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エピローグ:断ち切られる縁

 久遠は、ある意味で最も三人の中で重体だった。


 俊哉は、ごくごく単純な筋肉痛。

 ひたすらに痛いが、痛いだけだ。

 決して命に関わる様な症状ではない。


 美影は、それに加えて、ごく普通の外傷を受け、更に身体の一部が罅割れて黒雷が自身の意思とは無関係に奔るという謎症状。

 ではあるが、外傷は一般的治療の範疇で即座に完治させており、あとは自然治癒に任せるだけである。

 幸いにも、黒雷現象は時間経過で徐々に改善されているようだから。


 その点で、久遠は非常に命に関わる状態だった。


 というのも、まだまだ未熟な状態のままで存在変換を行った為、身体がグズグズに崩れてしまっている。

 炎魔と分離して人の形を取り戻してはいるが、細胞の結合が非常に緩んでおり、少し刺激を与えるだけで豆腐のように崩れてしまう状態となっている。


 普通にベッドに入れようものなら、自重で潰れてしまう為、特製のジェルを詰めた水槽の様な寝床を用意せねばならなかった。


 不幸中の幸いに、この症状は永続する物ではない。

 あくまでも緩んでいるだけなので、形を整えているだけで再結合を果たして、じきに元通りの生活に戻る事が出来る。

 魔力式や超能力式を問わず、治癒術による回復促進も可能であった為、ここ数日で当初に比べれば劇的に改善していた。


 これから行う施術に耐えうる、と判断されるほどに。


「やぁやぁやぁ、ご機嫌いかがかな?」


 刹那の声をした謎の物体が、久遠の病室へと不躾に入ってくる。

 ジェルで満たされた特殊ベッドの中から、彼女はそれを見て眉を顰めた。


「……なんというか、今更言うのも何なんだが、人の形をしてくれないか?」

「む? 人の形はしているだろう?」

「…………否定はしないが。

 私が言いたいのはそういう事ではないのだが」


 もっと直接的に言った方が良いのだろうか、と頭を抱える彼女の前に、それは独特な音を出しながらやってくる。


 確かに、彼の自称通りに人の形はしている。

 腕が二本あり、足も二本だ。

 頭もちゃんと胴体の上に載っており、変な所にくっ付いていたりしない。


 しかし、素材がおかしい。


 服を着ておらず、肌……というか表面が晒されている。

 綺麗な木目が並んでおり、ワックスをかけられた光沢がとても美しい。

 関節部には球体が接続されており、360度マルチウェイな自由自在だ。


 分かり易く、木人形である。

 各所に糸が繋がっていれば、マリオネットだと思えただろう。


 唯一、首から上だけが有機物で構成されており、大変に歪な存在が目の前で動いている。


「ちゃんと人間らしい身体をして欲しいのだが……」

「肉の身体をご所望か?

