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#37 狂愛—玖—

「あ、まただ。またこの匂い。助けて、もうこんなのはいやだ!」


 佐野の人格が徹から渉へと切り替わった。それを見た春明は急いで呪符を取り出して達海に問いかける。


「おい、天池!! なんか考えがあるんだよな?」


 錯乱状態となりつつある渉の両肩を達海は掴んだ。


「しっかりしろ! 京子さんはもう死んでいる。思い出せ、あの日のことを! あなたは死んでしまったが、一度は自由の身となったはずだ! 死の直前、あなたは何を願った! 何を望んだんだ!」


「ぼ……僕は……京子ちゃんのことを——あれ?」


 佐野がキョロキョロと辺りを身渡す。呪符を構えていた春明は突然落ち着きを取り戻した彼を前に呆然とした。達海は何かを理解したような顔をすると渉の肩から手を離して静かに口を開く。


「……徹さんですね」


「うん、徹だ。……失敗したのか」


「いえ、失敗はしてません。結論から言うと渉さんにはこの世に強い未練がなかった。幽霊となり、この世に留まり続けた原因はあなたです。徹さん」


「でも渉は京子のことを……」

「それはあなたの未練です」


「……そうか、それじゃあ渉が悪霊になることは無いんだね」


「はい。悪霊になるなんて、あり得ません。あなたは最後までやり切ったんです」


 達海は佐野に優しく笑みを向ける。すると、佐野から光の粒が出てきて天へと昇り始めた。


「ありがとう。達海くん」


 佐野の幽霊はそう言い残すと成仏していった。

 



「除霊は終わりました。徹さんの幽霊はあなたに事の真相を、そして思いを伝えることができて満足していましたよ」


 達海は軽く笑顔を作って吉江に言った。


「そ、それじゃあ、もう怪奇現象が起こることもないのね」


「はい。それでは、俺たちはこれで失礼します。春明さん、行きましょう」


 何が起きているのかわからず、「え」とか「は」とか言っていた春明が慌ててビシッと姿勢を整える。


「……ああ、そうだな。では、また何かあればカフェ陰陽までよろしくお願いします」


 



「天池は、最初からああなるってわかっていたのか?」


 帰り道、春明が達海に問いかけた。


「いえ、渉さんが本当に京子さんに憎しみを抱いていて、悪霊になっていた可能性も十分にありました。だから春明さんもあの場に居なければだめだったんです」


「なんだよ、俺は保険要員か。結局、渉はこの世に未練なんかなくて、徹の人格の渉を守りたいという強い思いが彼の魂をこの世に留めていたのか。……待てよそれじゃあ、徹がただいらない心配をしていただけだって言うのか」


「未練はきっとその通りだったんだと思います。けれど渉さんと京子さんの間にはもっと複雑な何かがあったんじゃないでしょうか。……今から話すことは俺の勝手な妄想です。渉さんは生前、徹さん、京子さんと遊ぶことが多かったと言っていました。多少なりとも渉さんは京子さんに好意を抱いていたと思います。だって普通、兄弟とその彼女と一緒に遊びに行くなんてなかなかしないでしょう。渉さんは京子さんに監禁されて体を弄ばれたと言っていましたが、実は渉さんもまんざらでもなかったのではないでしょうか」


「は? それじゃあ、どうして二重人格になったんだ。まさか、演技だったのか?」


「いえ、少なくとも俺には演技に見えませんでした。徹さんの人格に渉さんの記憶があっても、渉さんに徹さんの人格の記憶は無かった。人格が切り替わった時の反応はそうとしか思えませんでした。徹さんの人格が生まれたのは、渉さんが徹さんに対して後ろめたい気持ちがあったからなのではないでしょうか。兄があんなに愛していた女と身体を重ねてしまっている。激しい快楽と罪の意識の中で自分を正当化しようとして生まれた存在、それが徹さんの人格だったんだと思います」


「ちょっと待て、渉が京子に恨みが無いってわかっていたなら徹の渉を守るという未練はどうなる。辻褄が合わなくなるぞ」


「徹さんの人格が渉さんの悪霊化を恐れて焦っていたことは事実なんだと思います。徹さんが東山の家に訪れた際、渉さんにとってストレスになっていたようですから。けれど渉さんはストレスを過度に感じると徹さんの人格に逃げました。まあ、本人に逃げるという自覚はなかったと思いますが。あと、最近、人格が頻繁に入れ替わっていたのは、東山の家に行って変に刺激を受けていたからでしょう」


