ディムローは小型の魔導工具に近い触媒を選んだ。

短い金属棒のような形で、先端には赤と緑の小さな魔石が埋め込まれている。


「杖というより、調整具だな」


ザルティが言う。


「は、はい。こっちの方が、内部構造を確認しやすそうで……あ、いや、壊しません。たぶん」


「たぶんをつけるな」


「すみません」


その後も、風の短杖や氷の指輪、土属性の首飾りに強く反応する生徒が続いた。

触媒ごとに光り方も、音も、温度も異なる。


同じ反応は、1つとしてなかった。


Sクラス。


やはり、ただの新入生の集まりではない。

そのたびにザルティは短い評価を加え、必要なら容赦なく注意を飛ばした。


そして、ほとんど最後に近いところで。


「フォルテア」


ルビアの名が呼ばれた。

触媒庫の空気が、わずかに張り詰める。


ルビアは表情を変えず、前へ出た。


ザルティが示したのは、火属性の長杖が並ぶ区画だった。


赤い魔石を抱いた杖。

焼けたように黒い木肌を持つ杖。

柄へ炎の紋様が刻まれた杖。


その中に、1本だけ異なる気配を持つ長杖があった。


灰白色の木肌。

先端に抱かれているのは、薄紫の魔石。

柄へ刻まれた紋様も赤ではなく、焼け跡を思わせる淡い薔薇灰をしている。


炎の杖というには、あまりにも冷たい色だった。


けれど、ルビアの赤い瞳は、その灰白色の長杖を見た瞬間、

ほんのわずかに止まった。


ルビアが、長杖の列の前へ立つ。


何もしていない。

ただ、そこへ立っただけだった。


次の瞬間。


杖が、一斉に反応した。

赤い光が、触媒庫の一角を染める。


1本ではない。


2本でもない。


火属性の長杖が、燃え盛るように光を宿していく。


歓迎なのか。

拒絶なのか。


どちらとも取れるほど強い熱が、周囲の空気を揺らした。


何人かの生徒が、思わず後ずさる。

ミリアスも、大きく目を見開いていた。


「すご……」


ザルティの目が細くなる。


「触るな、フォルテア。まだだ」


ルビアは答えなかった。


赤い瞳が、杖の列を静かに見ている。


その中で、1本だけ特に強く燃えている長杖があった。

先ほどの、灰白色の長杖。


薄紫だった魔石が、内側から薔薇色へ染まっていく。

柄に刻まれた薔薇灰の紋様も、火を宿したように輝いていた。


熱が、周囲の景色を歪ませる。

触れるには危険すぎる。


普通なら、そう判断する。


「フォルテア」


ザルティの声が低くなる。


ルビアは、その制止を聞いていた。

聞いたうえで、歩き出した。


一番強く反応した杖を前にして、退くという選択肢は、

最初から彼女の中になかったのかもしれない。


「おい」


ザルティが一歩踏み出す。


その瞬間、俺の左足も、わずかに前へ出ていた。

けれど、そこで止まる。


今、手を出すべきではない。

目の前にあるのは、彼女自身が選ぼうとしているものだ。


ルビアは、最も強く燃える灰白色の長杖の前へ立った。

白い右手が、炎に包まれた柄へ伸びる。


周囲が息を呑む。


次の瞬間、ルビアは長杖を掴んだ。

炎が、彼女の右手を呑み込む。


「――っ」


誰かが声を漏らした。


だが、ルビアは眉1つ動かさない。


燃えている。

けれど、焼かれてはいない。


杖の炎は一瞬だけ大きく膨れ上がり、触媒庫の防護術式が反応した。


床へ赤い線が走る。


ザルティが魔法を展開しかける。


その前に。

炎が、静まった。


一気に。


先ほどまでルビアの右手を呑み込んでいた炎が、

牙を収めるように柄と魔石の中へ戻っていく。


まるで、彼女を主人と認めたかのように。


ルビアの手の中で、灰白色の長杖は静かになった。


薔薇色に燃えていた魔石も、深い薄紫の奥へ光を沈める。

周囲で反応していた他の火属性杖も、次々に光を落としていった。


触媒庫に満ちていた熱が、ゆっくりと引いていく。


最後に残ったのは、ルビアの右手に握られた1本の長杖だけだった。


誰も、しばらく声を出せなかった。


ルビアは長杖を軽く持ち上げる。