 仕方ないだろう。

 生やしている最中なのだから」


 きゅぽん、という感じで生首が木人形から引き抜かれる。


 その下にはミニチュアな肉体が繋がっている。

 赤ん坊よりも猶、小さなそれは、見ているだけで何処か生命を冒涜しているような印象を受けてしまう。


 パタパタと動く成長途上の小さな身体から、久遠はそっと視線を逸らした。


「ふん。精神の弱い奴め。

 ……まぁいい。

 そんな事をする為にわざわざやってきたのではない」


 刹那は、人形の中に小さな身体を埋め込みながら、水槽の隣に置かれたキャビネットへと向かう。


 その上には、小さな箱が置かれている。

 ガラス製のそれは中身を誰の目にも分かり易く晒していた。


 脳味噌。

 一部の隙も無く詰められた液体の中に、ピンク色の肉の塊が浮かんでいる。


 まるで、というかそのものであるが、それは人間の脳のホルマリン漬けのようだ。


 その正体は、炎城永久である。

 身体を失った彼女は、脳味噌だけの姿となっており、現在は久遠の命系統超能力によって何とか延命している状態だ。


 この状態でも、一応、生きているのだ。

 魂も消し飛んでいる為、自発的行動は何一つ取れないし、そもそも意識すらないが。


「まさか、本当に持ってくるとは思っていなかったぞ」


 ぽん、とホルマリン漬けの容器を叩く。


「姉としての意地だな。

 おかげで、死ぬ思いをした」


 苦笑しながら、久遠は応える。


 一歩間違えれば、捕獲に失敗するどころか、自身が死にかねない戦闘だった。

 最後には力尽きてしまったし、彼がリネットを送り込んでくれていなければ、凍り付いて死ぬか、異形たちに引き裂かれて死ぬか、どちらかの運命を辿っていただろう。


「とはいえ、結果良ければ全て良し、だ」


 過程はどうあれ、たとえ自分の力だけで成し遂げた事ではないとしても、満足の行く結果が出たのならばそれで良い。


 久遠は、刹那に言う。


「頼む。

 妹を、永久を直してくれ」

「ふむ」


 彼女からの懇願に、刹那は一拍の間を空ける。


「まぁ、私ならどうとでもできるがね」


 単純に肉体を与えるだけ、という訳にはいかない。


 現在の永久は、自らの能力を高める為に魂を強引に消費し過ぎた状態だ。

 その影響で、魂と結びつきの強い精神や記憶といった、自己を形成する部位が大きく破損している。


 肉体を与えた所で、結局は自己の無い人形が出来上がるだけである。


 肉体を造るだけならば、わざわざ刹那を頼る必要はない。

 一般的に使用されている技術の範疇でも可能な事だ。


 だが、破損した自意識の修復となれば、もはや手が出る領域ではない。


 例えて言えば、薪の様なものだろう。

 火を付けて燃やせば、炭や灰が残る。

 この燃えカスが、今の永久の精神であり、これを元の薪に戻すのは、容易ならざる事だと分かるだろう。


 しかし、刹那ならば可能だ。

 元通りの姿へと造り直す事など、彼にとっては容易い事である。


「だが、何の対価も無し、という訳にはいかない」


 バラバラになった自意識を再構成する作業は、言うなれば無印のパズルを完成させる事に近い。

 時間と手間を惜しまなければ、誰であろうといつかは完成させる事が出来る。


 しかし、想像してみれば簡単に分かる事だが、とても、途轍もなく、面倒臭い作業である。

 これが愛しの雷裂姉妹ならば、何の躊躇もなく没頭できるのだが、相手は刹那にとって全くのどうでもいい存在だ。


 ならば、対価、というよりも、作業を簡便化させる為の代償を支払ってもらうべきであろう。


 もしも、それを惜しむようならば知った事ではない。

 好きに喚いていろ、と突き放して放置する所であるが、


「分かっている。

 私の記憶、好きに使ってくれ」


 久遠は一切の迷いなく、示されていた対価を差し出していた。


 何のヒントも無い無地のパズルだが、それに完成図の絵を付ける事は出来る。


 それは、完成図を良く知る者の記憶だ。

 その者の完成図の記憶を抽出し、吹きかけてやる事で印を付ければ、作業難易度は大きく軽減される。


 だが、そうした場合、抽出された記憶は、元の保有者の中には残らない。

 残そうと思えばできるが、そこまでのケアをしてやる程のやる気が刹那にはない。


 だから、久遠は一部の記憶を永遠に失う事になる。


 そうと知って、それでも彼女に迷いはなかった。


