第1話:クラクションの残響と、見知らぬ天井
「危ないっ!!」
誰かの悲鳴が聞こえた。
鼓膜を劈くようなトラックのクラクション。タイヤがアスファルトを削る不快な摩擦音。
そして、全身を叩き潰されるような暴力的な衝撃――それが、俺の「前世」の最後の記憶だ。
俺は、しがない歴史オタクの大学生だった。
サークルにも入らず、合コンにも行かず、暇さえあれば大学の図書館に入り浸り、古文書の現代語訳や中世日本の経済論文を読み漁るような、筋金入りのオタク。
あの日も、新しく入ったポルトガル宣教師の書簡の翻訳本を借りるため、横断歩道を急ぎ足で渡っていた。その途中で、居眠り運転のトラックに突っ込まれたのだ。
(ああ、クソ……まだ『言継卿記』の続きを読む途中だったのに……)
そんな後悔を最後に、俺の意識は深い闇へと沈んだ。
――はずだった。
「……ぎゃあ……おぎゃあ!」
ふと意識が浮上した時、俺は全力で泣いていた。
いや、泣くしかなかったというべきか。
(なんだ……? 息が苦しい。体が重い。いや、違う。体が……全く動かない!?)
視界はひどくぼやけている。まるで分厚いスリガラス越しに世界を見ているようだ。
自分の手足を動かそうとしても、水飴の中に沈められたように重く、不器用な反応しか返ってこない。持ち上がった自分の手は、どう見ても大人のそれではなく、もみじのような小さな手だった。
「おお……見事な男児じゃ。でかしたぞ、お牧」
「はい、あなた様……」
視界の上方から、聞き慣れない古めかしい言葉遣いが降ってきた。
テレビの時代劇のような、作られた発音ではない。土の匂いと、生活の匂いが染み付いた生きた「古語」だ。
ここは病院ではない。薄暗い木造建築の天井。鼻を突くのは消毒液の匂いではなく、お香と、わずかに血の混じったような生々しい匂いだった。
俺を抱き上げているのは、髷を結った大柄な男だった。
その力強い腕の中で、俺はついに現状を理解した。
(俺は……死んで、赤ん坊に生まれ変わったのか……?)
いわゆる異世界転生、というやつだろうか。
だが、周囲の着物の造りや、建物の様式を見る限り、剣と魔法のファンタジー世界ではない。間違いなくここは「日本」だ。それも、俺が前世で狂うほど愛した、古い時代の日本。
(歴史オタクが、過去の日本に転生した? 最高じゃないか!)
俺は内心で狂喜した。
自分がどこの時代、どこの家に生まれたのかは分からない。だが、武士の家であることは間違いない。俺の知識があれば、この時代で大成することも夢ではないはずだ。
だが、俺のそんな呑気な希望は、男の次の一言によって粉々に打ち砕かれることになる。




