エピローグ:黒の聖痕
《サンダーフェロウ》第二研究所。
比較的人里に近く、また此度の戦闘による影響をあまり受けていなかったこの施設は、一時的な医療施設として開放されていた。
というのも、正式な医療機関は、あまりの被災者の多さに何処も満杯であり、既に許容限界に達している。
その為、病院として流用できる施設は、国家の命令で開放するように言いつけられていたのだ。
そんな野戦病院一歩手前な研究所に、雷裂美影、風雲俊哉、そして炎城久遠の三名も入れられていた。
本来、表彰ものの働きをした彼女たちは、しっかりとした病院に入れて労わってやるべきなのだろうが、この研究所には《白衣の堕天使》の異名を持つ雷裂家現当主夫人、雷裂瑠奈が詰めている。
性格、あるいは性癖はともかくとして、医療従事者としては非常に優秀な彼女がいれば、下手な病院よりも安心安全である。
その為、彼らはこちらへと送られていた。
「うぐおぉぉぉぉぉ……」
最近、すっかり病院特有の薬と消毒液の匂いに慣れきってしまった俊哉は、簡易ベッドの上で呻き声を絶えず漏らしていた。
命に関わる重傷、ではない。
出血はかなり厳しかったが、既に輸血措置は取られており、生命危険域からは脱している。
ここ最近の病院送りの傷から比べれば、遥かに軽傷と言えよう。
ならば、何が原因で、今も入院して、更には呻き声を漏らしているのか、と言えば、単なる筋肉痛である。
正確には、筋肉を含めた、全身の体構造の痛みだ。
高魔力負荷分散法《廻天》。
これは、本来、魔力を通す為の物ではない部位を、一時的に魔力流路として用いる、ある種、乱暴な技法である。
当然、疑似流路体として用いた器官には、大きな負担がかかる。
短時間ならば、問題も無いだろう。
しかし、長時間の連続使用を行えば、その負荷は時間と共にどんどん膨れ上がっていく。
その結果が、現在、俊哉が襲われている筋肉痛であり、神経痛である。
人間、筋肉と神経の塊だ。
それらを用いずに生きる事は、まず不可能と言える。
身動ぎをする、どころか、呼吸しているだけで全身を激痛が苛むという拷問に近い状態なのが、彼の現状だ。
一応、痛み止めは処方されているのだが、ほとんど気休めである。
これ以上となると、それこそ意識が飛ぶレベルの強さとなってしまう為、これが精一杯なのだ。
取り敢えず、死ぬような怪我でもないし、という理由で瑠奈による治療を後回しにされており、今しばらくはこの激痛と付き合わねばならない。
「もうちょっとの辛抱だぞ、です。
我慢しやがれ、です」
「そのもうちょっとが長いぃ~……」
ベッドの傍らで看病しているのは、雫である。
彼女も功労者の一人であるが、地球上で最も安全な場所に隔離されていた為、少しばかりの疲労以上の被害を受けていない。
少し休むだけで回復した彼女は、以降、俊哉の病室に入り浸っているのだ。
可愛い女の子に付きっ切りで看病して貰える、というシチュエーションは男のロマンの一つと言えるが、そんな事を喜んでいられるほどの余裕が俊哉には存在していない。
彼は、泣きそう、というか半分泣いている。
多分、身体に余計な刺激を与えられたら、ガチ泣きに入るだろう。
「物も食えねぇし、気も紛らわせられねぇから困りもんだな、です」
「全くだぁ~」
咀嚼から嚥下の動作も出来ない。
よって、栄養補給は注射によって血管に直接注入されている。
おかげで、口寂しいし、胃腸はどうにも空腹感を訴えてくる。
苦痛の理由が増えているが、出来ない物は出来ないので仕方ないのだ。
「だけど、ミカの奴よりマシだろ、です」
慰めてやりたい所だが、下手に触れば痛みが増すだけである。
だから、雫は言葉を投げかける事しかできない。
彼女の言葉に、俊哉はぎこちなく頷く。
「おおおぉぉ~。確かにぃ、なぁ~」
同じく入院中の美影。
俊哉と同じ症状に上乗せして、戦闘によって派手に身体が損壊している。
身内特権で、最優先に治療してもらっても良い筈なのに、何故か包帯塗れで今も入院していた。