「その覚悟や良し。

 では、早速、始めようか。

 出番だぞ、マイ・マザー!」

「はいはーい」


 呼ばれて飛び出るのは、銀髪の女性、雷裂瑠奈である。


 刹那の知人の中で、魂や精神を弄繰り回す事に関して、この義母は一二を争う程の造詣を持っている。

 幻属性魔力は然程でもないくせに、驚くべき練度だ。

 よほど、普段から弄繰り回していなければこうはならないだろう。

 彼女の魔の手にかかった被害者たちの事を想うと、涙を禁じ得ない。


 安全に確実に抽出するならば、瑠奈の手を借りない選択肢はない。


「安心したまえ。

 私は約束は確と守る主義だ。

 次に目が覚めた時には、懐かしき妹と対面できるとも」

「ああ、信じているさ」


 ジェルの中に、麻酔を流し込まれる。

 意識がある状態では、狙った情報だけを抜き取る事は難しいのだ。

 故に、眠らせて情報の入力を遮断してやる必要がある。


 少しずつ眠気がやってくる感覚を得ながら、久遠は刹那をしっかりと見つめて言葉を残す。


「……すまない。

 刹那、お前には苦労と迷惑ばかりかけた」

「実にその通りだ」


 一切、否定してくれない血の繋がった弟に、久遠は苦笑を漏らした。


「今更、こんな事を言っても空虚で、何の価値も無いのだろうが、まぁ、最後の事だ。

 言わせてくれ」

「…………」

「愛している。家族として」


 久遠の言葉に、刹那は小さく吐息した。


「遅い。遅過ぎる。

 大切なものに失って初めて気付くくらいに遅過ぎる」

「本当に……その通りだ。

 愚かな私を……許して、くれ……」


 遂に麻酔が回り、彼女の意識が遠く深く沈む。


 閉じられた瞳。


 刹那は安らかな寝顔に向かって、言う。


「とうに許している。

 今の私は、幸福だからな」


 今の自分を、こうなってしまった自分を、刹那は気に入っている。


 この世界において逸脱している自分。

 そんな己に本気で追い付こうとする愚かな義妹と、そんな己を大した事ではないと受け入れてくれる賢い義姉。

 そして、そんな己たちを見て、腹を抱えて馬鹿笑いしている頭のおかしい両親。


 実に、楽しく充実した日々だ。


 こんな日々を送る為に過去があったというのならば、彼はこれまでの全てに感謝できる。


 かつては恨みもした。

 見返してやるだとか、痛い目を見せてやるだとか、そんな事も考えていた事もあった。


 地獄の中で必死に生きている内に、そんな事に拘っている余裕がなくなって、いつの間にか忘れ去っていた。


 そして、幸福の中に包まれたおかげで、忘れていた傷口は、完全に癒された。


 今となっては、過去と出会っても、何の想いも湧かない。


 憎悪も無ければ、怨嗟も無い。憤怒だって。


 つまり、もう許していたのだ。

 何一つとして、謝る事など無い。


 尤も、初心は忘れずにしっかりと報復だけはしておいた訳だが。


「では、我が母よ。始めようか」

「そうね~。

 仕事が詰まってるし、さっさと終わらせちゃいましょ~」


 久遠の入った水槽と、ホルマリン漬けの脳味噌を持って、二人の異常者は施術室へと移動した。


~~~~~~~~~~


「…………」


 ふと、意識が蘇った。

 薬剤と消毒液の混じった独特な香りが、ここが病院なのだと教えてくれる。


「?」


 どうにも記憶がぼんやりとして繋がらない。


 自分がどうしてここにいるのか。

 何があったのか。

 いまいちはっきりと思い出せない。


「ふむ。目覚めたようだね」


 傍らから、男の低い声が降ってきた。

 ぼんやりとしながら、彼女は視線を動かして声の主を瞳に移す。


 白髪の多く混じった黒い髪。

 基本的な顔立ちは整っているが、それ故に目立つ右顔面の大火傷の痕。

 そして、それに繋がる光沢のある木人形の身体。

 何の意味があるのか、白衣だけを羽織っている。


 何処の変態だろうか、と彼女が第一印象で思ったのは間違いではないと思われる。


 やがて記憶が刺激されて、目の前の人物の正体に繋がる。


「おにい……さま……?」

「まだ記憶が混濁しているようだ。

 私は君の兄などではないし、そもそも君に兄などいないだろう?」

「なにを……いって……」


 確かに、目の前の人物は、己の兄、刹那の筈だ。

 あれだけ恨んで、あれだけ憎んでいた……。


