第32話 サーシャの願い
男は驚愕に目を見開き、無意識に後ずさっていた。
自分を守るべき者は、こちらへやってきている少年に一蹴され倒れている。
とても信じられないことだった。
先程、闇延国から逃げてきたと言ったが、弱者が魔の巣窟から命からがら逃げてきたのとは訳が違う。
ライムは、闇延国でも指折りの暗殺者だった。
フリーで動き、数多くの猛者を仕留めていた。
だがある日、闇延国全体に網目のように縄張りを形成している闇ギルドのマスターが、余興としてライムを殺せと言い放ったのだ。
それにより、ライムは一気に窮地に立たされることになった。
闇ギルドに属する暗殺者、その総数は5千にも上り、その数が一斉にライムに牙を剥いたのだ。
1対5千、ライムの命運は火を見るより明らかであった。
しかし、ライムはその数の差を物ともせず、冷静にひとりずつ迫る敵を討ち、疲労困憊となりながらも闇延国ダークレギオンから逃げおおせたのだ。
故に、男──ザブンにとっては、たったひとりの子供にライムが敗れるなど信じがたいことであった。
そうしてザブンが呆気にとられていると、その目の前で黒髪黒目の少年は立ち止まった。
◆◆◆◆◆
「これで話せるね。奴隷商人」
奴隷商人──ザブンの手前まできた僕は、チラッと後ろでへたりこんでいる獣人の少女を見た。
至るところ傷だらけで、目の下に泣いたような後が残っていた。
首には見覚えのある無骨な首輪が着いており、無表情で僕のことを見上げている。
そんな少女の様子を伺っていると、ザブンが喚いてきた。
「き、貴様!私を誰だと思ってる!奴隷商会イェルダーのラメア支店長、ザブン様だぞ!今、奴隷を輸送している所だったんだ!邪魔をするでない!これは立派な業務妨害だぞ!」
「業務ねぇ。じゃあ、あんたがこの国で今まで行ってきたことを国家機関に教えようかな?」
「なッ……なに?」
「違法奴隷化、266件。略奪、180件。殺人、6件。誘拐、325件──」
僕がザブンが過去に行った犯罪を列挙していると、ザブンの顔色がどんどん青白くなっていく。
それは心当たりがあることに他ならない。
なぜ僕がこんなことを知っているかというと、それは神眼スキルのおかげである。
このスキルは、最初に思っていたよりもとてつもなく有能なスキルだ。
なんせ、対象が見えてさえいれば、殆どの情報は念じるだけで脳内に表示される。
今の僕の脳内には、ザブンの犯罪歴が箇条書きで出ている。
もちろん、一件ずつ詳細を見ることもできる。
そして、違法奴隷化欄の最も新しい箇所にそれはあった。
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詳細:レイザード王国のラメア南にある森にて、違法な手段で奴隷化した。
対象者:サーシャ
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──決定的である。
後ろの獣人の少女サーシャは、無理矢理奴隷にされた。
こんないたいけな女の子を……。
「ねぇ、奴隷商人。この世界には学校はないのかな?女の子に乱暴すんなって教わらなかった?」
この場には3人の少女がいる。
怯えさせないためにも、上手く調節した僕の殺気がザブンに突き刺さる。
もはや顔面蒼白で歯を鳴らして怯えているのに、まだ強気で食って掛かってきた。
「き、貴様、なぜそれを知っている!だ、だが、証拠などないんだ。それに、私のバックにはガバッド子爵がいる!結局、握り潰して終わ──ふぶぇっ!」
僕の平手打ちがザブンの頬を叩き、今度は反対の頬を手の甲で打つ。
片手での往復ビンタで、何度も叩いていく。
──バチン、バチン、バチン、バチン。
「ぐべっ!や、やめ、ぶへっ!や、べふっ!!」
元々肉がついて丸かった顔が、両頬が腫れてさらにひとまわり大きくなっていた。
「や、やめ!」
顔の前に両手を持ってきて、生意気にも防ごうとするザブンのがら空きの腹に蹴りを放つ。
それはもろに入り、後方へ吹き飛んで馬車の中に突っ込んだ。
ガシャーーン!!
僕はそれを一瞥もせず、サーシャの目線と合うようにしてしゃがみ込むと、優しい口調を心掛けて話しかける。
「サーシャだよね?僕はケイ。もう大丈夫だよ」
その言葉は、もう全てを諦めかけていたサーシャの心に、暖かい光となって入ってくる。
優しい声音に、さっきまでの絶望的状況がバカらしく思える程の絶対的安心感を伴う眩しい笑顔を見せられて、サーシャの両目からは大粒の涙が溢れだし、顔をぐしゃぐしゃにして大泣きし始めた。
彼女を知っている者が見れば、普段との違いに大きく困惑したことだろう。
「うん。泣いてスッキリしちゃいな」
サーシャが泣き止むまで、このまま何もせず見守っていようと思った。
◆◆◆◆◆
数分経って、徐々に落ち着いてきたサーシャだったが、突然ハッと何かを思い出し、慌てたようにあたふたし出す。
遠目に事の成り行きを黙って見守っていたリーザとエンリも、その様子に心配して近付いてきた。
「サーシャと言うのか?突然どうしたのだ?ケイに任せておけば、奴隷から解放してくれる。そんなに心配しなくても──」
そんなリーザの言葉には一切聞く耳を持っておらず、突然僕の足を強い力で抱き締めてきた。
全身を使って僕の足にまとわりついていて、ミシミシと嫌な音を立てている。
スキルを切っている状態の僕の体は、常人より少しだけ頑丈という程度だ。
傷だらけといえど、身体能力が人間の比ではない獣人の本気の力でこうされたら、足が砕ける。
スキルを切っている理由は、大抵の攻撃ではかすり傷も負わないあんな体に慣れないためだ。
と考えている間にも、僕の足が悲鳴を上げている。
僕はなんとかそれを意地で我慢しながら、腰を曲げてできるだけ優しくサーシャの頭を撫でる。
『もう大丈夫。僕がいる。だから、安心して話して』
そう頭の中で語りかけながら、この思いが届くようにゆっくり髪の毛を梳くようにして撫で続ける。
実はさっきから読心を使っているのだが、要領を得ないことしか伝わってこない。
このスキルは意外と使えないな。
そんなことを考えていると、いつの間にか足にまとわりついていた力は弱められ、また泣きそうな目で見上げてボソッと囁いた。
「お願い……リオラを…………助けて」
消え入りそうなサーシャの弱々しい声。
だがしかし、僕の耳にははっきりとその声、助けを求める声が届いた。
ならば、僕がすることはひとつだ。
「神眼、リオラの情報出して」
サーシャのもつリオラの情報。
その中に、所在地という箇所がある。
これはつまり、サーシャが最後に会った場所か或いは、長距離連絡手段等を用いて、そこにいるとサーシャが認識している場所。
ここに今もリオラがいる可能性が高い。
その所在地とは、ラメア南東の森の中にあるという洞窟の中だった。