俊哉と違ってへらりと笑っているのだが、それが表面上の事だと俊哉も雫も知っている。
彼女の母親が笑って突き回し、美影の笑みが盛大に引き攣っていた瞬間を見れば、誰にでも分かる事だろう。
「……何でやらねぇんだろうな、です」
「知らんわぁ。ぬぅおおおおううぅぅ……」
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戦後処理を大まかに終わらせた美雲は、妹のお見舞いへとやってきていた。
「……意外と元気そうね、美影ちゃん」
「あっ、お姉。やっふー」
ベッドの上では、もはや肌が見えない程に包帯やらギプスやらで全身を覆われた美影が、陽気に食事を取っていた。
病院食ではない。
厨房に侵入して、自分で調理した食事である。
彼女も廻天を酷使して戦ったのだ。
俊哉と同じように、全身が激痛に襲われている筈である。
そうでなくとも、彼女は普通に重傷だ。
よく死んでいない、と医者が見れば感心するほどに痛めつけられている。
加えて、もう一つ、美影の身体は現在、よく分からない状態にある。
その所為で、治療もできずに成り行きに任せる事しかできていないのだ。
「痛みに悶えてても仕方ないでしょ。
美味しいものたくさん食べて、たくさん気持ちよく寝てないと、治るものも治らないよ。
できれば性欲も満たしたい所だねー」
既存の治療法では、改善がみられないのだ。
自然治癒に任せるしかない。
生物の治癒能力を高める為には、過不足なく栄養を取り、ストレスなく休息を取る事が必要だ。
そういう意味では、入院生活を満喫している彼女は、とても今の自分に適した治療法をしているとも言える。
「弟君相手じゃ、難しいんじゃないかしら。
あの子、妙な所で律儀だから」
「ふっふっふっ、そこでこれだよ!」
美影は、自身の姿を広げて見せる。
包帯塗れの、分かり易い怪我人だ。
「〝病弱でか弱い女の子に欲情して襲い掛かる所から始まるラブストーリー〟!
今の僕はか弱い女の子!
たくましい男にのしかかられたら抵抗もできない!
そんな僕に、中身獣なお兄が我慢できるだろうか!
いや、出来る筈がない!」
「自信満々に言ってるけど、多分、無理よねぇ」
美影の断言に、しかし美雲は否定を返す。
そもそも、今のところ、まだまだ刹那の方が強いのだ。
彼がその気になれば、美影を押し倒す事など容易だ。
彼女だって抵抗しないだろうし。
だから、前提が間違っている。
別に美影がどうだろうと、彼の理性を超える野生が呼び起こされる事はないだろう。
しっかりと調教してきた成果である。
「まっ、元気そうで良かったわ。
死にそうにしてたら、どう接していいか分からなかったもの」
「僕はいつでも元気印だからねー」
痛みを堪えているとは思えないほど、朗らかな笑みを見せる美影。
そんな他愛ない話をしていると、食事が終わった頃に病室の扉が開かれた。
「あら~? ミクちゃんも~、来ていたのね~」
「あっ、お母さん。
うん、お見舞いにね。美影ちゃんと久遠の。
お母さんは、随分忙しそうね」
入ってきたのは、姉妹と似た面影のある女性。
二十代半ば程度の外見に調整した瑠奈であった。
体格と体力の充実した年齢であり、忙しい時の本気モードである。
身長は高めでスタイルも抜群であり、比べるまでもなく美雲は瑠奈似だ。
貧相な美影は涙を流さずにはいられないが。
「そうなのよ~。
もう患者が次から次へと放り込まれてきて~。
処理しても処理しても終わらないのよ~」
泣き言を言いながら、用意していた包帯の山を取り出すと、それを美雲へと押し付けた。
「という訳で、ミカちゃんの包帯、代えといて~」
「私?」
「娘の手も借りたいのよ~。
このままだと、私、過労死しちゃう~」
「そのまま死ねば良いのに」
美影は極寒の視線と声音で、容赦なく母に向かって言い放つ。
そこに、冗談の色はない。
心からの言葉だった。
娘からの辛らつな言葉に、瑠奈はショックを受けた様な顔をした。
「そ、そんな~!