(……恨み? 憎し、み? 何で?)


 彼女――炎城永久の胸中に疑問が広がった。


 自分は、何であれ程に憎悪を滾らせていたのだろう、と。


 永久の中に、彼女を突き動かしていた激情が無い。

 何処にも、欠片も無い。


 徐々に思い出してくる記憶の中で、自分は確かに彼に怒りを抱いていた。

 恨みを持っていた。

 憎しみを、滾らせていた。


 理由は分かる。

 彼が無能であったが故に、家族が壊れてしまった。

 歪な形になってしまった。

 姉が苦労をし、自分はそんな環境をどうにもできない無力感に苛まれる事になった。


 だから、今更のように姿を現し、そして無能では有り得ない力を示した事で、抑圧された不満が爆発したのだろう、と客観的に分析できる。


 そう、客観的に、だ。


 まるでよく出来た映画でも見ている様な、自分の事ではない様な感覚だ。


 実感がまるで湧かない。


 だから、心には怒りも憎しみも湧いてこない。

 何処か空虚で、乾いている。


 自身の変化に戸惑っていると、扉が勢いよく開かれる音がした。


「永久! ああ、良かった! 目覚めたのだな!」

「おねえ、さま……」

「ああ、そうだ。私だ。

 お前の姉、久遠だとも」


 飛び込んできたのは、姉の久遠だった。

 何がそこまで嬉しいのか、涙目になりつつも、満面の笑みを浮かべている。


 ちゃんと人の姿をしている事に安堵しつつ、永久は訊ねる。


「わたしは、どうしたのでしょうか……?」

「うむ? 記憶が繋がらないのか?

 ああ、大丈夫だ。安心しろ。

 何も心配する事はない。

 全ての治療は無事に終わっている」


 そう言って、久遠は確認するように一歩退いていた木人形へと声をかける。


「そうですよね、刹那君」

「うむ。私が保証しよう。

 炎城永久の再構築は問題なく完了した。

 今は混乱もあるだろうが、時間と共に落ち着くとも」

「という事だ。

 主治医もこう言っている。

 安心していい」

「しゅじい?」

「うん?

 ああ、そうか。

 初対面だったな」


 そう言って、久遠は木人形を永久へと紹介する。


「永久の治療を担当してくれた、雷裂刹那君だ。

 その名の通り、あの雷裂家の御曹司だそうだぞ。

 いやいや、美雲にこの様な弟がいたなど、聞いた事も無かったな。

 確かな能力を持った、さぞかし自慢の弟なのだろう」


 と、とても違和感のある紹介をする久遠。

 永久は、ぼんやりとする頭を必死に動かして、それを指摘しようとするが、口を動かす前に勝手に物事は進む。


「いやいや、自慢の弟などとは。

 賢姉様にはアホな事をするなとよく叱られている。

 手のかかる弟だろうと、ひそかに思っているのだよ」

「いや、ひそかに思っているぐらいなら、改善した方が良いのではありませんか?」

「そう簡単に人の性分は変わらない物でね。

 ところで、久遠嬢はまだ検査の途中だっただろう?

 炎城永久の事は任せて、そちらに戻りたまえよ」

「あ、ああ、それもそうですね。

 瑠奈先生を待たせては心苦しい。

 ……ではな、永久。

 また後で来る。

 その時にでも、ゆっくりと話をしよう」


 目覚めた永久の顔を見て安心したのだろう。

 特に居座る事なく、久遠は退室してしまう。


 引き留める間もなかった永久は、代わりとばかりに居残っている刹那へと視線を移す。


「さて、何か言いたい事がありそうだね?」

「おねえさまに、なにをしたのですか?」

「ふむ。簡潔に言えば、私に関する記憶を、炎城刹那という人物に関する記憶を抹消したのだ」

「なんの、ために……」

「一々、姉面されて傷ついている様子が鬱陶しいから、というのも理由の一つだが……。

 まぁ、もっと現実的な理由を語ろうか」


 永久の精神を戻すにあたって、最も効果的な道標は、何を軸に魂が消費されたのかを考えることだ。


 もはや言うまでもなく、それは刹那への憎悪だ。

 彼への報復を行う為に、彼女は力を求め、強引な覚醒を繰り返していたのだ。


 ならば、それを戻す為には、やはり刹那の記憶を軸にする事が最も手っ取り早く、確実だ。

 久遠の中にある〝刹那〟という人物の記憶を抽出し、それを軸にする事でバラバラに砕け散っていた永久の精神を再構成させたのだ。


 刹那はそうした事を、包み隠さずに述べる。


「じゃあ、おねえさまは……」

「炎城刹那という人間は最初からいなかった。

