第24話 大演習迷宮・序
それから、数日が過ぎた。
初日ほど、1つ1つの出来事を長く感じることはなくなった。
朝になれば授業へ向かい。
昼には別の講義棟へ移動し。
夕方には課題か自主鍛錬。
気がつけば夜になり、眠り、また次の朝が来る。
シルン魔導学院の生活は、想像していたよりずっと忙しかった。
選択授業は1日に3つか4つ。
その間にも、提出物や予習、実技の準備がある。
優秀な生徒ほど暇になるのではない。
処理が速いから、自分で使える時間を作れるだけだ。
俺の場合、魔法基礎理論の復習だけでも、他の生徒の倍近い時間がかかった。
理解できない単語を調べ。
調べた説明の中に、また知らない単語を見つける。
分からないものが、枝分かれして増えていく。
それでも、最初の講義よりはましになった。
少なくとも、教官の言葉がすべて意味不明という状態からは抜け出しつつある。
メルディの治療も、最初の日を含めて3度受けた。
魔力の通り道がない俺の身体は、普通の人間より治療しづらいらしい。
それでも、2度目には以前より早く損傷箇所を探り当て、3度目の確認では、左腕を動かしても痛みはほとんど残らなくなっていた。
強い衝撃を避けることを条件に、通常の鍛錬へ戻る許可も出た。
完全に元通りとはいかない。
だが、実戦で動けるところまでは戻っている。
治療師なら誰でもできることではない。
それを本人へ言えば、また複雑な顔をされそうだったので、口には出さなかった。
ルビアとも、以前よりは言葉を交わすようになった。
長い会話ではない。
廊下ですれ違えば、短く声をかける。
授業が同じなら、席につく前に一言二言話す。
あの日までのように、目が合うたび互いに何かを言い損ねることはなくなった。
それだけだった。
けれど、その程度の変化が、思ったより大きかった。
ミリアスは相変わらず誰とでも話し、どの授業でも楽しそうに魔法を使っていた。
以前より複数属性の切り替えが滑らかになっている気がしたが、本人は何も言わない。
ダルタスの周囲には、いつの間にか人が増えていた。
本人が声をかけて集めたようには見えない。
気づけば誰かが隣にいて、彼の言葉へ耳を傾けている。
そしてディムローは、授業が終わるたびに工房へ消えた。
教室で見かける時も、紙片へ何かを書き続けている。
声をかけても、返事が数秒遅れることが増えた。
理由は分かっていた。
俺の双剣だ。
◇
その日の昼。
魔法基礎理論の講義を終えた俺は、学院工房へ呼び出されていた。
金属を打つ音。
回転する器具。
熱せられた魔石の匂い。
学院工房は、何度来ても落ち着かないほど多くの音に満ちている。
ディムローは、奥の作業台の前に立っていた。
俺の姿を見るなり、赤い髪を揺らして手招きする。
「来たか」
「ああ。終わったのか?」
「一応」
一応。
その言い方に、嫌な予感がした。
作業台の上には、見慣れた2本の剣が置かれていた。
左手用の短剣。
右手用の、背の厚い片刃の長剣。
数日ぶりに見る。
外見は大きく変わっていない。
刃の形も。
柄の長さも。
俺が鍛冶屋へ頼み込んで作らせた時のままに見える。
けれど、よく見ると違った。
短剣の背から柄へかけて、鈍い銀色の細い筋が走っている。
長剣にも同じ金属が組み込まれていた。
こちらは背の内部を通り、柄の手前で途切れている。
虚環銀。
触媒庫で、俺に反応した金属。
「全部は入れてない」
ディムローが先に言った。
「許可された量も少なかったし、いきなり増やすと危ない。今回は、ほんの一部だけだ」
「何が変わった?」
「短剣の方は、触れた魔力の流れを少し乱しやすくした。吸収するっていうより、表面を崩す感じだ」
ディムローは短剣を指す。
「長剣は、その崩れた魔力を背へ流して、外へ逃がす補助。お前が元々やってたことを、少しだけやりやすくしてる」
「少しだけか」
「少しだけだ」
強調された。
「勘違いするなよ。魔法を無効化する剣じゃない。受けられる量が急に増えたわけでもない。クラスが上の魔法を正面から受ければ、普通に折れる」
「分かってる」
「あと、連続で使うな」
ディムローの表情が少し険しくなる。
「虚環銀は、魔力へ触れた時に、その一部を剣の内部へ引き込む。今の構造だと、取り込んだ魔力を綺麗に排出しきれない。短時間に何度も使えば、剣が熱を持つ」
「どれくらい持つ?」
「正確には分からない」
即答だった。
「最低限の安全試験は通した。低出力なら問題ない。だが、実戦でどれだけの出力を、何度まで受けられるかは試せていない」
「試作品を渡すのか?」
「だから一応って言っただろ」
