2026年4月14日 日記(ポジー:そうめん地蔵) (文章練習)
4月14日
「そうめん地蔵」という童話をY〇utubeで見た話をしよう。
内容は「昔、信心深いお殿様が自分の代わりのお坊さんを日光二荒山神社にお参りに行かせた。参拝を終えたお坊さんは空腹のため立ち寄った寺で執拗にそうめんを振る舞われる嫌がらせを受けた。
すると、小さなお坊さんが入ってきて、そうめんの在庫がなくなるまでお代わりを所望し続けることでお坊さんを救い出した。
直後に付近の谷がそうめんで埋め尽くされているのが発見され、寺の僧たちは先の小さな坊さんがお地蔵様であったことを悟り反省して悪癖を改めた」という感じだ。
主観ではあるが、童話はほとんど例外なく教訓があるものであると考えている。
この「そうめん地蔵」であれば仮にお寺の坊さんの行為が善意での行為であった場合でも「重要なのは自分がどういう思いで相手に干渉するかではなく、相手がどう受け取るか」ということである。
私はたびたび、相手に対してこういう風に相手のための行動ができたはずなのにと後悔する(よく見られたいからというのもある)が、それは私の独りよがりであってはならないことであることを再認識した。
同じようなことの繰り返しにはなるが、自己満足ではなく相手も満足するような立ち回りを行いたいものである。お坊さんが困っているときに、お坊さんが必要としている分の救助を行った小さな坊さんのように。
相手をよく見てそれが相手のためになるのかという自分以外の客観的な視点もなくてはならない。
さらに言えば、やり過ぎは良くないということもあるかもしれない。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」という言葉があるように何事も適量であるということも考えさせられた。
今回の視聴を通じ、物事の相手の立場に立った考え方と、適量はどのくらいかを見極めることの重要性を再認識した。今の私にそこまでの余裕があるかはわからないが、コミュニティ内で動く時に相手が何をどれくらい求めているのか一度考えられるようになりたいと思う。
最近、独善的になりつつあることに気づいて自分なりに軌道修正できた今日は良い日だった。




