旅 立
あれから一週間が経過した。
チェロクスたちはギンジたちが敗北したと知るや、散り散りになって逃走した。どうやら故郷へと帰って行ったようだ。
元々森への侵攻はギンジたちの命令によるものだったらしい。これで諦めたかどうかはわからないが、当分は戻って来ないだろう。
仮に戻って来たとしても集落には神獣が三匹もいるのだ。オリ・ペッカとイ・ディドプス、二匹の神獣が神聖樹と再契約をかわすことに成功した。二重の結界に守られた集落は、これまで以上に頑強な要塞となるだろう。角の折れたベスキオはまだ無理のようだが、数年後には復活する。三重の結界があればチェロクスやノーマどころか神様でもなければ容易くは破られない、とはサリアナの意見だ。
集落を滅ぼされ、生き残ったファーリたちは、イリスルリヤの集落へと集まり出している。この森で唯一残った神聖樹だそうだ。
いずれ折を見て集落の一員となる儀式をするのだという。
失ったものは多く、復興とはほど遠い状況だ。体も心の傷も癒えるにはまだまだ時間が掛かるだろう。
本当ならばもう少し、その行く末を見届けたかったのだが、文人にはその余裕はなかった。
彼にはやらなければならないことがあった。
「本当にもう行っちゃうの?」
「ああ」
ティニとのこのやり取りは今日だけでもう七度目だ。
村外れには集落中のファーリたちが集まっていた。あと数歩も歩けば結界の外に出る。荷物はこの世界に来た時と同じ。
それに簡単なずだ袋をもらい、食糧と水を詰め込んである。
文人が今日旅立つと聞いて駆けつけてくれた。出会いこそ好意的ではなかったが、今では皆が別れを惜しんでくれていた。
有り難い話だ、と文人は胸が温かくなる。
「ティニ、ワガママ言っちゃダメだろ」
「でも……」兄のカーロに諭されて涙目になっている。
文人は詫びの代わりに頭を撫でた。ここに残りたいのは山々だが、あいつらが異世界への扉だという『原初の神聖樹』を狙っているとしたら放っておく訳にはいかない。
涙ぐんでいるティニの代わりに、族長が前に進み出る。
「行き方は覚えたか?」
「しっかり頭の中に」
世話になった例だと、族長から『原初の神聖樹』へのルートを教えてもらった。
地図はなく、口頭で聞いただけだが秘密保持のためにはそれが一番だ。
族長以外のファーリには、故郷に戻るためノーマの町に行く、と説明してある。
「でもさ」とカーロが胡散臭そうに文人の首を見つめる。
「それ、本当に付けていくの?」
「まあな」
文人の首にはまだ尋問用の首輪が巻き付けられている。テツヤとの戦いのこともあるので本音を言えば外したいのだが、それでは言葉が通じなくなる。途中には町もあるそうだし、誰とも会話せずに、『原初の神聖樹』まで辿り着くのは不可能だろう。通訳も翻訳機もない以上、リスクがあろうと外すわけにはいかない。
「また遊びに来てね、フミト」
「絶対だよ」
カーロとティニが目に溜まった涙を手の甲で擦りながら言った。
「またいつかな」
文人はうなずいた。
「それじゃあ、これで。サリアナにもよろし……」
「待て」
旅立とうとしたところで声をかけられた。振り返ると、ファーリたちの壁をかき分けてサリアナが最前列へと現れた。相変わらずの仏頂面だ。
「どうした?」
文人の質問にも答えず、サリアナは両腕を差し出すように伸ばしてきた。
細く艶やかな指先を文人の首に回したかと思うと何事かつぶやくのが聞こえた。
かしゃり、と音立てて首輪が外れた。
びっくりする文人に構わず、サリアナは、今度は懐から赤い布を取り出した。細長く、かすかに草の臭いがする。首輪を無造作にぽい、と放り投げると代わりに赤い布を文人の首に巻き付けた。
「どうだ。聞こえるか?」
「これは……?」
首輪を外されたにもかかわらず、言葉は変わりなく聞こえる。
「『葉繋ぎの赤布』だ」サリアナは言った。
「スロイセルの葉にトリンの花をすり潰し、神聖樹の樹液を混ぜて作った。異なる言語の者とも自由に話せる」
サリアナは傲然と胸を張った。
「本来ならファーリの秘伝を外に出すなど、あり得ないが……貴様には世話になったからな。貴様にくれてやる」
「そいつは有り難いんだが」
文人は首に巻かれた赤い布をつまみながら聞いた。
「これって首は絞まらないよ、な?」
「試して欲しいのか? ならばさっそく」
「いい、遠慮しておく」
「冗談だ」サリアナが声を立てて笑った。心底、愉快そうに。
「『葉繋ぎの赤布』にそんな力はない。正真正銘、言葉をつなぐためだけの布だ」
「ありがとう」
「例ならいらん。それと……」
サリアナは文人の顔を見つめながら何か言いたそうにしていたが、やがて無理矢理かみ砕くかのように口を閉ざした。
「死ぬなよ」
「ああ」
そこで文人は思いついた。
「そうだ、記念に写真でも……」
とデジカメを取り出すと電池が切れていた。集落に攻め込まれた時、フラッシュを焚くために『充電』したのだが、とっさのこともあってあまり溜めきれなかったらしい。
「ちょっと待っていてくれ」
文人はファーリたちに背を向ける。しゃがみ込むと背を丸め、視界から隠すようにしてデジカメからバッテリーを抜き取る。バッテリーを人差し指と親指でつまみながら意識を集中させる。皮膚の上にかすかな電光が走った。体内電気を操り、電気を発生させたのだ。普段から電池切れの場合も使っているのでこの辺りは慣れたものだ。バッテリーをデジカメに戻し、電源を入れると半分程度は回復したようだ。
「それじゃあ撮るぞ」
振り返りながらフミトがカメラを構えると、子供たちの歓声が上がった。
そして文人はファーリの集落を後にした。
振り返ると、集落は影も形もなく、鬱蒼とした森が広がっていた。
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次回が最終話です。