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第三章-1 契りの刻

 婚姻は、驚くほど静かに執り行われた。

大聖堂ではなく、玉座の間でもなく。

重厚な机の上に並べられた書類に、互いの名を記すだけ。

それが、セレスティア皇国の皇女と、ルーク・アリスターの結婚だった。

立ち会ったのは、宰相や数名の重臣のみ。

祝福の言葉も、華やかな音楽もない。


(これで……私は、ルーク・アリスターの妻)


胸に去来するのは、安堵よりも緊張だった。

この婚姻は、愛ではない。

国を守るための、選択。


「……形式は、これで終わりです」


書類を整えながら、宰相はそう告げた。


「この後、殿下は現在の後宮から陛下の居室へと移っていただきます。

アリスター卿もそちらへ移っていただきますので、しばらくの間、お二人でお過ごしください。」


そう伝えると宰相や重臣たちは部屋から去っていった。


「お疲れではございませんか、殿下」


その声音は落ち着いており、どこまでも丁寧だ。


「不本意であれば、夜のことは無理をなさらなくて構いません。

私は今の部屋でも問題ありませんので。」


 その言葉に、アリーシャは思わず顔を上げた。


「……それでは意味がありません」


静かな声。

――それは誰かに強いられたわけでは無い。

自分で選んだ以上、背負うと決めた言葉だった。


「国のため、兄の遺志のため…….、そして、この婚姻を確かなものとするため、白い結婚のままでは意味がありません。」


一瞬、ルークの瞳が揺れた。


「……本当に、よろしいのですね」


「はい」




その夜。

初夜の準備を終えたアリーシャは寝室にてルークをまっていた。

程なくして重厚な扉が開けられ、シャツにズボンといったラフな服装のルークが現れる。


「殿下、婚姻は形式的なもので終わりましたので、せめてこれを」


ルークはアリーシャに白いバラとブルースターで束ねられた花束を差し出す。

花の香りに緊張で硬くなっていた身体が少しだけ解れる。


(花言葉は…分かった上で、よね?)


「ありがとうございます。

とても嬉しいです」


ルークはアリーシャの前で右膝を突き、頭を下げる。それは騎士が君主へと忠誠を誓うポーズだ。


「今は、信じなくて構いません。

それでも――あなたがこの国と共に立つとき、私は必ずあなたの隣におります。

あなたが声を上げるその時、私は誰よりも先に、それを受け止める者でありたい」


求める言葉ではなかった。

何かを誓わせるための言葉でもない。

ただ、彼が選んだ道を、静かに差し示すための言葉だった。

その言葉を聞いた瞬間、アリーシャは息を吸うのを忘れた。

隣にいる、――それは、守るでも、導くでもない。

ただ、逃げ道を塞がずに、共に立つという宣言。


(……どうして)


これまで、皇女として「慎ましさ」だけを期待されてきた。

だが――、自分の「声」を前提にされたことは、一度もない。

ルークはアリーシャの左手を取り、その手の甲へと静かに口付けた。

そこだけが熱を帯びているようだった。

そしてゆっくりと立ち上がり手を離す。


「――今日は、このまま休みましょうか。」


声は低く、穏やかだった。


「あなたの覚悟が定まるまで、俺は――触りません」


アリーシャは一瞬、言葉を失った。

疑念は、まだ消えていない。

この人は、本当に誠実なのか。それとも――。


だが。

アリーシャはナイトドレスを静かに脱ぎ落し、一糸纏わぬ姿で、ルークの前に立つ。

唇を噛みしめ、顔を上げる。


「……覚悟は、できています」


その声は震えていたが、逃げなかった。

ルークは、一瞬だけ息を呑む。

――アリーシャが覚悟を決めたのならば、受け止めるのは自分の役割だ。

ゆっくりと彼女の頬に手を添え、きつく結ばれた唇に、己の唇を重ねた。



夜は、静かに更けていった。

最初から最後まで、慈しむような手つきで、ルークは触れていた。

痛みも感じたが、それ以上に温もりに包まれているような感覚。


(……この方は……)


 身体が感じる喜びを確かに感じている。

だが、心は疑いと、不安の中にあった。

それでも――

この夜を境に、戻れない場所へ来てしまったことだけは、確かだった。


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