「でも悪霊化については渉が死んでからの不安要素であって、死んだ時の未練にはなり得ないだろ」


「そうですね。だから渉さんを守るという未練は彼が幽霊になってしまった直接的な要因ではない、幽霊になってしまってからできた未練です。本来は渉さんに未練があったんだと思います。京子さんを愛していたということを自分で認めたかった、もしくは認めてもらいたかったという未練が。……その未練を果たすため親族には佐野さんが京子さんを愛していたと伝えました。徹さんの人格に立ち会ってもらいながら」


「……だから吉江に話した時、徹さんではなく佐野さんと言ったんだな」


「はい。けれどそれだけでは渉さんは成仏しなかった。……もし渉さんが兄の彼女に襲われてそれを喜んでいたとしたら、絶対に他人にそのことを知られたくはないはずです。そこで思ったんですよ。二重人格と言っても結局、徹さんの人格は渉さんが作り出したものに過ぎない。もしかしたら、渉さんは自身の未練をも徹さんの人格に転嫁したかもしれない。これで渉さんの方には未練が無かったことになる訳です。でも、徹さんの人格はそのことを知らなかった。成仏に必要な要素は、その未練を徹さんの人格自身が自覚して自分の存在意義があったのだと認知することだったんだと思います。俺が渉さんには未練が無かったと伝えたことでそれを自覚して成仏したんじゃないでしょうか。これはあくまで俺が考えた歪な妄想ですが」


「徹の人格は渉の心を守り切ることができたと自覚した。だから彼らは成仏したということか。……なんか複雑すぎていまいちピンとこねーが。天池がそのことに気付かなければ、佐野は自分の未練を自覚することができずに成仏もできなかったかもしれないんだな」


「そうですね。彼が成仏した今、真相を知ることはできませんが」


 そう言って達海は天を見上げた。


「ったく、まあ、天池の妄想が真実だとしたら渉も京子も狂ってやがるな」


「恋は盲目と言いますからね」


「恋は盲目か……あんたも気をつけろよ」


「……どういうことですか?」


「いや、なんでもねーよ」


 春明は歩くスピードを少し緩めて達海の背中を見つめた。

 彼はおそらくレイに好意を寄せているだろう。本人にその自覚はないかもしれないが。きっと幽霊のことを好きになってしまっても、その恋が実ることは無い。それ以上に、彼には辛い恋の結末が待っているかもしれない。いや、辛いのは俺も同じか。今ここで、全て天池に話してしまえば少しは楽になれるだろうか。


「春明さん」


 達海が立ち止まって振り返る。


「以前から聞きたかったんですけど、陰陽の幽霊たちとGHの間に何か関係があるんじゃないんですか。俺、知りたいです。みんなの為にも、レイの為にも」


「さあ、少なくとも俺が知ってる中でGHと関係のある奴はいねーよ。心配しすぎだぞ、天池」


 春明はくしゃっと笑って答えてみせた。喉まで出かかっていた真実を飲み込んで。


「……そうですか。ならいいんです」


 二人は再び歩きだす。夕焼けの地面には長く伸びた彼らの影が写し出されていた。




「大丈夫ですか、大輝さん。具合でも悪いんですか」

 

 GH本部の休憩室では大輝が一番端の机に突っ伏していた。その様子を美波、美玲のコンビが心配そうに見つめている。


「うるせーほっとけよ」


「大輝くん、もう帰らないとだよ。鍵、閉めちゃうよ」


「会議が終わってからずっとこの調子ですよね。何かあったんですか」


 今日の午前に行われた会議で、除霊禁止令が出ているの幽霊の内、一人の幽霊を禁止令から解除する可能性があると副局長から報告があった。その幽霊は大輝の最愛の人であるフォトこと、須藤桃子であった。


「ねえ、一緒に帰ろうよ。私の家に来る?」


「…………」


「美玲さん、もう何言ってもだめですよ。もう帰りましょう」


「……うん。大輝くん、鍵ここに置いてくね。またね、ばいばい」


 二人が休憩室から出て行き、大輝は静寂な空間にただ一人となる。


「はあ、しばらく会うのは控えるべきか……」


 大輝はのそりと立ち上がると、休憩室を後にした。

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