お伽話の結末は―後編
――深夜のダンジョン・果てなしの森にて。
闇夜の女帝が夜空から命ある者を見守る時間帯、地上にいる一組の母子が再会を果たしていた。
……どうやらその再会は、どうも喜ばれる再会ではないらしい。
「どういうつもりであたしを喚んだの?」
喚ばれたのは、お風呂上がりにお肌のお手入れをしているときだったのだろう。ガウンを身に纏う肌はかなり赤く上気していた。ほかほかの湯気つき、である。――怒りで上気しているのもあるだろう。
「……お袋、あれ」
レアンはすっと指をさした――母の後方を。
リーアシェンシーは、巨大なスライムとレアンに挟まれる位地に喚び出されたのだ。
「何、あれって……」
リーアシェンシーは、レアンの指の指し示す方向を見遣りながら振り向いて、
「あらっ、ポチじゃないのっ!」
無邪気な笑顔で巨大スライムに向き合った。その笑みに、巨大スライムは後ずさった……かのようだった。
「あらっ、こんなに大きくなってぇ……」
リーアシェンシーがにこにこと近付く。すると巨大スライムは後ずさる。リーアシェンシーが近付く、巨大スライムは後ずさる――を繰り返す様子を見て、レアンは悟った。
どうやら巨大スライムは、リーアシェンシーの創った使い魔のような存在らしい。
ここ、果てなしの森は、レアンの母・リーアシェンシーが呪いをかけた亡国の姫君が住まう場所。黒歴史を暴かれたとき、洗いざらい吐いた彼女はいっていたではないか――呪いは十五、成人した年に発動する。
だからその年に己の未来を悟って引きこもった姫君を追って、番犬ならぬ番スライムをおいて、呪いの解呪を成就させないようにしたのだと。もちろん、美しく育ったのが腹立たしくてしたのだと。
……それを思い出す度に、レアンは思う。どこが純情なんだと。イイ年の癖にと。
「まあとにかく、今がチャンスだ」
巨大スライムは、リーアシェンシーから逃げるために塔から離れたのだ。長年離れなかったその場所を、だ。それだけリーアシェンシーが恐ろしいのだろう。
巨大スライムに相対する母をおいて、息子はすたすたと塔の扉に入っていった。
――背後で「還しなさいよー!」と叫ぶ母を無視して。還しの魔法を使うまでもない、自分で自宅に帰れよと思いながら。リーアシェンシーは、いまだに力の衰えない魔女なのだから。
★★★★★★★★★★
「ここが姫君がいらっしゃる塔……!」
レアンはごくりと唾を飲み込み、扉の取っ手に手をかけた。両開きの大きな扉は鍵がかかっていないようで、ぎぃ……と耳障りな大きい低い音を唸り立てて開いていく。
「へぇ?」
レアンは扉の取っ手に手をかけただけだった。なのに、扉は自動で開いた。重いはずの扉が、一瞬で。
――ここで、普通の冒険者なら罠などを警戒していることだろう。しかし、いまここにいるのはレアンだ。
「ラッキー」
楽観的思考で、レアンは塔の中へ入っていった。さすが安定の残念さに定評のあるレアンというべきか、彼は一切躊躇も見せなかった。
「――げぇっ!?」
そして彼は、ダンジョンを甘く見て突入していった輩の例に漏れず、見事に罠に引っ掛かった。彼は、やはり残念であった。
「何で、ええっっ?!」
鉄の尖塔に仕掛けられていた罠、それは五百年前も今も変わらず、罠の基本中の基本、たいへんオーソドックスな罠として世間に知られる仕掛けであった。
――その罠とは、
「何でっ、入り口付近以外全っっ部、階段まで穴なわけぇっ!?」
――大穴であった。
レアンは二歩目の足を踏み出した勢いのまま、ぐりんと回転して入り口の扉にしがみついた。彼の目と鼻の先には、真っ暗な空間が口を開けて待っていた。
「えげつねぇ、我が母ながらえげつねぇ!」
扉を開け、一歩までは安全地帯。しかし二歩から先は、踏み出そうとすれば床が一瞬にして失われた。もとからなかったのだ。幻の床だった。さすがは、えげつなさに定評のあるリーアシェンシーの作である。
