棄却された仮説、想定外の本音
月曜日の午前。教室内で、悠真は机に深く伏せていた。
一見、いつも通りの居眠りだが、先週から引き続き、彼の脳内は「オンモード」の極致にあり、ソラ周辺の観察を行っていた。
(――昨夜の、あれは――)
その合間、思考の海に沈む悠真が反芻するのは、昨夜からの非論理的な事象の数々だ。
美月さんは、どうしてあんなに焦っていたのか――脳内演算の結果、出てくる仮説は『嫉妬』の2文字だ。
しかし、その仮説が浮かんだ瞬間、悠真はそれを即座に脳外へと追い出した。
(いや、あり得ない。彼女は将来、何万人もの視聴者に安心と信頼を届けるアナウンサーになるべき女性だ。そんな理知的な彼女が、白石さんへの嫉妬という低俗で感情的な理由で、あんな……あんな……情熱的すぎる行為に及ぶなど。想定するだけで彼女の志を冒涜している。それに、本人も焦っていない、と明言していた。言葉を重んじる彼女の否定を、疑う余地などどこにもない )
非論理的な事象のもう1つ。ソラの「抱きつき」だ。
こちらの仮説は――『恋心・好意』と出た。これも悠真は思考からすぐさま排除した。
(……これもありえない。カースト頂点に君臨する学校一の美少女ギャルが、僕のような人間に、そんな感情を向けるはずがない――耳は赤かったが――いつもの、わかりにくい冗談やからかいの一種と考えた方が適切だ)
不確定要素の連続からくる検証不十分な仮説を、思考外へと強引に追放した悠真は、目の前の対象――物理的で現実的な違和感の解析へと移行する。
伏せた腕のわずかな隙間。そこから見える世界は狭いが、悠真にとっては十分な観測窓だった。
観測を継続し、違和感を解析した結果、浮かび上がった人物が1名だけいた。
ソラの取り巻きギャルの一人、轟ひなたである。
ここ数日、ひなたが悠真のアンテナに繰り返し引っかかってきた、不自然なリズムがある。
休み時間になり、トイレかクラス外の友達に会いに行くか、ソラが一人で席を立ち、教室を出ていく。
その数秒後、ひなたが決まって正確な遅延をもって席を立つのを、悠真は何度も捉えてきた。それは偶然の重なりにしては、あまりに精密すぎる。
更に、ソラとひなたが一緒に教室へ戻ってくることは一度としてなかった。ひなたは常に、ソラが自席に戻ったのを確認したように、出て行った時と同じ遅延をもって、教室に戻ってくる。このことが余計に違和感を増幅させる。
(同行じゃないのは確かだ――『追跡、ストーキング』の状況証拠として成り立つ。彼女をマークして、更なる証拠固めだな)
感情の解読はうまくいかなくても、客観的な物理現象の解析だけは裏切らない。
ソラの預かり知らぬところで蠢いている、不自然な他者の動意。
悠真は再び意識の深層へと潜り、脳内の「容疑者リスト」の筆頭に、その名前を冷徹に刻み込んだ。
昼休み。悠真は喧騒を離れ、いつもの空き教室へと向かった。
扉を開けると、そこには既にソラがいた。窓際の席に座り、所在なげに指先で髪を弄っていた彼女は、悠真の姿を認めると、不機嫌そうな、それでいて安堵したような複雑な表情で視線を向けた。
「――来た。今日も疲れた顔してるね」
悠真は頷き、彼女に歩み寄る。
「考えることが多くて……少し負荷が蓄積しています。いつものように、リセット、お願いします」
ソラは「しょうがないわね」と呟きながら立ち上がり、悠真の手を握った。掌から伝わるソラの体温が、熱を孕んだ思考を緩やかに冷却していく。
少しの沈黙のあと、ソラが探るような視線を悠真に向けた。
「……ねえ。昨日、あのあと、美月さんから何かあった?」
悠真の脳裏に美月の情熱的な唇と「私だけの悠真くんでいて」という言葉が浮かんだが、無意識のうちに意識の奥底へ押し込めた。
「……特には。いつも通り、バイト終わりに家まで送ってきました」
嘘ではない。だが、すべてを話したわけでもない。悠真の淡々とした回答に、ソラは「ふーん」とだけ返し、それ以上は追求してこなかった。
悠真は、握り合った手に意識を向けないよう努めながら、口を開いた。
「白石さん。昨日の休憩室での……あの行動の真意を測りかねています。脳のリセットが目的であれば、今のこの状態、手を掴むので十分なはずです。なぜ、あのような密着を?」
あまりに無機質で、デリカシーに欠ける問い。ソラは内心の動揺を隠すように、少しだけ強く悠真の手を握り返した。
「……あん時も言ったけど。抱きついた方が触れる面積が増えて、回復が早くなるかもって思ったからよ。時間なかったし。それだけよ」
どこか突き放すような言い方。だが、悠真の演算能力は彼女の微かな声の震えを逃さない。
「そうですか……まあ、確かに早く回復できたような気がするので、それは感謝ですね。検証の価値はありそうです」
悠真は淡々と応じる。だが、いつも冗談、からかいを受ける側の悠真が、その反動からか、少しだけ意地悪な一言が口を突いて出た。
「でも。あの時、白石さんの耳、真っ赤になってましたよね?」
「――っ! そ、それは……!」
ムキになって反論しようとした拍子に、彼女は思わず本音を滑らせてしまう。
「そりゃ、ハズイじゃん!! 男子に抱きついたことなんてないし――」
カースト上位のギャルらしからぬ、あまりにウブな絶叫。 ソラはしまった、という表情を見せ、悠真がその真偽を確認しようとした、その時だった。
――ガタッ。
静まり返った廊下から、乾いた物音が響いた。
誰かが、扉の外で聞き耳を立てていたか、あるいは体の一部をぶつけたような、不自然な音。
「……誰だっ!」
悠真は反射的にソラの手を離し、弾かれたように扉へと駆け出した。