ミカちゃん、お母さん、大ショックよ~?」
「お前の血を継いでいるという事実は、僕の人生において最大の汚点だと思うんだ」
「ガーン!」
娘からの言葉の追撃によろめく瑠奈。
流石に見ていられない、と思ったのか、美雲が威嚇するような勢いの妹を宥める。
「駄目よ、美影ちゃん。お母さんに向かって。
世の中には、言わなければならない事と、言うまでもない事があるってちゃんと弁えなさい」
「……はーい」
「ミクちゃんミクちゃん!
それ、フォローになってないよ~!
私、言うまでもなく母として失格って言われてる~!」
大きい方の娘に縋りつく瑠奈に、美雲は困ったような笑みを浮かべて言う。
「んー、私も、お母さんの趣味はどうかと思うわ。
お父さんをちゃんと愛しているのは分かるんだけど、それはそれとして……ねぇ?」
「クソビッチの称号なら授けても良いと思う」
「ち、違うもん!
ビッチじゃないもん~!
お父さん以外に肌を許した事ないもん~!」
「でも、誘惑はしてんじゃん。死ねば良いのに」
「また言った~!」
患者が最も好むであろう年齢に変化して、相手を誘惑し、本気にした所を指一本触れさせずに捨てる、という何の生産性も無い、悪意しかない遊びをしている瑠奈という女性。
治癒系超能力を持っている事もあり、知る人ぞ知る名医扱いを受けているのだが、同時にその噂も広まっており、《白衣の堕天使》などという不名誉な二つ名を頂戴していたりする。
娘としては、恥ずかしい母である。
特に美影は、想い人以外に色目を使うなど言語道断、と中々古めかしい価値観をしている為、母は羞恥を超えて軽蔑の対象となっている。
「うわ~ん! あなた達なんてもう知るもんか~!
反抗期のまんま家出しちゃえ~!」
泣き真似をしながら、病室を飛び出していく瑠奈。
姉妹は、その背を引き留めるような事はしなかった。
「チッ……!」
美影に至っては舌打ちまでする始末である。
静かになった室内で、美雲は苦笑して、妹の身体に巻いてある包帯を解き始める。
と、そこで何故か瑠奈が扉から顔を出した。
そこに涙の痕も無ければ、傷ついているような表情も浮かんでいなかった。
雷裂の人間は精神が図太いのである。
彼女も入るべくして入ったのだ、変人の巣窟へと。
「あっ、そうだ~。
ミクちゃん、お友達のお見舞いは出来ないと思うわ~。
これから、せっちゃんと一緒に処置を始めるから~」
「あら。残念ね。
じゃあ、また今度にしましょうか」
「それだけ~。またね~」
言うだけ言って、すぐに顔を引っ込める。
今度こそ気配が遠ざかっていくのを感じながら、美影は訊ねる。
「処置って何の話?」
「あれ、美影ちゃんは聞いてないの?
ほら、炎城の妹さん、脳味噌だけになっちゃったでしょ?