鉄の尖塔の中に入ってすぐ視界に飛び込んでくるのは、真ん丸な広い空間、壁に寄り添うように螺旋を描く階段があるのみ。
きっと――モンスターの棲みかである大森林を抜け、巨大スライムを倒し、いざ鉄の尖塔の中に踏みいれば……何もない、何だ肩透かしかと思って足を踏み出せば、ジ・エンド……な仕掛けなのだろう。
実は、鉄の尖塔が建てられて以来、誰も引っ掛かっていない罠でもあった。皆、鉄の尖塔に辿り着くまでに、巨大スライムの餌食になったのだから。
そんな罠に、初めて引っ掛かったのが、罠を仕掛けた魔女の息子とは……世は良くできているものである。まさしく彼の残念さはピカイチであるといえるだろう。
「これ、どうやって行けと」
レアンは幼い頃より、悪運の良さと素早さと怪力と規格外の魔力でごり押しして、このダンジョンを経験してきた。
今日は初めて巨大スライムをどうにか回避し――手段はアレだが、そこも悪運の良さか――鉄の尖塔へいざ入れば、この有り様だ。
「………………」
レアンはしばし固まっていたが、すぐさまキレの悪い頭をどうにか動かし始めた。
時折、閉ざされた扉の向こうから、声にならぬ悲鳴と楽しそうな笑い声が響いてくるが……その笑い声がこちらへ向くまでに何とかしなければならない。でないと、次に笑い声の餌食になってジ・エンドを迎えるのは彼だからだ。
「……」
彼は、自分のステータスを思い出した。ギルドの門を叩き、冒険者の登録を行えば、誰でももらえるステータスカード。学校の先生の評価を思い起こさせるあれは、確かにレアンを数値化したものだ。
>>>>>>>‖・_・)
レアン・ストドレアン・ディートリッヒ
種族:人間
ジョブ:魔法使い
レベル:80
冒険者:ランクB
素早さ:マックス、良くできました。
賢さ:D……成人男性平均以下、努力しましょう。
ちから:S……怪力自慢をして喧嘩を売られても勝てるでしょう。
素早さ:マックス、良くできました。
体力:C……ヘタレでドジでしょう。自分の足に躓かないように気を付けることに頑張りましょう。
魔力:無尽蔵、人としておかしいでしょう。垂れ流していて勿体無いでしょう。
運:今日のあなたは対モンスター遭遇率が良すぎるかも? でしょう。
技力:E……スキルや魔法を放てばあら不思議、あり得ないコントロールで敵はおろか、味方であるパーティーでさえ巻き込むでしょう。ソロ向きでしょう。
>>>>>>‖T-T)
……たとえ、極端に片寄りすぎていて、辛辣に評価をされても、それは確かにレアンの実力だ。
だからこそ、レアンは頭を抱えた。彼の賢さの数値はランクD、意味は“成人男性以下、努力しましょう”だ。……いますぐに打開策なんて出るはずもなかった。
「…………はぁ」
溜め息を吐きながらも、レアンの視線が階段と足元を行き来する。
レアンが使えるのは、中級魔法まで。レアンは魔女の息子なのに、魔法の才が中の中だったし、技力はもう歩く兵器だし、賢さは要努力だし、それなのに魔力は半端ない規格外。
だからこそ、火力にものいわせてわざと暴発させ、あとは怪力にものいわせて殴る戦法だった。つまり、対モンスターしか通じない戦法だった。戦って、傷を癒して、戦って。
そんなレアンは、攻撃魔法と回復魔法しか知らない。
初めて立ちふさがる、ごり押しでは通れない道。破壊と回復しか知らない彼は、それでも姫君に会いたい。姫君は、すぐそこ。すぐそこなのだ。
――愛は、勝つんだよべべぇ。
そのとき、レアンの脳裏に彗星の如くひとつの言葉が現れた。遠い東国の、遥か昔の賢者の言葉だ。姫君への愛に目覚めた幼いレアンが、より愛を知るべく図書館で読み漁った文献に記されていた文言だ。
「愛は、勝つっ!」
