フォードとエヴァ①
そして、エンジンに火が灯る。
唸る機械のかたまりは、ペダルにかけた圧に答えて燃焼の速度を増した。
耳を貫く振動は、エンジンの回転。高さ10ヘイル、総重量7・5スルの重量級の機体を揺るがすに足りるとびきりの化け物。
内部骨格の奥深くに鎮座するそれは、最高で46万の回転数を叩き出し、最新の軽量級高速型以外の全てを圧倒する速度を鋼鉄の肉体に与えるのだ。あまりに、強いその震えの二重奏に、機体が軋み始めている。
しかし、気流で揺さぶられる輸送機もどきの腹にあっては、取るに足らないものだった。
起動に必要なのは、10分くらいで、エンジンが温まるまでに荷物の点検をもう一度やってもいいくらいだった。
人型兵器、通称「甲殻」。浮遊戦車より低いコストで作れるかつての戦争の代表兵器は、使いやすさも、それなりだ。ありったけの流用部品と、多重装甲と、改造の限りを尽くしたフォードの「三葉蟲」でもその起動速度は、そこそこを保っていられてる。
オイルを血とし、その身は鉄で構成する人型兵器の心臓を、ローペースの速度に調整し、レバーと、電気接続されたグローブに溜まる嫌な汗を知覚したフォードは、ノイズのわだかまる通信機を通して、相棒に「準備はできたか、エヴァ」と話しかけようとして、スイッチを入れていなかったことに気づいた。周波数の設定もまだだ。
ヘルメットと一体型の通信機は、旧型だったから、フォードは、少しばかりの苦労をした。何せ、嵩張る上に、手間がかかる。自動の暗号変換器を取り外しても不評を買う不良品だ。とにかく、何もかもが揺れの被害にあっていた。この程度で、使いにくさが増すこれは、払い下げられて横流しされるのには、ぴったりの品だ。そして、このコクピットは、絶え間なく爆音で埋め尽くされている。そして、何よりも問題なのは、それを全く意に介さないどころか、思考にすら挙げない相棒の精神だった。
機体の性能や、メンテには、儲けの半分をつぎ込むのに、コクピットの内装には、必要以上の金はかけない。雀の涙と言ってっも、言い過ぎなくらいには。だから、荷物を積み込んだ今は、動ける容積は一杯一杯一杯だ。
機体の性能に気を配るよりも先に、パイロットの精神面に気を配るということを知らないのは、今の相棒の欠点だった。
まあいい。それはいい。ごねてもどうにもならないことは、どうにもならない。
だが、その前にどうにかするべきだろう、と乾燥した空気の中に毒を放ったフォードが、四苦八苦しながら通信機をonにできたところで、通信が入ってきた。耳元に当てる。音量は、ちゃんと調節した。
砂嵐のノイズが、ザッと入って、「用意は?用意はどうだ、フォード」と、流れて、「上々さ」とフォードは言った。これの半分は、儀式みたいなものだ。靴を左右どちらから履く、とか左右どちらから踏み出すか、といったものに近い。
確認だった。戦意の。信頼の。
それが重要なのだ。
「そちらこそ、どうだい」とフォードも聞いてやる。
「もちろんさ」とノイズを突き抜けて、準備は万端といった自身に満ちた相手の声が、打てば響くとばかりに答えた。
そういうものだ、と内心の緊張が和らいでいくことを感じて、フォードは、レバーを握り直す。汗が滑るが、もうそれほどでもなかった。ついでに安心してもいいような気分になるものだから、レバーの硬さが手のひらを押し返すくらいに強く握る。和らげる、と解くのは別の話だ。ガタピシ揺れる輸送機の腹の中では特に。
まあ、目的地まで、後しばらく、話していられる時間はある。
「後10分くらいか、降下地点まで」
「8分だよ。8分と13秒、そろそろ、さ。フォード。」
つまらないことをしたり顏で語る相棒の声にも、緊張の色は薄かったが、さらにピクニックでもいくようなのんきさをただよわせさえすらしている。力んだ様子も何処にもない。何処でも同じだ。何があっても同じだ。どうでもいいとしか思っていない。相手の命も、自分の命も似たようなものだという碌でなしが今や、フォードの相棒だ。
「それで、このお仕事は、ドンパチやるような羽目になるのかな、聞いてるか」
こんな手合いは、あまり見かけられるものではない。少なくとも、金に困ったから、と言って軍を抜けたフォードよりか、複雑な事情を腹に抱えているものだ。よく、こんな女に背中を預ける気になったな、とフォードは、苦笑いを心の中でした。おかしさと、それを感じる自分に対しての少しの後悔。
「簡単なお仕事なんだ、今回は。俺たちがやるのは、ただのおつかいだ」固定具を確認。エンジンは、すこぶる好調。機器類は、全て順調をあらわす。さらに気流が輸送機を揺さぶるが、これくらいなら、大したことはない。
エヴァが、声をあげて笑って、「そんな訳があるわけ無いさ、まかり通る理屈がねえんだ」
隣に並ぶ「甲殻」がカメラ越しに唸る機体を身じろぎさせたように感じた。
複装甲で関節と脛と前腕を強化している以外は、殆ど防塵カバーをつけただけ。
半分骸骨のようなその機体を、「蠍」という。エヴァの甲殻だ。
塗装は、灰色。
フォードの甲殻と同じ色の甲殻は、追加された部品で膨れ上がったフォードの機体の似姿をを薄汚れた表面に浮かび上がらせ、無線から伝わるのと、少しずれたエンジン音を響かせる。
輸送機の格納庫は、唸りと振動で満ちている。
「ロクでもないお仕事には、何か、それなりの理由があるものさ、フォード」
ひび割れた音声の向こう側から、明瞭な声を届かせる相棒は、今や穏やかな楽しみで溢れている。
のんびりとした気持ちの良い喋り方をするものだ。
「たくさん、死ぬような仕事なんだ。たくさん殺すさ。そうなるんだ」
フォードは、レバーを握りこむ。声は、きっと不機嫌になってしまう。
「ああ、そうだな」狭い空間に、詰め込まれた荷物は、黒い小さなケースだ。
尻の舌に挽いたこいつを速く、出来るだけ速く確実に目的地まで運ぶ役に、幸運にも選ばれたのだ。
こいつが、向こうで金に変わる。
上等の酒を泳げるくらい買ってもまだ余るくらいの。前金は大したことはないが、その金額に見合った仕事だから、エヴァのいうとおりにはきっとなる。そういうものだ。
だいたい。
しかし、フォード達の懐は、今や、空っけつだった。
だから、こんな話に乗ってしまうような、すてきな状況に陥った。
「そうだ、そうだな、エヴァ」
フォードは、レバーを握る感触で、浮遊しそうな意識を保つ。
機体と自身を繋げているのは、四肢の先で動かすレバーとペダルのみで、二機の通信手段は旧式の無線機だけ。降下した後の移動手段は、とびきり乗りごごちが最高だときている。設計した奴に文句の百ではまだ足りない。
しかし、戦意は十分だ。
「最高さ」フォードは、しかめっ面を作って見せた。