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呪詛【壱】








 五十鈴をお願いね。


 時嵩の育ての親である賀茂の斎院・志子がそう言っていたことを、この頃よく思い出す。お願いされなくても様子を見るつもりだったし、今となっては妻だ。


 しかし最近、この言葉には純粋に「様子を見ていてね」という意味以外のものも含まれているのではないか、と思う。


「それで、弘徽殿はどうしている?」

「お元気でお過ごしのようですが」


 以前から時嵩は後涼殿を出入りしていたが、弘徽殿の女御こと倭子が宿下がりしてから頻繁に呼ばれるようになった。時嵩の妻が倭子の妹の那子だからだ。


 こうして倭子の様子を聞かれるのだが、時嵩も無難な答えしか返せない。誰が聞いているかわからないのもあるし、単純に時嵩も那子からのまた聞きだからだ。時嵩自身が確認しているわけではない。


「そうか……側にいないと不安になる。弾正尹宮の邸の方が安全だと、わかってはいるのだが」


 ぱち、と帝は黒い石を置く。談笑がてら囲碁の対局中だった。


「目の届かないということですからね。わかる気がします」


 そう言いながら、時嵩も白い石を置いた。今のところ、盤上は五分だ。


「時嵩もそういうのがわかるようになったか。結婚と言うのは偉大だな」


 情緒を解さないと言われた時嵩でも、妻ができれば話は変わる。


「すでに何度かやらかしていますから」

「ああ……」


 淡々とした時嵩の言葉に、帝は納得したように声を漏らした。苦笑気味に口を開く。


「私としては、弘徽殿を守ってもらったわけだから何とも言えんな」


 倭子が宿下がりし、父親の五条邸に身を寄せてから二度ほど、呪詛騒動が起きている。その二度とも時嵩は不在で、那子が対処している。むしろ時嵩の不在を狙っている可能性もある。だとしたら、内裏内に犯人、もしくは犯人につながるものがいる。時嵩が出仕しているときは、必ず五条邸にはいないからだ。


 とはいえ、呪詛への対応であれば時嵩より那子の方が得意だ。時嵩がいるいないは呪詛が成功するかにあまり関係ない。


 呪詛への対策はいくつか方法があるが、呪符やお守りなどで呪詛を防ぐ方法、形代など、呪詛を代わりに受けてもらう身代わりを用意すること。時嵩を育てた賀茂の斎院は、時の帝の形代だったため、帝の代わりに呪詛を受けて亡くなっている。


 そして、この方法が那子の得意な手段であるが、呪詛を返すこと。呪詛返しだ。送られてきた呪詛を、そのまま術者に返す。呪詛が本当にそのまま返るので、場合によっては術師は死んでしまう。話が聞けなくなるのが少々困るが、そもそも先に呪詛を仕掛けたのはそちらの方なので、同情の余地はない。


 この方法で、那子は二度とも呪詛を返している。一度目で呪詛返しを食らったからだろう。二度目の時は、内裏でも騒ぎになった。


 どんな術でもそうだが、霊力によって威力は変わってくる。那子はその青灰色の瞳が示す通り、かなり霊力が強い。呪詛を返すとき、呪詛を行った術師よりも返す側の霊力が低いと、これは返らずに失敗する。その場合、呪詛対象も呪詛返しを行った側も無事では済まない。


 だが、当然だが那子は呪詛を行った術師よりも霊力が高かった。一度目の時、問題なく呪詛を返した。これに呪詛を行った術師も並大抵の呪詛ではだめだと気づいたのだろう。二度目の時は、最初の時より強い力を込めた。


 察せられると思うが、この呪詛も那子は難なく返した。後から聞いてみると、彼女にとってはさして労力もかからなかったようだ。那子が難なく返したために、彼女や倭子に影響はなかったが、返された術師には影響が出た。


 呪詛が返された場合、呪詛は呪った術師に返ってくる。うまく受け止め、術を解除できればそれまでだ。だが、そうではなかった場合。呪詛を上乗せされて返された場合や、そもそも自分の力量を越えた呪詛を行った場合、術師は高確率で死ぬ。


