第15話:物理法則と古武術のチート(再改稿版)
凄惨な死地に似つかわしくない、俺の小馬鹿にしたような余裕たっぷりの挨拶。
それに激高したのは、マムシの首を目前にして横槍を入れられた土岐氏の残党たちだった。
「ふざけた若造が、死にたいか! 邪魔立てするなら手前らから血祭りにあげてやる!」
怒号と共に、残党のうちの三人が抜刀したまま泥を蹴り上げ、俺に向かって猛然と斬りかかってきた。
大上段から振り下ろされる、怒りと殺意に任せた大振りの「唐竹割り」。殺気と腕力だけは立派なものだ。並の足軽であれば、その迫力だけで足がすくみ、脳天から真っ二つにされていたことだろう。
だが、俺の目から見れば、彼らの動きの軌道はスローモーションのようにすべて丸見えだった。
(俺がなぜ、供も連れずにたった一人でこの死地へ乗り込んできたか。それは決して無謀なハッタリではない)
六歳の頃は、頭の中にある高度な武術の知識に、子供の未発達な肉体がついていかなかった。だが、今は違う。
この十年間、俺は【絶対記憶】から引き出した現代の「栄養学」と「スポーツ科学」を駆使して徹底的な肉体改造を行い、この時代では規格外となる六尺(約180センチ)近い強靭な体躯を手に入れた。そして、脳内に詰まった『古武術の歩法』や『近接格闘術(CQC)』のデータを、毎日の修練によって現実の肉体と完璧に同期させてきたのだ。
だからこそ、この程度の野盗上がりの集団を相手にするなら「計算上、絶対に負けない」という確信があった。
(この時代の剣術は、どうしても『鎧(具足)を断ち切る、あるいは鎧越しに打撃を与える』ことに主眼を置いている。そのため、腕力と遠心力に頼り切りで、予備動作が大きすぎるのだ)
しかもここは、大量の雨を吸い込んだ急斜面の泥濘である。
足場が極端に不安定な状態で、己の体重以上の力で太刀を振り回せばどうなるか。物理学的に考えれば、重心の制御など絶対に不可能だ。
敵の筋肉の収縮具合。重心の移動経路。刀が空気を裂いて降りてくる角度と速度。
それらのベクトルを最も効率的に無力化するための演算(運動方程式)が、俺の脳内でコンマ数秒のうちに完了する。
「ふっ」
俺は、腰の打刀を抜かなかった。
向かってくる分厚い刃に対し、泥を跳ね上げない最小限の「半歩のすり足」だけで、スッと首を傾げて躱す。
敵は俺の脳天を割ったつもりで、全力で刀を振り下ろした。だが、刃は虚しく空を切り、泥に突き刺さる。そして全力の空振りの反動と、足場の悪さが相まって、男の巨体は完全に前のめりにバランスを崩した。
その無防備になった顎の下――人体の急所である『星状神経節(交感神経の集まる部位)』に向けて。
俺は、閉じかけた黒漆塗りの番傘の柄を、下から突き上げるように正確に、そして強烈に突き入れた。
「ガッ……!?」
腕力ではない。男自身の「前に倒れ込む運動エネルギー」を逆利用し、傘の柄を支点にした物理学的な『てこの原理』を応用した一撃だ。
脳を激しく揺らされ、神経回路をショートさせられた男は、悲鳴を上げる間もなく白目を剥き、ドシャリと重い音を立てて泥の中に崩れ落ちた。完全な脳震盪である。
「なっ……!?」
仲間が一瞬にして、しかも刃すら交えずに倒されたことに驚愕し、二人目の男の動きが完全に止まった。
実戦において、この「一瞬の硬直」は致命的だ。
俺はそのまま流れるような円運動で身を沈め、二人目の男の膝の裏――関節の保護が一切ない急所『ひかがみ』に向かって、自分の全体重を乗せた鋭い蹴りを叩き込んだ。
ゴキッ、という靭帯が軋む嫌な音と共に男の膝が砕け、悲鳴を上げて体勢を崩す。その首筋の頸動脈へ、すかさず手刀を叩き込む。
頸動脈洞反射による急激な血圧低下。男の意識は一瞬で刈り取られ、糸の切れた操り人形のように泥水の中へ沈んだ。
「ば、化け物か……!」
「あんなガキが、刀も抜かずに……!?」
三人目の男は、恐怖のあまり刀を取り落とし、腰を抜かして泥の中に尻餅をついた。
ほんの数秒の出来事だった。
刀すら抜かず、荒々しい殺気も出さず、呼吸一つ乱さずに、傘一本で屈強な大の男たちを次々と無力化していく俺の異常な姿。
先程まで勢いづいていた残党たちは、完全に恐怖で足を止め、後ずさりを始めた。
彼らの目には、俺が人間には見えなかったはずだ。
