第13話:天文十二年、歴史が動く年(改稿版)
時というものは、目的もなく過ごせば残酷なまでに遅く感じるが、明確な目標に向かって狂気的に準備を進める者にとっては、瞬きする間に過ぎ去っていく。
あの小川のほとりで熙子と出会い、俺が「本当の覇道」へ覚醒してから、さらに十年の歳月が流れた。
天文12年(1543年)。
俺が「明智光秀」としてこの世界に転生してから十五年が経過し、俺は数えで十六歳になった。元服を済ませ、名を正式に「明智十兵衛光秀」と改めている。
前世の記憶を持ったまま、確固たる目的意識を持って成長したせいか、俺の容姿は実年齢よりもずっと大人びて見えたらしい。
明智荘の屋敷の銅鏡に映る俺の姿は、手前味噌ながら、かなり精悍な若武者へと成長していた。背丈は当時の平均身長(約157センチ程度)をすでに大きく上回り、六尺(約180センチ)近くにまで達している。
これは決して遺伝や偶然ではない。俺が幼少期から、脳内図書館の【現代栄養学】と【スポーツ科学】のデータをフル活用した賜物である。
当時の武士の食事は、玄米と一汁一菜が基本であり、慢性的なタンパク質とカルシウム不足に陥っていた。俺はそれを改善すべく、鳥や猪の肉、川魚、さらには大豆製品を積極的に摂取し、成長期に合わせた徹底した食事管理を行った。
さらに、ただ漫然と木刀を振るのではなく、脳内の古武術のデータに基づき、インナーマッスルと体幹を鍛え上げる自重トレーニングを毎日の日課としていたのだ。その結果、俺の肉体は無駄な筋肉の一切ない、しなやかで強靭な鋼のような仕上がりを見せていた。
「十兵衛様、また妻木のお姫様から文が届いておりますぞ。熱いことですなぁ!」
家臣がニヤニヤと笑いながら差し出してきた結び文を受け取り、俺は苦笑しながら封を解いた。
最愛の妻となる予定の熙子とは、あの日、彼女の膝の傷を手当てして以来、定期的に文を取り交わし、春には花見に誘ったりして順調に絆を深めている。
文には、俺が教えた「手洗いうがい」を家族全員で実践していることや、新しく覚えた和歌の感想などが、美しく繊細な仮名文字で綴られていた。彼女の無垢な愛らしさに、俺の頬は自然と緩む。
(この笑顔を、俺が絶対に守り抜く。悲惨な史実なんかに、指一本触れさせない)
文を懐にしまいながら、俺は改めて己の決意を強固なものにした。
俺の肉体的な基礎固めと、明智家内での地位の確立。すべては計算通り、順調に推移している。
だが、ここからが本番である。
この「天文12年」という年は、日本の歴史において極めて重大な意味を持つ年なのだ。
そう、種子島にポルトガル船が漂着し、『鉄砲』が伝来する年である。
遠距離から鎧を貫通し、修練を積まない農民でも屈強な武士を殺せる「魔法の筒」。これが普及すれば、これまでの「個人の武勇」に依存した戦のルールは完全に崩壊し、「財力と兵站」こそが勝敗を決する近代戦へと移行する。
「……そろそろ、表舞台へと動くとするか」
自室の薄暗い行灯の灯りの中、俺は文机に筆を置き、静かに目を閉じて脳内の『漆黒の大図書館』にアクセスした。
現在の俺の最大の標的は、主君を追放して美濃一国の国主へと登り詰めた『マムシ』こと斎藤道三である(※この頃は利政と名乗っているが、道三で統一する)。
彼に接近し、俺の巨大なパトロン(スポンサー)に仕立て上げる。それが最初のミッションだ。
だが、あの冷酷で、一切の人間を信用しない疑り深いマムシが、明智家という一介の国衆の若造の言葉に簡単に耳を貸すはずがない。
いくら未来の知識があろうと、言葉だけで「未来がわかります」「必ず儲かる話があります」などと持ちかけても、狂人扱いされて叩き斬られるか、利用価値だけを絞り取られて用済みになればポイ捨てされるのがオチだ。
彼と対等の、あるいはそれ以上の立ち位置で交渉のテーブルにつくためには、圧倒的な「命の貸し」と、他には代えがたい「底知れぬ恐怖にも似た価値」を、同時に突きつける必要がある。
俺は脳内図書館の検索空間に、複数の歴史文献のキーワードを投げ込み、頭の中で照らし合わせて(クロスレファレンスして)いった。
(まずは史料『美濃国諸旧記』の天文12年秋の記述を検索。……あった。今年の初秋、土岐氏の残党が美濃北部の山間部で、道三に対する小規模な蜂起未遂を起こしている)
かつて道三によって美濃を追われた旧主・土岐氏の残党たちが、道三の首を狙って動く。史実では、道三の圧倒的な武力と警戒網の前に返り討ちにされたか、あるいは歴史の表舞台に出る前にひっそりと揉み消された、ごくありふれた暗殺未遂事件の一つだ。
(だが、この事件単体では、道三に恩を売るにはパンチが弱い。道三の護衛が機能していれば、俺の出る幕はない。……ここに、自然の脅威という不可抗力を足す)
俺は脳内の『歴史史料コーナー』から、当時の公家が残した日記、寺社の記録、さらには現代の古気候学の研究論文を引っ張り出した。
(『多聞院日記』や『言継卿記』の気象記述を同期。さらに、天文年間の美濃地方における土砂災害の郷土史記録を重ね合わせる……見つけた)
俺の脳内に浮かび上がった複数の文献の記述の「共通点」を見て、俺の口元は歪な弧を描いた。
それらによると、明後日の夕刻、美濃北部の山間部一帯で「季節外れの局地的な記録的豪雨(ゲリラ豪雨)」が発生したという記録が残されているのだ。
地形データ、天候の記録、そして反乱分子の動き。
これら三つの史料をすべて統合すれば、一つの「必然的な未来」が導き出される。
「明後日の夕刻、長良川の上流で急激な鉄砲水が起きる。日頃からお忍びで領内を視察している道三の小規模な一行は、この予期せぬ豪雨で山中に足止めを食らい、護衛の数も分断される。……そしてそこに、土岐の残党が奇襲をかける。間違いなくこれだ」
完璧な筋書きだ。
戦国の怪物であるマムシが、天候という絶対的な不可抗力によって完全に逃げ場を失い、死の恐怖に直面する絶体絶命の窮地。
そこへ、俺が神仏の如きタイミングで現れ、彼の命を劇的に救う。これ以上の、俺の「未来予知」と「武力」を見せつける劇的な演出はない。
俺は即座に目を開け、現実世界へと意識を戻した。
そして、部屋の隅に立てかけてあった愛用の「黒漆塗りの番傘」と、必要最小限の装備(よく手入れされた打刀と、自作した発煙筒などの忍び道具)だけを手に取った。
「十兵衛様、こんな夜更けに武装してどちらへ!?」
屋敷の門番や家臣たちが驚いて声を上げるのを尻目に、俺は愛馬に跨り、「少し野暮用だ。探すな」とだけ言い残して、単騎で北部の山間部へと馬を走らせた。
夜風が俺の頬を鋭く叩き、馬の蹄の音が静寂を切り裂いていく。
無力な赤ん坊から、強靭な肉体とチート頭脳を持つ若武者へと成長した明智十兵衛光秀。
戦国の怪物・マムシに極上の「貸し」を作り、俺の知略の恐ろしさを骨の髄まで刻み込むための、最初のプレゼンテーションの舞台へ向かって、俺の口元には隠しきれない獰猛な笑みが浮かんでいた。
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