六
「何でだよう! 何で、いつもいつも、あちしの邪魔ばっかりするのさ?」
男のガラガラ声で紗霧は地団太を踏み、二郎三郎に食って懸かった。怒りで顔は歪み、先ほどまでの神秘的と言ってよい美貌は、今は欠片も残っていない。
二郎三郎は、怒鳴り返す。
「馬鹿野郎! 今度は剣鬼郎を狙ったんだろうが、そうは行くか! 全く、手を変え、品を変え、【遊客】ばかり狙いやがって! そんなに男が好きなら、その手の仮想現実へ行っちまえ!」
二郎三郎の言葉に、剣鬼郎はさっと青褪めた。
「お……俺を狙ったんだと?」
「そうさ! 吉弥の奴、どういうわけか同じ【遊客】の男を落とすのが生き甲斐らしくてな。最初は俺のような、開闢遊客ばかりを狙って、接続するたびに違った女に化けて接近しやがる。そのうち、一目ぱっと見ただけで、俺には判るようになっちまった。黙っていようと思ったが、剣鬼郎さん。あんたが本気になっちまう前に、ばらしておいたほうが良いと、思ったんだ」
剣鬼郎は怖々と、紗霧──いや、吉奴を見た。振り向いた瞬間、剣鬼郎はたじたじと、後じさった。
「あ……あんた! 本当に、さっきまでの紗霧かっ? まるで別人……!」
健一も紗霧=吉奴に目をやり、同じ驚きを感じていた。まさに剣鬼郎の言葉どおり、吉奴の姿は変貌していた。
ほっそりとした姿態は今や、ぶくぶくと膨らんだ河豚のようになり、顔はまん丸に膨張して、大きな両目は、細い裂け目になっている。身長も、頭二つ分は大きくなって、まるで相撲取りだ!
二郎三郎は「処置無し!」と言いたげに、何度も首を振って説明した。
「吉奴の本体は、歴とした男だ。仮想現実に接続するとき、女のアバターになって接続するのだが、あまりに元の身体と違いがあると、三日間の接続限度前に、身体が本体に近づいちまう。元々の吉奴が、顔を出してくるんだな!」
健一は気の毒がって良いやら、可笑しがったほうが良いのか、判断がつかない。折角、選抜に勝ち抜くほどの別嬪に化けても、一日も姿を保てないとは、知らなかった。
ちょっと待てよ……。それじゃあ、永子はどうなんだろう? 永子は、元々の年齢からすると、仮想現実に接続するアバターは、相当に若い年齢に設定している。
二郎三郎は、健一が永子を見る視線から、何かを感じたのだろう。ニヤッと笑って、健一に囁いた。もちろん、永子には聞こえないようにしてだ。
「安心して良いぜ! 多少は若返ってたとしても、性別まで変えているわけじゃない。まあ、三日間の接続限度一杯、あの姿でいられらあな!」
健一と二郎三郎は、顔を見合わせ、なぜかニヤニヤ笑い合った。永子は二人の表情を見て、話の内容を察したらしく「むっ!」とばかりに、睨み付けてくる。
二人は、さっと顔を背けた。女の勘は、恐ろしい……。
「もう……! あちし、家に帰る!」
吉奴は憤然と叫んだ。目を閉じ、ぶつぶつと何事か口の中で呟く。現実世界へ帰還するための手続を始めている。二郎三郎が、笑った。
「おい! 江戸NPCが見ている前で、接続を断てるものか!」
吉奴は、はっとばかりに周囲を見回した。
視線の先に、億十郎が立っている。億十郎は話の展開についてゆけず、呆気に取られた表情のまま、ぼけっと吉奴を見詰めていた。
二郎三郎が、億十郎の肩を叩いた。
「おい、億十郎、あれは何だ?」
二郎三郎が宙を指差し、億十郎の視線が指先を追った。億十郎の視線が吉奴から逸れた瞬間、吉奴は目を閉じた。
ふっと一瞬の間に、吉奴の姿は掻き消える。江戸NPCの、億十郎が視線から外れたので、吉奴は現実世界へ帰還できた。【遊客】は、江戸NPCの見ている前では、現実世界へ戻れない。
「ただの鴉で御座る」
億十郎が二郎三郎の指差した先を一目、ちらっと見やって答える。
「そうか」
二郎三郎は、しれっとした顔で返事をした。億十郎は、キョトキョトと辺りを見回した。
「紗霧殿は……? 姿が見え申さぬが」
「さあね、どこかへ行ったんだろう……」
二郎三郎は、澄まして答える。
ぼんやりと、置いてきぼりになっている億十郎を、健一は見上げて声を掛けた。
「億十郎さん。それでは、あんたのお兄さんに、話を通して貰えませんか?」
「あ……。承知!」
健一の声に、億十郎は我に返ったように表情を引き締めた。
大黒億十郎の兄とは、はて? どんな人物だろうと、健一は考え込んだ。




