土 竜
北東の集落は静まりかえっていた。時折、たいまつを持ったチェロクスが徘徊しているのが見えた。数は少なかった。本陣に戻ったのか、あるいは別の場所に攻めているのか。
とにかくチャンスだ。カーロの案内で集落をぐるりと周り、向こう側の山に入る。神獣の住処はそちらにあるという。
「今も近くにいるといいんだが」
死んではいないだろうが、遠くに逃げていないことを祈るばかりだ。
山道に入ると、ベスキオが頭を屈め、鼻をひくつかせる。
「もしかして、神獣の居場所がわかるのか?」
ベスキオは短く唸ると文人を背に乗せて歩き出す。夜にもかかわらずベスキオの足取りは軽かった。
よかった。まだ近くにいるようだ。神聖樹が折れて契約は切れているはずだか、まだ近くをうろついているところを見ると、神獣自身、事態を把握できずに再接続を試みているのかもしれない。
「お前もつながってくれたらいいのになあ」
懐に入れたスマホに手を当てながらひとりごちる。当然、圏外のままだ。
生い茂った木々の隙間を潜り抜け、中腹あたりに来ると、ベスキオは大きく道をそれて斜面沿いに移動する。夜の闇に濃厚な草いきれの臭いが鼻をしきりにくすぐる。
「あ、あそこ」
後ろからカーロの声がした。目を凝らせば茂みの中にぽっかりと深い闇がえぐり取られたように穴が開いている。洞窟のようだ。
「あそこにいるのか?」
文人の質問にベスキオが高い声で唸った。
「なるほど」
正確な深さはわからないが、相当奥まで続いているようだ。神聖樹との繋がりを断たれ、力を失った神獣が潜むには十分だろう。よく見れば壁には何かで掘った跡もある。元々は食糧庫か何かに使っていたのかもしれない。
「ところでさ」カーロはおずおずと文人を見上げる。
「どうやってここの神獣様を連れていくつもりなの」
「そこはベスキオが何とかしてくれるさ、神獣同士気も合うだろう、な」
同意を求めるとベスキオは困ったようにそっぽを向いてしまう。
「……」
「……」
不意に静寂が訪れる。
「まあ、何とかなるだろう」
少々当てが外れた感はあるが、このまま洞窟の前で突っ立っていてもらちが明かない。
文人はベスキオの背から下りると、スマホのバックライトを頼りに中へ近づく。たいまつでも用意したかったが、あまり目立つ光はまずいだろう。チェロクスの占領する集落はすぐ側だ。
「ここで」
「僕も行くよ」
待っているようにと言う前にカーロに先を越されてしまった。
「わかった」
実際、外にいても安心だとは限らない。見回りのチェロクスに発見される可能性だってある。離れているより側にいたほうが対処もしやすい。
膝が震えているのはまあご愛敬だろう。カーロを連れて洞窟に入る。天井は文人の背丈より頭二つ分は高く、歩くのに不便はない。
洞窟に入ると急に気温が冷えたらしく、肌寒さを感じる。さすがに息が白くなるほどではないが、外と比べれば五度くらいは違うかもしれない。
おまけに足元も湧き水か何かで濡れているので滑りやすくなっている。
「神獣様、いないね」
カーロの不安そうなつぶやきが耳に届く。洞窟は想像以上に深かった。かれこれ十分ほど進んでいるが、いまだ終点につく気配がない。
「もしかして、間違えたかな?」
「ありえないよ」カーロがむきになった様子で反論する。
ベスキオの導きでここまで来たのだ。疑うことは神獣の力を疑うことになるのだろう。これは失言だった、と文人は素直に謝った。
しかし、実際のところ獣の息遣いや気配のようなものは全くしない。本当にここいるのか、と心の中でつぶやいたとき、スマホのライトが岩壁を照らし出した。行き止まりだ。
文人は足を止め、バックライトで壁や地面や天井を隅々まで照らし出した。多少広くはなっているが、隠れる場所などなく、ほかの道に通じるような隙間もない。念のため岩を撫でてみたが擬態している様子もなかった。
「どこにいったんだろう」
カーロは何度も首を動かす。
「ん?」
砂埃とともに岩が崩れ始めた。地震か、ととっさにカーロをかばうが、上から落ちてくる気配はなく、ただ岩壁の一部だけが崩れ始めていた。山積みになった岩が崩れる。中から鋭く長い爪が現れた。一本一本が鎌ほどもある爪を巧みに動かしながら岩の中から這い出てくる。
「チュチュ?」
そいつは巨大なモグラだった。赤黒い皮膚にとがった鼻、細いひげを生やし、つぶらな目をくりくりさせている。
大きさを除けば文人の知るモグラそのものだった。唯一の違いは、額に一角獣のように生えた小さな角だった。
「もしかして、神獣様ですか?」
「チュチュ!」
カーロの問いにモグラの神獣は勢いよく鳴いた。どうやら間違いなさそうだ。
「さて、どうしたものか」
この神獣様に会話は通じるのだろうか。
結論から言えば、話は通じた。人間の言葉は喋れないが、ある程度は通じるようだ。ゆっくりとこちらの意図を伝えると、モグラの神獣は不意にカーロの肩に食いついてきた。一瞬、引きはがしそうになったところで、今度は文人の肩にかみついてきた。力は全くこもっていなかった。おそらくベスキオのやっていた印と同じ意味合いなのだろう、と文人は解釈した。
「それじゃあ、さっそくで悪いがついてきてくれるか?」
「チュチュ」
「そういあ、お前なんて名前なんだ?」
神獣様が名無しの権兵衛ではまずいだろう。
「チュチュ?」
きょろきょろと左右を見やる。わからないのか覚えてないのか初めからついていないのか。
「オリ・ペッカ様だよ」
横からカーロが教えてくれた。
「知っていたのか?」
「前に聞いたことがある。どこかの集落にモグラの神獣様がいらっしゃるって。忘れてたけど」
「いい名前だな」
角を避けて頭を撫でてやると、うれしそうに鳴いた。
考えていた名前の候補を心の引き出しにしまい込む。さよなら、モグ太郎。
「ところで、それって誰が名づけるんだ? 族長か?」
「神聖樹だよ」
文人は眉をひそめた。
「神聖樹に選ばれた神獣様は名前を授けられるんだ。授けられた名前は族長を通じて集落に伝えられるんだ」
「でも、こいつには一度失っているわけだから、また別の名前をさずかることになるのか? それともそのままなのか」
「そこまではわからないよ。だって今までこんなこと聞いたことないもん」
それもそうか。
「とりあえず連れて帰るか」
オリ・ペッカはおとなしくついてきた。
洞窟から出るとベスキオがすり寄ってきた。とりあえず神獣同士で仲たがいする心配はなさそうだ。
目的は果たした。
「あとは帰るだけだね」
文人は遠慮しながら言った。
「カーロはオリ・ペッカを連れて先に戻っていてくれないか」
「フミトはどうするんだよ」
「それなんだがな……」
不意にベスキオが立ち上がった。幕のように体を広げると文人とカーロに覆いかぶさった。
何事か、と問いかけるより早く、甲高い獣の悲鳴と、鋭い飛来音と肉を刺す音がベスキオ越しに伝わってきた。
黒い巨体が呻きながら痙攣する。
「おや、外したか」
呑気な声とともに翼の羽ばたきが聞こえてきた。
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