重さを確かめるように。

けれど、その仕草には、もう迷いがない。


炎が消えた後も、白い右手には火傷も赤みもなかった。

彼女自身の内側で燃えているものの方が、あの程度の炎よりも強い。


だからこそ、灰白色の長杖は彼女を焼けず、最後には従った。


俺には、そう見えた。


彼女の赤い瞳が、ほんの少しだけ光を拾っている。


悪い気はしていない。

杖が反応したこと。

火の触媒が、自分を選ぶように一斉に光ったこと。


そして、その中で最も強く燃えた1本を、自分の右手で掴み取ったこと。


その事実を、彼女は確かに受け取っていた。


炎は、彼女を傷つける。


それなのに、彼女ほど炎に選ばれる者はいない。

彼女を傷つけるものほど、彼女を強く選ぶ。


その光景は、ひどくルビアらしく見えた。


ザルティは、しばらくルビアを見ていた。

やがて、小さく息を吐く。


「……次からは、制止を聞け」


「すみません」


ルビアは静かに答えた。

反省している声には聞こえない。


ザルティも、同じように受け取ったのだろう。片眉をわずかに上げた。


「その顔は、またやる顔だな」


「必要なら」


「必要だから止めたんだ」


「……すみません」


2度目の謝罪にも、やはり反省の色は薄かった。


ルビアは灰白色の長杖を手にしたまま、静かに元の場所へ戻る。

周囲から向けられるのは、賞賛と畏れ、そして羨望だった。


試験場の時と似た視線。


ルビアは、そのすべてを当然のように受け止め、

何も感じていないような顔で元の場所へ戻った。


そして。


最後に、俺の番が来た。


「ユアン」


ザルティが名前を呼ぶ。


触媒庫の空気が、また変わった。


先ほどまでとは違う。


期待ではない。

畏れでもない。

好奇心。


それから、わずかな嘲り。


魔力なしが、触媒庫で何をするのか。

そういう目だった。


俺は前へ出る。


触媒庫の中央に立った。


壁一面の杖。

棚に並ぶ指輪や首飾り。

魔導書。

武器型触媒。


それらが俺を見ているような気がした。


いや、違う。


見てすらいない。

俺には魔力がない。

触媒が反応するための流れそのものが存在しない。


ザルティが言った。


「まずは、標準杖だ」


俺は、目の前へ置かれた標準杖に手を伸ばす。


触れる。


何も起きなかった。


光らない。

震えない。


俺の手の中では、魔力を帯びた触媒ではなく、ただ削られた木でしかなかった。


周囲が、小さくざわつく。


「次。短杖」


触れる。

反応はない。


「長杖」


何も起きない。


指輪も。

首飾りも。

表紙に術式を刻まれた魔導書も、俺が触れている間、眠ったままだった。


最後に、武器型触媒の区画へ移る。


剣。

槍。

弓。


1つずつ触れる。

どれも反応しない。


最後の剣型触媒から、手を離した。


何も起きない。


触媒庫は、俺が選定を始める前と変わらない静けさへ戻っていた。

まるで最初から、この場所に俺だけ存在していなかったかのように。


「やっぱり、何にも反応しないのか」


誰かの声に、押し殺した笑いが重なった。


俺は、特に何も思わなかった。


いや。


何も思わないようにした。


慣れている。


魔力がないと言われることには。

何も選ばれないことにも。


最初から、期待していなかった。


そう思った時だった。


触媒庫の奥で、低い震動音が鳴った。


ごん、と。


何かが、封印棚の内側から扉を叩いたような音だった。


触媒庫にいた全員が、同時にそちらを見る。


杖ではない。

指輪でもない。

魔導書でもない。


音は、奥にある素材保管区画から響いていた。


ザルティの眉が、わずかに動く。


ディムローが、誰よりも早く反応した。


「……今の、触媒じゃない」


息を呑むように言う。


「素材の方だ」


奥の封印棚で。


銀色の何かが、かすかに震えていた。


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