あれをちゃんと人の形に戻そうっていうの」
「ふぅん」
「あら、興味なさげね」
愛する義兄の、かつての家族の話なのだ。
少しは興味があるかとも思ったが、いまいち美影からの反応は薄かった。
「うん。だって、お兄はもう僕の物だし。
誰が何と言おうと、誰にも上げないし、手放したりしないし」
「……まぁ、弟君も離れる気も無いみたいだけどね。
少しは嫉妬とか、ヤキモキするもんじゃないのかしらね、普通は」
「これはおかしな事を言うね、お姉」
いつもの爛漫な表情ではない、かつての様な冷たい笑みを浮かべる。
「〝雷裂の血はおかしい〟。
誰もが、そう言うよ。
つまり、お姉がさっき言った事。
世の中には、言うまでもない事があるんだ」
自分たちは〝普通〟ではない、と、断言する。
自覚し、開き直った奇人ほど、手に負えない物はない。
自分たちの変態性を理解して、受け入れ、そして次代の者たちの精神性も肯定してきた事で煮詰まった雷裂の魂は、今も猶、世界中で嫌な顔をされるくらいには猛威を振るっている。
美影は、誤解しない。
だから、嫉妬も発生しない。
義兄・刹那が自分を愛していると、彼女は確信している。
だから、刹那が誰と関り、どんな事をしようと、決して心を揺さぶられる事はないのだ。
だが、もしも、彼の心が離れるような事があれば。
その時は、彼女も容赦はしない。
何が何でも刹那の心を取り戻そうとするし、彼の心を掠め取ろうとする泥棒猫を本気で抹消しに行く。
どんな手段を用いてでも。
「ちゃんと証拠が残らないようにしてね。
後処理とか、面倒臭いから」
「大丈夫。誰にもばれないようにするから」
やるな、とは言わない辺り、美雲も一般人の感性からは程遠いと言わざるを得ない。
口を動かしながらも、美雲は手は止めていない。
しゅるり、と包帯が解けて美影の素肌が晒された。
〝普通〟の傷は既にない。
戦闘後に、全て治療されている。
だが、普通ではない傷は、いまだ禍々しく刻まれている。
「……これ、何なのかしらね?」
「さぁね。僕にも分かんない。
お兄も分からないみたいだし」
女の子らしい、滑らかで柔らかい肌。
だが、そうであるが故に、そこに走っている陶器が罅割れた様な傷跡が目立つ。
しかも、その下には肉の色がある訳ではなく、漆黒の色、黒い稲妻が絶えず駆け抜けているのだ。
何らかの呪いのようである。
それが全身のあちこちにある。
刹那の様な特殊な感性をしていなければ、劣情を抱く前に忌避感を覚えるであろう姿だ。
「治ってきてはいるのよね?」
「少しずつは、ね。
あーあ、これはもうお兄にお嫁に貰ってもらうしかないよねー」
「弟君以外のお嫁になんか、なる気はないくせに」
黒雷に晒され、焦げている包帯を放り捨てて、美雲は新たな包帯を巻いていく。
耐電性などを付与した特性包帯だが、それでも数時間程度で焼き切れてしまう。
一日に何度も取り換えなければならず、しかも範囲が全身に渡っている為、地味に時間を取られてしまう業務なのだ。
多忙な瑠奈が、美雲に任せたのも仕方ない事だろう。
とはいえ、それは美影も望む所。
母に触れられるくらいなら、少しばかり下手くそでも、親愛する姉に任せた方が気分的に安らぐのである。
「まっ、死にそうにないなら、それで良いわ」
「ふふん。死んでたまるもんか。
僕はお兄とお姉と一緒に一万歳まで生きてやる」
「……私はそこまで付き合わないわよ?」
冗談だとは分かる。
だが、この妹と弟ならば、不可能ではないのでは、と、そんな事を思わずにはいられない美雲だった。
本当は炎城の後処理まで書くつもりだった。
だが、何故か、普段の一話分に達してしまった為、分割。
次回はそういう話で。
おかしい。
何故、長くなるのだ。