第13話:狂気のクーデター宣言
「なっ……!?」
家康の双眸が極限まで見開かれ、同時に、バサッという激しい衣擦れの音とともに、彼の右手が腰の刀の柄をきつく、白くなるほど強く握りしめた。
堂外の縁側からも、「ギシッ」と微かに床板が軋む音がした。主君のただならぬ気配と、俺の放ったあまりにも危険な言葉を察知した本多忠勝が、いつでも堂内に飛び込めるよう獣のように身構えたのだ。
家康の顔には、信じられないものを見たという驚愕、俺の真意を測りかねる激しい混乱、そして何より、明智光秀という男が放った言葉の「重み」と「結果」に対する深い恐怖が入り混じっていた。
「……明智殿、ご自分が何を言っているのか分かっているのか!? 貴方は上様の最も信頼する筆頭家老ではないか! 織田家の全軍を動かせる立場にあるお方が、それを討つだと? 冗談や酒の酔いで済まされる言葉ではないぞ! 正気の沙汰とは思えん!」
家康の押し殺したような、しかし激情をはらんだ怒声が、古寺の冷たい空気をビリビリと震わせた。
無理もない。今の織田信長は、絶対的な権力と圧倒的な武力、そして日本中の富を独占する『魔王』だ。それに真っ向から反旗を翻すなど、自ら一族郎党の首を差し出すに等しい、完全に狂った自殺行為である。
だが、俺の心拍数は驚くほど平穏だった。俺は微動だにせず、刀の柄を固く握る家康の手元に視線を落とし、それから再び真っ直ぐに、家康の瞳の奥を見つめ返した。
「お待ちを。言葉が足りませんでした。正確には『本能寺で討ち取ったことにする』のです。……これは、天下への野望から来る謀反ではありません。破壊の役割を完全に終えた上様を、この狭い日本の狂気から救い出し、無限の海が広がる『世界』へ逃がすための、極めて計算された『大芝居』なのです」
「芝居……? 上様を、世界へ逃がす……? 馬鹿な、何を言っている」
家康は刀の柄から手を離さなかったが、その刃を抜くことはなかった。俺の瞳の中に、野心に狂った謀反人の濁った光ではなく、極めて理知的な、一歩先はおろか百歩先までを計算し尽くした静謐な光を見たからだろう。
「上様は、すでに平和になりつつあるこの日の本では、生きていくことができません。壊す敵がいなくなった魔王は、己の存在意義を失い、虚無に苛まれ、やがてその矛先を身内に向け……味方を次々と粛清し始めます。現に、長年織田家を支えてきた佐久間信盛殿の、あの理不尽極まりない追放劇。……徳川殿も、最近の上様の瞳に宿る『危うさ』と『虚無』は、肌で感じておられたはずだ」
俺のその言葉に、家康はハッとして息を呑み、ついに刀の柄からゆっくりと手を離した。
図星だったのだ。家康もまた、明日は我が身かもしれないという恐怖を、心の最も深いところで抱えていた。「確固たる同盟国」という名目であっても、用済みとなればいつ難癖をつけられ、切り捨てられるか分からない。信長の瞳から失われつつある破壊者の覇気と、代わりに宿り始めた底知れぬ虚無の闇を、家康も確かに見て、恐れていたのだ。
「だからこそ、私が日本一の大悪人という汚名を被り、上様を未だ見ぬ強敵がひしめく海の外、南蛮世界へ放ちます。上様も、すでにこの計画を喜々として了承しておいでです」
「上様ご自身が、了承していると……!? あの御方が、自ら天下人の座を捨て、表舞台から消えることを承知したというのか」
「ええ。ですが、問題はその後なのです、徳川殿」
俺は家康に向かって、わずかに身を乗り出した。蝋燭の灯りが、俺たちの顔に深い陰影を落とす。
「強大な楔であった上様が消えれば、再び天下は乱れます。信長という恐怖のタガが外れれば、野心を持った者たちが一斉に蜂起し、再び血みどろの覇権争いを始めてしまう。それを防ぐために、貴方の力が必要なのです」
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