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明智光秀:歴史改変録 ~逆行転生した歴史オタク、三日天下を永遠の覇権へ~  作者: 天音天成
第5章:本能寺の変・完全版 ~そして麒麟は飛翔する~

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第12話:天王山への死の行軍と、天才の確信

天正10年(1582年)6月13日。

本能寺での信長の死という天下を揺るがす事件が起きてから、わずか十一日後のことである。


連日、山陽道の泥を深く抉り、兵士たちの体温を容赦なく奪い続けていた梅雨の冷たい雨が、ようやく上がった。

分厚く垂れ込めていた灰色の雲の切れ間から、初夏の強烈な日差しが地上へと差し込み始めていた。

だが、雨が止んだことは、地獄の行軍を続ける羽柴軍の兵たちにとって決して「救い」にはならなかった。いや、むしろ新たな地獄の釜の蓋が開いたと言っていい。


急上昇する気温により、たっぷりと水分を含んだ泥だらけの地面から立ち上る湿気が、ねっとりとした不快な熱気の壁となって将兵の体にまとわりついた。息を吸うたびに、生温かい泥と汗の臭いが肺の奥底まで入り込み、内臓を焼き焦がすように体力を劇的に奪っていく。鎧の中は蒸し風呂のようになり、脱水症状で意識が朦朧とする者が続出する。


そんな過酷極まる気象条件の中。

羽柴秀吉率いる三万の軍勢は、人間の肉体の限界をとうに超えた驚異的な速度で、ついに京への入り口である最大の要衝――山崎(天王山)へと辿り着いていた。


「ハァ……ッ、ハァ……ッ……着いた。ついに、着いたぞ……! 間に合った……我らが、一番乗りじゃ!!」


全身を泥と汗、そして擦り切れた足から流れる血にまみれ、肩で激しく荒い息をしながらも、秀吉は馬上から天王山とその眼下に広がる山崎の平野を睨みつけ、狂気に満ちた歓喜の笑みを浮かべた。

己の執念が、明智光秀への煮えたぎるような憎悪が、そして天下への渇望が、戦国の常識では絶対に不可能な「奇跡の強行軍」を成し遂げたのだ。


「おおお……ここが、山崎……!」

「京はすぐそこぞ……上様の仇が、目の前に……!」


秀吉の背後に続く三万の将兵たちもまた、文字通り幽鬼のような形相であった。

雨水をたっぷり吸って鉛のように重くなった甲冑が肩に深く食い込み、擦れた肌からは血が滲んでいる。何日もまともな睡眠をとらず、走りながら泥水を啜るような極限状態を生き抜いてきた彼らの目は、落ち窪み、血走り、尋常ではない光を放っていた。

草鞋わらじはとうの昔に千切れ飛び、剥き出しになった素足で鋭い砂利や木の根を踏みしめ、足の裏の肉が裂けて血まみれになっている。一歩歩くごとに血の足跡が泥に刻まれる有様だ。

平時であれば、とっくに軍としての組織的な機能を失い、一歩も動けなくなっていてもおかしくない完全な崩壊状態である。


だが、秀吉という底知れぬカリスマの引力と、「逆賊を討ち、莫大な恩賞を手にする」という強烈な大義名分と欲望が、彼らを死の淵から強引に引き戻し、狂気の推進力で突き動かしていた。


(間に合った! わしの勝ちじゃ! わしはついに、あの明智を出し抜いたのじゃ!)


秀吉は、馬上から眼下の朝靄あさもやに包まれた平野を見下ろしながら、己の勝利を完全に、一ミリの疑いもなく確信していた。

泥だらけの顔を歪めてわらう彼の明晰な脳内では、自らの天才的な軍才と「戦国の常識」に基づいた、完璧な計算式が弾き出されていたのである。


まず、兵力差である。

秀吉が道中に放っていた放ちのスパイからの断片的な情報や、光秀のこれまでの動静から推測するに、明智軍が現在動かせる直属の兵力は、せいぜい一万三千から一万五千といったところだろう。

対する羽柴軍は、極限の疲労困憊にあるとはいえ、毛利戦線という最前線で何年にもわたり実戦を重ねてきた三万の精鋭である。平野部での野戦となれば、小手先の戦術よりも、この「二倍以上」という数の暴力が絶対的な優位をもたらす。


さらに秀吉は、勝敗を分ける最大の鍵となる「畿内の大名たちの去就」について、絶対の自信を持っていた。

光秀の与力であり、深い縁戚関係にある細川藤孝や筒井順慶といった有力大名たち。彼らがどのような動きを見せるかが焦点だが、秀吉は「奴らは絶対に明智に味方しない」と断言できた。

なぜなら、これは「主君殺し」という、戦国の世にあっても最も忌むべき天を恐れぬ大逆罪だからだ。いくら明智光秀が優れた知将であり、親戚であろうとも、そんな狂人に大義名分もなくホイホイと便乗する愚か者は、この日の本の大名には一人としていない。彼らは必ず情勢を見極めるため、己の城に引きこもって固く門を閉ざし、静観を決め込んでいると固く信じ切っていたのだ。


(いくら光秀といえど、こればかりはどうにもならん! 奴は今頃、己の目論見が外れて想定外の孤立無援に陥り、震え上がっておるはずじゃ! 朝廷への工作、身内の説得、京の治安維持……やらねばならぬことが山積みで、完全に手一杯のはずじゃ!)