 そして、術師だけで受け止めきれなかった場合。その被害は周囲にも及ぶ。術者に近い者から影響が及ぶ。倭子を呪詛した術者は、堀川左大弁に雇われていたようだ。この堀川左大弁は右大臣の異母弟にあたる。


 何が言いたいかと言うと、堀川左大弁は呼び名通り堀川に居を構えているが、その邸内で血を吐いて死んだ。もっと厳密に言うと、目や鼻、耳からも血を流して死んだそうだ。即死だろうと思われる。


 検非違使が調べたので、時嵩は直接見ていない。しかし、依頼者と思われる堀川左大弁が死んだということは、術師は確実に死んでいる。死にざまを見る限り、自分の手に負えないほどの呪詛を行ったのだろう。成功してもそれなりの代償を負わされたはずだ。


 おそらく、自分渾身の呪詛を返されて焦ったのだと思うが、これは相手が悪かったとしか言いようがない。那子は当代五指には入る強い霊力の持ち主だ。並大抵の術師では彼女の呪詛返しを突破できない。


 堀川左大弁の死は内裏で騒ぎになった。下手人が二人とも死んでいるため誰を呪おうとしたのかははっきりさせられない。状況証拠的に、弘徽殿の女御なのではないか、と思われる程度だ。だが、堀川左大弁が呪詛に手を出したのは事実で、これには縁者である右大臣が疑われた。だが、ここも関係性を証明できないために怪しい、で済まされている。左大臣が強く非難したが、その左大臣も呪詛が成功していたら喜んだ方だろう。左大臣の娘、麗景殿の女御も子をなしていない。


 この件で時嵩はかなり奔走したが、堀川左大弁が呪詛によって亡くなったと気づいたときに、これは那子が返したものだ、と気づいた。呪詛返しを仕掛けた本人である那子は、倭子が呪詛されたことに気づいていた。時嵩が尋ねれば、那子は多分自分の呪詛返しだろうと答えた。


 これは時嵩も彼女を怒ることができない。那子は姉を狙ってきた呪詛を返しただけだし、彼女が返さなければ、倭子が死んでいた。失敗すれば那子自身にも影響があったはずだが、成功している。何も言えない……。帝も何も言えないが、時嵩も何も言えない。


「まあ、右大臣ももう怪しいことはできないだろう。娘の入内が迫っているからな」


 帝が黒石を置く。少し考えて時嵩も白石を置いた。


「だといいのですが」


 出産のときが一番死にやすい。夏の一番暑い時期が過ぎ、そろそろ茅子の子が生まれるだろう。それほどたないうちに、倭子の子も。


 対局は持碁となり、決着がつかなかった。中務省の方へ向かいながら考える。


 今回は呪詛した術師の力量が備わっていなかったが、これが宇治重玄であったならどうだろう。那子は呪詛を返せず、倭子ともども死んでいたかもしれない。


 もしかしたら、斎院の女宮、つまり志子が呪殺されたのも、そう言うことなのではないか、とこの件を通して時嵩は思った。


 呪詛合戦。呪詛は違法であるから、志子は受け身だったはずだ。志子は時の帝の呪術的な形代であったが、わざわざ呪詛を受けるような真似はすまい。那子と同じように呪詛返しを行っただろう。上乗せして返し、上乗せされて返され……それが繰り返されて、最終的に飲み込むしかなくなったのかもしれない。


「宮様、宮様」


 ずっと、あの志子が呪殺されたと言うのが不思議だった。並の術者では手が出せない、当時最高峰の術師の一人だった。だが、今回のように呪詛合戦の様相を呈していたなら? 術師の手を離れ、もはや収拾のつかないところまで来ていたのなら?