目をキランギランギランと輝かせ、ガッツポーズを決めたレアンは前を見た。なんという前向き精神か。彼の疲れはてた光の無い目は、今や光を自ら発するまでになっているではないか。きっとうっすら後光も差し始めるに違いない……そのうち。
ずいぶんと前向きすぎる宣言に、宣言した本人が返されるとは思っていなかった返答があった。
硬直する彼の目の前で、灯りもない塔の内部を、輝かしい髪が明るく照らし出す少女がいた。
彼女は、螺旋階段をゆっくり歩いていた。緩く巻く黄金の髪は艶々と輝きながら、螺旋階段の上方まで長さが確認できる。
彼女は、螺旋階段を髪を結わずに垂らしながら降りてきた。故に、螺旋階段には、彼女の長い髪が絨毯のように覆われていた――つまり、螺旋階段は彼女の髪の輝きに照らされて、淡く輝いていた。
暗闇のなか、淡く輝く螺旋階段を降りるのは、光源でもある髪長姫その人であった。
髪長姫は、つり上がった大きな青い目をレアンに向けた。整った白皙の美貌の持ち主の視線と、レアンの視線が確かにまじあった。
「愛は勝つの? なら、わたしの呪いにも勝つの?」
髪長姫の美しさに見とれているレアンの前で、にょろと輝く髪の一房が動いた。
――それが合図だった。
「どわああー?!」
レアンは、狭い足元で拙いダンスを踊った。穴なんてなんのそので、髪が蜘蛛の巣のように大穴を埋めつくし、レアンに迫ったのだ。
「愛で勝てるなら、わたしの髪から逃げ切って。愛で勝てるなら、わたしの髪を掴んで」
――レアンは甘く見ていた。
お姫様は、必ずや助けを求める存在ではなかったのだから。レアンの求めた髪長姫は、自立していた。強かった。
レアンの、愛を示すための、そして愛を掴むための戦いの舞踏が始まった。
★★★★★★★★★★
タップ、ステップ、ダンス。
輝く髪の網の上で、髪のたくさんの房と魔法使いが戦い踊る。
タップ、ステップ、ダンス、転倒。
輝く髪の網の上で、素早さが取り柄だけれど、ヘタレでドジで、自分の足に躓くレベルの体力の魔法使いが踊り、やはり転倒する。
「うわあ、ああ」
マックスな俊敏さで、魔法使いは危ういところで髪の攻撃を避ける。まるで槍の雨のような攻撃であった。
待ち望んだ姫との初見に、出会ってすぐにまさか攻撃されるとは、レアンは微塵も思っていなかった。
だからこそ、どうしたらよいかわからない。
――姫君だから殴れないし、姫君を傷つけるから魔法は放てない。
レアン・ストドレアン・ディートリッヒ、窮地真っ只中。
けれども髪長姫は彼の気持ちなんて考慮しない。呪いに愛が勝てるのか、ただ試すのみ。
「さあ、勝ってみせて」
髪長姫は、今まで見てきた彼の“気持ち”の強さを知りたかったのだ。
人間にとって長い時間、幼少期から青年期の今までを、彼女に費やし続ける彼の気持ちの強さを。強さを見てから、髪を握って呪いを解いてもらうつもりだった。
そしてそのあと、元凶に見せつけるつもりだった。
――あなたの魔力とよく似た質の魔力を持った子が、わたしの呪いを解きに来たって、ね。
だから、髪長姫は髪を舞い踊らせる。自分の思うように動く髪を、くるくると回転させたり、するすると這わせてみたり、ざっと切り込んでみたりして、髪長姫は彼を試す。
十五になって呪いが発現し、突如髪がのびだして止まらなくなる前から、彼女の髪は自由自在だった。
それは、母の胎内にいたころに呪いをかけられたからだと、城の魔法使いの見立てだった。まだ母に守られ、自身で守る手段がなかった赤子だったため、母が呪いから守ろうとした結果、髪に髪長姫の魔力が全て宿ってしまったのだと。
呪いが解かれたら、どうなるかわからない魔力を宿した千変万化の髪。
もしかしたら、呪いとともに消えるかもしれないし、消えないかもしれない。
だからこそ髪長姫は彼を試す。髪の魔力を失った自分は、きっと身を守る手段をなくしている。そんな自分は、ダンジョンから出ることは叶わないし、今までのようにサバイバルだって出来やしないだろうから。
