2026年7月4日 仮想が増えても、現実が勝る (文章練習)
7月4日
今日は生の楽器の演奏を聴く機会があり、それが印象に残っている。
椅子が用意されているような本格的なホールではなく、簡易的に場を調えられて演奏をしている印象であった。
聴いた演奏は2曲のみで10分にも満たない時間であった。
しかし、聴いた時間に対して満足度は高い。
1曲目を聴いているときに人垣の隙間から演奏者の身体の揺れや、楽譜と楽器を行き来する視線の動きを見ることができ、ライブ感を感じることができた。
おそらく、1曲目で既に普段の動画サイトで聞く音楽以上のライブ感を感じ満足していたのだろう。
そして2曲目で、満足するという段階を過ぎ、普段聞く音楽と何が違うのかが気になり始めていた。
この2曲目における心境の変化を漫然と振り返ってみると1曲目と同じような余韻を楽しむ比重が小さく、私自身に気分が切り替わりやすい性質があるのではないかと感じた。
その場では、動画でも奏者の身体の動きや視線を見られるという点において大した差はないはずなのに、なぜこれほど満足度が高いのだろうかと考えていた。その違いを突き詰めると、その場に居合わせた人々と演奏の空気をリアルタイムで共有していること、それ自体がライブ感となり、動画では得られない満足感に繋がっているのではないか、という結論に至った。
要は、「ご飯はみんなで食べたほうがおいしい」ということと同じような考え方で、同じ空間を共有することで価値が増すのかもしれないということだ。
しかし、ふとした時に思い返して考えてみるとそれだけではないようにも思えた。
仮にそれだけで説明できるのであれば動画のライブ配信でも同じような満足感を得られるはずで他にも何か理由があるのではないかと考えた。
その後に思い付いた理由は2つ。1つ目はその一瞬しかないという花火大会のような刹那的な感動に由来するもの。2つ目は楽器から体の全体に来る振動によるもののである。
前者に関しては、その瞬間だけという希少価値に由来するのではないかと思う。
後者に関しては、イヤホンで聴いた場合と比較すると理解しやすいと思う。イヤホンの限定的な空気の振動と、空間全体を満たす広範囲の振動による差、という認識を持っている。さらにこの可能性を突き詰めて考えると、コンサートホールなどの演奏であれば反射した音が様々な方向から押し寄せ、全身が音の波に包まれるような感覚を得られるのかもしれない。
ここまで可能性の話をしたが結局なんで今日聴いた演奏にあそこまで心を動かされて、満足感を覚えたのか、はっきりとは分からない。
理由は分からなくても演奏自体はよく、現実のライブ感は良いものであるということを再認識をすることができた今日は良い日であった。
ねむい




