第二章-3 ルーク・アリスターという男
自室に戻り、アリーシャはソファーに腰掛ける。侍女のネリーがそっと紅茶をテーブルへ置いてくれた。
「……お疲れでございましょう、姫様」
アリーシャは長椅子に腰を下ろし、膝の上で手を重ねたまま、小さく首を振る。
「いいえ……ただ、混乱して…」
声に、困惑の色が濃く出ていた。アンナが明るく微笑みながら、アリーシャへ声をかける。
「無理もありませんわ。突然のお話ですもの。彼の方は子爵位ですし……本来であれば姫様との婚姻ができる方ではありません。慎重になるのは当然です」
その言葉に、アリーシャの指先がわずかに強張った。皇女が下賜されるのは、本来爵位の高い公爵や侯爵などの名家だ。子爵位が選ばれるなど異例どころか、過去記録を遡っても例が無いだろう。
「ですが…」
ネリーは、静かに首を横に振った。
「宰相閣下が推挙なさるほどの方です。何か、相応の理由があるのだと思います」
その理由がなんなのか、誰にもわからない。――ふと、ネリーは視線を端に控えるエリアスへの向ける。
「フェルナー様、何かご存じありませんか?」
急に話を振られ、エリアスは一瞬動揺するが、平静を装いながら返答する。
「……詳しいことまでは、わかりませんが」
エリアスは、言葉を選びながら続ける。
「できたお方だとは聞いています。近頃は、宰相殿の補佐のような役目も任されているとか。剣の腕もかなりのものらしく、近衛騎士との手合わせで打ち負かしたそうです。……皇国のご出身かどうかは存じませんが、他国の情勢にもかなり通じておられると聞いたことがあります」
三人の視線が自然とアリーシャへと戻る。だが、アリーシャも誰も何も言えなかった。――しばらくしてネリーは、そっとアリーシャの横に膝をつき、硬く握られた手を両手で包み込む。
アリーシャはネリーに顔を向けた。包み込まれた手が少しづつほぐれ、熱を取り戻していく。――少し間を置いてから、低く静かな声で口を開いた。
「……すぐに答えられぬのは、当然でございます。お気持ちのまま、よくお考えなさいませ。姫様に、とって何が最善か」
アンナが視線を向ける。
「でも、姫様のお立場を考えますと――」
「アンナ」
ネリーは遮るように名を呼んだ。声は強くない。だが、迷いがなかった。
「考えることは、逃げではございません。考えずに出した答えほど、よほど危ういでしょう」
ネリーの言葉はアリーシャの胸に、静かに浸透していく。考えてもよいのだと、誰かに言われたのは、初めてだったかもしれない。
そして、ゆっくりと顔を上げた。
「……ありがとう。ネリー、アンナ」
その問いに、アンナは一瞬言葉を詰まらせる。だがすぐに、いつもの笑顔に戻った。
「いいえ。ただ……殿方は、目的を持って近づくものです。疑うことも、身を守る術かと」
(……私はどうすべきなのだろう。気持ちのまま…)
夜は静かに更けていく。アリーシャの心を置き去りにして。




