決 意
夜になった。
荷物は少なかった。麻製の袋に食料の果実とひょうたんのような木の実を使った水筒、必要はないと思うが財布も入れてある。あとはこちらに来た時と同じ服装だ。
外に出ても見張りはいなかった。信頼されているのだな、と嬉しくなる半面その期待を裏切ることになるのは気が引けた。星が出ているので明かりに不自由はしない。
村の外にでるところで不意に人影が立ちはだかった。
「どこへ行く」
サリアナだった。
「よくわかったな」文人は観念した。水と食料を抱えてトイレもないものだ。
「お前の行動は逐一監視している。昼間、ノトラニと筆談で色々聞き出していたこともな。ティニから聞いたぞ」
会話ができても字が読めないために通訳を頼んだのだが、そこから漏れたらしい。
一応口止めはしていたのだが、サリアナ相手には通じなかったようだ。
「助けに行くつもりか? ノーマのお前がなぜそこまでする」
「逃げるとは思わないのか? 普通はこの格好を見ればそう思うはずだけどな」
「お前は阿呆だ。しかも底抜けのな」
失礼な物言いだったが、反論する気にはなれなかった。
「だから、自分の命惜しさに集落を見捨てるような賢しいマネはするまい」
「期待してくれるは有り難いんだが」
文人は慎重に言葉を選びながら言った。
「俺はそんな器用な男じゃない。人質を手引きして逃がすなんて不可能だ。もちろん可能ならばそうしたいが、目的は別にある」
一人二人ならともかく、大勢の人間を守りながら脱出するなんて一人で出来るものではない。
「ならばどうする」
「結界を張り直す」
サリアナは呆気にとられた顔をした。
「できるならとっくにやっている。だが、神獣の角が再生するには早くても数年は……」
「だからよそから連れてくる」
「どういうことだ?」
「ノトラニが言っていただろう。集落が襲撃にあって神獣が逃げたってな。そこから連れてきて、こっちの神獣についてもらう。……向こうの神聖樹は折られたらしいからな」
言葉は悪いがちょうどいい、と言いかけて口をつぐむ。さすがにサリアナの前で口に出すべきではあるまい。
「結界を張りさえすれば、集落はまだしばらくはもつ。結界の中で食料を確保することもできる。連中の補給はそう長くは続かない」
これもノトラニから聞いたことだ。チェロクスは荒野を越えて来ている分、どうしても補給線が長くなる。集落から奪い取った分も限界がある。第一、ファーリのほとんどは果実や野菜といった草食中心である。チェロクスのほとんどは肉食である。森には食料になりそうな動物も果実もたくさんあるはずなのだが、うまくいっていないらしい。どうやら神聖樹を切り倒したために、生態系が乱れたかして、食料になりそうな動物たちが次々と森から逃げ出しているらしい。
仮に食料は確保できても武器や道具はそうはいかない。予想以上に戦況が膠着したために、補給も付きかけている。こちらに向かっていたはずの輸送部隊がノーマの軍に奇襲をかけられ、武器の大半を失ったのもかなりの痛手になっているようだ。
「こちらの防御さえ整えば反撃もできる。結界内に逃げ込めば、追っては来られない。人質となっている人たちを救出するチャンスもめぐって来る」
「だが、しかしだ。逃げたといってもどこへ逃げたかもわからないのだぞ」
「こいつが案内してくれる」
がさりと茂みの中から黒い獣が顔をのぞかせる。ベスキオは文人の姿を認めると喉を鳴らして顔をすりよせる。
「ベスキオをそこまで手なずけたのか……お前は一体何者なんだ?」
「昔っから動物は好きでな」
「ほら、こいつここを撫でてやると喜ぶんだ」
「お前は……何者だ?」
「カメラマンだよ」
普通の、ではないだろうけどな、と心の中で付け加える。
「『かめらまん』というのは、みんなお前のような奴ばかりなのか?」
「そうでもない。どっちかというと、俺が例外な方だ」
むしろ規格外、と言い換えるべきか。
「どうしてここまでする?」
「性分でね」
自分のあずかり知らないところで誰かが苦しんでいる。今こうしている間にも苦しみ、悲しみ、死んでいく人たちが大勢いる。それはどうしょうもないことだし、全てを救えると思うほど傲慢でもない。それでも、自分は知ってしまった。知ってしまった以上、目をつぶり見なかったことにするのは我慢できない。
「何かしないと寝覚めが悪くってな。飯もまずくなる。それが一番つらい」
「私も行こう」
サリアナの提案に文人は首を振る。
「君は集落を守ってくれ」
今は大事な時期だ。仮に新しい神獣を連れて帰っても集落が滅ぼされれば元も子もない。ベスキオの張った結界はいつ切れてもおかしくなかった。皮肉な話だが、切れかけたからこそベスキオが神聖樹から離れられるようになった。
「わかった」サリアナはうなずいた。
「頼むぞ、文人」
「もちろんだ」
文人はベスキオにまたがり、その背を撫でた。
ノトラニの集落はここから北東に向かい、山を二つ越えたところだという。以前は交流もあったために獣道のような道もあるが、そちらはチェロクスの監視がついているだろう。文人は山越えを選んだ。ハイキングコースのような登りやすいものではない。切り立った断崖のような斜面に針葉樹のような背の高い樹が群生している。登るのも苦労だが、降りるときはまた大変だった。そのルートをベスキオは余裕で狭い木々の間を駆け抜け、斜面を駆けあがり、坂を下っていく。文人は感服させられた。
異変に気づいたのは下り道に入ったところだった。
追ってくる気配がする。足音からして四本足の獣だ。蹄の音からして誰かが乗っているようだ。だんだんと荒い息遣いまで聞こえてきた。
チェロクスの見張りに気づかれたか? と振り返ると、確かに山の上からこちらに迫って来る影があった。大きな鹿が月明りに照らされながらこちらに駆け下りてくる。ひらりひらりと難度の高い岩場を避けながら降りてくる。文人の目を引いたのは、鹿に乗っている小さな人影だった。
カーロだ。
「フミト」
カーロは文人の側まで来ると大きな鹿から飛び降りた。
「どうしてここに?」
「僕はティニの兄貴だよ」
まったくあの子は。文人は天を仰いだ。
「その鹿は?」
「タムリだよ」カーロはにこやかに鹿の背をさする。「僕の友達さ」
茶色い毛に角の大きな姿は文人の知っている鹿そのものだが、細く垂れ下がった尻尾は二股にわかれている。
「僕も行くよ」
「危険だ」
「変わらないよ」カーロは首を振った。「集落にいてもいなくてもね」
「しかしだな」
「帰れって行ってもムダだよ。もう半分まで来ちゃったし。それにあの集落なら僕も行ったことがある。場所とか、神獣の居る場所もだいたいわかっているよ。フミトはどう?」
そう言われると反論しづらい。ある程度の場所はノトラニから聞いているが、土地鑑のない場所で迷っていればそれだけ危険度は高くなる。
「お願いだよ、フミト。僕も集落の役に立ちたいんだ。僕だってもう集落の一員なんだから」
それに、とカーロは文人を指差し、にやりと笑った。
「年上の言うことは聞くもんだぞ」
文人はため息をついた。
「わかった。けれど危なくなったらすぐに逃げるんだぞ」
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