それもそのはずである。俺の『現代科学を応用した古武術』には、無駄な動きや力みが一切ない。泥を跳ね上げることもなく、雨粒すら最小限しか受けていないため、俺の着物や顔は、この血なまぐさい乱戦の場において「異常なほど綺麗」なままなのだから。
「どうした? マムシの首を獲るのではなかったのか。まだ三十人ほど残っているだろう。かかってこい」
俺が番傘をくるりと回して雨粒を払いながら、冷たい声で挑発すると、残党たちは完全に戦意を喪失した。
未知の体術を使う、底知れぬ化け物のような若者。これ以上立ち向かうだけの精神力は、彼らには残されていなかった。
「ひぃっ! に、逃げろ!!」
頭目が悲鳴を上げて踵を返すと、残党たちは蜘蛛の子を散らすように、泥まみれになって斜面を逃げ去っていった。
わずか数分。絶体絶命と思われた包囲網は、俺というたった一個のイレギュラー(未来知識)の介入によって、完全に崩壊したのだ。
俺は小さく息を吐き、再び番傘を開いて雨を凌ぐと、泥の中に倒れる男たちを一瞥もせずに、ゆっくりと道三の方へ向き直った。
「お怪我はありませんか、道三様」
俺が恭しく頭を下げると、道三の蛇のような鋭い眼光が、笠の奥から俺の全身をねぶり回すように射抜いた。
自分を絶対の死地から救ってくれた恩人に対する、安堵や感謝の言葉は一切ない。
あるのは、「なぜ、誰も知らないはずの自分の隠密行動を把握し、この絶妙な死地に現れたのか」という強烈な疑念と、底知れぬ警戒だけだ。
道三は、大太刀の柄から手を離していなかった。むしろ、逃げた残党たちに向けていた時よりも、さらに濃密で冷酷な殺気を俺に放っている。
(さすがはマムシだ。さっきまで死期を悟っていた男とは思えないほどの覇気だな)
道三が先ほど死を覚悟したのは、あくまで「足場の悪い泥濘で、退路を断たれた上で三十人の敵に囲まれた」という『数の暴力と環境』によるものだ。
だが、今の相手は俺一人である。
いくら俺が奇妙な体術を使い、泥濘を逆利用して敵をいなしたとはいえ、一対一の立ち合いになれば話は別だ。長年、血で血を洗う戦国を生き抜いてきた己の大太刀の間合いに入れば、こんな若造など一刀両断にできる――道三のその歴戦の猛将としての老獪な自負とプライドが、俺に対する強烈な殺気となって表れていた。
「…………お主、明智光綱の小倅だな。なぜ、ここにいる?」
低い、地鳴りのような声だった。
(さすがはマムシだ。命を救われた程度で「おお、恩人よ!」と無防備に心を許すような安い男なら、俺のパトロンとして交渉する価値などない)
俺は心の中で道三の冷徹さを高く評価しつつ、番傘の下で、わざと芝居がかった口調で答えた。
「『天』が、私に教えてくれたのです。今日、この時、この場所で局地的な大雨が降り、橋が落ち、反逆者が貴方様を狙うと」
「天、だと?」
道三の極太の眉が、不快げにピクリと動いた。
「戯れ言を。己の奇妙な術を笠に着て、このわしをたぶらかそうという腹か? 貴様が裏で残党と糸を引き、自作自演の恩売りを企てたのではないという証拠があるのか」
「戯れ言かどうかは、今まさに貴方様がその目でご覧になったはずです。私がここに来なければ、道三様はここで泥にまみれて死んでいた。……違いますか?」
俺の不遜な物言いに、生き残った道三の側近たちが「無礼な!」といきり立つ。だが道三はそれを片手で制し、俺の目をじっと見つめ返してきた。
その目には、俺を「ただちに殺すべき危険分子」と見なすか、「利用すべき規格外の道具」と見なすかの、冷酷な天秤が凄まじい速度で揺れ動いているのがわかる。
「……何の目的で、わしに近づいた」
「ええ。私は天の理と、未来を知る者。道三様、貴方様に『莫大な富』と、日の本を制覇するための『絶対的な力』をもたらすために参りました」
雨に打たれる薄暗い山道で、俺は戦国の怪物に向かって、この時代にそぐわない獰猛な笑みを浮かべた。
武力と神秘性によるデモンストレーションは、完璧な形で終わった。俺という存在を、マムシの脳裏に「無視できない劇薬」として強烈に刻み込むことに成功したのだ。
ここからが、俺の脳内にある【現代知識】という最強の商品を売り込むための、真の「プレゼンテーション」の始まりである。
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