宿下がり【陸】
人のぬくもりにうとうとしてきたな、と思ったら本当に寝ていたようだ。起きたら朝だった。こういうの、久しぶりだ。
起き上がろうとすると、単衣姿の時嵩に抱きしめられていた。抱きしめられると言うより、体に腕が乗っている。これが意外に重たい。
「宮様~。妹の様子を見に行きたいです」
起こすべく背中のあたりを引っ張ってみる。というか、起きている気がする。昨夜、妖は排除できたと思うが、茅子の様子も気になる。それに、人形も何とかしなければ。
「……最近のお前は、弘徽殿の女御や三の姫のことばかりだな」
「はい?」
やはり起きていた時嵩が那子の髪に顔を埋めながらそんなことを言った。面食らった那子は動きを止めるが、少し考えてから口を開いた。
「……時嵩様、もしかしてすねていますか?」
「……そうかもしれない」
かもしれない、も何も、そうとしか取れない科白だったが。不完全ながらも同意した時嵩に目をしばたたかせ、那子はくすくす笑った。
「時嵩様、可愛い」
「どこがだ。九つも年上の男を捕まえて何を言っている」
その言葉がすでにすねまくっている。時嵩の言う通り、九つも年上の立派な体格の大人の男性で、何なら那子は赤子のころに彼にあやされていたくらいだが、それでも可愛いと思うこともある。
「やっぱりわたくしは、時嵩様が好きだなって話です」
「……そうか」
あ、機嫌が直った。それがわかるくらいの付き合いがあるし、やはり可愛いと思う。思うのは自由だと言うことにしておく。
自分でもすねているかもしれない、と言った時嵩だが、はた目にはいつもとそれほど変わらない様子だったようだ。少なくとも、朝の支度を手伝いに入ってきた空木にはいつもと変わらないように見えたようだ。なので、那子も下手なことは言わないようにしておく。
時嵩が父への報告と人形の処分を請け負ってくれたので、那子は茅子の様子を見に行った。念のため、倭子の方にも行かなければならない。ここは茅子より倭子を優先する気持ちでよい、と時嵩にも言われた。
「おはよう茅子。よく眠れた?」
「お姉様」
普段那子が使っている局を覗くと、茅子はすでに身支度を整えていた。身ごもってからあまり体調が思わしくないらしく、ずっとけだるげにしているので少し心配だ。だが、さすがの那子にも悪阻はどうにもならない。
「おかげさまで、よく眠れました。ありがとうございます」
「それならよかったわ」
年かさの女房に上座に案内されそうになるが、茅子を動かすよりは那子が下座に座った方がよいと断った。というか、この女房は朔子のところにいた女房の気がする。
「お母様のところの女房です。昨日、つけていただいて」
「そ、そうだよね……」
見間違いじゃなかった。母のところの風見だ。那子はあまり記憶力に自信がないのだ。朔子も茅子のところの女房が浮足立っているのが気になっていたようだし、手を打ったのだろう。
「お姉様の方の首尾はいかがでした? やはり、もう少しかかるでしょうか」
「いいえ。もう捕まえて、宮様が排除したわ」
わあっ、と歓声が上がって、年若い女房は風見に睨まれている。素直な反応がよろしいとは思うが、貴人に仕える身としてはもう少し落ち着いていなければ。
「は、早いですね……」
「ええ。早めにやってしまいたかったから、よかったわ」
少々面食らったような茅子に、那子は肩をすくめる。本当に、何とかなってよかった。
「というか、お姉様がやったわけではないのですね」
「やっぱり力は宮様の方が強いもの」
向き不向きと言うのもあるが、単純に霊力を比べた場合、時嵩の方が霊力が強いのは事実だ。それに、那子がやったと言うより時嵩がやったと言った方が通りが良い。
「それでも、お姉様が心を砕いてくださったのは事実ですよね。ありがとうございます」
「ん。どういたしまして」
茅子ににこりと微笑むと、那子は彼女が持っている呪具を調べ、何ともないことを確認する。茅子の無事を確認した那子は、北の対にいる倭子を訪ねた。
「お姉様」
「あら、五十鈴。いらっしゃい」
浅葱に取り次がれて姿を現した上の妹に、倭子は気さくに声をかける。
「どうやら、ひと騒動あったようね」
那子の顔を見るなりそう言う倭子は、おそらく、茅子よりも霊的素養が高い。単に直感が優れていると言うこともあるかもしれないが。
「ええ。対処いたしましたので、大丈夫です」
「そう。まあ、あなたも宮様も、ついでのお父様もいるものね」
倭子についで扱いされた父だが、久柾だってそれなりの能力を持っている。那子が戻ってくる前から、五条のこの邸は久柾によって霊的に守られている。
「お姉様はあまり動揺していませんね」
直接狙われたわけではないからだろうか。身ごもると情緒不安定になる女性が多いと聞くのだが。倭子はふふ、と笑う。
「箏音は初めての子だものね。それに、あなたがいる分、安心かなぁ」
そう言えば、倭子が一人目の姫宮を身ごもった時は、那子はまだ斎宮の任期中だった。当時も宿下がりをしたはずだが、そもそも当時は帝も東宮だったはずだ。状況が違う。これは倭子の性格によるものだろうと那子は結論付けた。
「……まあ、妖や呪詛は心乱れているところに付け込んでくるから、それでいいのかも」
ある意味最強の精神的防御だと思う。
「それはそれとして、あまり動くなと言われて暇だから、話し相手になっていきなさい」
「それは構いませんが」
前回は茅子がその役目を果たしたのだろうが、今回は那子の役目の一つだ。茅子の方でも同じようなことをしているので。
「板挟みになっているでしょう」
少し困ったように倭子が言った。優先されるべきは女御である倭子で、那子もそのように動いている。だが、茅子、というか、茅子の周囲はそれに納得しているわけではない。
「みな、不安なのでしょう。初めて身分というものを振りかざしました」
「元とはいえ、伊勢の斎宮の立場は強いわね」
「そうでもありません。宮様の名を出した方がみな黙ります」
「そりゃあそうでしょうねぇ」
倭子もそうだろう。帝の名を出した方がみな言うことを聞く。他人の威を借りている状態だが、一応夫婦なので大目に見てほしい。乱用はしていないはずだ。
「相変わらず、仲良しねぇ。正直、あなたもすぐに懐妊するのではないかと思っているわ」
「そうはなりませんよ」
那子は苦笑して倭子にそう答えた。そんなことにはならない。わかっている。
「あるとしたら、お姉様の子が生まれてからですね」
「真面目ねぇ。でも、子は授かりものだもの。わからないわよ」
この時、倭子に流されたので那子は気づかなかった。自分が確定した未来を述べたことを。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
予定通り、あと1章かな。