髪長姫は、彼には自分を守るだけの力があるのか、それを知りたかった。
「あなたは、わたしを守れる? わたしが髪長姫でなくなっても、わたしがただの人になっても、わたしを変わらず守れる、愛せるの? ――誓えるなら、この髪をとって、呪いを解いて」
髪長姫は、必死に髪の攻撃をかわし続けるレアンにを見た。
森の中では、魔力と怪力でごり押しする戦法しかてっていなかった彼。
そんな彼が、一切ごり押しをしていない。
彼はきっとわかっているのだ、規格外な魔力と桁外れなコントロール音痴の自分が、こんな狭い場所で魔法を放てば、どうなるか。
そして彼は、愛で何とかしようとしている。髪長姫への愛、それだけで、レベルマックスの髪長姫の攻撃に勝とうとしている。髪長姫はレベルがマックス、おそらくでなくとも彼よりも強い。
「愛ぃぃ!!」
彼は髪長姫より弱いし、何だか残念だけれども。
髪長姫のたくさんの髪の房が、転倒したレアンめがけて一気に集束し、目も止まらぬ速さで襲いかかった。毛先は全て、ドリル状になっていた。
「はぁ、勝ぁつうう!!」
対するレアンは、起き上がろうとして再び自分の足に躓き、さらに派手に転倒した。
しかし――
「ち、ちょっと!?」
髪長姫は、確かに見た。
「レアン・ストドレアン・ディートリッヒ、髪長姫に誓います! 変わらぬ愛を、捧げることをっっ!!」
――彼は、掴みとった。転倒の勢いを殺さずにそのまま、髪長姫の攻撃に体を突っ込んで、見事に髪を掴みとった。
髪長姫の目の前で、勇敢にも自ら攻撃に身をさらして、ドリル状の毛先を掴みとった。血塗れになって、虎穴に入らずんば虎子を得ずを体現した。
――ステータスが偏ろうが、残念であろうが、規格外であろうが、確かにガシッと髪を、愛を掴みとるだけの想いの強さを、レアンは持っていたのだった。
「ありがとう」
――そして、五百年にわたる呪いは解かれた。
★★★★★★★★★
「は?」
リーアシェンシーは思わず聞き返した。今、この残念馬鹿息子はなんといった? と、そんな心境だった。だから、リーアシェンシーは聞き返した。
「いま、何て」
リーアシェンシーの気のせいだろうか。息子の隣に、ものすごく嫌う故人夫婦の面影を持つ少女が立っている。とくにつり目がちの大きな、猫のような青い双眸。その青い双眸はあの忌々しい男を彷彿とさせるではないか。
確か、さっき昔にかけたかな〜的な呪いか何かが破壊されたな〜、的な感じがしたなと思いはしたが、とリーアシェンシーは鈍い頭で考えた。
――黒歴史を嫌でも思い起こさせられる、呪いの解除と、あんにゃろうの面影がある少女。答えは明らかだ、明らかすぎた。しかし、リーアシェンシーは認めない、認めたくはない!
「いやー!」
黒歴史の塊が現れ、愛する旦那との間に生まれた息子の隣にたつ。誰が呪いを解いたなんて一目瞭然。リーアシェンシーは、過去の自身を呪いたくなった――何で髪を掴んだだけで解ける呪いをかけた! と。
「――覚えている?」
勝ち誇ったように微笑む髪長姫に、リーアシェンシーはついに逃げた。自ら還しの魔法を使い、帰還したのだ。
「あら、逃げた」
驚いて目をぱちぱちさせる髪長姫に、レアンは嬉しそうな笑みを向けた。とても、とても幸せでたまらない、そんな笑みだった。
「まあ、いつでもいいんじゃないかな、お袋は親父の側は離れないから。……一緒に、来てくれるよね?」
レアンは躊躇いがちに手を差し出した。
「ええ、もちろん!」
髪長姫は、喜んで差し出された手を握った。
――二人の新たなる門出を、輝く夜空にて二人を祝福せんとばかりに、満月が雲から顔をだし、二人を照らし出した。
……めでたし、めでたし。
これにてめでたし、めでたし。
ご覧いただき、ありがとうございました。