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電脳役者~月村健一の意外な運命~  作者: 万卜人
第十一回 焦慮! 電脳大江戸麻薬流出蔓延危機之巻
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 仮想現実の江戸でも、月は当たり前に夜空に懸かっている。もちろん、本物の衛星ではないと理性では判ってはいるが、迫真性は充分だ。

 健一の鼻腔に、微かに潮風が海の匂いを運んでくる。柔らかな波が、月の光にきらめき、船着場際に、発光性のプランクトンが、微光を残している。

 気温はそう低くはないが、健一は身震いを抑え切れない。寒いはずはない。季節はまだ、夏だ。

 しかし健一は、自分の奥歯が、かちかちと細かく鳴るのを止められなかった。

「暗いなあ……」

 思わず呟くと、隣に立っている鞍家二郎三郎が低く囁き返した。

「あんた【遊客】だろう? 暗視モードにすれば、どうだね?」

 忘れていた! 健一は、慌てて自分の視界を〝暗視モード〟に移行させる。

【遊客】の特殊能力として、視覚を様々に変更できるというのがある。夜でも、少しでも明かりがあれば、増幅して昼間のように、見渡せる。今夜のように月が懸かっていれば、眩しいくらいだ。

 途端に、それまで真っ暗だった視界が、真昼のように明るくなる。しかし、視界に色はついていない。完全に白黒だ。

 空に浮かぶ月は、昼間の太陽のように、強く輝いている。あまりの眩しさに、健一は視線を海面に戻した。

 横浜に、健一は来ていた。

 健一のほか、永子、二郎三郎が顔を揃えている。

「時間は?」

 健一は、二郎三郎に尋ねた。

 二郎三郎は、ぐいっと腕を伸ばして、手首を見る。ちょっと健一を見て、ニヤッと笑った。

「腕時計なんか、あるわけないだろう?」

 健一は、ガクッとずっこけた。

 ちぇっ、悪い冗談だ!

「もうすぐ、四つだな……。亥の刻だ」

 当たり前のように二郎三郎が答えたので、健一は面食らった。江戸の時制はよく判らない。健一の顔つきを見て、二郎三郎は詳しく答えてくれた。

「つまり夜中の、十時過ぎだよ。約束まで、もうすぐだ」

「そうか」

 健一は、もう一度、海面に目を戻した。

 周囲には、ほとんど人家らしきものは見当たらない。ただ、海岸から遠く、横浜の出島が海へ突き出して、ぽつりぽつりと照明が灯っている光景が見えるだけだ。

 出島からは、唐人町がごちゃごちゃといらかを寄せ合うように、建物が密集している。こちらは住人が寝静まっていると見えて、人の活動はまるで感じられず、明かりも灯ってはいない。

 健一は針鼠の仙蔵と、ここで待ち合わせをしていた。

 目的は、仙蔵が持っている、西洋渡りの薬である。表向き、健一は、江戸仮想現実で、悪党仲間と付き合いがあって、仙蔵の薬を悪党相手に売りさばく目的があると、説明している。

 仙蔵はあまり健一の説明を信用していないようだったが、それでも健一が蓄えている、関所支給の百両には充分すぎるほどの、敬意を払っている。

 つべこべ説明しようが、百両は、百両だ。仙蔵にとって、百両は目も眩む大金だろう。

 背中から、永子が低く健一の注意を喚起した。

「来たみたいよ」

 永子の言葉に、健一は海面に注意を戻した。

 ちゃぱり、ぽちゃりと水面を艪が掻く微かな音がして、小船が接近してくる。

 健一は、視覚を望遠にさせた。即座に、視界がぐーっ、とズームになり、遠くに浮かんでいる小船が視界一杯に広がる。

【遊客】の視覚は、便利である!

 やはり仙蔵だ。小船のともちかくにどっかりと陣取り、数人の手下が用心おさおさ怠りなく、じっと前方を凝視していた。

 健一の胸に、凍りつくような恐怖がずっしりと居座った。こんな場面は、仮想体験劇で何度も撮影しているが、今回は芝居ではない。相手は本当の、悪党なのだ。

 危険が迫っても「カット!」の声が掛かるわけがない……。

 自分に何ができるだろう?

 ちらりと背後を振り返って、永子を見ると、内心の恐怖など一切感じさせない、平静な態度を保っている。

 隣の二郎三郎は悠然と、腕を組んで、真っ直ぐ背を伸ばしている。こんな場面、何度も御馴染みだと、言わんばかりである。

 健一は密かに、自己嫌悪を感じる。ここでは自分は、完全にお荷物だ……!

 小船が船着場に舳先を着け、船頭がもやいを巻きつけた。総ては無言で行われている。

 仙蔵の手下たちは、ひらりと船着場に躍り上がると、ずらりと肩を並べ、仙蔵が上陸するのを待っている。

 やや億劫そうな物腰で、仙蔵が舟から船着場に足を移した。肥満しているせいで、身動きは大儀そうである。

 健一を見る仙蔵の瞳が、ぼうっと光を湛えた。仙蔵もまた〝ロスト〟したとは言え、健一と同じ【遊客】だ。視覚を暗視モードにしているのだろう。

 仙蔵は、ニヤリと片頬だけで笑って見せた。

 不思議と、仙蔵の笑い顔は悪党には相応しくなく、無邪気なものだった。

 健一は大きく、息を吸い込んだ。

 今度こそ、自分から第一声を上げてみせる! そう何度も、永子に頼りきりなんか断固するものか!

「ブツは、どうした?」

 思いがけず、健一の声は、自分でも驚くほどはっきり発声できた。少なくとも、素人芝居ではなさそうだ……。

「ブツは……ねえ!」

 仙蔵は顎を挙げ、短く答える。

 隣で、二郎三郎が怒りを顕わにするのを、健一は感じ取っていた。ずらりと並んだ、仙蔵の手下たちが、一斉に及び腰になる。

 二郎三郎が発した、【遊客】の気迫が、江戸NPCである手下たちに影響したのだ。

「何だと……。あんた、約定はどうした?」

 仙蔵はジロリと二郎三郎を見やった。

「こっちこそ聞きたい。あんたは誰だね? 前回、健一さんと、お永姐さんが尋ねてきたときは見ない顔だが……?」

「俺は……まあ、相談役だ。それより、約定では、ここで受け渡しするはずだな」

 二郎三郎は、まるで動揺を見せず、質問で返す。仙蔵はひくひくと唇を痙攣させた。

「どうも、あんたらは信用できねえ……。おいっ、野郎たち!」

 仙蔵が健一たちの背後に向け、大声を上げた。

 健一は、くるっと仙蔵に背を向け、振り向く。

 と、健一の視界に、むくむくと周囲の草叢から、何人もの人影が姿を現すのが目に入った。

「二郎三郎さん……」

 声を掛けると、二郎三郎は「うむ」と重々しく頷く。

「どうやら、こっちは【遊客】らしいな」

 健一の奥歯が、さらに激しく、細かく震え出す。ずしんと、鳩尾から肛門に向かって、氷柱つららのような恐怖が貫いた。

 唐人町には、立ち往生【遊客】の町がござんす……。

 源三の言葉が胸に蘇る。

 今、健一たちに迫ってくるのは、〝ロスト〟した【遊客】たちなのだ!

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