 いかな志子と言えど、殺されるかもしれない。


「中書王様!」


 急に呼ばれたことに気づき、時嵩ははっとした。振り返ると、少しあきれた顔の頭中将が立っていた。


「薫か……すまない。気づかなかった」

「の、ようですね。北の方に何かございましたか」


 頭中将の問いかけに時嵩は「北?」と一瞬首を傾げたが、すぐにああ、とうなずいた。妻の那子のことだ、もちろん。


「いや、あれは元気だ」


 正直、精神的に参るのではないかと思ったこともあるが、何とか元気にやっている。術師は精神的な不安が術に現れやすい。そのため、時嵩も気にかけて機嫌を取っているともいう。


「では、何か他にお困りごとでも? うちのが斎宮の君様からの文がないと落ち込んでいるのですが」


 頭中将の北の方は時嵩の同い年の姪にあたる。つまり内親王だ。母親の身分は低いものの、皇族の出だ。


「あれには私からも言っておこう。薫、子は元気か?」


 まだ生まれて一年にも満たない子が頭中将にはいる。去年の年末に生まれたのですでに一歳になっているが、まだ乳飲み子だ。


「ええ。元気ですよ。弘徽殿の女御様もそろそろでしょうか」

「どうだろうな」


 公表はしていないが、倭子が懐妊して宿下がりしているのはみんな知っている。下がった時期を考えれば、そろそろ生まれるだろうことも。時嵩と頭中将は仲良くしているが、頭中将は左大臣の息子だ。妹は麗景殿の女御である。左大臣は娘を皇后にしたがっている……というより、娘の子を帝にしたがっている。頭中将の考えは父親とは少し違うようだが、詳しいことは話せない。というか、時嵩も倭子の詳しいことは知らないが。


 身分も高く後ろ盾がしっかりしている弘徽殿の女御が男児を産めば、この子が東宮となる可能性が高い。帝は政治的な均衡のため、麗景殿の女御や宣耀殿の女御より先に弘徽殿の女御に皇子を産んでもらいたいと思っているだろう。のちに東宮が変わるとしても、今の段階で左大臣の娘の子か、右大臣の息のかかっている娘の子が生まれるのは避けたいはずだ。


 それゆえに時嵩は頭中将と話すときは気を付けるようにしているが、実のところ、左大臣はそれほど焦っていないと思う。現在の帝の母は左大臣の家の出だし、嫡男の北の方は今上帝の姉宮だ。麗景殿の女御も自分の娘である。


 やはり、何か手を出すとしたら右大臣派だと思われた。宣耀殿の女御は右大臣の実の娘ではないし、現在入内させようとしている妾の娘はまだ十一かそこらのはずだ。


 内親王の娘として頭中将の子も狙われるようなことがあるかと思ったが、そうでもないようだ。確かに、親王の子は皇族として扱われるが、内親王の子はそうとも限らない。それに、この場合の『狙われる』は皇位の継承と言うより、霊力の高さが関係している。左大臣の家系は皇族に近しいが、霊力の高い者の話はあまり聞かない。隠している可能性はあるが、世間に認識されていないことは確かだ。


 霊力の強い子供の使い道は、おぞましいことに多くある。後継者にするもよし、霊力を搾り取るもよし、呪術を行うための生贄にするもよし……と言うように。


「弘徽殿の女御様の子が生まれると言うことで、ざわついていますからね。うちとか、宣耀殿の後ろとか」


 頭中将も認識しているらしい。倭子の前に、茅子が子を産むだろう。これまで、五条邸には妊婦が二人いたため、呪詛を行うにしてもどちらに行くかわからなかった。そんなつもりはないだろうが、茅子が形代の代わりを務めていたことになる。だが、茅子が出産してしまえば倭子は無防備だ。


 やはり、この期間が一番危ないな、と思う時嵩だった。


「落ち着いたら、宮様のところに伺いたいですね。今、五条にお住まいでしたっけ」

「ああ。私が東四条に戻ってからならかまわん」

「いつになりますかね、それ」

「さあな……」


 その時は那子も一緒だろう。








ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


長らく空きましたが、最終章です。


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