ディムローは少しだけ視線を逸らした。
「学院の演習設備で段階的に確認しろ。剣が熱を持ち始めたら、そこで終わりだ。それ以上は受けるな」
「了解」
俺は作業台へ手を伸ばした。
まず短剣を握る。
柄の感触。
重さ。
重心。
数日借りていた学院の剣とは違う。
指の置き場所を考える必要もない。
身体が、最初からどこを握るべきか知っている。
次に長剣を持ち上げる。
少し重くなっている。
虚環銀の分だろう。
だが、不自然ではない。
むしろ、以前より背の重みがはっきりしたことで、斜めへ力を逃がす感覚を掴みやすくなっている。
腰へ戻す。
短剣。
長剣。
2本が、あるべき場所へ収まる。
その瞬間。
ここ数日ずっと残っていた違和感が、ようやく消えた。
借り物の剣でも戦えるよう、訓練はした。
別の武器を扱う経験も無駄ではない。
それでも。
これは、俺の剣だ。
「どうだ?」
ディムローが聞く。
俺は柄へ手を置いたまま答えた。
「戻ってきた感じがする」
「剣の感想を聞いたんだけど」
「それが感想だよ」
ディムローは一度黙った。
それから、わずかに口元を緩める。
「なら、壊すなよ」
「善処する」
「その言い方、絶対壊すやつだろ」
「頼りにしてる」
「まだ何もしてない。というか、もうやった」
「壊れたら次も頼む」
「人の話を聞け」
言いながらも、本気で嫌がっているようには見えなかった。
◇
午後。
Sクラスの生徒たちは、普段使っている教室ではなく、学年合同の大講堂へ集められていた。
1年生だけで、約700人。
全員が入っても余裕があるほど広い空間だった。
Sクラスだけではない。
A、B、C、D、E。
入学式以来、同学年のほぼ全員が同じ場所へ集められている。
何か大きな発表がある。
誰もがそう察していた。
壇上には複数の教官が並んでいる。
その中央に立っていたのは、ザルティ教官だった。
元軍人らしい真っ直ぐな立ち方。
腕を組み、講堂全体を見渡している。
ざわめきが収まるまで待つつもりはないらしい。
ザルティは、そのまま口を開いた。
「3日後、1年生全員を対象とした実戦実習を行う」
一言で、空気が変わった。
「場所は、大演習迷宮」
今度こそ、講堂全体が大きくざわめいた。
俺も、その名前は聞いたことがある。
学院敷地の外周近くに建てられた、巨大な半球状施設。
内部環境を結界によって作り変えられる、シルン最大級の演習場。
森林。
廃墟。
岩場。
地下通路。
水辺。
場合によっては、局地的な魔法災害すら再現できるという。
「静かにしろ」
ザルティの一言で、ざわめきが急速に小さくなる。
「目的は、教室で覚えた魔法を披露することではない。地形、魔獣、他の生徒、疲労、魔力残量。そのすべてを含めて、自分がどこまで動けるかを知ることだ」
壇上の背後に、巨大な光の板が浮かび上がった。
そこへ、実習の規則が順に表示される。
「迷宮内では、魔獣の討伐、指定課題の達成、他の生徒との戦闘によってポイントを獲得する」
魔獣ごとに点数が違う。
危険度の高い個体ほど高得点。
迷宮内部に配置された特殊課題にも、それぞれ点が設定される。
「対人戦も許可する。相手を戦闘不能と判定させた場合、その時点で相手が所持するポイントの半分を獲得できる」
空気が、さらに張り詰めた。
「倒された側も、残り半分は保持する。安全結界によって強制退場となった場合、一定時間の行動不能を経て、保護された指定地点から復帰する」
ザルティは背後の表示へ視線を向ける。
「致命傷に相当する攻撃には、結界が介入する。だが、痛みも衝撃も完全には消えない。魔力枯渇、疲労、装備への負荷も通常どおりだ」
怪我をしないからといって、何をしてもいいわけではない。
魔力を使い切れば動けなくなる。
剣が熱を持てば、それ以上は使えない。
体力を失えば、逃げることもできない。
「最大3人までチームを組める。ただし、チームで獲得したポイントは人数分に分割される。最終順位は個人点で決定する」
1人なら、すべて自分の点。
2人なら半分。
3人なら3分の1。
安全性を取るか。
得点効率を取るか。
選ぶのは本人次第ということだ。
「順位は常時表示しない」
背後の表示が切り替わる。
「自分の所持ポイントは確認できる。全体順位は、一定時間ごとに上位10名のみ公開する。終了直前の最終更新はない」
正確に狙った順位へ入るなら、他人の点数と動きを読む必要がある。
その時点では、まだ他の生徒と同じように説明を聞いていた。
次の表示が出るまでは。
「今回、上位入賞者には個別報酬を与える」
講堂の空気が変わった。
光の板へ、1位から順に報酬が並ぶ。
1位。
