#36 狂愛—捌—
「どうして……どうしてそうなるんだよ、京子ちゃん」
京子に包丁を向けられた徹は、動揺しながら言った。
「徹くんのお母さんから私に連絡があったの。渉が行方不明で何か知らないかって。訳が分からないよね。知らないって何度も言ったのに。……渉の目撃情報がこの近くであったんだって。今度、うちにも警察が来るみたい。……この生活ももう終わり。誰にも邪魔されない、私たちだけの世界に行こう。徹くん」
「何言ってるんだよ!」
京子は徹に包丁を振りかざした。徹はそれを避けて京子の腕を掴み、二人は揉み合い状態となる。
「離して! 徹くんを殺したら私もすぐにそっちに行くから! だから、大人しくして!」
「それはできない! 僕はどうなったって構わない。だけど、渉だけは守らなくちゃならないんだ!」
「みんなして、渉、渉って、渉ばっかり! どうして私たちのことを……」
グサッ!!
京子から力が抜けていく。徹が手元に目をやると、京子の腹部に包丁が突き刺さっていた。彼女が着ていた真っ白なセーターに血が滲み、濃い赤へと染め上げていく。
「どうし……て……」
「あ、」
渉が包丁を京子の腹部から抜くと、京子は血を吹き出しながら床に倒れた。渉は血のついた包丁と床に倒れている京子を交互に見た。
「何があった? 何でこんなことに……あ、あ、ああああああああああああ!」
渉は包丁を握りしめたままに、京子の部屋を飛び出した。階段を駆け降りて、左右の確認もしない間に道路にとび出たその時——
——「これが僕が覚えている、僕の生前の記憶だよ」
佐野は周りに向かって微笑みかけた。
「監禁されていた苦痛を逃避するために渉によって生み出された、それが君という人格なんだね、徹」
「その通りだよ、アクタくん。僕が最後に京子を殺した時に、正当防衛を証明して、その後で僕が渉の中から消えれば全て丸く治ったかもしれない。でもあの時、人を殺めたという衝撃によって僕と渉の人格が入れ替わってしまった。最後の最後で僕は失敗してしまったんだ」
「事の経緯はわかりましたわ。それで、結局あなたはどうしたいんですの」
「幽霊になってからは基本的に僕の人格の時間が殆どだったんだ。でも最近になって渉に入れ替わる頻度が増えてきた。このままだと、渉はきっと悪霊になってしまう。それで慌てて陰陽に依頼をしたんだよ。僕の無念を晴らすことができれば、渉も一緒に成仏できるかもしれないって。僕も早く京子のところに行ってやらないとだしな。ただ、そんなのは自分を慰めるための考えで、可能性が低いことくらいわかってるんだ」
「徹くんは渉くんの未練が何かわかっているの?」
「ああ、わかっているよレイちゃん。渉はね、きっと京子に復讐したいんだ」
「復讐? もう京子さんのことはあなたが殺してしまっているんですよね」
「そうだね、達海くん。彼女が死んでいるからそれが叶うことはもうないのだけれど。だから、僕の人格が消えたら渉はすぐに悪霊となり無差別に暴れ狂うだろうね。もしそうなってしまった時は、君たちに除霊をお願いしたい。最初からそのつもりだったんだ」
「徹少年が渉少年の悪霊化を抑制していたのだね」
「うん、そういうことにになるのかな」
「なんだか、やるせない話でしたわね」
皆が暗い表情で俯いた。レイが少し考える素振りを見せると、難しい顔をしながら達海に耳打ちをした。
「もう、渉くんを救うことは出来ないかも……」
確かにレイの言う通りだろう。しかし、達海は佐野の話に疑問を持っていた。渉の未練は本当に京子への恨みなのだろうか、と。達海には佐野がまだ何かを隠しているように感じていた。
「すまん、今戻った……」
春明が頭を掻きながら部屋に入ってきた。
皆の重い空気を感じとって眉を顰めた春明に向かって、達海は一呼吸置くとすぐに話しかけた。
「すみません、春明さん。渉さんを連れて、もう一度東山の家に行きましょう」
「は?」
「何度も何度も申し訳ございません」
「いえ。それで、今度こそ本当に除霊できるんでしょうね。もう怖いのは嫌なんですよ」
東山宅のリビングで達海と春明、そして吉江がテーブルを囲む。
「ごめんなさい。また少し怖い思いをさせてしまうことになるかもしれません。でも身の安全は保証します」
達海が振り返る。後ろのソファーには少し不安な表情を浮かべる佐野が座っていた。
「大丈夫だよ徹さん。きっと成仏できる」
達海はカフェ陰陽に依頼に来た佐野のこと、そして佐野から聞いた監禁事件の真相を全て話した。話をしている途中、吉江は涙を流し、憤慨することなく最後まで話を聞いてくれた。
「信じたくはないけれど、きっと徹くんの死を受け入れることができなかったのね。あの子、人付き合いが苦手だったから。自分のことを大切に思ってくれる人ができてすごく嬉しかったんだと思う。……徹くん? が今そこにいるのよね。うちの娘が乱暴をしてごめんなさい。こんな娘を受け入れてくれてありがとう」
「最後に佐野さんから、『京子さんのことを心の底から愛していた』だそうです」
吉江は声をあげて泣いた。京子が行ったことは決して許されることではない。しかし娘がなぜあんな犯行に及んだのかを今までわからずに苦しんでいた吉江にとって、心のモヤが少しは晴れたのではないだろうか。
「それじゃあ、僕はそろそろ消えるよ。後は頼んだよ、達海くん」
佐野からの言葉を聞いて、達海は静かに頷く。
ここからが本番なのだ。もしも完全に佐野が成仏せずに渉の人格が現れたら除霊を行うという手筈。……しかし、そのつもりは達海には全くなった。刺激を与えて渉の人格を呼び起こす。それが彼にとっての真の狙いである。
先ほど東山宅で渉に人格が切り替わった際に、京子に怯える様子こそ見られたが、京子へ危害を加えようとする意思は見られなかった。京子への復讐心を忘れてしまっているだけか、はたまた何か別の未練があるのか。だからこそ、まだ成仏の可能性は残されていると達海は信じていた。