これこそが、秀吉が戦国時代という血みどろの世を生き抜き、天下人の右腕にまで上り詰めた経験から導き出される「常識の帰結」である。


(ならば、奴がこの山崎の平野に、我が三万の大軍を完璧に迎え撃つための強固な野戦防衛線を敷く余裕など、時間的にも物理的にもあるはずがない! 急ごしらえの脆弱な陣形を、数の暴力で一気に踏み潰してやるわ!)


準備の整っていない平野部での大軍同士の激突となれば、奇策など関係ない。「圧倒的な機動力」と「手数の暴力」が、すべてを蹂躙する。自分がどれほど疲弊していようとも、突撃の推進力さえあれば勝てる。


秀吉の胸中を支配するのは、かつてないほどの高揚感と、長年光秀に抱き続けてきたドス黒いルサンチマン(怨恨)の解放への期待だった。

墨俣での一夜城。金ヶ崎の退き口。比叡山。本願寺。

自分が血の汗を流して掴み取ろうとした栄光を、いつも涼しい顔で、まるで魔法のような未知の知識と莫大な金で奪い去っていった男。

「お前には無理だ」と鼻で笑われているような屈辱を、秀吉はずっと味わってきた。


(だが、今回ばかりはわしが上を行く! あの光秀が、泥水に塗れて這いつくばり、わしに命乞いをするのじゃ! 想像するだけで、腹の底から笑いがこみ上げてきおるわ!)


秀吉は、極限の疲労も忘れ、馬上で立ち上がるようにして全軍に向かって振り返った。


「皆の者、よくぞここまで耐え抜いた! この羽柴秀吉、お前たちの忠義と勇気に心から感謝する!」

秀吉は、泥だらけの将兵たちに向けて、腹の底から血を吐くような大音声を張り上げた。その声には、疲労を微塵も感じさせない、不思議な熱がこもっていた。


「見よ! 眼前の平野にいるのは、主君を討ち、天罰に怯える逆賊・明智の少数部隊じゃ! 奴らは我が軍の到着の異常な早さに、完全に腰を抜かして震え上がっておるわ! 我が三万の兵で数にものを言わせ、一気に押し潰してくれるわ!!」


秀吉の激に、限界を迎えていたはずの将兵たちの瞳に、再び狂気のような光が灯った。

これが終われば、莫大な恩賞が手に入る。泥にまみれた地獄の日々が報われ、自分たちは天下人の家臣として栄華を極めることができるのだ。

最後の生命力を燃やし尽くすかのように、三万の軍勢が地鳴りのようなときの声を上げた。


「うおおおおおおっ!! 逆賊を討てぇぇぇっ!!」

「一番槍は俺じゃ!! 恩賞は俺の物だァァッ!」

「明智の首を獲って、京の都で美味い酒を飲むぞォォッ!!」


三万の凄まじい殺意と欲望が、天王山の木々を揺らし、山崎の平野を激しく震わせる。

彼らの士気は、皮肉なことに、この過酷な行軍を乗り越えた達成感によって異常なまでに研ぎ澄まされ、最高潮に達していた。


秀吉は再び馬首を前方に向け、黄金の軍配を天高く振り上げた。


「全軍、陣形を整えよ! 天王山から駆け下り、逆賊・明智の首を獲れえええ!!」


秀吉の号令とともに、羽柴軍の先鋒数千が、怒涛の勢いで山崎の平野になだれ込んでいく。

勝利の確信に満ちた、猛烈な突撃。足の痛みも疲労も忘れ、武功を立てて一攫千金を狙う野心に取り憑かれた兵たちが、地平線を埋め尽くす茶色い泥の塊となって、明智軍の陣地があるはずのもやの奥へと一直線に殺到する。


(いける。勝てる。わしが天下を獲る。あの憎き明智光秀のすました顔を、わしの泥まみれの足で思い切り踏み躙ってやるのじゃ!)


秀吉の脳内には、黄金に輝く己の未来の姿が、そして光秀がひざまずく至高の光景が、はっきりと色鮮やかに映し出されていた。


だが――。

突撃を開始した兵たちが平野部に達したその時。

雨上がりの深い朝靄が、初夏の風に完全に吹き流され、前方に布陣する『明智軍の陣立て』の全貌が、徐々に視界に飛び込んできた。


「……え?」


秀吉の顔から、スッと、完全に血の気が引いた。

彼の口から漏れたのは、勇猛な指揮官としての怒号でも、前線への細かな指示でもなく。

ただ、己の理解を完全に超えた、未知なる異物に対する、純粋な恐怖と絶望の呟きだった。


秀吉の天才的な頭脳が導き出した「戦国の常識」は、未来からやってきたチート知識の前では、ただの滑稽な勘違いに過ぎなかったのだ。


戦国時代の終焉を告げる、残酷で圧倒的な絶望の幕開けであった。

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