 自分たちは最初から二人だけの姉妹だ、と久遠嬢は認識しているだろうね。

 そして……」


 刹那は続けて言う。


「現実的にも、炎城刹那は存在しない事にした。

 事のついでではあるがね。

 この意味が分かるかね?」

「…………」


 ふるふる、と永久は首を横に振る。


「やれやれ。理解力の無い娘だね。

 では、きちんと説明しよう。

 まず戸籍上の話だが、炎城刹那は死亡した事にされていたが、改竄して最初からいなかった事にしてある。

 また、その他、炎城刹那を知っている人間たちの記憶を弄って、抹消させて貰った。

 まぁ、幾人かは覚えているが、基本的にはこの世の中から炎城刹那は消えていると言ってよい。

 ああ、ちなみに、遺伝子鑑定も無駄だ。

 私の遺伝子をお前たちとどう突き合わせても、血縁関係は認められないからな」


 そういう風に、身体を作り替えておいた。


「なんで、そんなことを」

「言わねば分からないか?

 先程も言ったと思うが、鬱陶しいからに決まっているだろう」


 刹那は、はっきりと明言する。


「私は、過去について何も思わない。

 恨みも何もない。

 ただただどうでもいい。

 だから、私を見て、過去が何かを言ってくる事が心底煩わしい。

 こちらは現在を楽しんでいるというのにね。

 だから、過去を消す事にした。

 それだけの事だ」


 もはや、赤の他人だ。

 面影を感じたりしたとしても、それは他人の空似であり、恨みも憎しみも的外れの八つ当たりに過ぎない。


「私はもう過去を割り切ったのだ。

 お前も、早々に割り切る事だな」

「どうして」

「何がかね?」

「どうして、わたしのきおくはのこしているのですか?」


 一緒に消してくれれば、それが一番良い筈なのに。

 それが簡単な筈なのに。


 刹那は僅かに間を開けて、答える。


「久遠嬢からの依頼は、妹を元に戻してくれ、という物だ。

 私は約束は守る性質でね。

 プロとして、依頼を勝手に歪める気はないのだよ」


 勝手に記憶を消してしまうのは、依頼に反する。

 だから、そのまま残したのだと言う。


「それだけ?」

「それだけだとも。

 己への罰だとか嫌がらせだとか、そんな理由だとでも思ったのかね?

 己惚れてはいけないぞ、炎城永久」


 刹那は、そう言って、背を向ける。

 病室から退室しながら、最後の言葉を残す。


「記憶に耐えられなくなれば、いつでも言いたまえ。

 報酬を払う限りにおいて、私はプロフェッショナルとして仕事をしよう」


 それだけ言って、彼はいなくなる。


 途端に静かになる病室。

 己の息遣いくらいしか聞こえない部屋の中で、永久は思う。


 今ならば、彼の事を素直に兄と思える。

 家族の一人だと見る事が出来る。怒りも憎しみもなくなった永久の目を曇らせる物は、何もない。


 だが、それはもう遅過ぎる。


 三か月前に再会した時、いやもっと過去、十年前に決別してしまったその時に、もう切れてしまっていた縁なのだ。


 そして、そんな縁があった事自体が、もはや世界には存在しない事になってしまった。


 自分たちが愚かだったせいで。

 新しい形で紡ぎ直せたかもしれない可能性も消えたのだ。


 つっ、と永久の目から細く涙が落ちた。


「……さようなら、おにいさま」


 今度こそ自覚的に、そして二度と口にしないだろう呼び名を出して、永久は世界に取り残された寂しさに泣くのだった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] ようやく決別か… 長すぎるけど、決着がついたのだから何より。 [気になる点] 永遠が刹那Fセイエイとの記憶を100%全てなくしたということは、もう無機物に意思を吹き込むあの能力も二度と使え…
[良い点] 開始から描かれていた、炎城家に関する一つの終わりを知れた事。 [一言] 憎悪などの感情は時に理性を凌駕する。それこそ人間の美点であり、汚点である。故に人間は未完成であり、未完成だから美しい…
[良い点] いい話だけど悲しいよね ようやく「姉」として話しできたのにその記憶も想いももう一人の家族のために消滅させて、そのお陰で妹は『兄と再会』できた、と [一言] いや、逆に考えるんだ! むしろ…
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