学院所属の教授・教官から1人を指名し、一定期間の特別個別指導を受ける権利。
ただし、指名した者の承認と学院側の許可が必要。
それでも、世界最高峰の学院で、自分の望む専門家から直接指導を受けられる。
講堂の各所から、息を呑む音が聞こえた。
2位。
学院の希少素材庫から、指定された非売品触媒素材を1点選ぶ権利。
金では買えないものや各国から寄贈されたもの。
災厄種や古代遺跡から回収されたもの。
学院が研究用に保管するもの。
大貴族であっても、簡単に手に入る報酬ではない。
3位。
本来は上級学年にのみ開かれる授業から、1科目を選び仮受講する資格。
一定以上の評価を得れば、そのまま正式履修へ移行できる。
4位。
学院秘蔵記録庫の限定閲覧権。
指定した1分野について、通常の学生には公開されていない資料を一定期間閲覧できる。
未解明の血統魔法。
過去の魔法災害。
古代術式。
災厄種。
ダンジョン。
魔導具事故。
世界中から集められた、金では買えない記録。
そして。
5位。
アトラス根。
その名を見た瞬間。
俺の意識は、他の報酬から切り離された。
アトラス根。
人体へ一度だけ定着し、筋肉、骨、腱の成長限界を永続的に引き上げる希少霊草。
服用しただけで、急に強くなるわけではない。
だが、その後の鍛錬によって、これまで以上の身体能力へ到達できる。
効果は1度きり。
2度目以降に摂取しても、身体は反応しない。
魔力回路には影響しない。
普通の魔法使いなら、1位から4位の報酬を欲しがるだろう。
教師。
素材。
授業。
知識。
どれも、魔法使いとして上へ進むためのものだ。
だが、俺には魔力がない。
どれだけ鍛えても、クラスが上がることはない。
魔力量が増えることもない。
俺が直接伸ばせるものは、身体だけだ。
アトラス根は、その限界を押し上げる。
他の誰かにとっての5位報酬。
俺にとっては、1位より価値があった。
「6位から10位には、学院施設の優先利用権。11位から20位には、追加の実習評価と補助教材を与える」
ザルティの説明は続いていた。
だが、半分ほどしか耳に入らない。
狙う順位は決まった。
1位ではない。
5位。
ただし、1位を取るより簡単とは限らない。
点を稼がなければ届かない。
だが、稼ぎ方を間違えば5位を越える可能性もある。
途中順位は一定時間ごと。
最後は見えない。
相手を倒せば、想定以上に点が増える可能性もある。
勝てばいい実習ではない。
自分が必要とする場所へ、正確に辿り着く必要がある。
「チーム登録は明日の正午まで。登録しない者は自動的にソロ参加となる」
説明が終わる前から、講堂の各所で視線が動き始めていた。
誰と組むか。
誰を誘うか。
誰なら点を分けても利益があるか。
ミリアスの周囲には、すでに何人かが集まりかけている。
本人は困ったように笑っていた。
メルディへ向けられる視線も多い。
治癒役がいれば、長く戦える。
誰もがそう考える。
ダルタスの周囲には、声をかけられる前から人が寄っていた。
彼は穏やかに笑いながら、それぞれの話を聞いている。
だが、自分が誰かと組むとは答えていない。
ディムローは、報酬一覧の2位と4位を交互に見ていた。
たぶん、どちらも欲しいのだろう。
そしてルビア。
彼女の周囲には、誰も近づけずにいた。
誘いたい者はいる。
だが、彼女へ声をかける勇気がない。
そんな空気だった。
ふと、赤い瞳がこちらへ向いた。
目が合う。
ほんの一瞬。
組むのか。
そんな考えが、互いの間を通った気がした。
けれど。
ルビアは先に視線を報酬一覧へ戻した。
俺も、5位の文字へ目を戻す。
彼女と組めば、点は半分になる。
ルビアも、同じ結論へ至ったのだろう。
少しして、講堂の外へ人が流れ始めた。
俺が席を立つと、近くを通ったルビアが立っていた。
先ほど目が合った時点で、互いの答えは分かっていた気もする。
それでも、ルビアは俺の近くで足を止めた。
「あなた、誰かと組むの?」
「いや。ソロで行く」
「そう」
ルビアは、それだけ答えた。
「君も?」
「当然でしょう。人数で分けるくらいなら、自分で取るわ」
「同じことを考えてた」
「あなたと一緒にしないで」
そう言いながらも、声には以前ほどの棘がなかった。
ルビアは、そのまま先へ歩いていく。
俺はもう一度、光の板を見る。
5位。
アトラス根。
総合優勝に興味はない。
名誉もいらない。
必要なものだけ取る。
そのために、何点必要なのか。
誰と戦うべきか。
誰を避けるべきか。
3日後。
大演習 迷宮が開く。
傷は、ほぼ治った。
剣も戻った。
次は。
試す番だった。




